2020年11月02日

羅生門・芥川龍之介







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 下人は、太刀を鞘におさめて、その太刀の柄を左の手でおさへながら、冷然として、この話を聞いてゐた。勿論、右の手では、赤く頬に膿を持つた大きな面皰を氣にしながら、聞いてゐるのである。しかし、之を聞いてゐる中に、下人の心には、或勇氣が生まれて來た。それは、さつき、門の下でこの男に缺けてゐた勇氣である。さうして、又さつき、この門の上へ上つて、この老婆を捕へた時の勇氣とは、全然、反對な方向に動かうとする勇氣である。下人は、饑死をするか盗人になるかに迷はなかつたばかりではない。その時のこの男の心もちから云へば、饑死になどと云ふ事は、殆、考へる事さへ出來ない程、意識の外に追ひ出されてゐた。
「きつと、そうか。」
 老婆の話が完ると、下人は嘲るやうな聲で念を押した。さうして、一足前へ出ると、不意に、右の手を面皰から離して、老婆の襟上をつかみながら、かう云つた。
「では、己が引剥をしようと恨むまいな。己もさうしなければ、饑死をする體なのだ。」
 下人は、すばやく、老婆の着物を剥ぎとつた。それから、足にしがみつかうとする老婆を、手荒く屍骸の上へ蹴倒した。梯子の口までは、僅に五歩を數へるばかりである。下人は、剥ぎとつた檜肌色の着物をわきにかゝへて、またゝく間に急な梯子を夜の底へかけ下りた。

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羅生門芥川龍之介
解説者:立教大学教授 長野嘗一
鑑賞者:東京都立八潮高等学校三年生2名

音源:NHK録音教材 国語研究(対象者:高校生)1964年

(おわり)
posted by ihagee at 12:37| 国語研究

2020年11月01日

旅愁・横光利一






(RQ-705で再録)


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(・・・)間もなく一同の話は著いた当時のそれぞれの困った話に移っていった。
「僕は一度こんな所を見ましたよ。」今まで黙って一言も云わなかった東野は云った。
「それもここのカフェーですがね。丁度、僕は久慈さんの坐っているそこにいたのですよ。他に日本人も三人いましたが、隣のテーブルに、印度支那の安南人が四人ほど塊っていましてね。そこへ、ある外人が三人ほど這入って来て、坐ろうとすると椅子がいっぱいで、どこにも坐れないんです。そうしたところが、その男はボーイに、『ここにいる東洋人を、皆追い出してくれ、その分の金は払う。』と反り返って云うのですよ。僕は腹が立ったが、先ずボーイが何とあしらうかと、それをじっと見ていたら、ボーイがね。」と東野は云ってそのときのボーイがまだいるかと一寸屋内を見廻した。
「今日はあいにくいないけれども、そのボーイが、きっとなると、安南入を指差して、これは東洋人だが、われわれの同胞だ。君ら出て行ってくれッと、その大男に大見得切ったですよ。」
「その男どうしました。」と矢代は乗り出すようにして訊ねた。
「その男は黙って出て行きましたが、しかし、一時は日本人が皆殺気立ちましたね。」
「安南人はどうしました。」とまた矢代は興奮して訊ねた。
「安南人はおとなしく黙っていましたよ。」
 一同はしんと静まったまましばらく誰も物を云うものがなかった。
「馬鹿な奴がいると、戦争が起る筈だな。」
矢代はいまいましそうに云った。そして、突然久慈に向って、「君、まだ君は、ヨーロッパ主義か。」
「うむ。」と久慈は重重しく頷いた。矢代は青ざめたままどしんと背を皮につけて静まると涙が両眼からこぼれ落ちた。(・・・)

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「旅愁」横光利一
解説者:評論家 亀井勝一郎 朗読:加藤道子
音源:NHK録音教材 国語研究(対象者:高校生)1964年

(おわり)

追記:
引用場面の「われわれの同胞だ」の括りに、日本人集団への帰属意識(矢代)又はヨーロッパ主義(久慈)を重ね見るか、或いは誰でもない「人間主義」を見るかでこの小説の解釈(横光が意図しない解釈含む)は大きく異なる。熊本転居日記(普請中)に加藤周一『夕陽妄語』を引用した秀逸な洞察(加藤周一「それでもお前は日本人か」)が掲載されているので一読をお勧めしたい。

他参照:シュテファン・ツヴァイク「昨日の世界」

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国民の多数が「それでも日本人か」と言う代りに「それでも人間か」と言い出すであろうときに、はじめて、憲法は活かされ、人権は尊重され、この国は平和と民主主義への確かな道を見出すだろう。(加藤周一)


posted by ihagee at 08:43| 国語研究

2020年10月18日

伊豆の踊り子・川端康成





(RQ-705で再録)


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(・・・)あくる朝の九時過ぎに、もう男が私の宿に訪ねて来た。起きたばかりの私は彼を誘って湯に行った。美しく晴れ渡った南伊豆の小春日和で、水かさの増した小川が湯殿の下に暖く日を受けていた。自分にも昨夜の悩ましさが夢のように感じられるのだったが、私は男に言ってみた。

「昨夜はだいぶ遅くまでにぎやかでしたね。」
「なあに。ー聞こえましたか。」
「聞こえましたとも。」
「この土地の人なんですよ。土地の人はばか騒ぎをするばかりで、どうもおもしろくありません。」

彼が余りに何げないふうなので、私は黙ってしまった。

「向こうのお湯にあいつらが来ています。ーほれ、こちらを見つけたと見えて笑っていやがる。」

彼に指ざされて、私は川向こうの共同湯のほうを見た。湯気の中に七八人の裸體がぽんやり浮かんでいた。

ほの暗い湯殿の奥から、突然裸の女が走り出して来たかと思うと、脱衣場のとっぱなに川岸へ飛びおりそうな格好で立ち、両手を一ぱいに伸ばして何か叫んでいる。手拭もない真裸だ。それが踊子だった。若桐のように足のよく伸びた白い裸身を眺めて、私は心に清水を感じ、ほうっと深い息を吐いてから、ことこと笑った。子供なんだ。私たちを見つけ喜びで真裸のまま日の光の中に飛び出し、爪先きで背いっぱいに伸び上がるほどに子供なんだ。私は朗らかな喜びでことこと笑い続けた。頭がぬぐわれたように澄んで来た。微笑がいつまでもとまらなかった。

踊子の髪が豊か過ぎるので、十七八に見えていたのだ。その上娘盛りのように装わせてあるので、私はとんでもない思い違いをしていたのだ。(・・・)

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伊豆の踊り子川端康成
解説者:立教大学教授 長野嘗一
朗読:谷沢裕之 他(劇団三十人会)
音源:NHK録音教材 国語研究(対象者:高校生)1964年

(おわり)


posted by ihagee at 00:00| 国語研究