2016年10月10日

星になった歌手

ネット上で<人名に因む名を持つ小惑星の一覧>が目に入った。

“小惑星は主に火星と木星のあいだの軌道を公転する無数の小天体。その数は2009年1月現在、軌道の分かっているものだけでも40万個を超え、現在も次々と発見が続いています。„ (宇宙情報センター・JAXA)だそうだ。

また、“新発見の小惑星の場合には、新しく発見されてから軌道何周分かの観測がされ、軌道がはっきりすると、まず番号がつけられます。そして同時に、発見者に対して、その小惑星に名前を提案する権利が与えられます。名前は、「16文字以内であること」や「発音可能であること」「主に軍事活動や政治活動で知られている人や事件の名前をつける場合には、本人が亡くなったり事件が起こってから100年が経過していること」など、いくつかの制約はありますが、その範囲内で好きな名前をつけることができます。„(国立天文台・NAOJ)とのこと。

命名は任意なので番号だけの小惑星が殆どだろう。しかし、上述の一覧から人名に因む名を持つ小惑星は思ったよりも多いとわかった。

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1985年(昭和60年)8月12日の日航機123便墜落事故では坂本九が犠牲になった。彼の公式ファンサイトでは
“AL123便に乗り、星になる„(坂本九 Official Web Site)と書かれている。

「星になる」の言葉通り、後に北海道のアマチュア天文家が発見した小惑星番号の (6980)には坂本九の名前がつけられた(6980 Kyusakamoto)。6(永六輔)、8(中村八大)がその数字で九ちゃんに寄り添っている。坂本の代表曲<見上げてごらん夜の星を>の作曲家はいずみたくなので、この星の通りとはならないが、<上を向いて歩こう>は689トリオなので夜空の先に同じ星があるに違いない。

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上述の一覧に記載がないが、私にとってもう一つの<星になった歌手>にアンナ・ゲルマン(Анна Герман)がいる。

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彼女の歌声をどこで初めて聴いたのか。1970年代初め<モスクワ郊外の夕べ>のコールサインとともに壁の向こうから流れてくるラジオで聴いたのかもしれない。一瞬でその美しい歌声に魅せられてしまった。

彼女はポーランドの歌手として知られているが、中央アジアのウズベキスタンに生まれ、ソ連邦(共産圏下のポーランド含む)で1960年から70年代に活躍したドイツ系ロシア人であった。

ポーランドのヴロツワフ大学で地質学を専攻していた学生時代から音楽を学び始め、1964年ポーランド・Opole市で開催されたNational Festival of Polish Songs in Opoleでの歌唱<Tańczące Eurydyki>の受賞を皮切りに、1967年イタリア・サンレモ音楽祭には東の代表的歌手として招聘された(ANNA GERMAN SAN REMO 67)。

サンレモ音楽祭でイタリア滞在中に交通事故に巻き込まれ瀕死の重傷を負いリハビリが終わって再びステージに戻ったのは1972年だった。同年彼女は結婚し1975年には子供にも恵まれたが1982年に白血病で46歳という短い生涯を終えた。

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帝政ロシア時代にインテリゲンツィアたちが集まるサロンでは、プーシキンやレールモントフなどの文人たちも呼ばれ、彼らの詩にのせた叙情的なロマンスが数多く歌われた。このロマンスを歌わせてアンナ・ゲルマンの右に出るものはなかったと言われる。詩人ミハイル・レールモントフの<われ独り旅路に出れば(ВЫХОЖУ ОДИН Я НА ДОРОГУ)>の歌唱の素晴らしさはその一例だろう。



ロシア語の歌詞については、故米原万理さんが訳詞をされている。
“われ独り旅路に出れば もやの向こうに石くれ道がきらめく 夜はひそやに、荒れ野は神の声に聞き入り、星と星は語り合う„ (後略)

ここに星が歌われている。

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そしてもう一つの星<輝け、輝け、私の星(Гори, гори, моя звезда)>は、彼女のとって特別な意味を持っていた。



“輝け、わが星よ

輝け、わが星よ、やさしい星よ
君はただ一人、私が心に決めた人 
他の誰も君ほどに愛せない。

月夜の空には満天の星
でも私を幸せにしてくれるのは君の光だけ

心安らぐ希望の星よ、魔法のような日々の愛の星よ
君を恋する私の心に君の星は永遠に輝く

私の人生を明るく照らしてくれたのは君の光
もし私が死んだら墓の上で輝いておくれ„

その歌詞の通り、ソ連の女性天文学者シュミルノバが1981年に発見した<小惑星2519>にはアンナ・ゲルマンの名前が付けられたからである(2519 Annagerman)。ゲルマンが亡くなったのは1982年8月25日だった。

秋の澄んだ夜空に星が煌めく季節になった。

(おわり)
posted by ihagee at 10:07| 音楽

2016年06月25日

功芳さん

クラシック音盤の演奏評論の大御所、宇野功芳さんが亡くなった。

レコード芸術誌(音楽之友社)の月評では、独特の文調と決め詞(「乾坤一擲」「応接の暇なく」など)で広告主の推す音盤の演奏を遠慮もなく斬り捨てた。芸術誌ゆえの紳士的(音楽業界の提灯持ち的)評論が多い中で、臍が斜めについているかの同氏の時に読者から判官贔屓と揶揄されるマイノリティぶりは私には爽快であった。

アーベントロートやクナッパーツブッシュを昔の省電に喩えた時は、その古武士然とした風貌をすれば棒を振らずとも演奏は決まると言いたげだった。

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(Hermann Abendroth)


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(Hans Knappertsbusch)


そういえば、同じことを作曲家の芥川也寸志氏も生前にどこかのテレビ番組の中で言っていた。体全体から発散する強烈なオーラだそうだ。ティンパニ奏者のテーリヒェン氏もある指揮者の下でベルリンフィルの演奏会のリハーサルを行っていると突如としてオケの音色が変わったのに気がついて演奏会場の向こうを見るとそこにフルトヴェングラーが立っていた、と証言しているが、これもオーラなのだろう。演奏技術とか表現方法とかではなく、最後は「その人」に行き着く。功芳さんが評論したかったのはそれだろう。「その人」が見えない演奏は「聴かなかったことにしておこう」となる。

評論のかたわら功芳さんもオケを前に棒を振ったが、晩年はだんだんと顔つきまでクナに似て魁偉となった。大きな身振りでクナと同じくパルジファルの一幕でも振って欲しかった。冥福を祈りたい。


(Knappertsbusch conducts Parsifal in Bayreuth)

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(Koho Uno)


(おわり)

追記:うっかり書き忘れた。
カメラにも「オーラ」というものがある。いつかこのカメラのオーラに襲われてみたいと思う。功芳さんの影響もあるのかマイノリティであるが強烈な存在を放つカメラに惹かれる。撮る前から何かが決まっているように思える。

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posted by ihagee at 07:43| 音楽