2019年02月25日

ドナルド・キーンさん



日本文学の第一人者としてのキーンさん。それ以上に、クラシック音楽の造詣の深さに私は感銘することが多かった。戦前のメトロポリタン歌劇場から始まるキーンさんの鑑賞史は本当に興味深かった。野村あらえびす(野村胡堂)と並び立つ怒鳴門鬼韻(キーン)さんという位置付けだった。前者が専ら音盤、後者はコンサートホールの違いはあっても本業よりも熱の入り方が違う点では共通していると思う。

キーンさんを追悼する記事は、産経系では相変わらず「日本国素晴らしい・日本人凄い」の括りとして日本に帰化したキーンさんを手前勝手に持ち上げている。しかし、東京新聞のコラム(【ドナルド・キーンの東京下町日記】)で知るキーンさんはそれとは全く逆さの立場であることが判る。(東京新聞コラム『「日本人だから」戦争や憲法語る』)。

さらに 瀬戸内寂聴氏との対談本『日本の美徳』(中央公論新社)では、「私は日本人としてきちんと意見を言わなくてはいけないと考えるようになったのです」と「日本愛ゆえに改憲、原発、東京五輪を批判していた(リテラ2019.02.25付記事から)」。

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さて、大のクラシック音楽好のキーンさん。無人島に1枚レコードを持っていくとしたら、シューベルトの弦楽五重奏曲だと答えたそうだ。「この曲を最初聴いたとき、どうすれば人間はこんな音楽を作れたのだろうと思いました」と。

シューベルトが31才の短い生涯を終えるわずか数週間前に書き上げた楽曲でもある。なぜこんなにも早く死ななければならないのか神に向かって叫ぶような第二楽章をキーンさんの追悼としたい。



(Emerson Quartet & Mstislav Rostropovich )

(おわり)

posted by ihagee at 18:34| 音楽

2019年02月24日

旧ソ連映画から






スタニスラフ・ロストツキー(Станислав Ростоцкий)脚本監督のソ連映画「ペンコヴォで起きたこと(Дело было в Пенькове)」(1957年) から、「愛するあなたには奥さんが А я люблю женатого」。


ヤーコフ・セーゲル監督のソ連映画「さらば、鳩たち(Прощайте, голуби)」(1961年)から

旧ソ連時代の映画のショートクリップ。お前はアカか左翼かと誰かに言われそうだが、芸術には、政治思想と関係ない良さがある。


チェブラーシカ(Чебура́шка)とわにのゲーナ(Крокодил Гена)。

(おわり)




posted by ihagee at 12:54| 音楽

2019年01月19日

首相のロマンツェ






1992年に遺灰がワルシャワに持ち帰られ、レフ・ヴァウェンサ大統領とジョージ・H・W・ブッシュ米国大統領が列席する中、ワルシャワ聖ヨハネ聖堂の地下霊廟に埋葬された。ポーランドの初代首相(1919年1月-11月)、ポーランド亡命政府(1939年)の指導者となった、イグナツィ・ヤン・パデレフスキ(Ignacy Jan Paderewski, 1860年11月18日 - 1941年6月29日)が半世紀ぶりに故国に帰った日であった。

偉大な政治家である上、彼はヒューマニストだった。夫婦で社会事業や寄附活動も行ない、貧しい農家の子女のために学校を開き、ナチスに占領された故国の解放のため、ポーランド回復基金を発足させ、財源確保のために何度か演奏活動を行なったのである。



( 映画 "Moonlight Sonata" (1937)で自作のメヌエットを弾くパデレフスキ)

そう、彼は一流の演奏家だった。


(ピアノ:アール・ワイルド)

そして、偉大な作曲家だった。このピアノ協奏曲の第二楽章(ロマンツェ)は実に美しい。この曲の楽譜をみた大作曲家サン=サーンスはこのロマンツェに痛く心を動かされたエピソードまである。

そして、名言を残した。
「一日練習を怠ると自分には分かる。二日怠ると批評家に分かる。三日怠ると聴衆に分かってしまう。」( “If I miss one day’s practice, I notice it. If I miss two days, the critics notice it. If I miss three days, the audience notices it.” )

自分に分かることだけでも練習を怠ることはできない。ひとを欺くことはおろか、自分も欺くことができない。

同じ首相であっても、ひとを欺くことに長け、何のタレントもなくただ血筋だけという人もいる。

(おわり)

posted by ihagee at 20:00| 音楽