2022年12月25日

サイアノタイプ・ヴァンダイク(Virtual negative)-その6


モノクローム専用設計の6.08" LCD(Duobond)は晴れて全面表示可能となり、気を良くして古びた35mmアナログフィルムをネガ元にサイアノプリントを行った(B5 Cotman Smooth 水彩画紙・露光時間約5時間)。

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(昭和30年代の劣化したアナログフィルムがネガ元)

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プリントしたものの、アナログネガがあるのだからわざわざデジタル化した上でLCD上でバーチャルネガにする必要はないのである(アナログフィルムはUV光源の引き伸ばし機で従来通りプリントできる為)。

つまり、バーチャルネガ方式にしたからにはネガ元はスマホのデジタル画像で一向に構わない。それを写真アプリでリサイズ・ネガにするだけで良い。インプットについてはアナログ(アナログフィルム)との完全なる決別となるが、引き伸ばし機と感光性の印画紙からなるアウトプットの終段がかろうじてアナログというオチ。オーディオで言えば、アナログレコード(アナログ音源)の代わりにデジタル音源・増幅機としておきながら、アウトプットの終段は昔ながらにコイルと紙による空気振動たるアナログスピーカというオチと同じかもしれない。

アナログは所作、しきたりや立ち居振る舞いといったある種の儀式(心構え)を伴う。音楽鑑賞・暗室現像は華道・茶道と同様、極めれば道につながるが、その道をそもそも全く必要としない便益が今の世の中では罷り通っている。どこでもアイチューンズ、いつでもインスタである。「インスタ映え」の「見映え(見栄え)の良さ」は電子的イリュージョン(幻影・錯覚)に過ぎない。ものごとの真理も現実もそこにはない。

そんな便益ばかりの世の中(デジタル社会)にあって、アナログフィルムやアナログレコードにその便益世代の若者ほど関心を寄せるところは、不便益がむしろ五感(複雑系)に強く働くのだろう。手間がかかり、スキルや思考を常に使い、場合によっては非効率であり失敗もするといった不確実性は人間の生理現象と一致している。「見映え(見栄え)の良さ」とは逆、雑味ばかりだからこそ雑たる生身に染み渡るのである。

つまり、デジタル社会にどっぷり浸かるということは、その人の思考も行動様式も割り切り・単純化されていくということである。しかし、生身の体は正直にアナログのままである。遺伝も細胞分裂も排泄も老化も生死も全てありのままでしかない。そんな内側は草ぼうぼうの庵に毎日、割り切り・単純化を是とするデジタルなる客人が応接に暇なく訪ねてくるのである。客人は来る度に、こんなところに雑草が生えていると云いながらアナログ的なるものを刈取っていくのである。(ピュアは毒なり


そのような便益にどっぷり浸かって受身になれば途端に自分を見失う。便益全盛・意識なきシステム社会ではいとも簡単に自分を見失い(<意識なきシステム>で「世界一」となる国)、自ずとは存在し得なくなる(「個人」か「人」か(憲法第13条))。

何事にも意識を通わせることは自分を見失わないことでもある。

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バーチャルネガ方式から話が脱線したが、インからアウトプットまで、ただ便利だからといって、全て意識なきシステムに身を委ねてしまう危険性を政府が率先するマイナンバーカードに感じてならない。考えてみれば、誰が普段の買い物に実印(マイナンバーカードと等価)を持ち歩くだろうか?個人の生命財産・人権に場合によっては紐づけられる実印は厳重にその個人によって仕舞われ管理されるべきものだ。それをただ「便利だから」といって、その管理をその個人の意識が通わない他者(国・政府)に預けてしまえば良いという意思薄弱に迎合して良い筈がない。カードと引き換えに生殺与奪の権を他者に委ねると同じことである。

マイナンバー制度に「NO!」を突き付けて廃止とした英国の国民性の底には人権は<意識なきシステム>に決して委ねないという強固な意志がある。人権の為なら、人間の意識をどこまでも通わせようとする努力を惜しまない。(<意識なきシステム>で「世界一」となる国


(おわり)

2022年12月21日

サイアノタイプ・ヴァンダイク(Virtual negative)-その5


モノクローム専用設計のLCD(Duobond)について、複製モードでなく拡張モードとすることで(ディスプレイ設定)全面表示ができなかった問題が解決した。

バックライトがなく引き伸ばし機にマウントされたLCDだから、PC側のモニター上で画面操作を行うことばかりを考えて複製モードに拘り拡張モードを試していなかった。複製モードでは画面の解像度は、低いモニターに合わされる。つまり低いのはPC側のポータブルモニター=解像度(1024*600)だから、複製されるLCD(2560*1620)では全面表示にならないのは考えてみれば当たり前のことである。

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拡張モードにすると、ウィンドウズのデスクトップが拡張側のLCD(アスペクト比=16:10)でも全画面表示となった。一見これで良さそうだが(PC側のアスペクト比=16:9に固定されない全画面表示なので、若干縦長に見える)、この拡張モードには以下注意点および課題(解決策)がある。

注意点:
写真など画像データを拡張画面上で展開する場合は、RGBで3つのサブピクセル(通常のLCD)はモノクローム専用設計のLCD(Duobond)では統合されて1ピクセルであるから、元の画像をサブピクセル方向にピクセルを3倍に拡大した(リサイズした)データでなければ正しく表示されない(アスペクトではなく、ピクセル対応)。LCD(Duobond)のアクティブ信号は2560*540、LCD上の解像度は2560*540

課題:
拡張モードでは、PC側のモニターをメインに設定すると、拡張画面上に画像を展開させるには画像を拡張画面までドラッグするなど操作が必要となる。PC側のモニターでは見えない拡張画面上の操作だから、引き伸ばし機から一々LCDを外し手元で光に翳さない限りできない。拡張画面をメインに設定すれば尚更のこと苦労することになる。バックライトがなく引き伸ばし機にマウントされたLCDだから(PC側の)ポータブルモニター上で画面操作を行えるようにすることは課題だった。

解決策:
そこで、拡張画面をメインに設定することを前提に、PC側にHDMIで接続していたポータブルモニターを取り外し、代わりディスプレイエミュレーター(仮想コネクタ)を装着しあたかもモニターが接続しているかにPCを騙し、他方、拡張画面への出力を分波し(HDMI分配器を噛ませて)、一つは引き伸ばし機にマウントされたLCD、もう一つは取り外したポータブルモニターに接続することで、拡張画面がメインの「複製モード」が実現可能となった。斯くしてポータブルモニターに拡張画面をミラーリングさせ同モニター上で画面操作が行えるようになった。

ちなみにディスプレイエミュレーター(仮想コネクタ)は、在宅勤務で職場のPCを遠隔操作する際、PCにディスプレイを接続しておく必要がなくなるギミックでもある。最大解像度は4096 x 2160ドット、リフレッシュレート60Hzに対応するエミュレーターだから、あたかもそのクラスのディスプレイがPCに接続しているかに偽装し、結果として高解像度のリモート環境(自宅PCのディスプレイがそうであれば)を提供するという優れものである。

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斯くしてモノクローム専用設計の6.08" LCD(Duobond)は晴れて全面表示可能となり、擬似的複製モード下、ポータブルモニター上で操作可能となった。

ネガ領域が以前の小名刺判相当大(5.7×8.3cm)から一挙に8.1x12.8cm(アクティブ領域)に拡大したのは喜ばしい。LPL Model 7451引き伸ばし機は 4x5(10.16x12.7cm)の大判フィルム(または乾板)まで扱えるので、実質、最大のネガ領域を得たことになる(但し短辺は若干短い)。小名刺判相当大(5.7×8.3cm)は69フィルム(5.6x8.4cm)に相当するとして、大きさの比較は以下の通りである。


(Darkroom Door記事から画像引用)


引き伸ばしてもセルの影が印画紙に現れにくくなる上、ネガが大きくなればネガに当たる(透過する)紫外線量も多くなるわけだから印画紙の露光にも寄与することになる。

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(B5サイズのサイアノタイプ印画紙に露光中・引き伸ばし機ヘッドを以前よりも下げることが可能となった。)

作例比較・いずれもB5版サイアノタイプ印画紙)
ネガ領域=以前・小名刺判相当大(5.7×8.3cm):
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部分:
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輪郭にディザが現れ、セルの影も視認できる。

ネガ領域=現行(8.1x12.8cm):
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部分:
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明らかに改善されている。
(おわり)

PS. 解決策の説明を訂正(取消線部分)。分波によってLCDの画像にノイズが乗る・画面が乱れるなど不具合が発生。解決策に提示の方法はやめた(エミュレータも取り外した)。
元通り、PC側のモニター(メイン画面)とLCD(拡張画面)とし、メイン画面に展開した画像を、Shift+windowsマーク+→ or ← で拡張画面との間で行き来させる方法にした。このショートカットは便利だ。視認しづらい拡張画面を光に翳しながらマウスで画像をドラッグし適切に配置する必要がなくなった。




2022年12月17日

サイアノタイプ・ヴァンダイク(Virtual negative)-その4


Duobondに問い合わせたところ(Alibaba.comはリアルタイムに英語でチャットが可能)、RGBで3つのサブピクセル(通常のLCD)はモノクローム専用設計のLCD(Duobond)では統合されて1ピクセルであるから、元の画像をサブピクセル方向にピクセルを3倍に拡大すれば正しいアスペクトでLCDに表示されるとの回答を得た。問題はアスペクト比の違いではなく、ピクセルの対応関係だということ。つまり、RGBの3サブピクセル=モノクロームの正方1ピクセル。


サイアノタイプ・ヴァンダイク(Virtual negative)-その3」から

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パブリックドメインのブラウン管用パターンテスト画像を取得し、サブピクセル方向のみピクセル値を3倍にした上でサイアノタイプをプリントしてみた(B5の安価な画用紙/露光時間は約2時間=不完全・本記事に掲載する為に色目をアプリで補正・強調している)。

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元がかなり粗い画像ゆえ輪郭にディザが現れ(元画像が精緻ならばディザは出ないだろう)、プリントが生乾きで紙面の撓みがパターンの歪みのように見えるが、実際にはパターンに歪みはなくアスペクトは正しいことが確認できた(サブピクセル方向のみピクセル値を3倍にすることは正しいと確認できた)。

ロイヤリティフリー(パブリックドメイン)の画像サイト(Pexels)から幾つか画像をダウンロードして、葉書大の水彩画紙を印画紙としてテストプリントを行うことにした。

以下、かなりイージーなやり方で画像(ポジ)からネガを作成した。

@ PC(Mac OS 12.5.1)に画像をダウンロード(とりあえず最高画質で)
A PCのディスプレイ上に画像を展開
B PCのアクセシビリティ設定でディスプレイのカラーを反転させる(画像がネガになる)
C iPhone 14でネガ画像を間接撮影
D iPhoneからiCloudを介してPCに転送された画像をプレビューし上述のリサイズを行う
E USBメモリを介して作業用PC(Windows 10)に画像データを移し、LCDに出力=プリント

Mac OS 12.5.1のiMacは5K 有機液晶ディスプレイゆえ、ディスプレイ上の画像は精緻である。同様に精緻な画像を得られるiPhone 14のカメラでの間接撮影だから、そこそこ鮮明な画像データを得られる(ただし、モアレは発生している)。テストプリントが目的だからこれでも良い。

以下、テストプリント例:

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いずれも露光時間約6時間。前者はジャスミン茶でトーニングを施している。

アナログフィルムや写真乾板と比較してLCDは画像の抜け部分の紫外線の透過率が低い。銀塩プリントならば許容の範囲だろうが、感光性の低いサイアノタイプやヴァンダイクでは感光が不十分となり易い。葉書大ならば何とかいけそうだが、B5以上の紙にプリントするには光源を強化しなければならないだろう。このLCDはそもそもの用途が3Dプリンター、つまり、LCDに接したレジンを二次元に可塑し機械的に三次元に積層するコンタクトプリント。紫外線量はLCDと接するレジンで足りれば良い程度にLCDは設計されている。LCDから離れた印画紙面まででは足らないのは当然と言える。

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LCDをDuobondに替えたついでにLPL Model 7451へ少し手を入れた。
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CotmanのF2水彩画紙の台紙=大きく固いボール紙を細工してLCDを脱着容易に収容する台座を作成。さらにLCDの基板(コントローラボード)を邪魔にならないよう垂下させた(軽いスチレン板上に配した)。

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また、UV光源の位置(高低)を調整容易にする為(引き伸ばしレンズごとの焦点距離に合わせて光源の位置を調整する必要がある為)、百均のフェライト磁石を積んでスペーサ(最底部の磁石は動かないように固定している)とし、UV光の無用なリークを防ぐ為、光源の位置に合わせて伸縮可能なベローズを配したことである。光源の真下、ライトボックスの元からあったディフューザは光源に使用した(UV) LEDの指向性(直進性)ではその用途を全く成さない為、15cm口径・二枚構成のコンデンサーレンズに替えてある。

このベローズは4x5 大判 カメラジナー製の中古品を転用した。プロ仕様・世界最高峰の大判カメラメーカーとしてその名を轟かせたスイス・ジナー(Sinar)の高級品も、今や都を追われた落武者の如く、ハードオフのジャンク箱に投げ入れられ二束三文の値札が付いていた。

(おわり)