2018年03月12日

「だったら辞める」と官僚を脅したのは誰か?



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平成29年2月17日の衆議院予算委員会において、安倍首相は学校法人森友学園に対する大阪府豊中市の国有地譲渡等及び当該学校法人の小学校新設に係る設置認可に関する質疑において

「私や妻がこの認可あるいは国有地払い下げに、もちろん事務所も含めて、一切かかわっていないということは明確にさせていただきたいと思います。もしかかわっていたのであれば、これはもう私は総理大臣をやめるということでありますから、それははっきりと申し上げたい、このように思います。」、また「繰り返して申し上げますが、私も妻も一切この認可にも、あるいは国有地の払い下げにも関係ないわけでありまして」、さらに「繰り返しになりますが、私や妻が関係していたということになれば、まさにこれはもう私は、それはもう間違いなく総理大臣も国会議員もやめるということははっきりと申し上げておきたい。全く関係ないということは申し上げておきたいと思います」

との答弁を行った。

学校法人「森友学園」への国有地売却をめぐる決裁文書の書き換えは平成29年2月末以降に行われた。「特殊性」に関連する文章も安倍昭恵夫人の名前もこの過程で消された。

さらに言えば、佐川前理財局長の国会答弁と辻褄を合わせるために改竄が行われたと報道されるが、その国会答弁(平成29年2月17日及び平成29年3月15日)よりも先に安倍首相の上述の答弁があった。辻褄を合わせるとなれば時系列的に安倍首相の「だったら辞める」になる。佐川氏が自分本位の論理に辻褄を合わせる必要は一分たりとてない。辻褄を合わせる対象こそ、安倍首相の「だったら辞める」に他ならないだろう。

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つまり、安倍首相の「私や妻が関係していたということになれば、まさにこれはもう私は、それはもう間違いなく総理大臣も国会議員もやめるということははっきりと申し上げておきたい」の言葉が、佐川理財局長(当時)をして近畿財務局に「関係していないということ」になるよう改竄を教唆しているに他ならない

事実、その通り、佐川理財局長(当時)は「関係していないということ」を繰り返し国会で答弁していた。そして決済原本も答弁と同じ内容に改竄していたということである。彼が国税庁長官に昇進したのもこの過程(7月5日)で、「官僚の鏡」と讃えたのは安倍首相本人である。

何の作用点もなく本省の佐川氏が近畿財務局に大罪を働きかけることなどあり得ない。作用点が「私や妻が関係していたということになれば、まさにこれはもう私は、それはもう間違いなく総理大臣も国会議員もやめるということははっきりと申し上げておきたい」の言葉にあることは明白だ。

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具体的に「ああしろ、こうしろ」と言わずとも、「総理大臣の地位・国会議員の地位がかかっているんだぞ」と国会でこの国の自称最高責任者が凄めば、どうその言葉が波及するか時系列で追えばその通りの結果となっている。

佐川氏個人および財務省理財局・近畿財務局だけで、何のために役人としての存在理由まで自己否定をするような行為に及ぶ必要があるだろうか?逆に、そうまでしないと存在できない強烈な政治力が彼らに働いたと考えるべきだろう。その強烈極まりない言葉こそ、「私や妻が関係していたということになれば、まさにこれはもう私は、それはもう間違いなく総理大臣も国会議員もやめるということははっきりと申し上げておきたい」である。

この一言が「何のため」の答えでなくて、他に何を以って「何のため」だと言うのだろうか?

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安倍首相は12日午後、学校法人「森友学園」への国有地売却に関する財務省の決裁文書書き換えについて「行政全体の信頼を揺るがしかねない事態であり、行政の長として責任を痛感している。国民に深くおわびする」と陳謝した。

官僚に忖度を強いた安倍首相の存在自体が国難(癌)であった。おわびは不要。そんな詫びは聞き飽きた。国難(癌)は国政から取り除くしかない。「辞めなさい」と国民は国難たる存在にはっきり三行半を突きつけるべきだろう。安倍首相とお友達内閣がいまやこの国の最大の国難である。

(おわり)

追記:会計検査院「(決算原本は)2種類あると気付いていた」と明かすとの報道。
会計検査院が森友文書の調査に入ったのは平成29年3月(参議院予算委員会が国会法105条の規定を用いて同院に求めた)。気付きながら同年11月22日に「大幅値引きの根拠が不十分」「関連文書が廃棄されていたことで、経緯の十分な検証ができない状況だった」とする不可解な報告書を出している。調査の節穴というよりも意図的に隠していた可能性がある。さらに言えば、会計検査院は参院から調査を求められる以前に自らの調査権限で改竄前の原本を知り得る立場でもある。改竄前の原本の政権にとって不都合な記述の存在を官邸に内密に報告していたとしても不思議ではない。事実、安倍首相は会計検査院の河戸光彦院長と平成29年2月27日に東京・永田町のザ・キャピトルホテル内の日本料理店「水簾」で密談している。行政府を会計上監視監督すべき独立した機関の長と行政府の長と密会すること自体あってはならないことだ(このこと一つとっても安倍首相は法の支配に背く行為を公然と行っている)。この会合の席で、何が話し合われたのか、この会合の直前に佐川理財局長(当時)は「行政文書は廃棄したので交渉記録はない(その後存在が明らかとなるが)」と国会で答弁(平成29年2月24日)、その後に財務省での改竄・隠匿が始まったことを時系列で並べてみればいかなる政治力学が働いたのか明白だろう。

決済原本改竄は国会議員への偽計業務妨害罪に当たる可能性を指摘する声もある。その妨害の動機はすなわち、「(私や)妻が関係していた」という事実を隠そうとすること。すなわち、偽計業務妨害を率先したのは安倍首相本人と国民の大半は見抜いている。財務省自体に動機も改竄の作用点もない。動機と作用点を有するのはただ一人、安倍首相。その行政府の長が三権分立を犯すばかりか、国会議員=国民を騙したという重大犯罪の可能性が指摘されているのである。

ネットでは「泥棒がドロボーと叫んで逃げる」とあったが、盗む動機も盗んだ行為も一人に集約されるのに、その当人がドロボーと叫んで逃げる姿は狂言に等しい。安倍首相は人を騙すために作り事を仕組み過ぎた。今はただドロボーと叫んで逃げるしかない泥棒なのかもしれない。

posted by ihagee at 18:23| 政治

2018年03月11日

安倍政治との決別



学校法人「森友学園」への国有地売却に関する決裁文書が書き換えられたとされる疑惑。

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佐川宣寿国税庁長官がその職を辞したばかりでなく、朝日新聞の報道を裏付けるかの如く2016年6月に森友学園側と国有地の売買契約を結ぶ際に作成された決裁文書などで複数箇所にわたる書き換えが行われたことを財務省が認める模様である(3月12日にその旨を国会に報告予定)。

佐川氏は国会で「事前の価格交渉はなかった」などと答弁。森友への国有地売却の「特殊性」を否定していた。しかし決済原本には「特殊性」およびそれを示唆する複数の記述があり、国会での答弁に合わせて決済原本の書き換え(削除など)を近畿財務局内で行われ(局内の担当者は自殺)、その書き換えを佐川氏(当時理財局長)が指示した疑いが濃厚となっている。

「特殊性」とは政治力が官僚に働いたということに他ならず、その森友学園の籠池泰典(当時理事長)が国会で「神風が吹いた」と証言したように安倍総理大臣の政治力による便宜供与を示唆している。

「私も妻も認可、国有地払い下げに関係ない。関わっていたら総理大臣も国会議員も辞める(衆院予算委員会・安倍総理答弁)」の「関係ない」に辻褄を合わせるかのように佐川氏(当時理財局長)は森友学園への国有地払い下げについて「すべての資料を廃棄した」と国会で答弁し(廃棄したとされた資料はその後存在が確認されている)、関係性を示唆する文言の全てを決済原本から削除するなどの改竄が行われた。

そのこと自体も政治力が働いたということに他ならない。官僚が自らの利害ではなく、特定の政治権力の利害の為に敢えて大罪を犯す。そのあたりを酌んだ官僚を「官僚の鏡」と称え昇進させたのも安倍総理に他ならない。

「森友学園」問題に端緒し、安倍政治なるものは事実(ファクト)の虚飾・粉飾を前提とすることが明々白々となりつつある。「アンダーコントロール(安倍総理)」に始まる『原発は国家ぐるみの壮大な「粉飾決算」』(城南信用金庫の前理事長・吉原毅氏)(拙稿『国家ぐるみの壮大な「粉飾決算」』)、内閣府による名目国内総生産(GDP)の嵩上(粉飾)の疑惑(拙稿「粗忽長屋と安倍政治」)等々、財務省に限らず全ての中央官庁に於いて、安倍政治に都合するように公文書の虚飾・粉飾・政治的解釈が疑われる状況にある。それらを官僚人事権をちらつかせながら官邸が中央官僚に暗に強要する図式がその背後にある。

事実(ファクト)を軽んじるばかりか都合良く書き換え、嘘も押し通すことを中央官僚たちに常識化させたのも安倍政治であれば、それは国家の基盤をシロアリの如く根底から破壊する行為である。その破壊的国家観に沿って憲法そのものも書き換えられるのであれば、こんどは我々国民の生存する権利までが政治権力の都合次第で破壊される。近畿財務局の担当者が追い込まれて自殺したように死ぬことを公然と我々国民に強要する国家となる(拙稿『「個人」か「人」か(憲法第13条)』)。

嘘を押し通すために嘘だとバレないように特定秘密保護法を施行し、国民の知る権利を阻害するばかりか(非開示)、義憤に駆られ事実(ファクト)を明かそうとする者に対しては思想信条までこと細かに調べ上げいざとなればあらぬ濡れ衣を着せて個人の社会的信用(前川喜平氏の例)を貶め抹殺しようとする。表現の自由(言論の自由)にタガをはめ内心の自由(精神の自由)に土足で国家が上り込む(拙稿「カギのかかった箱の中のカギ(憲法第21条)」)。共謀罪とはその為にあるのかと思わざるを得ない。テロ対策といいながら、民主主義へのテロルを企てるものがその法律を希求するのも、表現の自由(言論の自由)によってその行為があからさまにされることを怖れてのことかもしれぬ。

世耕大臣の鶴の一声で経産省の執務室を常に施錠し閉鎖する行為(他省は必ずしも追随していない)も表向きはセキュリティ管理だそうだが、国民の知る権利に対する明示的なロックアウトだ。やましくなければ扉は閉ざされることはないはずだ。国民の知る権利を犠牲にしてまで官公庁のセキュリティを優先する理由は一つとしてない(憲法にそんなことは一つとして書いていない)。

自民党内では決済文書への「改竄」は「訂正」の範囲で誰の指示にも依らず役人が自分の判断で行ったことだ・「訂正」ならば微々たることだ、と国民に説明し、政権への責任波及を避けようと画策が始まったようだ。「改竄ではなく訂正はあったようだ。そのレベルだ。少なくとも近畿財務局内部の話とみられ、麻生太郎副総理兼財務相の進退問題には発展しない」(与党幹部の話・産経新聞3/11報)

とんでもない!訂正ならば訂正された事を文書上で残す(取り消し線を引き・決裁印を捺す)のが役人の仕事である。決済文書番号が同じでありながら、文言が削除されていたり書き換えられ、その痕跡を残さないことはすなわち「改竄」に他ならない。もしその程度の(微々たる)「訂正」の範囲ならば、佐川氏が辞職したり近畿財務局の担当官が自殺する必要はなかった筈である。「訂正の範囲」と言い、「近畿財務局内部の話」と言って、担当官の自殺すらそのレベルと貶める。死者への冒涜であろう。訂正の跡を残さぬ行為を「訂正の範囲」などと言い出しては、公文書の信用性が著しく毀損される。財務省の各種統計値や分析に疑念が生じることは政策ばかりでなく国家としての信用が堕ちることである。政権の政治力が行政に国民を欺く行為を強いていたとすれば、それは国民に対する政権の詐欺であり重大な背信行為である。今は「改竄の事実」があればそれを素直に認め(「書き換え」=「改竄」)、元の事実をつまびらかにするしかない。安倍政権の存立云々などという話ではなく(当然に政権は責任を負いその座を去らねばならない)、この国の存立に関わる重大事だ。これこそ最大の国難と言って良い。決して問題を矮小化してはならない。

しかし、そうならないようだ。「改竄ではなく訂正はあったようだ。そのレベルだ。少なくとも近畿財務局内部の話だ」などと与党幹部が言うようでは。死んだ意味すら無意味にし「改竄」という事実すら政治力で無理やり改竄してしまおうとする、おそるべき病理に政権は冒されていると自ら明かしているようなものだ

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事実(ファクト)に背を向けるばかりか自己都合のためには勝手自在に解釈しても構わないという病んだ政治は要らぬ。われわれ国民は安倍政治と断固として決別しなければならない(拙稿「豚の独裁者(オーウェルの動物農場)」)。その安倍政治ばかりでなく、別の豚の独裁者に代わるだけの破壊的国家観を共有する自公維主体の政治にも。

(おわり)

追記: 東日本大震災(3.11)から7年。5年目で安倍政権は復興に区切りを付け光陰に関守なしの素振りであるが、被災地はあの日から時間が止まったまま、津波や東京電力福島第1原発事故の被害などで、依然として約7万3000人が全都道府県に散らばって避難している。岩手、宮城、福島の3県では、高台移転による宅地造成や災害公営住宅(復興住宅)の建設が進む一方、1万2000人以上が今なおプレハブの仮設住宅で暮らしている。原発事故がなければ復興も為っただろう。原発事故を未然に防ぐ手立てが講じられていればこのような状況にならなかった筈だ。

第一次安倍政権時の2006年には、すでに国会で福島原発事故と同じ事態が起きる可能性が指摘されていた。しかし、安倍総理大臣は、「日本の原発でそういう事態は考えられない」として、一切の対策を拒否していたのである。すなわち、福島の原発事故を招いたのは安倍総理大臣の不作為にその大元がある。リテラ記事「3.11に改めて問う安倍首相の罪! 第一次政権で福島第一原発の津波、冷却機能喪失対策を拒否した張本人だった」にその仔細が書かれている。

天罰を受けて当然の行いを「彼はした」。そして奇しくも7年目の3.11に漸くその罰が彼に下ろうとしている。放射能に汚染された大地と全ての生き物の呻きや不条理に亡くなった多くの原発被災民の声なき怒りの総和であろう。彼がいかに地上の法の支配者たろうと、天網は逃れられない。「今度こそ彼が天の声を聞く番だ」。

posted by ihagee at 06:23| 政治

2018年03月04日

いかさまの終わり・ファクトの始まりを期待する



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結論のためにファクトを捏造・改竄する。
京都大学iPS細胞研究所の山水康平助教が発表した論文のデータに捏造・改竄では山中伸弥所長が自ら責任を認め職を辞すると一時表明した。学術研究分野においてそれは禁じ手であるばかりでなく結論すら場合によってはフェイクとなる。結論(結末)を立てて話を自在に作り上げるのであればそれは小説や神話の世界(フィクション)だろう。結論に向かって原理や理論の存在を推測するまでは良いが、それに都合するデータを勝手に作り上げることは似非だ。山中所長に限らず心ある科学者であればそれは犯罪のみならず自己否定であり学術研究に対する冒涜と重大に認識することだろう。その意味で引責辞職は慰留されたものの山中所長の悔悟は深い。

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経済界では光学機器メーカー・オリンパスが1000億円超の巨額損失を約20年にわたって隠蔽し、負債を粉飾決算していた問題以降、上場企業において財務会計ばかりでなく製品の品質・安全に関わる技術指標の改竄が次々と明るみに出ている。コーポレイトガバナンスの崩壊は企業経営者の責任にとどまらず企業そのものの存立すら危うくするものだ。消費者に対する背信は市場からその企業は撤退を余儀なくされる。最悪の原発事故(産業事故)を引き起こしながら何らまともな社会的制裁を受けてこなかった東京電力についても、巨大津波の襲来を十分予見し得たデータを子会社が試算し東電に提示していたにも関わらず、逆に東電から「『計算の条件を見直し、津波が小さくならないか』と再計算を依頼された」という驚くべき証言が勝俣恒久・元会長ら旧経営陣3人に対する第4回公判(東京地裁)であった。結論(結末)=原発は安全である、を立ててその結論に合わせて都合の良い話を自在に作り上げる神話が罷り通っていた。大事故が起きたあとも、この結論は変わらないどころか「より安全(安倍首相)」とさらに神格化されつつある。曰く「福島の事故は想定外・不可抗力」「今は完全にコントロール下にある」と言い続けなくてはならない。想定内であったこと・何らコントロールされていないこと(放射性物質の挙動を抑えることなどできない・甲状腺癌など健康被害は深刻化している)が明るみになりつつあり、いずれ神話は破綻することだろう。

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そして政治の世界。

裁量労働制に関する厚生労働省の調査データをめぐる問題、学校法人・森友学園(大阪市)との国有地取引をめぐり、財務省の公文書の内容が契約当時とその後に国会議員らに提示したものとで違っている問題が次々と明らかになった。

データを不適切に取り扱った厚生労働省、公文書を改竄した財務省(財務省については公用文書等毀棄罪や証拠隠滅罪となり得る)に共通することは、結論(結末)を立ててその結論に合わせて都合の良い話を自在に作り上げる行動様式が根付いていたということだ。結論(結末)は悉く安倍晋三首相の公私混同職権乱用たる交友関係とまともな論考を経ない政策に関わっており、すなわち、その結論(結末)を立てたのは官邸である。中央官僚の人事権を掌握し審議官級以上、約600名の人事を内閣人事局において決定できる官邸であれば、結論(結末)に沿わない・意見をしたり反論する官僚はパージの対象でしかない。官邸に彼らが唯々諾々となり果てには公文書偽造に及ぶのもそういう圧力があればのことだ。役人として命取り以外のなにものでもないそれら罪名の付く行為を自己保身能力にひときわ長けた彼らが自ら選択するとは考えにくい。佐川宣寿氏を「官僚の鏡」と安倍首相は讃え、適任として国税庁長官に任命したことからも、「鏡」とは政権にとっての鏡となることを中央官僚に求め続けた結果が今回の問題となったと考えるが自然だろう。

安倍政権を「神っています(蓮舫議員)」と喩えたように、論じることすら封印し結論有りきの神がかり的政治がこの政権の本質なのかもしれない。神だから責任は問われないとばかりに自称最高責任者は未だかつて責任を取ったことはない。その神の意思に従っている限り不死身とばかりに官僚や経済人、マスコミまでが御託宣に盲従しその為なら現実世界ですらさらっと仮想化(異次元化)してしまう。神がかりが奇跡と同語であるように、客観性や論理を等閑にして、悪しき錬金術のように出まかせ・思いつきで試行錯誤したところで奇跡など起こりようもない。賭博・博打の世界にどっぷりと政権が浸かり、事実、その政策のギャンブル性は顕著だ。

金品を賭けた勝負事において見かけの確率(期待値)を相対する者に気付かれぬよう、実際は自分に有利な確率になる様、様々な手段を使い行う行為は、鉄火場では当たり前の「いかさま」。「いかさま」は鉄火場では日常であっても場外では詐欺でしかない。

安倍政権が博徒どもと共に場外に連れ出される日は近いかもしれない。その時になって初めてわれわれ国民は身ぐるみを剥がれすっからかんとなった我が身を知ることだろう。失うものが多すぎたと知るに違いない。安倍政権を誕生させたことを後世になって悔いるは将来世代である。将来世代に責任を負わないからこそ安倍政権は「いかさま」を続ける。「今さえ良ければ」と。

(おわり)


posted by ihagee at 05:00| 政治