“The Orchid”に続くギャビィが出演した3つのショーはいずれもプリンス・オブ・ウェールズ劇場で行われた。1905年 “Lady Madcap”、1906年 “The Little Cherub” と”See See” で、その”See See”でギャビィは主演のリリー・エルシー(Lily Elsie)とライバル関係になった。

(1905年 “Lady Madcap”)

(1906年 “The Little Cherub”)

(1906年 ”See See”, 右から2人目がギャビィ、右端がリリー・エルシー)

(1906年 ”See See”)
1906年10月26日、エドワーズのもう一つのミュージカル・コメディ “Les Merveilleuses” がレスター・スクウェアのディリー劇場で初日を迎えた。批評家には絶賛されたものの、人気を呼ばなかったのは、チケットを買おうにもその演目を何と発音して良いのか市民にはわからなかったからとされている。エドワーズは公演を中止し、脚本を修正し新たな歌を加え、”The Lady Dandies” と改題して、Egl' を演じたモード・パーシヴァル(Maude Percival)をギャビィに代えるなどキャスティングも変更した。ギャビィのパートは脚本が書き加えられ、ウィリー・ウォード(Willie Warde)とのデュエットとダンス “'I Always Come Back to You” が挿入された。

この歌は大ヒットし、1907年3月5日に劇場地区ドルーリー・レーンで催されたロンドン市長身障者ファンド支援の特別慈善公演でも使われた。
”The Lady Dandies” はしかしながら、元の作品よりも成功した訳ではなかった。そこで、エドワーズは代作を速やかに準備することに追われる。フランツ・レハールのオペレッタ メリー・ウィドウ(Merry Widow)が代わりになると思いついたが、そのままで彼の好みに照らしてあまりにコンティネンタル風なので、未亡人(ウィドウ)はもっと若い未亡人に書き換え、英国風とすべくコメディ場面を多く付け加えて改作した。できる限りカネをかけないつもりだったので、コスチュームは殆ど古着を再利用した。
エドワーズ版メリー・ウィドウは1907年6月8日初公演が行われ、リリー・エルシー(Lily Elsie)とジョセフ・コイン(Joseph Coyne)が主役を演じ、ギャビィはロロ、ドド、ジュジュ、クロクロ、マルゴ、フルフルの中のフルフル(Frou Frou)の役だった(ちなみに、リーヌ・ルノーの歌唱で知られるシャンソンの名曲”Frou-frou”はベルエポック時代の女性のドレスの衣擦れの音を模した古い歌だが、このフルフルとは関係はない)。

このメリー・ウィドウはエドワーズの最大のヒット作となった。778回興行のロングランとなり、700回興行で同じくヒットしていた”H.M.S. Pinafore” さえも完全に打ち負かした。
劇中のリリー・エルシーが被った鍔広のメリー・ウィドウ帽は女性たちの間で大流行となった。ギャビィは逆立ちや脚上げを交えた踊りを4人の男たちに頭の高さまでリフトされたマキシムのテーブルの上で繰り広げるなどショー・ストッパーぶりを発揮した。
ギャビィは次の作品、”The Dollar Princess” に出演する為、ディリー劇場に留まった。

その作品でもリリー・エルシーが再び主演となり、1909年9月に舞台の幕が上がった。ディリー劇場での1911年の “Peggy” でギャビィはPolly Polinoを演じた。

その時代になると、ミュージカル・コメディはミュージカルホールの伝統を吸収し、女性のシンガーもダンサーも衣装の早変わりをしなければならなくなった。
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当時の劇場雑誌 “The Play Pictorial” には”Peggy” でのギャビィのコスチュームについて以下の記載がある。
「彼女の肌色と珊瑚色のバス・コスチュームは真っ白なサンダルと共に魅惑的だ。背中にセイラー・カラーのある絹クレープ地の所々カットされた部分から長いタッセルが下がり、シックなピンク色のキャップをシックに頭に巻いている。曲芸の場面では、彼女はコートをさらりと脱ぎ素早く紫のスパンコールのシャツ姿となる。色とりどりのチューリップの模様が美しく飾られている。海軍将校の帽子と肩飾りを纏った姿に早変わりしても、彼女はとてもスィートに見える。」

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”Peggy” の興行が成功裡に終わるや、ギャビィは舞台から引退を公表した。エリック・ロダー(Eric Loder)なる男と結婚することになったからである。
(つづく)