2017年04月14日

救済と破滅(パウゼとクラスター)



(General Pause)


(Tone Cluster)

夕時のニュース以外テレビは滅多に観ないのだが、合間のCMには正直辟易することがある。商品やサービスとは関係のないイメージの押し付けがそれで、騒々しい上に幼稚且つ脈絡不明な寸劇仕立てばかり。その上、番宣(番組)もグチャグチャと入り混じって掃き溜め状態。NHKまでもが同じ手法でフレームを汚し始めている。

経済先進国と呼ばれて久しいのに、成熟した社会の精神性を表すようなCMは皆無になりつつある。しかし、雑誌「広告批評」が舌鋒を奮っていた四半世紀以上前には少なくとも作品と評するに価するCMがいくつもあったように思う。

「ドライケーキの銀座ウエストでございます」もその作品の一つだった。静溢の中から間を心得たメッセージが控えめに送り出されている。その感覚を四半世紀経った今も思い出すことができるのだからCMの本来の目的を僅かな言葉と音で達成した作品だと思う。喧騒の中のふとした森閑(パウゼ)は強烈に受け手に印象を残すものである。

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1980年代前半にドイツを数か月バックパッカーした時も、同じ森閑を同国のテレビCMに覚えたものだ。今はどうか知らないが、CMとCMの間が一瞬暗く無音になるゲネラル・パウゼ(全休止)が入るのである。このパウゼによって個々のCMが枠を得た絵のように印象付けられることに大いに感心したものだった。わが国で同じことをすれば、放送事故だとか、気味が悪いとか視聴者からテレビ局に苦情殺到だろう。

そんな演出の違いをドイツのテレビCMから感じ取ったのは私だけではなかったようで、1970年代後半にTBSラジオの深夜番組で中山千夏さんがドイツ旅行中に録音したテレビCM集(音声のみ)を比較文化論的に紹介していたことを思い出した。

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ゲネラル・パウゼ(全休止、以下G.P.と略記)とは、管弦楽曲などにおいて全部の楽器が休止し曲の流れを止める効果的な作曲技法である。長い曲にあってその無音が逆に聴き手の意識を喚起し、テンポや曲想を前後で変える効果がある。文章でいえば読点(、)だろう。この技法を作品で多用した作曲家としては、ハイドンやブルックナーが挙げられる。

ハイドンやブルックナーの演奏で名を馳せた指揮者は、G.P.の扱いが巧い点で共通しているようだ。例えば、先般惜しくも亡くなったスタニスラフ・スクロヴァチェフスキーのブルックナー第2交響曲(「休止の交響曲」とも呼ばれている)の音盤がそれを如実に証明している。


(Bruckner Symphony No. 2 / Stanislaw Skrowaczewski, Saarbrücken Radio Symphony Orch. / 17分30秒からの第二楽章

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私が通勤時間の合間にiPadで聴くことの多いモートン・フェルドマンの音楽もある意味G.P.の塊りかもしれない。静けさの中から僅かな音価がスッと立ち現れては消えていく長大で茫洋とした曲ばかりだが、余白の中の小さな染みのような音になぜか心地よい覚醒がある。目の前の見慣れた景色さえ光と影だけのモノクロームに見えるから不思議だ。だからか、私がモノクローム・フィルムで写真を撮る際にイメージするのはフェルドマンの音楽となる。

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(Voigtländer Superb, Kodak Tri-X 400)


(Morton Feldman: Why Patterns? (1978))

G.P.を話の間(ま)として聴くこともある。落語など話芸で聴かせる名人達人ほど、間の扱いに長けているのだろう。古今亭志ん生然り、牧野周一然り。志ん生などは間が開き過ぎて高座で居眠りしても観客から「さすがは名人」と声がかかる程だった。


(古今亭志ん生『大工調べ』)

音楽評論家の宇野功芳は牧野周一の長男だが、お得意のブルックナー演奏評でも、また本職の合唱指揮に於いても、間の取り方については口喧しかったように思う。血は争えないものだ(拙稿「功芳さん」)。

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G.P.とは逆に音が密集した状態が、トーン・クラスターである。音楽的には「ある音名から別の音名までの全ての音を同時に発する房状和音(wikipedia)」を指す。肘でピアノの鍵盤を押さえる実験(効果音)から次第に作曲技法に昇華したものである。

グスタフ・マーラーの遺作、交響曲第10番(未完)では「第1楽章で1オクターブ12音階中の9音が同時に鳴らされ、トランペットのA音の叫びだけが残るという劇的な部分は、トーン・クラスターに近い手法(wikipedia)」とされている。


(Gustav Mahler - Symphony No. 10 "Adagio" | Vienna Philharmonic, Leonard Bernstein /19分10秒あたり

そして、現代作曲家クシシュトフ・ペンデレツキのある弦楽合奏曲によってこの技法は夙に認知されるようになった。

その作品の原題は「8分37秒 8'37"」で1960年に作曲された(演奏時の長さは「8分37秒」と指定されている)。その曲想は後日、広島の犠牲者に奉げられ「広島の犠牲者に捧げる哀歌」と改題された。原爆のイメージから作曲した作品ではないものの、微分音が集積・密集し臨界に達し静まっていく様子は凄まじい。白い光に包まれ轟音と爆風の後に静まり返る修羅と阿鼻叫喚をトーン・クラスターは強烈に印象づける。


(Penderecki: Threnody for the Victims of Hiroshima)

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G.P.とトーン・クラスター。その与える印象はいずれも強烈であるが、その意味は対極だと思う。

ブルックナーの遺作となった交響曲第9番の第三楽章ではG.P.の後に「生との訣別」と呼ばれるコラール風の主題が挿入される。この箇所に<カタルシス(救済・浄化)>が結晶しているが、ペンデレツキの上述の「広島の犠牲者に捧げる哀歌」のトーン・クラスターには<カタストロフィ(破滅)>しかない。


(Bruckner "Symphony No 9" Günter Wand / 56分44秒から

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ゲネラル・パウゼ(G.P.)を見つけるのが容易ではない社会となりつつある。CMばかりでなく、この国の政治にも当てはまる。安倍首相の言葉には残念ながらG.P.というものはない。読点(、)の代わりに「まさに」「いわば」と壊れたレコードのようにエンドレスで脈絡不明な言葉を繰出す。これでは会話・対話というものが成り立たたないことを前提としているかのようである。逆にトーン・クラスターは当てはまるだろう。相手には不規則発言を制しておきながら、自らは「ニッキョーソ」とか「民主党時代は」とかありとあらゆるノイズ的な微分音を集積し激高の上に破裂させて、相手からそれ以上質問させる意欲を殺ぎ落すからである。

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トーン・クラスターが音楽(安倍首相の場合は話法)である限りはまだしも、それが爆弾ともなれば「非人道」の破滅を意味する。

先般、国民の年金を管理・運用しているGPIFが、クラスター爆弾を製造している米軍事会社「テキストロン社」の株を192万株保有していたことが判明した。GPIFの担当者は「国内外の株式市場全体に投資しており、一部の企業を対象から除くことはできない仕組みになっている」と言い、政府答弁書は「クラスター弾を製造する企業の株式保有を禁止していない」とし、軍事会社への投資をやめる姿勢は一切示していない。GPIFを管轄する厚生労働省の担当者は「企業経営に影響を与えないようにするためだ」と言う。

投資の為なら人道には目を瞑るという政府の不作為。その原資は平和を希求する憲法を持つ国民の税金である。「武器輸出三原則」が安倍政権の下で解禁(「防衛装備移転三原則」)となって、憲法第9条に掲げる平和主義も「企業経営に影響を与えないようにするためだ」と同じ理屈で邪魔とばかり、憲法改正へと与党は動きを強めている。大義があれば戦争(武力的解決)ですら人道に悖らないとしたいのだろう。

「剣を取るものは皆、剣で滅びる」の言葉通り、その剣先がいずれ自らに向かうことに心すべきである。

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ビートルズの名曲「A Day In The Life」の中で、2箇所の間奏部分にトーン・クラスターを使っている。

トーン・クラスターは五線譜に音符で並べると真っ黒なブドウの房になる。「この世の終わりの音が欲しい」とジョン・レノンが言ったからだそうだ。


(The Beatles - A Day In The Life / 1分52秒と3分52秒から

キリスト教史観では、世界の終わりを迎えるその時に、7人の天使がラッパを吹くとされており、その終末の音こそ巨大なハム音=トーン・クラスター(アポカリプティック・サウンド)とされている。それをレノンは要求したのだろうか。今になってはわからない。


(Strange Apocalyptic Sounds WORLDWIDE)

(おわり)

追記:
『政府は14日の持ち回り閣議で、ナチス・ドイツの独裁者ヒトラーの自伝的著書「わが闘争」の教材使用について、「教育基本法等の趣旨に従っていること等の留意事項を踏まえた有益適切なものである限り、校長や学校設置者の責任と判断で使用できる」とする答弁書を決定した。民進党の宮崎岳志氏の質問主意書に答えた。(時事通信2017年4月15日報)』

「教育勅語」に続いての「教材に使用できる」との(内閣決議を経た)政府見解である。「教育勅語」が何たるか十分に知らない国際社会であっても、ナチス・ドイツの独裁者ヒトラーの自伝的著書「わが闘争」が何たるかその歴史的意味は十分知っている。それを承知であえて「わが闘争」を持ち出したのであれば、安倍首相は厳しい国際世論に晒されことになるだろう。部分を切り取って「有益適切」と肯定して使えるものであろう筈もない。時代の反面教師とするのであっても他に教材は山ほどある。

おそらく、「教育勅語」を肯定しようとする論理の浅薄さ(その歴史的背景を無視し部分を取って良いと言う)ゆえに『では、ヒトラーの「わが闘争」は、どう考えるのか?』と野党から聞かれても否定できないのである。「教育勅語」を庇うあまり「わが闘争」にまで言及したということだ。「まさに」「いわば」と脈絡なき安倍首相の言葉と同様、場なりの接ぎ穂的政治が露呈している。

立ち止まって熟考する(パウゼ)こと(パンセ)を一切せず、連鎖増長しどす黒い房となる(クラスター)安倍政治に狂気を感じざるを得ない。
posted by ihagee at 17:35| 音楽

2016年12月26日

ロシア機墜落で失われたもの


『アレキサンドロフ・歌と踊りのアンサンブル』のLP盤を私の父はよく聴いていた。

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「白系ロシア人は天賦の才なのか数人でも集うと見事なポリフォニーで歌い始めるが、あの日も次第に近づく彼ら兵士の朗々とした歌声ばかりが記憶に残っている。我が家は接収され、家財道具は次々と窓から中庭に放り出されて焼かれて、ピアノの上に掲げてあった劉生の油絵も奪われたのにね(拙稿「私と岸田劉生」)。野卑で無教養だと一目で判るような連中に美しい想い出なんて不思議なものだ。」などと、何度か父から聞いた覚えがある。

満州国新京での話で、その当時父は多感な青年。その父が戦後、勤め先で合唱サークルを起し、年金生活となって再びアマチュア合唱サークル活動に没頭したのも、この最初の出会いがあったからだと思う。

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(オレ・オラ会)

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そして、1970年の大阪万博。父母に連れられて、ソ連館のステージで歌と踊りのアンサンブル(アレキサンドロフのアンサンブルではないが)に触れ、同館のレストラン「モスクワ」で本格的なロシア料理を口にしたのが、私にとって初めてのロシア体験だった。その後、父の買ってきたスヴェシニコフの合唱団によるラフマニノフの「晩祷」の2枚組のLPの地の底から響き渡る歌声に圧倒され、エイゼンやズィキーナが民族楽器をバックに歌ったロシア民謡のレコードに親しみ、すっかり父の好みを受け継ぐことになった。このブログでもソ連邦を代表する歌手だったアンナ・ゲルマンについてエッセイ「星になった歌手」を上梓している。

ソ連時代『赤軍合唱団』と日本では呼ばれた彼らの訪日には右翼が街宣車で邪魔したりなど何かと困難な時期があったが、政治的イデオロギーとは関係なくボニージャックスやダークダックスの歌唱で日本語になったロシア民謡に我々は親しんだものだ。日本ではあまり知られていないが、メンバーの一人がロシア人の血を引くロイヤルナイツはソ連で圧倒的な人気を得ていた。今も彼らの訪ソ時のコンサートやラジオでのインタビューの様子がインターネット・ラジオで不意に流れてくることがある。

『アレキサンドロフ・歌と踊りのアンサンブル』はソ連時代からの映像が数々YouTubeでアップされているので、絶大な人気を誇ったハリトーノフも映像で確認することができる。


(「黒い瞳のコサック娘」ハリトーノフ歌・アレキサンドロフ指揮)

私の手元にもソ連邦崩壊前の同アンサンブルの演奏を収録したLDがある(引退したボリス・アレクサンドロヴィチ・アレキサンドロフが、万雷の拍手に迎えられ覚束ない足取りでステージから観客に挨拶するシーンが特に印象的)。

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(過去の演奏から抜粋したアンソロジー・愛聴盤でもある。)

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戦地慰問とはいえども、このような形で最期を迎えようとは思いも寄らなかった。文化使節として終えることが叶わないのはこの楽団の特殊な宿命かもしれない。彼らもいざとなれば銃を取って軍人としての役割を果たさなくてはならない(ハリトーノフが銃を構える映像をYouTubeで観たことがある)。兵士を鼓舞して戦意を高めなくてはならない。

彼らの独特なポリフォニー(勇ましさと悲しさ)の原点はグルジアにあると私は個人的に思う。あの独裁者スターリン(ジュガシヴィリ)を生んだ地。この楽団の出自はスターリン時代の祖国解放戦争下のソ連邦にある。ソ連邦崩壊後は政治・軍事的にロシアと「向かい合う」関係が長く続いたグルジア(現:ジョージア)だが、そのグルジアの大作曲家ギヤ・カンチェリのHerio bicheboを以って悼みたい(ジャンスク・カヒッゼの歌唱)。我々には想像もつかないような複雑な使命や背景を負って(或いは向かい合って)彼らが歌ってきたのだと思うとそれら全てに悼む気持ちである。


(Herio bichebo)

(おわり)
posted by ihagee at 18:18| 音楽

2016年11月12日

「普通の人間ではない」こと


今から150年も前のこと。フランスの片田舎、ある郵便局員が仕事の帰り道で石に蹴つまずいた。その石を拾って見ると不思議な形をしていた。それから来る日も来る日も彼は変わった形をした石を拾い続けた。それを夜な夜な積み上げ始めた。村の住人たちは一人で奇怪な建築を造り続ける彼を馬鹿者呼ばわりした。上司である郵便局長からも行動を問いただされたものの、彼はその趣味に情熱を燃やすのをやめることはなかった。



同じ頃、オーストリアの片田舎、ある作曲家は数を数える癖に取り憑かれていた。家々の窓、石、砂粒を数え、時計を集めてはその数を数える等、世の中数えられるものは何でも数えずにいられない程病的であった。事故や火事で非業な死に方をした人の遺体にも異常な興味を示し、仕事場の隣で大火事があったときも焼け跡に出かけて死体を眺めていたという。彼は交響曲を書いたが、作った際から、弟子たちの意見の数分、都度改訂してしまう癖まであった。そしてその作品は奇怪茫洋としており誰もその通り演奏しようとしなかった(演奏困難であった)。



フェルディナント・シュヴァルアントン・ブルックナーである。

シュヴァルの建築物(理想宮)は20世紀になってから文化財と評価され今に残り、ブルックナーの交響曲(習作・00番から未完の9番迄)は今やコンサートで普通に聴けるようになった。

その第8交響曲。1887年に完成した第1稿(初稿)は信頼を置いていた指揮者レーヴィからも難解困難な譜面ゆえに演奏を拒否されブルックナーは意気消沈したといわれている。そこで改訂した第2稿は1892年H.リヒター指揮ウィーン・フィルにより初演され大成功を収めたこともあり、改訂版や弟子たちや指揮者の筆の加わった改作(悪)版でブルックナーは長らく理解されてきた。しかし、近年ブルックナーの当初の意思が反映した原典版への再評価が高まり、代表作である第8交響曲も第1稿(初稿)での演奏が行われるようになった。

オーストラリアの女流指揮者シモーネ・ヤングがハンブルク・フィルハーモニーを振って録音した第8交響曲・第1稿(初稿)。いままで耳に親しんできた演奏版とは至るところで曲想が異なり新鮮極まりない。まるでシュヴァルの新たな理想宮が森の中から発掘されたかのようである。そして演奏もブルックナーの野人ぶりを余すところなく伝える剛毅さで細腕(?)でオケからこれほどの音価を引き出す力量は並大抵ではないと恐れいった。功芳さんの同盤のレコ芸記事は読んでいないが辛口評でなかったに違いない。第一楽章終結部などはこれまで聴いたこともないような展開で腰を抜かしそうになった。この部分、鬼面の大魔神が突如現れ人間を蟻かの如くに踏み潰す例のシーンを思い出させるような異様な雰囲気である。作曲当時の聴き手には刺激(デモーニッシュ)に過ぎたのだろう。第2稿ではカットされていた。第三楽章アダージェットも今まで聴き知っていたしみじみした悲しさではなく人目も憚らぬ号泣を思わせる慟哭である。釜の底が抜けんばかりの最終楽章エンディングの煉獄。そんな大展開があちこちに仕組まれている。



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変人・奇人といった「普通の人間ではない」は、芸術家として一つの優れた資質である。が、政治家にそれを求めるとどうなるか。そういうデモーニッシュな世の中になりつつある。危険だ。

(おわり)
posted by ihagee at 12:54| 音楽