2021年03月15日
禁断のFoveon - その3
当事者同士の責任のなすり合いが結果として開催するしかない、という方向に進んでいる(拙稿:責任のなすり合いが結果として「開催するしかない」)、そのオリンピックのメーンスタジアムたる新国立競技場の周辺に足を運ぶ。
前日の荒天とうってかわって雲ひとつない晴天(風は強かった)の撮影日和。Sigma DP2Sで撮影(撮影日:2021年3月14日)。RAWデータ処理ソフト(SIGMA Photo Pro 6.5.2)で「RAW現像」を行った。
副都心線「北参道」駅で降り千駄ヶ谷小学校を左手に外苑に向かって歩いてほどなく国立競技場が視界に入る。保安上の都合なのかぐるりと高いフェンスで囲まれて間近に接することはできない。隈研吾氏のモチーフである木材が多用された外観をフェンス越しに観察した。
杉材の軒庇が放射線状に並びぐるりと植栽が取り巻く。47都道府県から調達した木材を日本列島の全方位に向けて配置した「杜のスタジアム」。しかし、その「杜」の土台工事ではマレーシアとインドネシア産の木材を使った合板がコンクリート型枠用として12万枚以上使用されているという。
生育に適したリサイクルマテリアル(セラミックス)を使用しているそうだがなぜか所々茶色く枯死した植物は、庇の下で剥き出しとなった鉄筋や配管共々、自然との共生が演出に過ぎないことを教えてくれる。
最大3462億とデザイン案の試算段階で高額ぶりが批判され白紙撤回された故ザハ・ハディド案に代わる隈案であるが、最終的にかかった工事費は1529億円(年間維持費は24億円)。本体工事価格で言えば、国内の主要なスタジアムばかりか、過去のオリンピック大会の為に建設された海外のスタジアムと比較して突出して高い。減価償却を最初から考えていなかったに違いない。オリンピック開催後の使い道は改めて考えるようだ。建設することが目的となって何に使うのかは後回しは箱物の典型である。税金を使うと大抵こういうことになる。
1964年東京オリンピックの体操競技に使われた東京体育館(槇文彦氏設計)。代々木体育館(丹下健三氏設計)同様、機能が外観まで一体となって構成し、後付けの飾りを必要としない質実さ・逞しさはスポーツ施設に相応しい。
1964年東京オリンピック大会のレガシーこそ(旧)国立競技場に他ならなかった。その先代の名跡を継ぐかに新国立競技場の足元に過去の証文が刻まれている。
度々メディアに登場するオリンピックシンボル(日本オリンピックミュージアム前)はそれが設置されている広場共々意外にちっぽけに感じられた。それでも壮大なオリンピック・ムーブメントを体験する場所らしい。
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オリンピックシンボルを背にスマホで撮影する人がちらほら居る程度で、立ち寄る人も少なくミュージアムもショップも閑散。当事者同士責任のなすり合いを日々見せつけられれば我々が白けきるのも然もありなん。数ヶ月後に開催するとは到底思えない程の熱量の低さにふてくされたかにクーベルタンが突っ立っていた。
(おわり)
posted by ihagee at 14:29| 禁断のFoveon
2019年09月28日
禁断のFoveon - その2
日本の素顔 第176集 レジャーの断面
記憶というものは不思議なものだ。母の胸に抱かれていた覚えがなにかしら残っている。その覚えを呼び起こす一つがテレビ番組のテーマ曲である。とは言っても観たのではなく観ていた母のおっぱいと共に音を啜っていたに違いない。そして、音だけの記憶にこのように後々映像が追いかけてくる場合もある。
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「レジャーの断面」で詳らかなわれわれのレジャー観は半世紀以上経った今も凡そ変わっていない。慰安・親睦と称する社員旅行こそ一億総中流時代の終焉と共に消え去ったが、企業によって巧みに商品化されたレジャーに飛びつく性向は何ら変わっていない。巨大テーマパークのディズニーランドから、町おこし村おこしと現れては消える各地の観光施設、国が主導するIR(統合型リゾート)など、その底には旧態依然としたわれわれのレジャー観が横たわっている。「おもてなし」なる商品・サービスを買って余暇を埋める性向である。
父の生涯の友人且つ仕事上の盟友であったT氏の趣味は水彩で風景や事物を描くことだった。対象を丹念に心で拾っては画帳に綴じ込む余暇の過ごし方は、上述のレジャー観とあえて一線を引いて自得(良い意味での)を楽しんでいたのかもしれない。
(T氏の作品)
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そう言いながらも私自身は「おもてなし」なる商品・サービスを買って余暇を埋める性向から抜け切れていない。写真を道楽としつつも結果を半分以上約束してくれる機械を買って済ませ、それでもアナログフィルムだ、マニュアル撮影だとか言ってはもう半分の有耶無耶とした創作性の言い訳をしていたのに、「空気感まで写しとる」というデジタル撮影に手を出してはただシャッターを押すだけで、T氏の自得の筆とは比較にならない安直さに堕してしまっている。
本項「禁断のFoveon 」はその失楽園シリーズとなる。
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先日(9月27日)、河口湖オルゴールの森美術館(山梨)に車で出かけた。
いつもなら持ち歩くアナログカメラに留守番させ、Sigma DP2Sを連れ出した。南欧風の建物やら歴史的オルゴールなど全てがテーマ商品である対象に向かってシャッターを押した(ISO:100)。
帰宅後、RAWデータ処理ソフト(SIGMA Photo Pro 6.5.2)で「RAW現像」を行う。百枚ほど撮影し、現像保存したのは以下の写真を含め十枚程度。商品はその中に残らなかった。
(路傍の花々と湖畔)
デジタルであっても、自得のかけら程度にはなったかもしれない。
(おわり)
posted by ihagee at 23:08| 禁断のFoveon
2019年09月15日
禁断のFoveon - その1
暗室で行う現像はアナログフィルムを対象とするが、RAWデータを対象としパソコン上で行う現像、すなわち「RAW現像」という言葉が以前から気になっていた。
本ブログの趣旨からその分野に立ち入らないようにしてきた。ピュアなるものに対する生理的な嫌悪があったからだ(拙稿『フィルムは「化け物」なり』)。アナログ→デジタル変換が世間一般の成り行きである中で、デジタル→アナログという逆行をフィルム・レコーダに見つけて喜んでいるのだから余程へそ曲がりなのだろうと自分でも呆れている。
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だからと知らない世界をさも知っているかに批判するのは良くない。「RAW現像」なるものを体験してみようと中古のデジタルカメラを購入した。
”デジタル写真はどうだろうか?デジタルカメラの撮像素子は、撮影対象物から反射された光を電子的に電荷に変換する。相手が化粧をしようとも、こちらは化けないのである。ゴソゴソと筆を動かして「こう写しました」(写真化学)ではなく、液晶ファインダーに前もって「こう映ります」となる(電気電子工学)”
(拙稿『フィルムは「化け物」なり』)
液晶ファインダーに前もって「こう映ります」のデジタルカメラなら幾つか手元にある。しかし、ゴソゴソと筆を動かして「こう写しました」(写真化学)に近いものが「RAW現像」かもしれない。「RAW現像」の為だけに特化したカメラとして夙に評判が高いSigma社のDP2Sを中古で手に入れた。
売りはFoveon X3撮像素子である。
”一般にベイヤーフィルターを利用しているカメラでは、3原色の内の1色のみを各ピクセルで取り込んだ後、演算によって他の色の値を求める (演繹補完)。これに対してFoveon X3では、単板であるにも関わらず原理的には光の三原色をそのまま取り入れた画像を生成することができる”(wikipediaより)
演繹補完による偽色がない点、アナログフィルムの感光剤と同じ。「空気感まで写しとる」なるSigma社のキャッチワードはそのことを言っているのだろう。
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DP2Sは現行機種から数世代前の型落ちゆえかそこそこの値段でその中古品を手にいれることができた。Foveon X3の恩恵は最新のDP2シリーズ(十五万円程する)と基本的に同じだろう。35mm換算41mm相当の固定焦点レンズは使いづらいとの評もファインダーだけを頼りに対象に自分から「寄る」流儀を以ってすれば何ということもない。女性に対すると同じくアナログカメラ世代(おじさん世代)にとっては。好かれるには失敗を重ねた経験値の多さがモノを言う。
Sigma社のDP2Sは、”液晶ファインダーに前もって「こう映ります」” ではないので、液晶は撮影範囲を示す役割しか果たさない。アナログカメラの光学ファインダーと同じ。手振れ防止機能など「こう映ります」のデジタルカメラなら至れり尽くせりと装備している機能がこのカメラには概ね欠落しているが、その代わりが、パソコン上でゴソゴソと筆を動かして「こう写しました」とする為のRAWデータ処理ソフト(SIGMA Photo Pro 6.5.2)ということ。
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データ転送速度95MB/秒(設計値)のSDカード(64GB)と、バッテリーを二個用意し(DP2Sはバッテリーの消耗が早い)早速テスト撮影と意気込み遠出をした。連休初日の昨日、愛車(マツダ・デミオ XD Touring)を駈った。向かった先は群馬県南牧(なんもく)村である。日頃近場の移動ばかりでカーボンを溜め込んだエンジンにとっても新陳代謝となる往復距離である(なお、同村については本ブログで幾つか記事を掲載)。
朝方の3時に家を出て、ナビに道案内を任せ一般道をひた走った。エンジンの為を思ったかナビ推奨のコースは秩父、小鹿野町、神流町、上野村を経由し目的地に至る国道299号だった。道幅の狭い真っ暗な険道ですれ違うのはトラックばかりで普段使わない反射神経までナビのおかげで活性化した。小鹿野町辺りで薄っすら明るくなり気の向くまま路肩に車をとめて撮影を行った。神流町では瀬林の漣痕(恐竜の足跡がある)を撮影し、「慰霊の園」の道標に日航123便墜落場所(御巣鷹の尾根)がこの辺りだと知る。都会の喧騒から隔絶された山奥の夜空には無念の思いで亡くなった多くの人々を癒すかに九ちゃんの星が煌々と輝いているに違いない(「星になった歌手」)。
撮影後、RAWデータ処理ソフト(SIGMA Photo Pro 6.5.2)で「RAW現像」を体験してみた。
(SIGMA Photo Pro 6.5.2での現像画面)
以下が作例(いずれもISO100、2540x1760のRAWモードで撮影)。
先ずは小鹿野町。
(カメラ内蔵のフラッシュを使う)
(山間に突如現れた新秩父開閉所。異様さに鳥肌が立つ。現像処理にてモノクロに変換)
(両神山登山口)
(鉄塔の近くまで行こうと思ったが足元が不安で諦めた)
瀬林の漣痕(窪みが恐竜の足跡)
(苔むした恐竜)
南牧村磐戸地区。神社祭礼の準備中だった。
その昔、荒船という銘酒を造っていた甘楽酒造跡。2016年に同所をRolleiflex SL66で撮影した同じ場所は草木に覆われだいぶ様子が変わっていた。(「Rolleiflex SL66 - Ilford Delta 400 と撮影記」)
「閑さや 岩にしみいる 蝉の声」と刻まれた芭蕉句碑と絶景で知られる「蝉の渓谷」(砥沢)。
赤蜻蛉が欄干に翅を広げていた。
曲がりくねった隘路と傾斜に這うように点在する人家が奥行きのある景色となっている。
MAZDA3よりもフォルムに塊感があると感じるのは写真のせいか?傾斜の多いワインディングもディーゼルのトルクは低回転でこなし、往復路リッター平均25kmの好燃費を叩き出した。
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「RAW現像」は楽しい。パソコンなりにも「現像」してみなければ何の絵になるのか判らない点は、アナログフィルムに通じている。その「現像」の過程で対象の実在性に迫るかの奥行き感・濃密さに先ずは驚いた(リバーサルフィルムのそれに近い)。「空気感まで写しとる」なるSigma社のキャッチワードが決して大げさではないと、デジタル写真の通念を改める必要があると感じる。カラーで撮影し「RAW現像」で彩度などを調節すればモノクロームになることも知った。それらが可能なのも、カラーフィルム(各層の間に色フィルタがある)と同様に、同一位置の異なる色の情報(R,G,B)を分離できる撮像素子(Foveon X3)の成せる技であろう。
RAWデータ処理ソフト(SIGMA Photo Pro 6.5.2)のいずれのパラメータに「空気感」の為の隠し味が潜んでいるのかもしれない。実に不思議な現像の妙味がこのソフトには存在している。しかし、「空気感がある」とはそもそもフィルムの感光体や印画紙面の一回性の化け味であると思う。その雑味はやはり化学で残したい。
(空気感=撮影者の心象が感じられる例・「常滑・1962年ごろ」より)
本ブログの別稿「サイアノタイプ」の化学変化を以ってあえて雑味を醸し「ピュアなるもの」への抵抗を試みている。ゆえに、Foveonの結果はデジタルプリントとせず、サイアノタイプなどに繋げてみたいと思う。Foveonをそんな「デグレ」に帰着させて本来良い筈はないが、もしそうでもしなければ「禁断のFoveon 」に他ならず、本ブログの看板を降ろさなくてはならなくなる。このまま失楽園に放逐されてなるものか・・と意気込んでみるものの果たしてどうなることか。サイアノタイプに続くアナログ出力手法の第二弾・第三弾(いずれもケミカル)はいずれブログに掲載したいと思う。
(おわり)
posted by ihagee at 15:47| 禁断のFoveon