2017年11月18日

"20秒早く出発して謝罪" は美徳か?





"海外メディアが驚愕 ⇒ つくばエクスプレス、20秒早く出発して謝罪" なるネット記事

"「史上でもっとも、過剰に反省された20秒だったのでは……」(ニューヨーク・タイムズ)
「日本の鉄道会社は、ニューヨークの乗客が決して聞くことがないであろう謝罪を出した」(ニューヨーク・ポスト)
「20秒早く出発しただけで謝罪する東京の鉄道会社は、日本の最高の美徳だ」(サンフランシスコのスタン・イーさん)
「日本の電車の乗ったことがある人は、この話の意味が分かるだろう。なぜかイギリスではあり得ないけどね」(ロンドンのアンディ・ヘイラーさん)"

この記事は日本人が書いたものだが、その意味はわからない。近頃マスコミが垂れ流す「日本って素晴らしい」なる自我自尊・夜郎自大ブームの一つなのか?それはそれとしていい加減にしてもらいたいが、始終この手の「謝罪」を車内放送で耳にする私にとってその意味は、この日本という社会の問題を反映していると思えてならない。その問題を知らない外国人から「美徳」などと褒められて気をよくすべきことではないのである。

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さて、この手の「謝罪」の意味をどう理解するか?
日本人なら思い当たる筈だ。つまり、"そう言う側もそう言わせる側も、根本の部分で思考が停止"している。何気に謝罪し謝罪されるが、それがなぜ謝罪に値するのかわからない。つまり「何気」が支配している。もっと真剣に考えるべきことについて実は何も意識や判断が及ばない・思考が及ばないのである。それは政治の世界で顕著だろう。原発事故や"もりかけ"問題、憲法改正やらアベノミクスなど、忖度やら空気やら「何気」が充満し、その意味することの本質を誰も語らないばかりか、責任の在り処が有耶無耶とされ、その立場にある者が説明責任を果たすこともない。国会で国民(野党)が質問することすら無駄とされる。思考停止を安倍政治は国民に求めているに他ならない。「国難」が叫ばれた時代に「個人の思考や判断を停止」することを前提とする、大政翼賛政治が行われたことは歴史が証明している。その先は戦争。安倍首相がしきりに「国難」を叫び、野党(国民)の質疑時間を削ろうとしていることと符合しているではないか。"20秒早く出発して謝罪" とは、危険なサインなのだ。大げさに思われるかもしれないが、我々の小さな思考や判断の停止や無意識が重なって、やがてそういう社会を前提とする大政翼賛政治や国体政治が現れる。

ストックホルム (1).jpg


つまり「美徳」でもなんでもなく、 "20秒早く出発して謝罪" を「何気」に当たり前とする "思考停止・意識なき社会" がその手の謝罪に象徴されているだけなのだと理解した方が良い。それを何の違和感もなく受け止める我々と社会。「意味のない反省」は実は根の深い問題を孕んでいる。

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"最近、首都圏の鉄道で僅か数分の電車の遅延でも車内放送で「深くお詫びもうしあげます。まことに申し訳ございません。」などと最上級の詫びが入るようになったのもある意味でこの判断・思考停止だと思う。鉄道会社の言い分だと、数分遅延しただけでも大迷惑な乗客も中にはいるかもしれず、些細なことであっても一言丁重に車掌が乗客全員に謝ることがマニュアル化されているそうだ。乗客同士の喧嘩や痴漢が原因で運行に支障が出ても、鉄道会社はそれらマナー違反の乗客に代わって「深く詫びる」ことになっている。挙句は、本来は乗客のモラルに委ねるべき車内マナーや所作まで、一々放送しなくてはならないのである。乗客同士も互いに注意し合うことに関わりたくない意識もあるのだろう。そう言う側もそう言わせる側も、根本の部分で思考が停止して、先ずはマニュアルとして言う・言わせている、社会が見えてくる。ある首都圏の私鉄では駅や車内放送のマニュアル集が一昔前に比べて三倍の厚さになったそうだ。個々の判断や思考はやめて、ついついお互いの合点や合意を求めてしまうのである。"(拙稿「<音>から考える - プラスとマイナス」)

(おわり)


posted by ihagee at 08:40| エッセイ

招き猫の誘惑(Tenax 1)その7



CIMG4771.JPG


好天に恵まれた昨日(11/10)、群馬県赤城高原にある赤城クローネンベルク(クローネンベルクドイツ村)を訪れた。前回訪れてから16年ぶりだった。

Tenax 1にKodak T-MAX 400フィルム(モノクローム)を詰めて園内を撮影した。セコニックの露出計(Studio Deluxe II)を用い、ユニバーサルファインダーとクローズアップレンズで接写も試みた。Yフィルターにクローズアップレンズ=220 II (50cm - 33cm)を接続リングを仲介して奥目のTessar 35.7mmレンズに被せて撮影したが、案の定、撮像の周囲がケラれてビネット風になっている。フィルターやクローズアップレンズを重ねたため、その内側で光が反射した結果も表れていた。それらもスクエアフォーマットゆえ全体の構図を変えずにトリミングは可能だが矢張り気になった。

24枚撮フィルムなら35コマ程度撮れる。巻き上げは最後まで極めて良好。Tenax 1やTaxonaで報告されているような巻き上げトラブルは一切なく、事前の措置が功を奏したようだ(拙稿「招き猫の誘惑(Tenax 1)その2」)。そして、ロボット用の一つ目ユニバーサルファインダーも接写時のパララックスを補正しほぼファインダーを見た通りの絵をレンズが捉えていた。カメラを逆さにしても一つ目がずれ落ちることもなくネオジムマグネットの効果も確認。被写界深度を得る為、f11か16に絞って撮影したがピントが前後するなど接写においては目測撮影の難しさをあらためて実感。

以下がその結果(スキャナ:EPSON GT-X980 / トリミング以外修正無):

Zeiss Ikon Tenax 1,  Tessar 37.5mm F/3.5 with Y filter,  close-up lens, Kodak TRI-X 400, Location: Akagi Kronenberg (German village), Gunma, Japan, Nov. 10, 2017


Zeiss Ikon Tenax 1,  Tessar 37.5mm F/3.5 with Y filter,  close-up lens, Kodak TRI-X 400, Location: Akagi Kronenberg (German village), Gunma, Japan, Nov. 10, 2017


Zeiss Ikon Tenax 1,  Tessar 37.5mm F/3.5 with Y filter,  close-up lens, Kodak TRI-X 400, Location: Akagi Kronenberg (German village), Gunma, Japan, Nov. 10, 2017


木の葉にピントを合わせることができた

Zeiss Ikon Tenax 1,  Tessar 37.5mm F/3.5 with Y filter,  close-up lens, Kodak TRI-X 400, Location: Akagi Kronenberg (German village), Gunma, Japan, Nov. 10, 2017


Zeiss Ikon Tenax 1,  Tessar 37.5mm F/3.5 with Y filter,  close-up lens, Kodak TRI-X 400, Location: Akagi Kronenberg (German village), Gunma, Japan, Nov. 10, 2017


Zeiss Ikon Tenax 1,  Tessar 37.5mm F/3.5 with Y filter,  close-up lens, Kodak TRI-X 400, Location: Akagi Kronenberg (German village), Gunma, Japan, Nov. 10, 2017


Zeiss Ikon Tenax 1,  Tessar 37.5mm F/3.5 with Y filter,  close-up lens, Kodak TRI-X 400, Location: Akagi Kronenberg (German village), Gunma, Japan, Nov. 10, 2017


Zeiss Ikon Tenax 1,  Tessar 37.5mm F/3.5 with Y filter,  close-up lens, Kodak TRI-X 400, Location: Akagi Kronenberg (German village), Gunma, Japan, Nov. 10, 2017


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厩舎から橋を渡って餌をねだりにくる黒ヤギのジジョ(雌のヤギの姉妹の次女らしい)

Zeiss Ikon Tenax 1,  Tessar 37.5mm F/3.5 with Y filter,  close-up lens, Kodak TRI-X 400, Location: Akagi Kronenberg (German village), Gunma, Japan, Nov. 10, 2017


Zeiss Ikon Tenax 1,  Tessar 37.5mm F/3.5 with Y filter,  close-up lens, Kodak TRI-X 400, Location: Akagi Kronenberg (German village), Gunma, Japan, Nov. 10, 2017


威厳あるポートレイトが撮れたと思ったら舌を出していた。お茶目なジジョだ。

Zeiss Ikon Tenax 1,  Tessar 37.5mm F/3.5 with Y filter,  close-up lens, Kodak TRI-X 400, Location: Akagi Kronenberg (German village), Gunma, Japan, Nov. 10, 2017


鷹の目と言われたTessarだけあって緻密な描写となっている(ピントさえ合えば)。カラーフィルムを想定したレンズではなくモノクロームでこそレンズの真価を発揮するが、その通りの絵となっていた。120ブローニーと同じ感覚で135(35mm)フィルムのスクエアフォーマットが撮れることはやはり楽しい。

クローズアップレンズを用いず撮影した結果は次回報告。

(おわり)


posted by ihagee at 07:22| VEB Zeiss Ikon Tenax 1

2017年11月17日

時代の輝き・個人の尊重



我々が輝いていた時代というものがある。私の少年時代がそうだった(昭和40年代)。大阪万博はその象徴で私にとっては今も一つのメルクマールとなっている。良くも悪しくも(拙稿「反博の塔(岡本太郎)」)。

その「我々」とは今マスコミが垂れ流す「日本って凄い」の「日本」とか「日本人」という総体ではなく(バブル期に『ジャパン・アズ・ナンバーワン(Japan as Number One: Lessons for America)』で「日本」とか「日本人」という括りが復活したが)、我々一人一人、すなわち個人が生き生きとしていた時代だった。今みたいにモノや情報に溢れかえっておらずむしろ粗末で質素な中だからこそ、日常のささやかな催事に喜びを見出すことができたのかもしれない。寅さんもこの時代の住人だろう。寅さんが「日本」とか「日本人」として映画で描かれはしない。寅さんは「フーテンの寅」こと車寅次郎でしかないのである。

今みたいに気ままにスマホでパシャりと撮って撮ったことすら忘れてしまうような稀薄な生き方ではなく、撮る・撮られること自体が一つの催事でもあった。アルバムという限られたスペースに貼り込まれるのは一人一人に凝縮された時間に他ならなかったわけだ。

「個人」を尊重せずその存在を認めず、国家との関係でしか存在しない「人」という名無しの存在にしてしまえ、と安倍政治は憲法を変えようとしている(拙稿『「個人」か「人」か(憲法第13条)』)。「一億総〇〇」という我々の祖父祖母(私の場合は父母)が戦争で嫌というほど経験し戦後離別した筈の<名無しの括りあげ>が復活し、国民が国会で質問することすら制限するような予定調和的「大政翼賛」政治が復活しようとしている。

「個人」が尊重され一人一人が輝いていた時代をその時代の写真で思い出して、今の安倍政治のあり方に疑問を持つきっかけにしたい。AIなどという人間の意識さえ飛び越えてしまう社会を肯定しようとする社会に疑問を持つきっかけにしたい。AIを肯定するような社会では人間の存在(尊厳)すら否定されかねない(拙稿『「AI本格稼動社会」への大いなる懸念』)。全くの本末転倒である。人あっての社会なのに、人が無くても良い社会(人間を峻別する社会)とは想像するだけでも恐ろしい。以下は、1950年代のブローニー・ネガフィルムからEPSON GT-X980で直接スキャンしたもの・トリミング以外修正無・撮影場所:積丹町・美国)。

Bygone days in Japan (1950s)


Bygone days in Japan (1950s)


Bygone days in Japan (1950s)


Bygone days in Japan (1950s)


Bygone days in Japan (1950s)


Bygone days in Japan (1950s)


Bygone days in Japan (1950s)


(おわり)
posted by ihagee at 04:16| 古写真