2017年12月14日

奇譚「黄泉交通」(その3)


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(5)

「むこうで手を上げている人がいるな。」

「お客さん、わかってますよね?この車に手を上げたからには」
「ええ。わかってるわよ。」
上品な身なりのマダムはハンドバッグから写真を一枚取り出した。
舌をベロリと垂らした白い小型犬が写っている。

「可愛いワンちゃんですね。で、もしかしたら逃げたんですか?」
「そうよ。ほら」とマダムはバッグからリードを取り出した。
「昨日散歩に連れ出したら、通りで男の方が散歩させていたピットブルに吠えつかれて、すっかり怯えちゃって。その後に立ち寄ったブティックの中で粗相しちゃってね。それも大。叩いたら暴れてリードを残して逃げちゃったの。」

「リードが外れて、ということですね。」
「そうなのよ。だから一緒に探して欲しいのよ。」
「いつ頃でしたか?」
「そうね、二日前」
「では車をほんの少しバックさせますね。」

「あら、あそこにいたわ。降ろしていただける?」
電柱に小便をかけている犬が見える。
「だめなんですよ。私の背もたれに掲示してある乗車案内にもありますように過去を勝手に修正することはできませんから。連れて戻ることはできません。場所だけ確認していただくだけです。それでは車を元に戻してと・・」
「はい。ここで降りて探してみてください。私は車で待っていますから。」

やがてマダムは白い犬を抱きかかえて戻ってきた。
「みつけたわ。同じ場所をうろうろしていたの。」
「とにかく見つかってよかったですね。リードは外れないようにしっかり固定しましたか?」
「もう大丈夫」と言いながらマダムはリードを引っ張った。

「ワゥ〜」
「駄目じゃないの!また粗相して。ご免なさい。車の中で大をしちゃったみたい。水っぽいの」
「あ〜ぁ、掃除しなきゃ。臭いですねぇ」
「この犬ね血統書付きだったのよ。なのに頭悪いしストレスに弱いんじゃこっちがまいっちゃうわ。それに逃亡癖まであるときたら。いっそショップに返却しようかしら?」
「お戻しになられても、お店では商品になりませんから処分されてしまいますよ。おそらく。」
「それは可哀そうね。じゃ、あなたにあげるわ。去勢手術と必要な注射は済ませてあります。あたしね、あのピットブルみたいな強い犬の方が好みかもしれない。いざという時に護ってくれそうだし。じゃ、クリーニング代とともにこの子置いてくわね。」

「こんな臭い付けられちゃったら、今日は営業できないなぁ」と男は犬を乗せたまま車を車庫に回送し、マダムから渡された犬の写真を写真帳に貼り込んだ。
「えっと、昭和34年の・・犬の生年月日書いてもしょうがないな。空白にしとくか。」

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翌日。

「では、運転手さん、この子よろしくお願いしますよ。」

「立派なお屋敷ですね。」
「えっ、どこが立派なの?わかんないけど。」

「写真をいただけますか?」
「そんなの要らないよ。おじさん。母上〜。このおじさん、無理をいって僕を困らせようとしているよ。」

「運転手さん、あなたの車は乗った人に将来を見せてくれるって聞いていますよ。表札みたでしょ。だったら行先ぐらいわかるでしょ。息子を困らせるようなことしたら・・。」

「はいはい。わかりました。でもそれならば電車で行ける距離ですよ。」

「お母様、怖い人ですね。」
「おじさんが怒らせるようなことしたからだよ。」

「でも、私にとっては僅かばかりですが仕事になるので良いのですが。」
「上に立つ人は下の人に仕事を恵んであげるんだよ。そうやって主従関係が生まれるわけだよ。昔からいうでしょ。駕籠に乗る人担ぐ人そのまた草履を作る人って。」
「そういう意味での諺でしたかね?私は無学なもんで別の解釈をしていましたがね。まぁいい。・・・ということは、お坊ちゃんは駕籠に乗る人で私はそれを担ぐ人ということですか?」
「そうさ。」

「お坊ちゃんは生まれながらにして上に立つ人っていうことですか?」
「そうだよ。僕はそういう家に生まれたんだ。だからこうやって仕事を恵んであげてるでしょ。おじさん自分のこと無学だって言ったよね。おじさんみたいな職業じゃ学がないのも仕方ないね。僕は毎日東大生の家庭教師の下で勉強してるからね。」
「代わりに学校の宿題をしてもらったり、試験の答を事前に教えてもらったり、ですよね。」
「うん。おじさんよく知ってるね。でもそれのどこが悪い?僕を懲らしめようとか試そうとかすること自体ナンセンスなんだよ。そういうのは凡人同士の背比べ。その凡人の世界の背比べて的な宿題や試験に合理的にお付き合いしているだけさ。」

「なるほど。さすが毎日お勉強されているだけあって屁理屈はお上手ですね。」
「おじさん、屁理屈じゃなく理屈だよ。やっぱり頭悪いね。」
「これは失礼。私みたいな凡人だと思わず前を隠したくなることも、お坊ちゃんは堂々とご開陳になる。或る意味、天然・・で感心します。私よりもきっと大きなものが付いているのでしょうかね。ところで、お坊ちゃんの職業はもう決まっているということですか?あの表札の通り?」
「そうさ、特別な家柄ゆえの家業さ。」
「で、お坊ちゃんは、生まれながらにして駕籠に乗る人だとお母様から言われているわけですね?」
「そうだよ。この国にとって宿命の子だって。」
「ほぅ。それは凄い。釈迦かマホメットかキリストみたいですね。」
「また、過去の人と比較して!」
「人じゃなくて、どなたも神さまなんですが・・・」
「まぁ、比較したいんだったら吉田松陰か僕の祖父にしてくれない?」
「あぁ、あの昭和の妖怪ですね。私もちょっと前に、この車にお乗せしたことがありますよ。あんな化けもんでいいんですか?」
「母上に言いつけるぞ!おじさん。」

「ちょっと言葉が過ぎました。謝ります。ところで、担ぐ人とは具体的にどんな人ですか?私は無学なので教えてください。」
「そうだな。気配りする人かな。僕の家の使用人みたいに何も云わなくてもさっと椅子を引いたり、常に僕の顔色をうかがって黙ってても何でもやってくれるみたいなね。」
「だから便所でお尻まで拭いてもらってるわけですね?」
「そうさ、それが何か?」

「到着しましたよ。3分もかからなかったですね。」
「運転手さん、ここじゃないよ。もっと未来だよ。将来の僕に会って褒めてあげたいんだ。」

男は車のギヤをトップに入れてアクセルを吹かした。

「うん。あれ?随分とモダンな新しい建物になったね。ちょっと中に入って挨拶してくる。」

守衛が深々と挨拶をする中を子どもは建物の中に入り、しばらくすると車に戻ってきた。

「最高権力者になっていたよ。つまり首相ということ。約束されていたから当たり前だけどね。誰一人異を唱えないっていうことは僕が絶対者だからさ。超人といってもいいね。母上が言っていた通りの宿命の子さ。僕と同じ超人種がもっと増えるといいのにね。超人種を輩出する僕のような特別な家系以外は淘汰しないとね。凡人種は墓場の雑草のように役立たずで邪魔でしかないよ。」

「まぁとにかくご立派になられて、それもヒトラー並みの独裁者に。」
「おじさん、変な喩えはやめてよ。あんな馬鹿と比較されること自体、ナンセンス。あの頃と時代は違うよ。超人種はもっと賢いのさ。」
「それは失礼しました。私はつい過去と比較する癖がありまして。」
「僕は常に未来思考。過去なんてゴミ箱に捨てなきゃだめだよおじさん。だから凡人なんだよいつまでも。ところで、おじさんを雇ってあげようか?運転手か秘書のどっちがいい?今よりもいい生活ができるよ。」
「私は今のままで十分満足しておりますから。」
「凡人っていうのは上昇志向がないんだよね。あぁつまらない。」

「では、車をバックさせましょう。」
「おじさん、何で?もっと先にやってよ。大勲位菊花章頸飾を付けた僕に会いたいよ。」
「やめておきましょう。ガソリンが勿体ないですから。」
「勿体ない比較がおかしいよ、おじさん。でもまぁいいよ。それも決まっている将来だから。」

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子どもを屋敷の前で降ろした。車を走らせてしばらくして男はハタとあることに気付いて車を止めた。

「あっ、しまった。大変なことをしたかもしれない」男はダッシュボードから写真帳を取り出した。
「やっぱり!一対一対応でお客様からは必ず写真をいただくことが前提なのに、あの子からは貰わずに乗せたということは、二対一、昨日の犬とあの子の将来が交配されたかもしれんぞ。」

車を車庫に返すと、車庫につないであった筈の白い犬が消えていた。
「さては逃げたかな?」

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「畜生!あんな小坊主に鼻であしらわれて。俺は東大生だぞ。何で足し算引き算なんてやらせるんだ!」

「ワゥ〜」
「噛みやがったな。お前まで俺を馬鹿にしやがって!」と書生は犬の尻をひっぱたいた。
「あぁ、粗相しやがって。水っぽいの!床がよごれちゃったじゃないか!俺に道端で拾われたのに、そのご主人様に何たる態度だ!誰が飼ってたの知らんが全く躾がなってないな」と書生は本棚から畑正憲の単行本を取り出した。

「なるほど。犬っていうのは、本来群れ社会で主従関係を認識するということか!お隣の愛犬家にお願いして引き取ってもらおう。」

「あぁ、いいですよ。あれっ、どっかで見かけたことのある犬だな。まぁいいや。ちょうど、うちのピットブルのターゲットが欲しかったんでね。おい、ドナルド、お前に手頃な相手ができたぞ〜。しっかりタスクしてやれ。」

「犬同士の力関係でいえば、ピットブルっていうのは生まれながらにして犬世界の中では頂点にいますからね。絶対的な存在ですよ。だから、他の種類の犬なら先ず尻穴を舐めて恭順を示します。ほらね。」


(つづく)

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2017年12月13日

奇譚「黄泉交通」(その2)


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(4)

「はい。しっかり写っております。では参りましょうか。」
老人が差し出した白黒の古ぼけた写真。お坊さんに続いておおぜいの着飾った子供たちが練り歩く花まつりの様子が写っている。

「到着しましたよ。この辺りですよね。」
「君はよくわかったね。一言も行き先を告げなかったのに。」
「これが職業ですから。」
「でも何もないだろ。すっかり寂れて。今は地図にだけある場所だからね。」

草木に覆われ、枝に窓を破られまさに朽ちようとしている建物の前に車を止めた。
「廃墟マニア以外は知らない場所です。」

「この子ですよね。貴方様は?」
「よくわかるね。こんな古ぼけた写真から。60年以上昔のわしだよ。」

「その二人後ろ。私です。」
「この人か?帽子を被った運転手、き、君じゃないか?ち、ちょっとまて、そんなこと有り得るのか?」
「そうですよ。この辺りでも流しの営業をしておりましたから。田中隆先生、山羊髭で丸眼鏡の国語の先生。覚えておられますよね。お乗せしたことがありますよ。」

「うんうん。思い出したよ」と老人は頷いている。
「貴方様のこと、母親思いの孝行息子だと先生は感心されていましたね。目の悪いお母様に代わって針の穴に糸を通したり、新聞を読んであげたり。」
「えっ!そこまで知っているのか。まったく驚いたよ。」

「車を少しバックさせましょう。」

「私はここで待っています」と男はドアを開けた。
老人は車を降りると霧の向こうに消えていった。

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しばらくして老人が興奮冷めやらぬ表情で戻り車に乗り込んだ。

「あの町があったよ。写真と同じ祭りをしていて、家に帰ると母が居てね。肩を揉んだりして親孝行ができた。感激した!」
「それは良かったですね。ご自慢の息子さんでしたからね。今の貴方様を知らずに亡くなられた・・」
「そう、この町を出て上京して間もなくだった。」

「亡くなられて良かったのではないですか?」
「君、何てこと言うんだ!孝行したくとも親がいないこと程悔やむことはないのだぞ!」老人は憤慨している。

「私は母は存命ですが、親孝行できないんですよ。」
「そりゃ、君、不幸者ということだぞ。親が生きている間に息子が孝行するのは当たり前じゃないか!」
「いくら孝行したいと思っていてもできない身にしたのは・・」
「君の言っていることがわからんな。」

「車を元の位置に戻しましょう。」
また朽ちた建物が眼前に現れた。

「もう少し右に詰めていただけますか、あと二人程、ここで相乗りされますから」と男は帽子を目深に被り直すとドアを開きルームミラーを確認してまたドアを閉めた。
「この車はわしの貸切じゃないのか?それに誰も乗ってこんぞ!」と老人が怪訝な顔をしている。
しばらく車を走らせ海辺に出た。
「あちらで手を上げている方をお乗せしますよ」と車を止めて助手席のドアを開けた。

「誰も乗って来んじゃないか。さっきからつまらぬ狂言をして何の真似か、君!用は終えた。わしの屋敷に車をやりたまえ。」

運転席のダッシュボードから男は写真帳を取り出した。
「貴方様以外に乗られている方々からはもうお写真をいただいておりますよ。ご覧なられますか?」と男は写真帳から3枚写真を剥がして、肩越しに老人に手渡した。

「えっ、君、どれもわしの顔写真じゃないか?」

「貴方様は上京後、刻苦勉励され名のある教育者になられた。貧しい人々にも等しく教育を施そうと私学を幾つも立ち上げました。」
「そうだ。よくわかっとるじゃないか。」
「有力政治家や中央官僚と太いパイプを作られたのも、最初はその目的の為でした。」

「しかし、貴方様の懐も同時に暖まり始めました。その甘い汁を共有しあう関係である大物政治家と昵懇となり、その目に見えぬ力を背景に国庫から優先的にカネを引き出す、正確に言えば、懐に入れる、ことができるようになったわけです。」
「き、君は何てことを言うんだ!証拠もなくいい加減なことを言えば名誉棄損だぞ!」
「証拠は悉くありませんよね。確かに。」
「先ほどまで車を止めていた朽ちた建物も元は贅を尽くしたリゾートホテルでした。リゾート法の適用を受け、町からも公費を引き出して貴方様が作った。故郷に錦を飾ったわけです。しかし、その頃はすでに教育者ではなく、ビジネスマンとして、いや、貴方様やお友だちの政治家・官僚への利益誘導に目的が転じていました。建設費用を水増しして差分を貴方様方は分けあっていました。そして、儲からないとわかるや負債を町に押し付け、結果、町の財政は破綻し、貴方様はご自身の故郷を破壊されたわけです。」

「なぜ君はそんな細々としたことまであたかも知っているかのように話すのだ!それにわしの責任じゃない。一時的にせよ雇用が創出されたわけだ。感謝されても非難される筋合いではないぞ」と老人は憤っている。

「そこまでは世間でよく耳にすることですから、貴方様を取りたてて私がどうこう言うつもりはありません。貴方様の故郷が失われたのももしかしたら他に要因があったかもしれませんから。」
「だったら、余計な話はせんでええ、早うわしの屋敷に車をやれよ!」

「しかし、この方々は・・」
「だから、さっきからおかしな狂言はやめろと云っているだろ。この方々って誰もいないじゃないか?」
「いませんよ。この世には。」
男はアクセルをふかすと海岸線の切り立った崖の際で車を止めた。

「一体何のまねだ!こんなところで止めて」
老人はルームミラー越しに男に叫んだ。

「お忘れですか?秘書をしていた佐藤徹ですよ。」
「俺は、あの町の助役をしていた日下一郎だよ、しばらくだな。」
「町長の山内昭雄だ。任期半ばで恨めしいよ。」

「な、何だ!誰もいないのに耳元で声がする」老人は狼狽している。
「気味が悪い!車を降りるぞ。う〜む、ドアが開かん。ドアを開けろ!」

「いや、ドアは開きません」と、帽子と脱いでぐるりと振り返った男に老人は驚愕し叫び声を上げた。

「お、お前は!」
「はい。その昔、貴方様の運転手を務めていました山本悟です。まだ二十代だったんですよ。あれから歳を取ることができません。今だから打ち明けますが、当時、貴方様のお嬢様と将来を誓い合っていました。それなのに・・僕は母に不幸をしてしまいました。親孝行一つできずにね。悔やんでも悔やみきれません。貴方様にとって不都合極まりないカネのやりとりについて真実を知っていた我々ですから、貴方様は我々の口を噤ませようと権謀術策を駆使し我々に濡れ衣を着せたり、マスコミを使ってあらぬ噂を立てて、終いに一人ずつ死に追いやったわけです。首を吊ったり身投げをしたり火をかぶったりとそれはそれは苦しいものでした。よもやここに貴方様がお戻りになられるとは。まさに千載一遇、恨みを知れ!」というや、ハンドルを切った。

「おい、あれ見たか!今、あの崖から誰か飛び降りたぞ。自殺だ!」と釣り人たちが声を上げた。

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「おかしいな、もう半日経っているのに、あの老人、戻ってこないな。もしかしたら別の車に間違えて乗ったのかもしれん。辺鄙な場所ほど同業者とすれ違うことが多いからね。母思いの優しいご老人だった。写真だけ預かっても・・」とダッシュボードから写真帳を取り出し男は貼り込もうとした。

「おや、余白にすでに今日の日付で没年月日が記入されているぞ。まぁいいや、今日の営業は空振り、これでおしまい」と表示板を回送にしてその場を後にした。

(つづく)


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2017年12月12日

奇譚「黄泉交通」(その1)


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(1)

「お客さん、わかってますよね?この車に手を上げたからには」
「まぁね。」
ゴムの突っ掛けにダブついたスウェット姿の女は煙草を口の端に咥えたまま道端から窓越しに言葉を返した。
「では、お乗りください。向こうのコンビニの駐車場で見させていただきます。お持ちですよね?」
「当ったり前だろぅ。」

女はスマホを繰って何枚かの写真を男の背中越しに見せた。
「申し訳ないが降りてください。何も写っていませんよ。これでは車を走らせるわけにはいきません。それにプリントじゃなければここに収まりません」とダッシュボードを指さした。
「そんな筈ねぇだろ!あとでてめぇがプリントすればいいじゃん」と女は怒鳴った。女の目には画面に確かに或る景色が写っていた。
「つべこべ言うんじゃねぇ」と凄んで気付くと女は車の外に投げ出されていた。

「今だけ良ければの人、乗車お断り」と男はリアウィンドウにステッカーを貼った。

(2)

「ご乗車、有難うございました。」

男は車の外に周ってドアを開け帽子を取ると深々と辞宜をした。車に戻るとダッシュボードから写真帳を取り出し黄ばんだ写真を一枚挿し加え、「加藤誠一、昭和2年10月8日生、平成29年1月20日没」と余白に書き込んだ。
「帰路は一晩かかったから、昨日というわけだ。」

加藤老人の場合は、道端でステッキを掲げて乗り込むや「君、申し訳ないが、これで頼む」と写真を手渡したことから、この男の車を知っていたわけだが、いかなる経緯で知ったのかについて男は関心がなかった。
とにかく「はい。しっかり写っております」ということから男の関心は始まるのである。老人の手渡した写真には石ころが二つ写っていた。

「で、今になって悔やまれるということですか?」
「そう。今になれば。あの時はそれしか考えられなかった。上官に命ぜられ仕方なかったのですよ。」
「ならば、ここで車をバックさせましょう。」
「さぁ、ここで降りて下さい。目の前にあの時があります。」
加藤は車を降り霧の向こうに消えていった。しばらくして額に脂をびっしりと滲ませ足取り重く戻ってきた。ステッキに代えて手に捧げた銃剣の先は血糊で光り返り血を全身に浴びている。

「やはりお戻りになられましたね。今になっても仕方のないままでしたね。で、どうされますか?」
「罪を償う。あの世の裁きで地獄に行きたくないからね。」
「どうやって。」
「死ぬんだよ。死に場所を探してくれるんだろ、この車は?」
「しかしお客さん。石ころは二つありますよ。死ぬのは一回。それでは一つ分足らないのではないですか?」 
「自ら死ぬと云っているんだ。これ以上崇高な謝り方はないだろ。でなければ、じゃ、どうすればいいんだ?」
「貴方様は罪を償うといいながら、ご自分の命と天秤にかけて、お相手の命を二分の一ずつだと云われているわけです。たとえ贖罪で死を選ばれたとしても、犯した罪の重さはそれで釣り合うことなどありません。消えることもありません。」

加藤は頬杖をついて一人で何か合点する仕草をしている。
「わかった、どの道、消えないのなら、じゃ、ここで降ろしとくれ。それならあの時に従って残りの捕虜もみな刺突してやる。殊勝に謝ろうとしたらつけ上がりやがって。こうなったら二人も三人も同じことだ。千人も殺れば英雄さ。あの神社なら英霊として祀ってくれるだろう。」

「いや、貴方様は石ころ二つ分の罪を償うと云われた。あの時代に私も居りました。おそらく貴方様と同じことしか考えなかったでしょう。わたくしもこの際、貴方様と共に命を進ぜましょう。それで漸く釣り合います。さぁ、車を谷底に落としましょうか。」

「止めてくれ!過去は捨てれば良いだけだ。忘れた忘れた!明日に目覚めたぞ。俺は死にたくない。お前も捨てろ!」
加藤はドアを蹴って外に出た。その刹那、足を滑らせ谷底に真っ逆さまに落ちていった。岩に何度も体を打ち付け転がる内にそれは毛むくじゃらの醜い畜生になっていた。

「せめて、人のふりをしていた頃のお名前だけ書かせていただきましょう。
ご自宅までお名前だけお連れします。」

(3)

「俺、乗ってもいいかな?」と青白い顔をした小太りの青年が手を上げて車を止めた。
「お客さん、わかってますよね?この車に手を上げたからには」
「うん。わかってるよ。これ写真。ちゃんとプリントしてきた。」
「はい。しっかり写っております。ではご乗車ください。」
写真には白い靄しか写っていない。
「俺とマブダチ。イケてるだろ。」
「二人写っているとでも?」
「当たり前だろ。見りゃわかるだろぅ。とにかくな、俺ってもっと褒められたい人なわけ。そういうとこに車まわしてくれよ。」

「ではこの先の交差点を曲がったところで降りてください。」
やがて青年は顔を紅潮させて戻ってきた。
「やぁ吐きまくりですっきりした。胸の中のクソっぽいものを吐き出して散々喚いてきたからな。反吐を思い切り吐いてすっきりしたわけ。旭日旗もブン回してやっぱ俺達って凄いなって。おっさん、いいとこで降ろしてくれたな。感謝感謝。」
「俺、じゃなくて俺達ってことですか?」
「当ったり前じゃないの。集まりゃそんだけ凄いんだから。」
「車をバックさせましょう。」

「では、ここで降りて下さい。」
「おいおい、これ前のバイト先じゃないか?」
「前じゃありません。今です。ほら店長が手招きしていますよ。」
車を降りた青年は店の中に消えていったがすぐに戻ってきた。
「続かない、ということですか?」
「俺の性に合わないだけ。俺を認めない世の中が悪いんさ。褒め上手にこそ人間が育つぅっていうよね。褒められて俺さまは育つってわけ。ポジティブ思考っつぅやつかな。お互い褒めあって盛り上げるネットってまじサイコー。そこで稼ぐ方が外で上からねちねちと言われて働くよっか気分いいし、手っ取り早いから」とスマホの画面を指先で捏ねまわしている。

「だから、ネットで煽ったり中傷したりしてお金を稼いでいるということですか?」
「おっさん、随分だなぁ。相手が悪いんさ。つまらんことで何かとお上に楯突くからな。お国に協力できないサヨクとか非国民っていうこと。そうさ。国を愛する気持ちってのかなぁ的なものも満たされて、やっぱ俺達って凄いっていうことさ。その通りの世の中になってるだろ。呟いて稼げるんだからスマホは命の次に大事。」
「では車を先に走らせましょう。」

「ここで降りて下さい。ほら、向こうであなたの好きな旗をマブダチさんが振っていますよ。」
「すっげぇ。ショー・ザ・フラッグちゅうやつだ!興奮すんなぁ、いっちょ暴れてすっきりしてくるか!」
青年はスマホに導かれるまま霧の向こうに消えていったが、すぐに胸を押さえて戻ってきた。
「ほ、本当に撃たれた。ほら、胸に穴が開いて血が吹き出して痛いよぅ!た、助けてくれぇ!リアルじゃないか!リ、リセットキーがない」と車の中で七転八倒し事切れた。スマホの画面のバトルゲームが「オーバー」となっている。
バッテリー切れで画面も真っ暗になった。
男はシガーライターでスマホを充電すると「今日の英霊」というタイトルとともに青年とマブダチの血だらけの顔写真が掲載されている。スマホが勝手に死に顔を自撮りしたらしい。↓が500ctで、プラマイで相殺されて今日の褒められランクでは最下位に近い。誰も殺さない前にやられてしまったとして、評価も「サイテー・カッコワル」と呟かれている。
「どのみち、そんなことだろう」と男は車をバックさせた。

助手席に放っておいたスマホから手が生えて、次第に青年が全身を現した。
「お戻りですね。画面見ましたか?」
「何かあったの?げぇ!何だこれは!」男が魚拓した画面に目を見開いている。
「正確な没年月日は表示されていましたが、貴方様がショックを起こすと気の毒ですから私がマスキングしました。さて、車をぶっ飛ばしますか?1分後にでも英霊になりたいようでしたら。今だけ特典のタイムサービスでもう少し褒められランクは上になりますよ。」
「や、やめてくれ!アクセル踏むんじゃない。止まれっちゅうの!」
「お客さん、私の足元を見てください。私はほら足を離していますよ。勝手にアクセルが踏まれているんです。」
「な、何でだ!」
「貴方様のスマホが AIとなってこの車に指令を与えているでしょうね。お上もお仲間もみんな、貴方様に早く死んでもらいたいわけです。盛り上がりたいですからね。貴方様は生きていることよりも死ぬことが褒められることのようですよ。」
青年はスマホを粉々に踏み潰した。

「足元が利くようになりました。では車をバックさせましょう。まだ褒められたいですか?これからはご自分のアタマで何事も考え判断し真面目に仕事してくださいよ。」
「わ、わかったよ。写真は返してくれ。」
「ダメです。これは写真帳に。命の次にスマホならば、貴方様はまたスマホに頼ることになるでしょう。程々にされますように。スマホに貴方様の思考が操られているとわかれば、没年月日を予定通り書かせていただきますよ。今日はご乗車ありがとうございました。マブダチ様にもよろしくお伝えください。」

(つづく)

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