2017年05月05日

ガブリエル・レイ(Gabrielle Ray)- その5(全盛期)



“The Orchid”に続くギャビィが出演した3つのショーはいずれもプリンス・オブ・ウェールズ劇場で行われた。1905年 “Lady Madcap”、1906年 “The Little Cherub” と”See See” で、その”See See”でギャビィは主演のリリー・エルシー(Lily Elsie)とライバル関係になった。


(1905年 “Lady Madcap”)


(1906年 “The Little Cherub”)


(1906年 ”See See”, 右から2人目がギャビィ、右端がリリー・エルシー)


(1906年 ”See See”)

1906年10月26日、エドワーズのもう一つのミュージカル・コメディ “Les Merveilleuses” がレスター・スクウェアのディリー劇場で初日を迎えた。批評家には絶賛されたものの、人気を呼ばなかったのは、チケットを買おうにもその演目を何と発音して良いのか市民にはわからなかったからとされている。エドワーズは公演を中止し、脚本を修正し新たな歌を加え、”The Lady Dandies” と改題して、Egl' を演じたモード・パーシヴァル(Maude Percival)をギャビィに代えるなどキャスティングも変更した。ギャビィのパートは脚本が書き加えられ、ウィリー・ウォード(Willie Warde)とのデュエットとダンス “'I Always Come Back to You” が挿入された。



この歌は大ヒットし、1907年3月5日に劇場地区ドルーリー・レーンで催されたロンドン市長身障者ファンド支援の特別慈善公演でも使われた。

”The Lady Dandies” はしかしながら、元の作品よりも成功した訳ではなかった。そこで、エドワーズは代作を速やかに準備することに追われる。フランツ・レハールのオペレッタ メリー・ウィドウ(Merry Widow)が代わりになると思いついたが、そのままで彼の好みに照らしてあまりにコンティネンタル風なので、未亡人(ウィドウ)はもっと若い未亡人に書き換え、英国風とすべくコメディ場面を多く付け加えて改作した。できる限りカネをかけないつもりだったので、コスチュームは殆ど古着を再利用した。

エドワーズ版メリー・ウィドウは1907年6月8日初公演が行われ、リリー・エルシー(Lily Elsie)とジョセフ・コイン(Joseph Coyne)が主役を演じ、ギャビィはロロ、ドド、ジュジュ、クロクロ、マルゴ、フルフルの中のフルフル(Frou Frou)の役だった(ちなみに、リーヌ・ルノーの歌唱で知られるシャンソンの名曲”Frou-frou”はベルエポック時代の女性のドレスの衣擦れの音を模した古い歌だが、このフルフルとは関係はない)。



このメリー・ウィドウはエドワーズの最大のヒット作となった。778回興行のロングランとなり、700回興行で同じくヒットしていた”H.M.S. Pinafore” さえも完全に打ち負かした。

劇中のリリー・エルシーが被った鍔広のメリー・ウィドウ帽は女性たちの間で大流行となった。ギャビィは逆立ちや脚上げを交えた踊りを4人の男たちに頭の高さまでリフトされたマキシムのテーブルの上で繰り広げるなどショー・ストッパーぶりを発揮した。

ギャビィは次の作品、”The Dollar Princess” に出演する為、ディリー劇場に留まった。



その作品でもリリー・エルシーが再び主演となり、1909年9月に舞台の幕が上がった。ディリー劇場での1911年の “Peggy” でギャビィはPolly Polinoを演じた。



その時代になると、ミュージカル・コメディはミュージカルホールの伝統を吸収し、女性のシンガーもダンサーも衣装の早変わりをしなければならなくなった。

----

当時の劇場雑誌 “The Play Pictorial” には”Peggy” でのギャビィのコスチュームについて以下の記載がある。

「彼女の肌色と珊瑚色のバス・コスチュームは真っ白なサンダルと共に魅惑的だ。背中にセイラー・カラーのある絹クレープ地の所々カットされた部分から長いタッセルが下がり、シックなピンク色のキャップをシックに頭に巻いている。曲芸の場面では、彼女はコートをさらりと脱ぎ素早く紫のスパンコールのシャツ姿となる。色とりどりのチューリップの模様が美しく飾られている。海軍将校の帽子と肩飾りを纏った姿に早変わりしても、彼女はとてもスィートに見える。」



----

”Peggy” の興行が成功裡に終わるや、ギャビィは舞台から引退を公表した。エリック・ロダー(Eric Loder)なる男と結婚することになったからである。

(つづく)

posted by ihagee at 00:00| ポストカード

2017年05月04日

ガブリエル・レイ(Gabrielle Ray)- その4(パジャマ姿のスターダム)



”The Girl From Kay's” で女優として成功を収めたギャビィ。次に出演したミュージカル “The Orchid”で彼女はスターの地位を確実なものとした。



改修が終わったゲイティ劇場お披露目の初公演は1903年10月26日のミュージカル “The Orchid”で、その初日の晩には国王エドワード7世とアレクサンドラ妃の臨席に与る名誉を得た。ガーティ・ミラー(Gertie Millar)が主役を演じ、ギャビィはTrisbe役(準主役)で出演した。



ギャビィの演技は力強いものではなくまた歌声はか細かったが、ひとたび彼女が踊りだすや、蹴り上げた脚先がその金髪の巻き毛の上に高々と上がり、その軽快さはセンセーショナルなものだった。

----

ギャビィがショーストッパー(拍手喝采で中断させるほどの名演技)ぶりを発揮したのは、彼女がピンクのパジャマ姿で一人歌い踊るシーンで、このシーンはピンクパジャマガール(”The Pink Pyjama Girl”)として“The Orchid”の中の呼びものとなった。



このピンクパジャマガール(”The Pink Pyjama Girl”)こそ、私がポストカードに見たあのラフなパジャマ姿と表情のギャビィだった。

img027.jpg

ショーストッパーよろしく、私の目を惹きつけたのである。ポストカードの中のギャビィからヴィヴィッドさを感じ取ったのも当たり前かもしれない。1905年2月15日付のポストカードの文面には「”The Orchid” で本物の彼女をみたよ」とあるから、このカードの送り主がパジャマガールに拍手喝采しているシーンまで思い浮かびそうだ。秘密が一つ解けた。

----

“The Orchid” はその当時、歌劇場の演目では史上5番目のロングランとされていた、ギルバート・サリバンの歌劇 “The Gondoliers” を5回上回る559回もの公演回数を重ね大成功を収めたようだ。この過程でギャビィは当時(エドワード朝)、世界で最も多く写真に撮られる存在となっていったようである。

当時のイギリスの文芸誌 “The Tatler” は1903年11月11日付記事で以下述べている。
「新装なるゲイティ劇場のTrisbe役のガブリエル・レイ嬢は数多の有名なダンサーの中でも一二を競う芸を持っているが、ダンスが素晴らしければ誰もがそう思うフランス人でもアメリカ人でもなく、ランカシャー出身である。」

(つづく)

posted by ihagee at 00:00| ポストカード

2017年05月03日

ガブリエル・レイ(Gabrielle Ray)- その3(エドワーズとの出会い)



1902年、リリック・オペラ劇場でのアニュアル・パントマイム劇“Little Red Riding Hood” (赤頭巾) の舞台の上の、キラキラと輝く金髪にハート形に縁取られくっきりと青い目をした女の子の魅惑的な愛らしさに、観客が思わず賞賛の声を上げていた。その声の先には優美な動きをしたかと思えば、開脚して足先が床に着かんばかりのダンスを演じる赤頭巾役のギャビィがいた。興行の成功は最初から決まっていたようなもので、幕間に誰もがこの無名のアーティストの名前をプログラムに探し、それが19才のガブリエル・レイ(Gabrielle Ray)であると見出したのである。これは彼女の輝かしいキャリアの幕開けでもあった。



----

この劇の初日にイーストに招かれていた劇場支配人の一人に著名なジョージ・エドワーズ(George Edwardes)がいた。この日の幕が降りるやエドワーズはギャビィと、この公演の契約が終わったら、彼のロンドン・オールド・ゲイティ(Old Gaiety)劇場の“The Toreador” に出演中の人気女優ガーティ・ミラー(Gertie Millar)の代役となる旨の契約を交わした。ギャビィはミラーと4才年下で顔立ちが非常に似ていたことも幸いした。

ジョージ・エドワーズ(George Edwardes 1852-1916)は自らミュージカル・コメディを創作することはなく支配人として辣腕を振るったが、1890年代から1918年までのギャビィの全盛期に亘って、彼はゲイティとディリー劇場の支配人を勤め、その他多くのウエスト・エンドの劇場の公演を催し、地方の劇場を巡る旅回りの一座を16ほど抱えていた。音楽、見世物、そして最も重要なこととして、その時代の真のスーパースターとなる魅惑的な女性という3つの要素ごとに、必要とする人間を選択し、ロングランと興行収益を約束することにおいて彼は卓越した能力を持っていたようだ。ギャビィはスーパースターとなるべく選ばれた一人だった。

----

“The Toreador” の一連の興行が終わるや、ゲイティ劇場が改修の為に閉鎖された為、エドワーズはギャビィをロンドン・アポロ劇場に移し、432回もの公演回数でロングランとなった”The Girl From Kay's” でレティ・リンド(Letty Lind)の演じた役(準主役)を彼女に引き継がせた。



ギャビィは役を巧くこなしたばかりでなく、愛らしさとダンスの驚くべきしなやかさは彼女の成功を確実なものにした。

(つづく)

posted by ihagee at 00:00| ポストカード