日本文学の第一人者としてのキーンさん。それ以上に、クラシック音楽の造詣の深さに私は感銘することが多かった。戦前のメトロポリタン歌劇場から始まるキーンさんの鑑賞史は本当に興味深かった。野村あらえびす(野村胡堂)と並び立つ怒鳴門鬼韻(キーン)さんという位置付けだった。前者が専ら音盤、後者はコンサートホールの違いはあっても本業よりも熱の入り方が違う点では共通していると思う。
キーンさんを追悼する記事は、産経系では相変わらず「日本国素晴らしい・日本人凄い」の括りとして日本に帰化したキーンさんを手前勝手に持ち上げている。しかし、東京新聞のコラム(【ドナルド・キーンの東京下町日記】)で知るキーンさんはそれとは全く逆さの立場であることが判る。(東京新聞コラム『「日本人だから」戦争や憲法語る』)。
さらに 瀬戸内寂聴氏との対談本『日本の美徳』(中央公論新社)では、「私は日本人としてきちんと意見を言わなくてはいけないと考えるようになったのです」と「日本愛ゆえに改憲、原発、東京五輪を批判していた(リテラ2019.02.25付記事から)」。
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さて、大のクラシック音楽好のキーンさん。無人島に1枚レコードを持っていくとしたら、シューベルトの弦楽五重奏曲だと答えたそうだ。「この曲を最初聴いたとき、どうすれば人間はこんな音楽を作れたのだろうと思いました」と。
シューベルトが31才の短い生涯を終えるわずか数週間前に書き上げた楽曲でもある。なぜこんなにも早く死ななければならないのか神に向かって叫ぶような第二楽章をキーンさんの追悼としたい。
(Emerson Quartet & Mstislav Rostropovich )
(おわり)