2017年02月24日

インド映画考 – その2(再会)


CIMG4247.jpg

社会人となり、身の回りを整理していたら戸棚の奥からあのレコード盤が出てきた。

針を下ろしてみた。これは面白いかもしれないと気分が変っていた。映画音楽ならばその映画を観たい。どんな映画のいかなる場面でこれらの音楽が使われているのか知りたかった。

----

時代はインターネット、ネット上のインド雑貨専門店を漁っているとサイト上でインド映画の紹介とビデオCDやDVDの販売を行っているティラキタという店を知った。

「インド映画」と呼ぶべきものはそれ自体存在しないことを初めて知ったのもこのサイトである。私の件のレコード盤がヒンディ語映画音楽集であり、プレイバックシンガー(Playback singer)による吹き込みであること、俳優はこの事前に吹き込んだ歌に合わせて口パクで歌っているかの演技をしていることも知った。そのレコードのジャケット写真の濃い顔立ちはそのプレイバックシンガーの面々であった。その中に俳優とプレイバックシンガーを兼業している器用な人も見つけた(別稿で触れる予定)。

----

インドは国家としては一つだが、多様な民族・言語・宗教によって構成されており、「インド映画」とはインド国内で制作される映画、すなわち、ヒンディ語映画、タミル語映画、テルグ語映画、カンナダ語映画の総称ということも知った。所謂「ボリウッド」はこの中のヒンディ語の娯楽映画を指し(制作拠点・ムンバイの旧名ボンベイと米国ハリウッドの造語)、「コリウッド」はタミル語の娯楽映画を指す(制作拠点・チェンナイのコダムバカム(Kodambakkam)と米国ハリウッドの造語)。

ちなみに隣国パキスタンにもイスラム教を背景にした「ロリウッド(制作拠点:ラホール+ハリウッドの造語)」がある。

当時、ティラキタのサイト上で多く紹介されていたのは、タミル語映画だった。そこで、あるタイトルのDVDを2枚注文した。

----

シヴァージ・ガネーサン(Sivaji Ganesan)主演の所謂神様映画「Thiruvilaiyadal(神のゲーム)」(1965年制作)と、Saraswathi Sabatham(1966年制作)である。

いずれもシヴァ神(シヴァージ)とパールヴァティー(サーヴィトリ)を中心とした天界の物語だが、映像・音楽共々頭がクラクラとするようなカルチャーショックを受けた。女神パールヴァティーの青い肌、学問の神ガネーシャの長い鼻、ブラフマーの阿修羅のように幾つも横に並んだ顔、タブラ(太鼓)を叩く牛の頭をしたナンディン、そして足踏み一つで天変地異を引き起こすシヴァ神など、どれもナイトメアにヌッと現れるようなキメラ風体である。




(サーヴィトリが奏でるヴィーナ・名演だ)

しかし、どこか見覚えがあると記憶を手繰り寄せてみると、阿鼻叫喚の地獄絵図を図鑑か何かで初めて見た異形な世界観、その冥界の淵を覗いて怖気づいた子供心なりのトラウマと符号するところがある。

----

パールヴァティーを演じる女優サーヴィトリは自身ヴィーナの名手であり、この不思議な形の楽器の音色には彼女の妖艶な魅力が加味され麻薬的なミクロトーンが感じられる。長尺のタミル語のセリフが妙に耳に心地良く聞こえるのもその韻律ゆえかもしれない。日本語の五七五七七的韻律とどことなく似ている。そういえば日本語の起源をタミル語に求めた研究者を思い出した(大野晋学習院大学名誉教授・故人、一時期頻繁にテレビに登場していた)。

シヴァージに限らず、タミル語映画の主役級の男優は巨顔ででっぷりと太っている。同時期のMGR(M・G・ラーマチャンディラン)もそうだったし、時代は下って「ムトゥ 踊るマハラジャ」のヒットで我が国においても知られるようになったスーパースター=ラジニカーント(Rajini Kanth)もそうだ。ヒンディ語映画(所謂ボリウッド)では細面のイケメンが多いのと対照的である。


MGR (M. G. Ramachandran)

件のDVDはタミル語なので、何を言っているのか私にはさっぱりわからない。英語の字幕で内容を概ね理解できた。

この映画に挿入されている音楽は神様映画ということもあって、一種ご詠歌のようでもあり、私のレコードのヒンディ語映画音楽とはセンスを異にしていた。タミル語とヒンディ語との間の韻律の違いも大きいのだろう。

この映画がきっかけでシヴァージ・ガネーサン(Sivaji Ganesan)という不世出の大スターを知ったことは大きかった。


シヴァージ・ガネーサン(Sivaji Ganesan

神様映画でのコスチュームプレイだけでなく、現代劇においてもコミカルからシリアスな役回りまでこなし、今も彼の出演作がタミル語圏のネットチャンネルで繰り返し放映されている。Captain TVというネットチャンネルはライブストリーミングでタミル語圏のニュースやバラエティを放送しており、日本時間の毎夕(午後7時ごろから)の映画枠では、新旧名作映画を観ることができる。



この枠でシヴァージやMGRの主演する古い映画も頻繁に登場する。昨年末に亡くなったタミルナド州の元首相ジャヤラム・ジャヤラリタ(Jayalalithaa Jayaram)氏もその一人。「アンマ(母親)」と民衆に慕われた彼女の出自は映画女優であり、シヴァージやMGRと競演した若かりし頃の作品が繰り返しこのチャンネルで放送されている。


女優時代のジャヤラム・ジャヤラリタ(Jayalalithaa Jayaram

タミル語はさっぱり理解できないが、タミル語映画に限らずインド映画全般(一昔前までの)に言えることだが、役者とストーリーにはそれぞれ一定のマンネリとも言える組合せ(パターン)があり、また、表情や仕草が説明的なので、セリフは判らなくとも絵だけから凡そ話の展開を読むことができる。

Padmini(パドミニ)、Hema Malini (ヘマ・マリニ)、Sridevi(シュリデヴィ)やRekha(レカー)といったディーヴァたち(別稿で取り上げるつもり)は、コリウッド映画から出発してボリウッド映画に進出したが、彼女たちの踊りや演技力の素晴らしさが言語・文化圏を超えて広く認識されたのであろう。その成長・成功の過程を作品から辿れるのも映画の良さである。タミル語もヒンディ語もこなせる言語能力・適応能力は男優よりも女優の方が優れているのかもしれない。

----

DVDで専ら観賞していた「インド映画」だが、前後して「マハラジャ映画」と称してコリウッドが日本に上陸した。1998年のことである。

(つづく)

posted by ihagee at 00:00| インド映画

2017年02月23日

インド映画考 – その1(きっかけ)


CIMG4247.jpg

1981年、私は東京の大学生だった。
鈴木善幸内閣の下、土光臨調と呼ばれる行財政改革の只中にあって、政治も経済も地味であったが手堅く運営されていた頃だと記憶している。熱病のようなバブル景気の予兆も当時はなかった。

東西冷戦下、共和党のロナルド・レーガンが第40代アメリカ合衆国大統領に就任したのもこの年であった。携帯電話はおろかGUIのパソコンすらなく、テレビジョンが娯楽の中心に君臨していた時代でもある。

堤清二氏のメセナ的な文化事業がその統帥するセゾングループで次々と開花していくのもこの年あたりからである。百貨店に併設するセゾン美術館、そして洋書(美術書)と現代音楽で若者の感性を惹きつけたアール・ヴィヴァンはその発火装置であった。テープ音楽やミニマル系の現代音楽が脈絡もなく無機的に流れる薄暗い照明の下、怪しげな洋書をゴソゴソと漁る若者の一人が私だったかもしれない。そして、六本木WAVEが開店したのが1983年。ビル一棟丸ごとカルチャーの巣窟はスノッブな六本木族の溜まり場となっていた。

百貨店事業もクリエイティビティを前面の押し出すイメージ戦略を同時に展開していた。糸井重里氏の「不思議、大好き」に始まるキャッチコピーは未だ記憶に鮮明である。隣のパルコとその「不思議」さをアドで競い合っていた。

----

「不思議、大好き」のイメージ戦略に沿って、池袋本店でインドをフィーチャーしたフェアが行われたのもこの年ではないかと思う。ある日、耳慣れない音階と妙な転調のメロディに合わせて甲高い女声のウネウネと歌う音楽が流れていた。それは現在ロフトのある階、当時はアナログ・レコード売場(ディスクポート)だったと思う。

しばらくその下にいると頭がクラクラし気分が悪くなった。そのクラクラとする音の入った2枚組のLP盤を買った。気分の悪さの元を自分で確かめたくなったのかもしれない。こういう好奇で酔狂な客は百貨店の思う壺である。

そのLPは英国HMV原盤の1970年代を中心とするボリウッド映画音楽のコンピレーションだった。ジャケットも盤面もどことなく薄汚れていたが、インドプレスと印刷があり合点した。汚れついでにカレーの臭いもあるかと嗅いでみたがさすがにそれはなかった。

レコード針を落とすと、あのクラクラ感が蘇ってたちまち気分がどっと悪くなった。ジャケットに印刷されているアーティストの写真の目元を眺めているうちに、その目の下のクマの濃さが奏したのかサイケデリックなエフェクトが増幅され半分も聴かないうちに針を上げ、「不思議、大好き」とはならなかったのである。

今思うと、このクラクラ感を克服しもっと先まで行けば、かのビートルズもインド巡礼で開眼したというフラワー・パワーの世界観があったのかもしれない。

----

「インド人もびっくり(ヱスビーカレー)」、「レッドスネェ〜ク・カモォ〜ン!(東京コミックショー)」などのセリフとともに連想するターバンを頭に巻いた(日本人が演じるところの)所謂インド人のステレオタイプは小さい頃から抱いていたが、この最初のカルチャーショックはその判で押したようなイメージを少しだけ変えたのかもしれない。

(つづく)
posted by ihagee at 18:49| インド映画