2017年11月10日

「二枚の舌に対して一つの耳」で良いという傲慢不遜さ



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"国会での野党の質問時間削減問題で、自民、公明両党は「与党5対野党5」で配分することを野党に提案する方針を固めた。複数の自民党幹部が明らかにした。国政全般について議論する衆院予算委員会は「与党2対野党8」が現行で、野党側は拒否する構えだ。" (朝日新聞デジタル・11/9報)

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質問時間の見直しを指示したのは安倍晋三首相。「これだけの民意を頂いた。我々(自民党)の発言内容にも国民が注目しているので、機会をきちんと確保していこう」と首相官邸で萩生田氏に話したという。

安倍首相にとって野党の質問とは、「我々(自民党)の演説を邪魔するような行為」なのだろう。つまり、国会質疑の場すら「我々(自民党)の演説」の場に変えようとしている。安倍首相が指を突き立てた「こんな人たち」が野党で、「邪魔するような行為」が野党からの質問、安倍首相はつまり耳の痛いことなど聞きたくないという、幼児なみの駄々をこねているに過ぎない。ここ数年の首相も含め閣僚の国会質疑での答弁能力の劣化は甚だしいものがある。憲法論で野党から質問を受けても安倍首相はシドロモドロになるばかりか珍説を披露し、稲田防衛相や金田法務相(当時)にあっては自ら答弁する能力がないとまで認める有様だった。従って、質問すらお断りせざるを得ない程、首相をはじめとして閣僚の質が劣化し「野党からの質問で失態を晒したくない・恥をかきたくない」から「国会での野党の質問時間削減」をせよ、と首相が命じたというところが図星だろう。安倍首相の顔色がことさら優れなくなる、もりかけ問題を糊塗するには「国会での野党の質問時間削減」しかないワケである。

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国会とは内閣行政府の施政をチェックするためにある。衆院予算委員会の質疑がそのチェックであり、与党(自公)であっても本来党内民主主義があるのなら、安倍首相に対して耳が痛くなるような反対意見・質問を与党議員が突きつけても全く正常なチェック行為である。ところが、与党(自公)議員は提灯持ち・茶坊主・腰巾着ばかりで全くチェックの体すらなしていない。質問時間を持て余し安倍首相を個人的に讃えたり般若心経を唱えたり文学論をぶったりと、与党(自公)議員は実質的な質問すらせずチェック行為を放棄している。つまり国会(国民)を軽視している。

従って、実質的にチェックを行う上で、国会での野党の最大使命とは質問を行うことに他ならない。「議席数にあわせるべき(自民党)」となれば、その野党の最大使命を軽んじ質問を減らしチェックをさせないということだ。

「これだけの民意を頂いた」ことがなぜ「実質的な質問を減らしチェックをさせない」こととイコールになるのか全く理解できない。「これだけの民意を頂いた」のであればこそ、「実質的な質問を増やしチェックをしてもらう」つまり、耳の痛いことこそ謙虚に聞く耳を持つのが政治の常道である。

"一枚の舌に対して二つの耳、それ故に君がしゃべる分量の二倍聞け。 Two ears to one tongue, therefore hear
twice as much as you speak. (拙稿「一枚の舌と二個の耳」)"

という有名な諺、これが天下の常道。上に立つものの常識だろう。

その常道・常識の逆なる「二枚の舌に対して一つの耳、それ故に君がしゃべる分量を半分だけを聞く」では諺にもならない外道・非常識である。安倍首相の傲慢不遜さもここに極まった。

(おわり)

posted by ihagee at 08:28| 政治

2017年11月09日

「いい国つくろう、何度でも」の主語



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(2011年9月2日の全国紙の朝刊全面広告・宝島社)


トランプ米大統領は日本に来る前、ハワイで"RememberPearHarbor"と呟き日本国の表玄関たる羽田や成田ではなく横田米軍基地に降り立った。米軍基地という日米地位協定上、我が国の主権の及ばない、つまり米国領土に我が国の外務大臣が「ようこそ」と笑顔で出迎え、巨大な星条旗を背に空軍のジャンパーを着込んで米軍人たちにまずは丁重に挨拶する。どれだけ不可思議な光景か今の若者は承知しているのだろうか?

第二次世界大戦敗戦国であるイタリア、ドイツ両国が冷戦後に大使館の土地以外の管理権を取り戻したのに対して日米地位協定は1960年以来、運用改善のみで一言一句改定されていない。このこと一つ米国に主張できず「日本を取り戻す」などと言うは笑止千万。だから、横田基地に降り立ったことを訪日とは言わない。川越の霞ヶ関カンツリー倶楽部のグリーンに降り立ったことを以って訪日であり、そんなフザけた訪日を斡旋した安倍首相の国家観は恥そのものである。外国の首脳であれば正々堂々と表玄関から入ることを言うべきだろう。過去訪日した米大統領は全て羽田を経て(我が国の法律に従って)<入国>をしている。だから、横田米軍基地を経てグリーンに降り立ったトランプは正確には<入国>すらしていない。米軍族と同じく入国審査を経ず(我が国の法律に従わず)に占領地を自由に歩き回ったことになる。天皇陛下が接遇するに当たってトランプ米大統領は国賓ではなく公式実務訪問賓客の身分と閣議了解したのも安倍首相は上述の後ろめたさを承知しているからだろう。

「戦後レジュームからの脱却」なる安倍首相のスローガンとは真逆の、占領下の日本に戻らんばかりの恥を安倍首相は受け入れたのである。

その恥を受け入れざるを得なかった米国占領下の日本は、1945年8月30日厚木飛行場に降り立った占領軍司令官ダグラス・マッカーサーの写真が示す通りである。我が国は未だ<真珠湾ー占領>の構図のまま、その構図に我が国の首相と称される者が最大限おもてなしを行いマスコミもこぞってこれを歓迎しているに他ならない。

3/11から間もない2011年9月2日の全国紙の朝刊などを見開きで飾った宝島の広告に異様さを感じ取った人は多い。その通り、広告から程なくして「日本を取り戻す」なる安倍政権が誕生した。「いい国つくろう、何度でも」の主語が岸信介⇨安倍晋三にとって米国(及び米国なる虎の威を借りた<日本主義>)であることは言うまでもない(拙稿「安倍晋三首相・座右の銘「至誠」が意味するもの」)。

「日本を取り戻す」なる安倍政権のスローガンの主語も米国であれば、安倍政権の諸政策にはそれなりに整合性が生まれる。おそらく祖父からの遺言なのだろうが、国家を国民ごと売ることだろう。中国も韓国もロシアも指導者は賢く立ち回り決して米国の駒になろうとしないのに、我が国の首相とされる者だけが駒に積極的になろうと腐心し、事実、北鮮に軍事的に対峙すべきは日本であると、トランプは北鮮問題を軍事的に解決すべき当事者は日本に他ならないといった発言をこのところ繰り返しているようだ。先の衆議院議員選挙で自民党に一票を投じた者に問いたい。米国傀儡政権の下で主権なき国民に堕して良いのか?憲法第9条の「戦争の放棄」、「戦力の不保持」、「交戦権の否認」は幣原喜重郎が対米隷属の我が国に残した奇貨というべき主権の砦である。憲法第9条に書き込んだ「平和の鍵(幣原喜重郎)」があればこそ日本は米国の軍事的な駒にならない国民の意思を曲りなりとも米国に示すことができるわけである(拙稿「憲法記念日・素晴らしい狂人」「"「日本国憲法自慢」はやめた方がいいです" はやめたほうがいい」)。

もし「戦争の放棄」、「戦力の不保持」、「交戦権の否認」を改憲で全て捨ててしまえば(「平和の鍵」を捨てれば)、日本は米国の軍事上の橋頭堡、経済上の植民地(噂される米日FTAの交渉如何によっては関税自主権たる国家としての主権を手放すことになる=植民地・属領と同じ)に過ぎなくなるだろう。



それでも良いと安倍政権を支持する人々は思っているのだろうか?

(おわり)




posted by ihagee at 02:35| 政治

2017年10月23日

衆議院議員選挙結果への一言



少なくとも私の周辺の人々の政治意識が「またも」反映されない衆議院議員選挙結果となった。<現実感>がないバーチャリティの臭いが芬々とする。

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(安倍自民党総裁・秋葉原駅前での立会演説会模様)


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(同上・動員された人々または支持者)


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(枝野立憲民主党代表・秋葉原駅前での立会演説会模様)


・・どちらがバーチャルであるかは一目瞭然。
通行人や一般聴衆を規制線の外に置かなければ演説一つできない安倍さんとは一体なんなのだろうか?警備上の問題よりも、安倍さんのメンツを保つために事前に色々とお膳立て(演出)しなければならないのだろう。それにしても国旗を自民党旗のように使って良いのだろうか?「安倍総理」と横断幕を掲げさせて良いのだろうか?日本国民=自民党員ではない。安倍総理大臣・首相=行政府の長。政党議員として活動するのなら安倍自民党総裁。

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デジタル社会になってからこの<現実感>のなさは社会の隅々まで顕著となりつつあるのではなかろうか?レンズばかりか被写体さえ不要なAI社会のカメラのような不気味さが忍び寄っている。バーチャリティでその通りの結果となるのなら、選挙自体不要なのではないか?と疑わせる程の<現実感>のなさだ。


(任侠映画ではお馴染み)


選挙前の与党やマスコミの予測通りの票割となっていることも驚きである。スパコンを用いた天気予報よりも予測精度が高いとは一体どういうことなのだろうか?昨年のイギリスの欧州連合離脱是非を問う国民投票でも米国大統領選挙でも予測通りにならない結果なのに、なぜか我が国の国政選挙では近年予測通りの結果が続いている。

「法の支配と秩序」が確立されていない国で横行している選挙システムの不正。我が国は「法の支配と秩序」が確立されているから不正など疑う必要はない。ということだそうだ。「法の支配と秩序」が確立されているか否か、<選挙システム>自体に我々国民の目は一切入っていない。だから、疑う必要はない、ことすら疑っていないのである。「法の支配と秩序」とはどこまでも国民の目が入ることであって、それがある先からは入らないというのであれば、そもそも「法の支配と秩序」の前提自体に「本当か?」と常に疑問を抱きチェックすることが本当の「法の支配と秩序」ということになる。意識なきシステムにどっぷり身を委ねていてはダメだ(拙稿『<意識なきシステム>で「世界一」となる国』)。投票前の時点で「世界一」の当落予測精度を誇る<選挙システム>がそれであってはならない。

つまり、投票用紙に始まって開票・集計作業全般(選挙システム)の公正性は国民の監視に付託されていないのである。平たく言えば、薬局で用いる計量秤が狂っていれば、下手をすれば投薬された人の命に関わる大ごとと同じで、だから用いる計器は計量法の下で、国際的に統一された計量基準と各種計量器の正確さを維持するためのトレーサビリティの維持が義務付けられている。同じことがこと<選挙システム>には義務付けられていないのである。公職選挙法第204条に選挙の効力に関する訴訟を選挙人などは提起できるとあるが、あまりに敷居が高い。

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公職選挙法第204条に規定の選挙の効力に関する訴訟を中央選挙管理会を被告として選挙人又は選挙候補者(候補者政党)が選挙の日から30日以内に高等裁判所に起こすことができる。手作業による再集計なり使用済み投票用紙のチェック(上述のマーキング等の細工の有無)を求めることもできよう。

「どうせ門前払い」と諦めることもない。地方議会選挙に係る過去の最高裁判例(最高裁判所第3小法廷判決/昭和31年(オ)第843号、最高裁判所平成14(行ヒ)95第一小法廷判決)では、選挙管理委員会以外の人間が行った不正であっても訴因となること、「選挙結果への異動を及ぼす虞がない(公職選挙法第205条第1項)」は選挙管理委員会が「虞がないこと」を証明できない限り、選挙の無効を訴えることができることを判示している。国政選挙においても同じであろう。

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さて、その<選挙システム>について我々は全くブラックボックスに置かれている。読み取り・仕分け・集計に用いるソフトウェアのソースコードは一行たりとて開示されていない。投票所の係員の誰一人としてそのシステムの詳細を説明することはできないだろう。このように「法の支配と秩序」が主体的にこのシステムの内側を照らすことはないのである。選挙という民主主義を支えるシステムの根本が、一民間業者に委ねられ、且つその業者の守秘義務は国民の知る権利よりも勝る状態であれば、そもそも、「法の支配と秩序」があるのかと疑っても当然だろう。



昨年、4月の衆院北海道5区 の選挙に関連して、上述と同じ趣旨の記事を掲載した。
以下、ブログ記事を再度掲載したい。(拙稿「<蟻の一穴・アキレスの踵> 選挙の公正」も同様の趣旨である)

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衆院北海道5区、自民党新人の和田義明氏=公明党、日本のこころを大切にする党推薦が当選した。

先日、行きつけの床屋の某週刊誌に阿川佐和子さんと岸井成格氏の対談が掲載されていた。

岸井 スポンサーがらみで言うと、これは自民党幹部から直接聞いたんだけど、「数字だって今や操作はいくらでもできるんですよ」って。
阿川 数字って、視聴率のこと?
岸井 そう。視聴率ってビデオリサーチ一社が測定していて、測定器を置いているのって関東地区で六百世帯くらいでしょ? 官邸はどこの家庭に測定器があるか全部知ってるわけ。
阿川 やだ、恐ろしい。
岸井 だから、もし本気で何かを操作しようと思ったら、方法がないわけじゃいない。「岸井さんも気をつけて」と言われました。

つまり、自民党幹部が岸井氏に対して、“視聴率などいつでも操作できるぞ”と告げていたというのだ。

大変気になる発言である。
この中で、視聴率がもし得票率であるとすれば、である。開票集計は以前は手作業で行われていたが、現在は機械による自動読み取りが主流のようである。実際に手書きされた文字と読み取った結果が一票残らず一致しているか否か、誰も検証していない。一票といえども権利である。今回の補選が自動読み取り機による集計であるのなら、手作業による再集計を池田真紀氏に投票した道民は要求すべきであろう

普通に考えても検証がないことはおかしい。仕事でもスキャナーを用いたOCRで画像原稿から文字起こしをすることがあるが、読み取った結果を目視でチェックせずにそのまま使うことは決してない。いかなる筆跡であろうとその画像データが正しく文字に変換されるOCRなどこの世に存在しない。したがって、読み取りに間違いがあることを前提に正しいかを後追いでチェックして当然なのである。選挙ともなれば絶対に必要なことであろう。

憲法というこの国の根幹まで都合解釈して捻じ曲げる政権だから疑いたくもなる。大もとで不正がまかり通るなら選挙の意味がなくなるどころか民主主義でなくなる。不正なき選挙結果であったことを事後再確認することは与野党を問わず異議がない筈である。誰も異議がないのであれば衆目監視の下、手作業で再集計すべきであろう

手書きの投票が電子投票にでもなれば筆跡や指紋といった証拠すら残らず、データの改ざんなど容易にできる。選挙という民意はどんなに手間がかかろうとも、機械ではなく人間の手と目を信用すべきなのである。機械に神話があってはならない。原発安全安心神話の崩壊で懲りた筈なのに、相変わらず<意識なきシステム>を神の如く信奉しそのご託宣に運命とばかりに身を委ねる我々の意識に大いなる問題がある。<選挙システム>に神話があってはならない!

我が国の表現の自由度ランキング72位の前後には、選挙制度に不正が横行する民主主義の後進国が踵を並べている。そんなランクに我が国を落とした安倍政権であれば、我々が同じ疑いの目を向けるのも当然。国連の表現の自由調査官を袖にしている場合ではない。選挙監視団が派遣されてくることすらあり得る国々と同じランクに落ちたと認識し、我々はこの国の「法の支配と秩序」を<選挙システム>についても疑うべきなのだろう。

(おわり)

posted by ihagee at 06:21| 政治