2022年03月04日

同情の度合いは目の色に応じてはならない



「ロシア軍が進軍してきたことで、計算がまったく変わってしまった。何万人もの人々が都市から逃げ出そうとしている。さらに多くの人々が防空壕に隠れている」「しかしここは、失礼ながらイラクやアフガニスタンのように、何十年も紛争が続いている場所ではない。ここは比較的文明的で、比較的ヨーロッパの都市で、今回のようなことが起こるとは予想もできないような場所だ。」CBSのニュース・上級外国特派員のチャーリー・ダガタ氏がキエフから生中継でツイートした内容(2月25日)


「これはシリアからの難民ではなく、隣国ウクライナからの難民です。彼らはキリスト教徒で、白人で、ポーランドに住んでいる人々と非常によく似ています。」NBCのケリー・コビエラ氏

「青い目とブロンドの髪を持つヨーロッパ人が殺されているのを見ると、とても感情的になる。」BBCのインタビュー:ウクライナの元次長検事であるデヴィッド・サクヴァレリゼ氏

「彼らを見ただけで、その服装だ。彼らは豊かな中産階級の人々で、明らかに中東の戦争が続いている地域から逃げ出そうとしている難民ではない。北アフリカから逃れようとする人々でもない。隣に住んでいるヨーロッパの家族と同じように見えるのです。」アルジャジーラの英語コメンテーター、ピーター・ドビーの発言

以上、OUTLOOK、Seema Guha署名記事から(2022年3月1日付)

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ポーランドとの国境で何日も足止めを食らったウクライナのインド人学生たち。ウクライナ人のペットが先に国境を通過する。「結局は白か黒かだ。彼らはヨーロッパ人で、私たちはただのインド人だ」。

ニューデリー出身のムハンマド氏は、数日前、数百人の留学生とともにポーランド国境への立ち入りを拒否され、40マイル離れたキエフへの帰還を余儀なくされたという。

「この3日間に受けた苦しみは、これまで経験したことのない最悪のものだった」と同級生のジャイッシュは言う。「私たちは命の危険を感じていました」とムハマド氏は付け加えた。

2人の医学生は、ポーランド国境近くの検問所で凍えるような寒さの中、3晩過ごすことを余儀なくされた。気温はマイナス6度まで下がり、食料も水も雪を避ける場所もない。「近くの森から薪を集め、火をおこし、生き延びた。何人かの学生は低体温症になり始め、病院に連れていかなければなりませんでした」とムハンマド氏。

この1週間、アフリカ系、アジア系、カリブ海系の人々(その多くは学生)が、出国を阻まれた報告や映像を共有している。学生が暴行を受けたり、何日も国境を越えることを禁じられた後、低体温症の緊急治療が必要になったりするのを目撃した人もいる。

23歳のムハンマド氏と21歳のジャイッシュ氏は、先週ロシア軍が侵攻した際にウクライナに取り残された18,000人のインド人学生のうちの2人である。飛行機がキャンセルされたとき、彼らは陸路で国境を越えて脱出しようとした。金曜日に、彼らはリヴィウの国立医科大学の学生たちとタクシーで、ポーランドへの国境があるシェヒニ村に向かった。彼らは国境から4マイルほど離れたところでウクライナの警備員によって検問所で止められた。その検問所では、インドやパキスタン、ネパール、アフリカ諸国からの留学生が何百人も立ち往生していた。彼らはウクライナ人と分けられ、ムハンマド氏によれば、ウクライナ人だけが通されている。

「ウクライナ人は、犬や猫を連れて通っていました。」二人によると、検問所の警備員は群衆を統制しようとする際に暴力を振るい、人々を押し戻し、学生たちに銃を向けたという。「ある女性が地面に倒れたとき、警備員が彼女の髪を引きずっていきました」とムンバイ出身のジャイッシュ氏は言う。




彼らが記録した動画は、後にインドの国会議員Rahul GhaniがTwitterで共有したもので、国境警備員と確認される人々が空に向かって警告発砲し、フェンスで囲まれた検問所の入り口から人々を引きずり出す様子が映っている。

以上、openDemocracy、Adam Bychawski署名記事から(2022年3月2日付)

ヒューマン・ライツ・ウォッチは、「ウクライナでは人種差別と外国人排斥が依然として根強い問題である」と報告している。2012年、欧州人種・不寛容対策委員会(ECRI)は「ウクライナでは2000年以降、ユダヤ人、ロシア人、ロマに対する寛容さが著しく低下しているようで、他のグループに対する偏見も日常生活に反映され、商品やサービスの入手に問題が発生している」と報告している。2010年にKuras Institute of Political and Ethnic Studiesが行った世論調査では、約70%のウクライナ人が他民族少数派に対する国の態度を「対立」「緊張」と見積もっていることがわかった。(「ウクライナの人種・差別問題」wikipediaより)

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第一に、戦争報道はどんなジャーナリストでもそのキャリアの中で最も過酷な任務のひとつであり、ウクライナの紛争を取材している多くのジャーナリストは、信じられないほど困難な条件の下で信じられないほど重要な仕事をこなしているということだ。第二に、現在ロシアがウクライナの人々に対して行っている恐ろしい戦争の犠牲者に同情を持たなければ、私たちは人間ではない、ということである。

この2つの事実は、述べるまでもないほど明白で自明のことと思われるかもしれないが、私はこれから、その優れたジャーナリズムの重要な一面を批判し、私たちが戦争の犠牲者に対して持つべき同情心について論じようとするのである。

ジャーナリストが紛争をどう報道するかを理解するには、戦争の相対的な「重要性」や世界的な戦略的意義と、その犠牲者に同情すべき度合いを分けて考える必要がある。

ジャーナリストやニュース編集者は、ほぼ毎日、世界中のさまざまな紛争の相対的重要度について厳しい編集上の決定を下さなければならない。ある紛争はニュースのアジェンダをリードし、ある紛争はほとんど報道されない。そして、現在のウクライナ戦争のように、24時間、壁一面に報道されるような紛争もある。

超大国(ロシア)がヨーロッパで起こした戦争が、(良かれ悪しかれ)他の紛争よりも重要だと判断される理由は十分に理解できる。しかし、ある紛争がヨーロッパの地で起きているという理由で相対的に重要視されるということは、その紛争の犠牲者がヨーロッパ人であるという理由で私たちがより同情的になるべきだという考えと混同されるべきではないだろう

残念ながら、この2つの問題を混同しているジャーナリストがあまりにも多いように思われる。

他の紛争を報道するときにはこの種の比較は使われなかったのに、犠牲者が「私たちと同じ」人々であるという比較をすることによって、ヨーロッパの犠牲者に対する視聴者の感情的なつながりを高めようとする報道は、彼らがヨーロッパ人であるからもっと評価すべきだというシグナルを送ることになる

ウクライナの民間人の犠牲者が第二次世界大戦の英国人犠牲者といかに似ているかを比較するジャーナリズムは、世界の他の地域の爆撃の民間人犠牲者と同様の比較がなされていないにもかかわらず、同様のメッセージを発信しているのだ。

以上、openDemocracy、Marcus Ryder署名記事から(2022年3月2日付)

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彼ら/彼女らが「青い目とブロンドの髪を持つヨーロッパ人」であるから悲劇であるとばかりに、視聴者の感情的なつながりを高めようとするマスメディアの報道には、「その紛争の犠牲者がヨーロッパ人であるという理由で私たちがより同情的になるべきだ」という無意識な差別バイアスが潜んでいる。

世界中から同情を集めるウクライナであるが、そのウクライナ自身は他民族に著しく不寛容である事実も知っておくべきだろう。ドンパス(ドネツク州とルガンスク州)のロシア系市民へのウクライナ政府の暴力を伴う不寛容(ウクライナ東部紛争)もまた歴史事実である(ミンスク合意後、紛争で1万3000人以上の死者が発生している)。

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紛争の相対的重要度が、地政学的観点よりも、紛争の犠牲者が青い目であるか否かに依拠し、あたかも「その紛争の犠牲者がヨーロッパ人であるという理由で私たちがより同情的になるべきだ」といわんばかりの欧米の報道(およびそれに追従する我が国のマスコミの報道)には、碧眼金髪のアーリア人が優れているというかつてのナチスの優生思想に繋がりかねない差別バイアスが含まれている。「戦争の犠牲者に同情を持たなければ、私たちは人間ではない」は然りだが、その同情の度合いは目の色に応じてはならない。

(おわり)

追記:



殊更に同情する我々はひょっとすると「名誉白人」などと勘違いしているのではなかろうか?そこらのアジア人と日本人は違うという差別意識までもがここでは働く。そういう同情の度合いと表裏となった差別意識こそが戦争を招く(ウクライナがそうであるように)。そうならぬためにもメディアの差別バイアスに乗ってはならない。

青い目の人々だから戦争を問うのではなく、どんな目の色・肌の色であろうと、戦争には「それでも人間か」と問うべきである。

”国民の多数が「それでも日本人か」と言う代りに「それでも人間か」と言い出すであろうときに、はじめて、憲法は活かされ、人権は尊重され、この国は平和と民主主義への確かな道を見出すだろう。(加藤周一)”

関連記事:旅愁・横光利一

posted by ihagee at 03:18| 政治

2022年03月03日

マデレーン・オルブライトの後悔


1993年から1997年にかけて米国国際連合大使を務めたマデレーン・オルブライトは、
「多重質問の誤謬」に答える罠に陥った。

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国連のイラクに対する制裁の影響、「50万人の子供たちが亡くなったと聞いています。つまり、広島で亡くなった子供たちよりも多いのです。そして、あなたが知っているように、その数はそれだけの価値がありますか?」

マデレーン・オルブライトは、この原因不明の死者数や制裁によるものを疑う代わりに、「それは非常に難しい選択だと思うが、その数はそれだけの価値があると思う」と述べた。

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彼女は後でこの応答についてこう書いた:
「私は夢中だったに違いありません。私はそれを再構成し、その背後にある前提に内在する欠陥を指摘することによって質問に答えるべきでした。…話をした途端、時間を凍らせてその言葉を取り戻す力が欲しかった。私の返事はひどい間違いで、急いで、不器用で、間違っていました。...私は罠に陥り、私が単に意味しないことを言いました。それは誰のせいでもありませんが、私自身のせいです。」

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「多重質問の誤謬」に答える罠:

関係するすべての人々によって証明または受け入れられていない何かを前提とする質問を行うと、回答者はコミットしてしまう誤謬。

例:
「ロシアはまだウクライナを殴っているのか?」
「ロシアは侵略戦争から足を洗ったのか?」

「はい」と答えても「いいえ」と答えてもその前提を認めたことになるという質問形式。

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プーチンが軍事侵攻を起こすよりも遥か前から、バイデン政権は国際社会相手にこのような質問を畳み掛けていた。どう国際社会が答えてもロシアは「悪」となるように。プーチンはミンスク合意に基づくドンパス(ドネツク州とルガンスク州)の「自決権」の尊重を理由に、力による現状変更に及んだ(ウクライナ侵攻)。

そしてオルブライトがそう答えたように、ロシアという大国がその国民共々転覆するだけの「価値のある制裁」は正当化された。「力による現状変更は許されないこと」は当然でありロシアの軍事侵攻自体は強く非難されるべきことではあるが、「国際社会と連携しながら強い思いを行動として示す(岸田総理大臣)」のあまり、ウクライナとは比較にならない地政学的不安定をその「価値のある制裁」の結果としてロシアおよび我が国を含む周辺地域にもたらして果たして良いことなのだろうか?

そして、この制裁が巡り巡って「実質実効為替レート」が暴落中のルーブルよりも低い円である(「アベノミクス」に始まる異次元金融緩和政策によるスタグフレーション突入=実質「自主経済制裁」状態とも言える)我が国経済の首を締めることにもなり兼ねない。

「時間を凍らせてその言葉を取り戻す力が欲しかった」と後々「価値のある制裁」を科した側が悔やまないように程々冷静になることが求められる。

(おわり)

posted by ihagee at 04:54| 政治

2021年11月01日

衆議院議員選挙結果への一言



少なくとも私の周辺の人々の政治意識が「またも」反映されない衆議院議員選挙結果となった。<現実感>がないバーチャリティの臭いが芬々とする。(2017年10月23日ブログ記事から)

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前回と同じ所感を繰り返さざるを得ない。その上でさらに維新の全国的な躍進という懸念材料まで生まれた。コロナ禍を利用し緊急事態条項を憲法に創設する与党補完勢力の大躍進という意味である。

「社会不安、社会危機を解消するため、個人の自由を大きく制限することがあると、国会の場で決定していくことが重要だ(吉村洋文・大阪府知事会見 / 2021年4月23日)」

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" 「コントロールのない権力が、危機の常態化を理由として、内側から立憲主義をむしばんでいったり、立憲主義的な統制がやぶれていくということを過去の歴史上、繰り返してきた。」(2016年5月2日付弁護士ドットコムニュース記事から引用 / 石川健治東京大学教授(憲法学))"

「社会不安、社会危機を解消するため」。何を以って社会不安なのか社会危機なのか、それこそ法律に定めれば無限定になるその他の法律で定める緊急事態を含むからこそ、私権制限論から発する緊急事態条項創設(憲法)はその目的(「社会不安、社会危機を解消するため」)と手段が整合せず、その目的に隠された動機があると、我々は用心しなければならない。

その目的とは緊急事態条項を以って、司法国家から行政国家への、すなわち、「国家」「国家権力」が「個人」の生存する権利を縛るという大転回(革命)である。「国家が人の人格的生存を侵すのは国家の誤作動。国家が人権に対していくらでも条件をつけることができてしまう。(小林節慶大名誉教授)」

この誤作動は2011年大震災を境にして、「私がそう思えば法律」と憲法まで閣議決定で自在に政治解釈する安倍政権で繰り返されてきた。

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そして、コロナ禍を利用したこの大転回・国家の誤作動が欧米諸国で起きている。

mRNA/DNAワクチン接種に関連し公衆衛生への公的関与を理由に「他者の選択の自由を認めないこと」から始まり、他者の生存権すら奪っても然り(ワクチンパスポート ・グリーンカードがない者の社会生活からの差別・排除)とする国家権力の台頭である。これは裏返せば、司法国家であれば問われるべき「政治家の責任放棄」も極度の行政国家ではもはや問われることはないということだ。

今般の衆院選挙の結果で、欧米で吹き荒れる上述の大転回・国家の誤作動がわが国でも愈々懸念されることになった。

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今回の衆院選挙は安倍政権下で続いた立憲主義的な統制の破れに対する国民の審判の意義が大きいが、その結果は思わしくない(<現実感>がない)。立憲主義的な統制の破れはそもそも投開票プロセスにあるのではないか?投票用紙に始まって開票・集計作業全般<選挙システム>の公正性は国民の監視に付託すべきと考える。

投開票プロセスが公正であるのか?すでにこの段階で「法の支配と秩序」がやぶれているのではないか?と疑いを持つことは重要である。なぜなら、投票用紙に始まって開票・集計作業全般<選挙システム>の公正性は国民の監視に付託されていないからだ(公職選挙法第204条に規定の選挙の効力を問うことは可能だが「門前払い」が横行し実質形骸化している)。

その<選挙システム>、特に自動開票・集計システムについて我々は全くブラックボックスに置かれている。読み取り・仕分け・集計に用いるソフトウェアのソースコードは一行たりとて開示されていない。投票所の係員の誰一人としてそのシステムの詳細を説明することはできないだろう。このように「法の支配と秩序」が主体的にこのシステムの内側を照らすことはないのである。

選挙という民主主義を支えるシステムの根本が、一民間業者(選挙機材メーカ)にほぼ寡占され(委ねられ)、且つその業者の企業秘密(ブラックボックス)は国民の知る権利よりも勝る状態であれば、そもそも、「法の支配と秩序」があるのかと疑っても当然だろう。

平たく言えば、薬局で用いる計量秤が狂っていれば、下手をすれば投薬された人の命に関わる大ごとと同じで、だから用いる計器は計量法の下で、国際的に統一された計量基準と各種計量器の正確さを維持するためのトレーサビリティの維持が義務付けられている。同じことがこと<選挙システム>には義務付けられていないのである。

選挙結果云々で開票・集計作業の公正を疑うのは負け犬の遠吠え・陰謀論(不正論)、などではなく、結果がどうであろうと、民主主義を支えるシステムの根本についてその公正性は常に我々有権者自身が問うべきだろう。投じた一票は命と同じ重さだからだ。

(おわり)




posted by ihagee at 05:54| 政治