2018年04月25日

バカとの戦い



もはや安倍政権云々ではなく、この国が壊れかかっていることに怒っている。(拙稿「0414国会前大行動・第一部参加」)

経済界「安倍続投」支持73% 総裁3選「望ましい」 ロイター企業調査

経済界までも安倍政権を擁護する至っては、
『おねだりするのは経済団体ではない、政治は市民社会のもの、企業社会のためでは国民の不信を招く。今の財界は節度を忘れている。』(戦中派財界人 品川正治氏の苦言(2007年))の節度をはるかに超えてしまっている。否、もう節度すらないのだろう。以下の菅野完氏の言葉を借りるなら、経済界までもバカの側にまわってこの国を壊しにかかっている。

政治家然り、官僚然り、司法然り、・・彼らがこの国の法治主義と知性を徹底的に壊しにかかっている。それでも良いと思う国民もいる。そういった連中を「バカ」と著述家・菅野完氏は括る。

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著述家・菅野完氏は「バカとの戦い」と言う。

"今起こっている対立は、「政権批判側」と「政権擁護側」の対立ではない。我が国を近代国家として維持しよう、我が国の法治主義を維持しようとする勢力と、その重要性を理解せぬ勢力との対立なのだ。もっと端的に言えば、知性を擁する勢力とバカとの対立なのだ。..... 先進国にあるまじきネポティズムとクローニズムの吹き荒れる様を目撃した。いわばこの一年我々は「バカにやられっぱなし」だったのである。"
月刊日本2018年5月号



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その通りだと私も思う。
安倍政権云々ではなく、その政権によってここまで壊されたこの国の法治主義と知性こそ、それで良いのか?と我々は問わなくてはならない。

(おわり)

タグ:安倍政権
posted by ihagee at 04:19| 政治

2018年04月18日

運・不運でかたづけるなら神仏の世界



ひょっとこ、口がひんまがっている面は別名「うそぶき」と言う。ひょっとこづら、と呼ばれて喜ぶ人はいない。ご愛嬌の程度を超えて、うそつき、と侮蔑するに等しいからだ。




また、ひょっとこ、には、その家が栄えるには「竈の近くに自分の顔に似せた面を飾っておけば良い」との伝承もある。異世界から子供をもらう・その子供が富をもたらす・その子供を邪慳にあつかって富を失うまたは没落することが日本各地に伝わるひょっとこ伝承の共通点だそうだ。

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経済成長感じない人は「よほど運がない」

"麻生太郎・財務相(発言録)
政権の安定があったからこそ、これまでの経済成長がずっと継続性を持たせられたのは間違いない事実であって、5年前より今の方が悪いという人は、よほど運がなかったか、経営能力に難があるか、なにかですよ。ほとんどの(経済統計の)数字は上がってますから。(吉田博美参院幹事長のパーティーのあいさつで)"

以上、朝日新聞デジタル 4/17報 引用

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一体、どういう話の流れでこういう発言をしたのかわからないが、随分と乱暴な物の言い方をするものだ。報道にある言葉だけでもこの人自身の「難」が判る。「運がない」とか「経営能力に難がある」とか、為政者が第一義に負うべき施政の結果責任を国民に転嫁する。そんな物言いで済むなら政治は要らない。安倍政権こそ「運がない」「政権運営能力に難がある」のではないか。

「運がない」については、拙稿『「運命でかたづける国民性」』で原発事故について以下のように述べた。

自然災害の範疇であれば、社会的に許容せざるを得ないリスクというものも存在するだろう。火山・地震・活断層・台風など。しかしそれら(原発事故)を「運命」とあっさりと住民に諦めさせるならそもそも政治も行政も要らない。運・不運でかたづけるなら神仏の世界である。

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麻生財務大臣は、政治も不要な神仏の世界にいるようである。アベノミクスなどの現政権の経済施策の総括を運・不運で語るのであれば、そもそもその施策自体が博打と同じだと明かしているのだろう。鉄火場の遊び人に国民を喩えて、運がない人もいる、と言うに等しい。その通り、博打的な施策であるから鉄火場の表現になるのだろう。アベノミクスの一体何本放ったか知れない矢も的矢だし、カジノ法案はまさに博打だし、異次元金融緩和は裏世界であって、ことごとくテキ屋の稼業である。ならば麻生大臣の物言いは素直と言えば素直である。日本会議なる異世界の詔に耳目を傾ける政治家が結集した安倍政権であれば、政治も不要なテキ屋か神仏の世界観なのだろう。

「(経済統計の)数字は上がってますから」の数字のいかさまさいころは識者から指摘されている通り(拙稿「牽強付会とは」)、公文書捏造・改竄を許す政府であれば、自らに都合する数字や統計を行政府に出させることも厭わないだろう。これもいかさま博打である。

この政権はファクトというものを軽視し、虚飾粉飾に勤しみ、騙す隠す脅すことばかり。しかもその結果責任は一切負わないばかりか、運・不運で片付ける。いかさま賭博の胴元と同じ。

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<民の竈(かまど)>、<民の炊煙(すいえん)>という言葉がある。庶民のかまどの煙の上がりを心ある為政者は見るというのだ。かまどの煙の上がりを見ず、鉛筆舐め舐め、官邸の顔を立てて官僚が創作した数字で作ったひょっとこ面を竃に飾っておけば良いそうだ。それで経済成長を感じない人は「運が悪い」とか「能力がない」とか・・。嘘を並び立てる「嘘八百」にもう耳を傾ける国民はいない。昔から嘘をつくと口が曲がるとも言う。その口曲がりの人が言うからには嘘だろう。

安倍政権の暗愚極まれり。

(おわり)

posted by ihagee at 03:46| 政治

2018年04月14日

0414国会前大行動・第一部参加


2015年8月30日に行われた安保法案反対の「総がかり国会議事堂前抗議デモ」以来、3年ぶりに「0414国会前大行動」に足を運んでみた。



曇天であったが幸い雨には降られず、有楽町線永田町駅に着いたのは午後1時だったが、今日はすんなり国会議事堂前まで出ることができた。3年前の「総がかり国会議事堂前抗議デモ」の時は、構内から警察の規制が厳しく、日比谷公園まで埋め尽くすほどのあまりの大群衆に何度も迂回した挙句、議事堂を遠くに見る位置までにしかアクセスできなかったことを思うと、今日は少し拍子抜けする程、参加者も規制も少なかったと思う。


(2015年8月30日・「総がかり国会議事堂前抗議デモ」での大群衆)


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以下は「0414国会前大行動」でのスナップ(筆者撮影・Casio Exilim EX-ZR10でのデジタル写真)。

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天気予報が安倍政権に忖度したのか「嵐になります」と予報したことも影響したかもしれない。実際は、多少風はあったが、まずまずの抗議日和だったわけだ。

それにしても、中高年以上の老人ばかりで、若者の参加が少ないのは一体どうしたことだろうか?安倍政治の結果(ほとんどが負の遺産)が将来に及ぶ世代なのに、今無関心を決め込んでどうするつもりなのだろうか?非正規雇用で将来設計が立たない若者は生まれた時からそれが普通だから比較軸を持たない、したがって、その不安定でも日々生きていけるならと現状肯定しか望まないともされる。今のままで良い・変化など望まないという内向きな意識が支配する若者層が安倍政権支持のコアを成しているとされる。そして安倍政権も民主党政権がいかに経済が悪かったかと"嘘" を彼らに刷り込んで、彼らに政治変革を望ませない意識を醸成してきた。ここら辺は、プーチン政権が盤石の国民からの支持を得ているのと同じだ。プーチン政権の諸悪を知りながらも、今日のパンが大事だとその政権を推す民意と大差はないのかもしれない。

私も含めて中高年世代や70歳台の老人世代では(戦後の成長期世代)、明確な比較軸がある。政治や行政がそれなりに知性と節度を持っていた時代や、働き手に安定した生活と将来設計(いわゆる終身雇用)を経済人が社会使命として考えていた時代である。私の父の世代(戦争世代)にはもっと明確な比較軸があった。それは時代性が培った嗅覚とも言える危惧感であった(拙稿「私たちはどこまで階段を登っていますか?」)。その戦争世代が社会の中心を構成していた時代であれば、安倍晋三なる政治家は決して政権は担えなかっただろう。その世代が消えて、残された比較軸は私を含む成長期世代であるが、若い世代からすればおそらく「良い思いしただけの世代」の扱いだろう。戦争世代のように「(戦争への道への)階段」を実体験として伝えることもできない。戦争世代がいなくなるのを見計らって現れた安倍晋三なる政治家の悪運の強さである。

新自由主義なる節度も使命も二の次三の次の経済功利第一・過労死・死ぬまで働けと、政財界が恥ずかしげもなく口にするようになったのは、小泉政権から始まりこの15〜6年の間の基軸であって、その間に生まれた今の若者世代は、「恥ずかしげもない」と我々成長期世代であれば思うことすら、知らないのだろう。

私の世代なら「社長になる」とか「家庭を持ち、一国一城の主になる」などと、子供の頃は大人を真似て大口を叩いたものだ。それもまんざら夢に終わらない時代があった。自分に夢を課し実現しようとした。社会も「◯◯君。君に期待するぞ」と大いに個人を叱咤し鼓舞してくれた。ところが、今の若者世代は自分を語らない。一人称ではなく「日本国」「日本人」なる全体のイメージで凄いだの、素晴らしいとの、妄想している。メディアを総動員して「君たちは凄いんだ・素晴らしいんだ」と夜郎自大・自我自尊の意識ばかりを増幅し錯覚させる。「◯◯君。君に期待するぞ」などと言う人もいない。なぜなら、彼らは使い捨てだからだ。そうして使い捨てられるのに、意識ばかりは、日本人や日本国で美しく括られてうっとりする。だから、一人称に戻ると途端に自信をなくす。まるで麻薬だ。安倍政権は若者たちにこの手の麻薬を処方しているのだろう。

嫌韓反中意識もその漠たる美しいイメージ(それが安倍首相の唱える「うつくしい国」なのだろう)の相対で作り上げている。そのように国民の意識を一人称にしたがらないのも安倍政権である。「(絶対的存在たる)個人」を認めず、「(国家と相対してしか存在しない)人」に憲法を変えてしまおうとするのも、若者に自分を語らせない、主権意識をもたせないとする、安倍政権の民主主義破壊でもある。

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しかし、たとえ比較軸がなくとも、論理的に考えれば、安倍政権の支離滅裂・デタラメさなどすぐにわかりそうなものだ。しかし、悲しいかな、それがわからない人々が3割の支持となって安倍政権の存続を望んでいる。

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等々と、大いに不甲斐なさを感じたが、主催者のシュプレヒコールは若者が率先し、集会の拠点では若者の姿も多く見受けられたのは、きちんと理解する若者は少数でもその声は強く逞しいということだ。もっと期待して良いのかもしれない。

私自身は、第一部(午後2時から3時半)のみの参加で、主催者発表参加人員は約3万人。上空を警察やら報道のヘリが飛び回ったが、この人数ではテレビで報道されないだろう。ヤフーのニュースでも扱いが小さく少ない。お隣の国では百万人規模の(民主化)デモが繰り広げられているというのに・・。

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"(国民は)もっと大きな声で怒りや疑念を訴えるべきなのに、デモに集まるのはせいぜい数千人規模でしかない。これがお隣の韓国なら、全国で百万人近い国民が怒りの声を上げてもおかしくないと思います。これほど酷い問題が起きても、日本人には権力に対して自ら異を唱え、それを目に見える行動で示すことを「良しとしない」雰囲気があるように感じます。

民主主義の基本はひとりひとりの国民が「主権者」としての自覚を持ち、自分たちの声を政治に反映させることに他なりません。ところが、日本は政治に無関心な人が多いし、関心があっても自分の意見を積極的に発信しようとしない人が多い。若い人たちに「民主主義の危機だ」と言っても「よくわからない」と答える人が多いし、高齢化で日本社会全体が保守的になっているようにも感じます。

政府も官僚も国会も司法もメディアも国民も、日本の民主主義を構成するすべての人たちが表面上はそれぞれの役割を果たしているように見えて、実際には「民主主義というお芝居」を演じているだけなのではないか?という皮肉すら言いたくなってきます。"

(仏紙「ル・モンド」東京特派員、フィリップ・メスメール氏)

お隣の国は大統領が次々とお縄になってなんてみっともない・・などと、言うのは大間違い。お縄にできる司法と民衆の政治意識があり、デモを繰り返しながら民衆が「主権者」である自覚を深めている。メスメール氏が我が国に指摘するような「民主主義というお芝居」からお隣の国は卒業しようと喘いでいるのだ。

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当ブログの趣旨として「0414国会前大行動」もフィルム撮影を試みた。
Zeiss Ikon (VEB) Tenax 1にIlford XR2 Super 400(24枚撮モノクローム)を、富士フィルムの連写カルディア ビュ〜ン16にKodak T-Max 400(36枚撮モノクローム)を詰め撮影した。

前者はましかく写真、後者は9mmフィルムムービーとして後日、ブログで掲載したい。

(おわり)

追記:
「0414国会前大行動」はその後参加者が増え、警察も規制線にびっしりと車両や人員を配置し例のごとく過剰警備となったようだ。鉄柵の檻にデモを閉じ込めようにも群衆の怒りの前に倒れた。当たり前のこと。しかし、テレビでは相変わらず、安倍首相は国民に納得のいく説明をすべきだ、などと性善説に立って「嘘をつく」者に語らせようとしている。なぜダイレクトに「もう嘘つきの説明は要らない。辞めてもらおう」と言わないのだろうか?「0414国会前大行動」に集まった人々の一人として「納得のいく説明」など求めない。嘘にこれ以上付き合うつもりはない、「ヤメろ」と声をあげているのである。安倍政権云々ではなく、この国が壊れかかっていることに怒っている。そうしてしまった我々主権者の不甲斐なさにも自ら鞭を打ちながら「ヤメろ」と声をあげていると私の目には映った。

posted by ihagee at 20:01| 政治