2020年01月25日

犯罪が経済成長の柱



特定複合観光施設区域の整備の推進に関する法律(平成28年12月26日法律第115号)は、カジノを含む統合型リゾート(英称:Integrated Resort、略称:IR)、いわゆる「IR整備法」。

その中でも「カジノ」が、我が国の経済活性化の “起爆剤” であると安倍首相は位置付けている。

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「カジノ」とは”賭博を行う施設の一つ。ルーレットやブラックジャックなどのゲームで金銭を賭ける場所。日本で言う賭場”。「賭場」とは ”賭博を行う場所のこと”。「賭博」とは ”負けた方は賭けた財物を失” うことを前提とし ”人の射倖心をくすぐり、時に中毒的な依存状態を招き、破産や人格崩壊に至り、果てには自殺、殺人に及ぶ場合もある” (以上 wikipediaから抜粋)

これが安倍首相に言わせれば「(我が国の)経済成長の柱 / 経済活性化の “起爆剤” 」だそうだ。

「賭博」は古来より法度。チンチロリンと賭け事にうつつを抜かすは自堕落。およそ真っ当なことではない、が我々の大多数が共有する道徳観である。”賭博を行う施設" である「カジノ」は、その開帳もそこでの賭け事も、刑法の賭博罪及び賭博場開帳罪との関係で言えば本来犯罪。しかし、「IR整備法」ではなぜか合法化されている。

合法化されようとも、人の不幸(破滅に至らしめる)を前提に成り立つことに変わりはない。ゆえに、人の不幸を前提に成り立つカジノ(”賭博を行う施設")およびカジノ産業を「(我が国の)経済成長の柱」などと言うは、「人を不幸にさせることが経済であり産業である」と言うに等しい。つまりは、アベノミクスの三本目の矢「成長戦略」の柱がこの「人の不幸を前提に成り立つカジノ」。

本来なら法度であり犯罪である「カジノ(国内3箇所)」のために内閣府の外局に新たな役所が新設された(「カジノ管理委員会」、特定複合観光施設区域整備法に基づく)。「人を不幸にさせる」ことで成り立つ経済・産業に、役所を作り国家公務員をあて税金を投入し「推進」する。

いつから、こんな情けない国に落ちぶれてしまったのだろうか?

国民一人一人の生き方や幸せに直結すべき国家の大計をその真逆の破滅や不幸に求める。反社会勢力・犯罪の定義すら一つとして持ち合わせない政権ゆえむべなるかな。不幸にさせ破滅させる側にのみカネが集まる。それはカジノに参入しようとする海外事業者に限らず、その働きかけに応じる政権中枢も同じ。IR法推進の担当副大臣だった者などによる汚職は、経済活性化の “起爆剤” たるカジノ(安倍首相弁)が事の始まりからしていかに筋悪であるかを示している。

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「桜はもう散った。早くこの問題から次の建設的な議論に移していかないといけない」(二階自民党幹事長)

その建設的議論に「カジノ」はあるそうだ。

”背中に見事に咲いた金さんのお目付け桜夜桜を、よもやてめえら忘れはしまい。散らせるものなら散らして見やがれ”

お目付け役はわれわれ国民一人一人。犯罪が経済成長の柱であって良いはずなどなし。

(おわり)

posted by ihagee at 07:43| 政治

2019年12月10日

執拗低音



ちきゅう座サイトに読み応えのある論文が引用掲載されている。一読をお勧めする。

日韓関係、浅井基文氏の論文―圧倒的な説得力(坂井定雄(さかいさだお):龍谷大学名誉教授)

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「今回の日韓の問題を議論する時に、誰も国際人権規約のことを言わないのは、私からするとまったく理解できません。(広島平和研究所所長 浅井基文氏)」

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衆参両院の過去数年分の国会議事録で「国際人権規約」を検索しても、日韓関係の文脈での「国際人権規約」の発言は見当たらない。「誰も国際人権規約のことを言わない」はその通りのようである。

日弁連の国際人権規約に係るパンフレットには、

”政府がこれまで、いわゆる「慰安婦」制度の問題を日本が規約を批准した1979年以前の問題であるとして、規約の国内的履行状況についての審査の対象からはずすことを(国際人権委員会に)重ねて求めてきた”

しかし、”国際人権委員会の「総括所見」で日本における国際人権(自由権)規約解釈のあり方に疑問を呈し” 総括所見22項で明確に上述の求めを斥けている、と記載。

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”1965年に日本が韓国との間で請求権の問題を解決する時にも、サンフランシスコ条約以来の国際的な理解に基づいて事を処理したということです。それは日本だけの主張ではなく、世界的に認められていました。しかし、その後、国際人権法が確立することによってこの主張・理解は崩れたのです。・・・日本も従軍慰安婦や徴用工の人たちに対して、謝罪し、補償しなければいけないことは当然です。(浅井基文氏)”

”2014年7月、国連の自由権規約委員会による「政府報告書審査」が行われ、国際人権基準に照らして日本の人権状況にどのような問題があるか、厳しいチェックが行われました。審査後に自由権規約委員会が発表した総括所見では、多岐にわたる人権問題について、詳細な懸念と改善を求める勧告が盛り込まれました。(公益社団法人アムネスティ・インターナショナル日本)”

国際人権法の最大の課題は、その国内的実施であるが、発効に伴い批准した国に法的拘束力を有する条約制度ではない。詳細な懸念と改善を求める勧告を行うのみであるが、

”国際人権法が確立した後、世界各国では過去にそれぞれの国が行った国際人権規約に違反する行為についての救済措置が講じられました。オーストラリア、カナダ、ニュージーランド、アメリカでは先住民族に対する謝罪や補償が行われました。アメリカは第二次大戦中に日系アメリカ人に対して行った隔離政策を謝罪し、補償しました。よく知られているものとしては、第二次大戦中の強制労働問題に関してドイツが作った「記憶・責任・未来」基金があります。そのように、国際人権規約をはじめとする国際人権法が確立されてから、各国で過去に国が行った行為についての謝罪や補償が行われるようになった ・・・安倍政権はだんまりを決め込んでいます。これは非常に不誠実であり、許されないことだと思います。(浅井基文氏)”

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「(前略)いわゆる日韓請求権協定におきまして両国間の請求権の問題は最終かつ完全に解決したわけでございます。その意味するところでございますが、日韓両国間において存在しておりましたそれぞれの国民の請求権を含めて解決したということでございますけれども、これは日韓両国が国家として持っております外交保護権を相互に放棄したということでございます。したがいまして、いわゆる個人の請求権そのものを国内法的な意味で消滅させたというものではございません。日韓両国間で政府としてこれを外交保護権の行使として取り上げることはできない、こういう意味でございます。(1991年(平成3年)8月27日参議院予算委員会外務省条約局長(当時)柳井俊二氏答弁)。」

外交保護権の行使の限りでは、権利は認めても請求は認めない(個人が行使することはできない)という外務官僚の見解。個人の請求権が国際人権規約に拠ることは一切触れずに政府の国際人権(自由権)規約解釈に結果的に沿った発言。柳井答弁以降、日本政府は国際人権(自由権)規約に一切触れずに「外交保護権の行使の限りでは、権利は認めても請求は認めない」と繰り返している。

参照:国際人権文書(条約及び基準規則等)

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”大和民族が統治した同質的な国”
”人権だけを食べ過ぎれば、日本社会は人権メタボリック症候群になる”
(平成19年2月25日伊吹文部科学大臣(当時)発言)
”(同質的な国発言について)特に問題あると思わない。そんなに相手を皆殺しにすることもなく、まあまあ仲良くやってきたということなんじゃないか”
”(「人権メタボリック症候群」という発言について)全体を読んでみれば問題ない。権利には義務がつきもの。義務には規律が大切とおっしゃっている”
(安倍首相見解)
安倍首相の人権意識に関する質問主意書」から引用)

浅井基文氏はその論文で丸山眞男氏の『執拗低音』なる言葉を引用している。伊吹・安倍両氏のこれら発言は『執拗低音』の最たるものだろう。

「既成事実への屈服」つまり、権力が作り出した現実に対して私たちは頭を下げてしまう傾向が非常に強く、上の者や集団に対して忠誠を誓う「集団的帰属感」と、「自分が悪いはずがない。悪いのは相手だ」との「天動説的国際観」とでも言うべき対外意識に支配されているのが我々日本人の意識の底に流れる『執拗低音』。

安倍首相の人権意識は、『執拗低音』に支配されるべきということらしい。「まあまあ仲良く」とか「義務には規律が大切」などと意味不明な見解からしても、そもそも人権の何たるかを一つとして理解していない。

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『執拗低音』がある限り、安倍的政権が存在する。我々自身が徹底的に意識変革をしない限り同じような政権が続くということでしかない。

日本は多民族国家になるという荒療治を通じて今の精神構造を打開することが不可欠です(浅井基文氏)。”

つまり、「万世一系の・・」とか、「しきしまの大和の国」、などと言ってる限りダメ。『執拗低音』のない人々をどんどん諸外国から受け入れて精神風土を根底から変えるしかないだろう。それで喧々諤々と誰に気兼ねせずおおっぴらに議論できる国にするしかない。「忖度」なんてあっという間になくなるに違いない。我々が共有していた美徳とか伝統は薄れ治安も今より悪くなるだろうが、『執拗低音』の下、為政者に息を吐くように嘘をつかれるよりは数百倍マシだろう。

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多民族国家なんて嫌だというなら、『執拗低音』の安倍政権しかないという究極の選択。ゆえに、良くも悪くも今の我々の煮え切らない精神構造の産物が安倍政権ということ。

”大和民族が統治した同質的な国” が日本国だ、多民族国家なんて嫌だというなら、『執拗低音』の安倍政権しかない。左とか右とか政治イデオロギー以前の我々の精神構造の問題でもある。

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(『学問と情熱 丸山眞男――響き続ける民主化への執拗低音』、ナレータ加藤剛
「紀伊國屋書店 ビデオ評伝シリーズ第30巻」 1997年/DVD再版、2004年)

(おわり)

posted by ihagee at 19:26| 政治

2019年11月18日

旭日旗考





2020東京オリンピック・パラリンピック競技大会に向けて、旭日旗の競技会場への持ち込み容認姿勢(IOC及び開催都市である東京都・日本政府)について、韓国を中心に国際社会で関心が高まっている。

外務省は11月8日、旭日旗を韓国語で説明したPDF文書「1.日本文化としての旭日旗」をウェブで公開した(日本語・英語・フランス語・スペイン語での説明も同様に公開)。

曰く、「旭日旗の意匠は,日章旗同様,太陽をかたどっている。この意匠は,日本国内で長い間広く使用されている。今日でも,旭日旗の意匠は,大漁旗や出産,節句の祝いなど,日常生活の様々な場面で使われている。」、等々、例示し、「皆さん,ご承知のとおり,旭日旗のデザインはですね,大漁旗や出産,節句の祝い旗,あるいは海上自衛隊の艦船の旗,日本国内ではですね,広く使用されておりですね,これが政治的主張だとか軍国主義の象徴だという指摘は全く当たらない。大きな誤解があるのではないかというふうに思っております。(菅官房長官・2013年9月26日記者会見)」を以て、日本政府の見解と締め括る。

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「1.日本文化としての旭日旗」とタイトルを付け「日本文化と旭日旗 」「市民生活と旭日旗」と写真にキャプションをつけておきながら、それらの例示として掲載されている写真は、よく見ると、旭日旗それ自体ではない

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「の意匠」「のデザイン」と記述。「旭日旗は、日章旗同様・・」「旭日旗はですね,大漁旗や・・」といった文言ではない。つまり、「日本文化」「市民生活」との件では旭日旗そのものについての説明ではなく、旭日模様(旭日の意匠に文字を組み合わせた大漁旗など)についてあたかもそれが旭日旗と同じとの印象操作に終始し、写真と文章から、旭日模様について「政治的主張だとか軍国主義の象徴だという指摘は全く当たらない」と言っているに過ぎない

旭日旗といえば「朝日新聞の社旗がそうではないか?」と指摘する向きと同じである。すなわち、「旭日昇天 万象惟明(旭は日の出=朝日ゆえ、朝配達する新聞に相応しい、昇るにつれてどんどん大きく明るくなり、世の隅々まで明るく照らし出す)」が社名の由来であると同じく、社旗も「旭日昇天 万象惟明」として一般に古くから知られていた旭日模様に「朝」をあしらったものであって旭日旗そのものではない。

つまり、旭日模様(記号表現)が一般且つ歴史的に「旭日昇天 万象惟明」なる概念(記号内容)を備えている点は日本政府・外務省の説明では正しい。朝日が昇りすべてを明るく照らす、その記号なり記号内容に何ら政治的主張だとか軍国主義の象徴はないのだろう。従って、旭日模様に〇〇丸などとあしらった大漁旗が何ら政治的主張だとか軍国主義の象徴ではない、とする説明は正しい。目出たい場での紅白の幕と同じく、ハレの日に漁民が伝統的に使っているだけの話である。「日常生活の様々な場面で使われている」「日本国内ではですね,広く使用されておりですね,」は、その範囲のことでしかない。朝日新聞の社旗もそれに含まれる。

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では、「旭日旗の意匠は、日章旗同様・・」「旭日旗のデザインはですね,大漁旗や・・」でも同じ説明がつくのか?つまり、旭日旗そのものはどうなのだろうか?果たして、「日常生活の様々な場面で使われている」「日本国内ではですね,広く使用されておりですね,」だろうか?

旭日旗そのものを海上自衛隊の艦船以外の「日常生活の様々な場面で」使う人々とは昔から相場が決まっている。つまり「政治的主張」「軍国主義の象徴」として掲げ、黒色の街宣車で軍歌を大音量で流し街宣する右翼ということである。彼らの戦闘的、無頼且つ異様極まりない街宣活動の旗印である旭日旗ゆえ、平穏な生活を願う一般庶民にとって、むしろ旭日旗は非日常の象徴・使うことのない旗、なる認識ではなかったのだろうか?


(弁護士 猪野亨のブログから画像引用 / 街宣右翼は旭日旗が表す概念の体系を正しく表現しているとも言える)

言うまでもなく、戦前の日本で旭日旗が表す概念の体系は悉く「政治的主張」「軍国主義の象徴」であることなどは、「敵の城頂に旭日旗を立てなければ戦いは休めぬ」、などの表現と共に一貫して過去の歴史史料(文書・写真)から容易に導出されることである。



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つまり、旭日模様(形式媒体)の言語的転回が「旭日昇天 万象惟明」であることは良しとしても、だからと言って、その言語的転回が「政治的主張」「軍国主義の象徴」でしかなかった旭日旗(形式媒体)までも、「旭日昇天 万象惟明」とあたかも同じかに錯誤させる日本政府・外務省の説明は甚だ作為的な印象操作である。

「旭日旗のデザインはですね」の発言の「デザイン」の示すものが、旭日模様(日常生活の様々な場面で使われている範囲・大漁旗や北マケドニア共和国国旗など)であって、旭日旗そのもの(海上自衛隊の船舶の旗)ではないことはその説明に付された写真からも判ることだ。旭日旗と模様が一番似ている北マケドニア共和国国旗はその旭日模様の元となる模様(ヴェルギナの星)については、ギリシャとの関係で互いに自国のシンボルとして政治的主張を繰り返してきた経緯があり、欧州の火薬庫と呼ばれ民族紛争が絶えないバルカン半島の同国の歴史・地政学的状況を勘案すればむしろ、「政治的主張」「軍国主義の象徴」としての旭日旗を補完する例示となっている。模様が似ているからと安易に例示しただけであり、「政治的主張」「軍国主義の象徴」の反証にならない。

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「旭日旗」とタイトルやキャプションを施しながら、さりげなく旭日模様の話に置き換え、旭日旗なる記号に歴史的に対を為す「政治的主張」「軍国主義の象徴」といった概念を隠し、「旭日昇天 万象惟明」なる概念(記号内容)にサラっとすり替えることは許されることではない。この記号論上の意味しているものと意味されているもの(能記と所記)表裏一体の対の必然と了解される体系をずらして、別の所記にすり替えてしまうのは、安倍政権(或いは霞が関官僚)の常套とする得意芸でもある(前提や論旨をいきなり変えて結論を牽強付会することなど..安倍首相の「いわば」論法やご飯論法)。

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先日、首都圏の電車の向いに座った女性のスマホに目が一瞬点になった。カバーにラッピングされていた旭日旗にである。帰宅してネット通販サイトを調べると、スマホカバーに限らず、旭日旗のステッカーやバッジがこれでもかと言うほど、販売されている。これらの殆どが日本製ではなく中国製であることにも驚くが、華僑は政治と商売は別に考えているのだろう。それでなければ、世界の津々浦々で華僑は商売できない。

旭日旗に惹かれる者たちは、「政治的主張」「軍国主義の象徴」とは思わず、単にカッコいいとか目立つとかの判断で使っているのかもしれない。歴史を少しでも学んでいれば街宣車に乗った戦闘服のヤンキーと同じ趣向は躊躇うことだろうが、成人の日の祝典での一部若者の特攻服姿などを報道で目にするにつけ、旭日旗を「日常生活の様々な場面で」使うことに何の違和感も意識も持たない人々が増えてきたと実感する。

意味しているものと意味されているもの(能記と所記)表裏一体の対の必然と了解される体系を壊し、不都合な歴史観(所記)を否定し新たな概念を加え飛躍させることに安倍政権はとても長けているので、その修正されて「飛躍・進化した」歴史観は従軍慰安婦問題など歴史問題に於いては「隣国からの執拗な嫌がらせ・恨み・妬み」と理解することになり、「やられたら、やり返せ」とばかりに隣国へのヘイト(嫌がらせ)の旗印として旭日旗を振り回すことに若者たちを駆り立てている。スポーツ競技で最近目にする通りである。

日常生活で旭日旗が使われる場面とわれわれが観念(想起)するのは今のところこの辺りに限られるのであって、決して「日常生活の様々な場面」ではない。

先の戦争で、旭日旗の言語的転回が「政治的主張」「軍国主義の象徴」であり、その意味しているものと意味されているもの対が必然と了解される体系が、その旗の下での支配に置かれた隣国(韓国)では今も厳然として在ることを我々は理解しなくてはならないだろう。それが旭日旗である。

オリンピックの旗(五輪旗)と同じく、その旗に意味されている内容にいかなる「政治的主張」「軍国主義の象徴」もないと、歴史史料を元に旭日旗について果たして言えるのか?史料を紐解くこともなく、「の意匠」「のデザイン」はですね・・と、問題の体系をずらした日本政府の説明に、国際社会から批判や疑義が上がるのは当然のことである。

旭日旗の代わりに菊花紋章を旗にして振ったところで同じことだろう。非日常の色目のはっきりついた風変りな旗など持ち込まず、せいぜい日章旗(日の丸)で良いだけの話である。オリンピック・パラリンピックで称えられるは個人であって国家ではないことは言を俟たない(オリンピック憲章の理念)。

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旭日旗と比較されることもあるハーケンクロイツ旗(国家社会主義ドイツ労働者党=ナチスのシンボルであり、ナチス政権下のドイツ国の国旗)。ハーケンクロイツ旗を国民が掲げることはドイツ国内では犯罪行為となり、旗そのものでなくとも、その旗なり模様を観念するデザイン(まんじ=卍も含め)も場合によっては法律上取り締まりの対象となる。

卍(まんじ)の鏡像がハーケンクロイツ(模様)。この卍は日本を含めアジアの国々では宗教上(仏教、ヒンズー教など)の幾何学記号となっている。その意味しているもの(卍)と意味されているもの(サンスクリット語では「おめでたいこと」「幸福」という意味)が対が必然と了解される体系が日本を含むこれらの国々にある。

実際に我が国では一般に地図記号として卍は日常定着しているが、欧米の人々からすると、たとえそれがハーケンクロイツと比較すれば鏡像であっても卍から咄嗟に観念するのは独裁政権・人種差別主義・ホロコースト等で、日本に訪れて彼ら・彼女らが地図や道案内に卍を見つけ一様に驚くであろうことは想像に難くない(ハーケンクロイツの表示が法律で禁じられているドイツ人なら固まるだろう)。

2020東京オリンピック・パラリンピックでの来日観光客増大に合わせ、国土地理院は外国人向けの地図用の寺院の地図記号として、外国人へのアンケート調査も踏まえ、日本を初めて訪問するなど日本になじみがなく、また日本の地図記号である卍記号を知らない外国人にもわかりやすいものとして、三重の塔のイメージの記号を提案し、パブリックコメントを集めた。

外国人の案内に役立つ地図記号を決定するにあたっては、国内で広く普及・利用されることが肝要であり、外国人へのわかりやすさとともに、国民の十分な理解が必要です。しかし、今回提案した三重の塔を寺院の地図記号として採用すると、記号のイメージと現地の状況との不一致等により外国人に不必要な混乱を招く可能性があることに加え、国民の十分な理解が得られて広く普及・利用される地図記号とは言えないと判断しました。」
(国土地理院・2016年3月30日)

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「外国人の案内に役立つ地図記号を決定するにあたっては」と言いながら、その「外国人」にとって少なからず卍(ハーケンクロイツとは逆でも)が観念する内容(独裁政権・人種差別主義・ホロコースト)の体系と、サンスクリット語では「おめでたいこと」「幸福」という意味になるわが国なりの別の体系を一々上げて、体系が異なることを説明することもなく、「外国人に不要な混乱を招く可能性」「国民の十分な理解が得ら(れない)」と、地図上の記号としての機能性に問題の結論を求めた。仏教徒やヒンズー教徒を除くその他の「外国人に不要な混乱を招く可能性」は、記号のイメージと現地の状況との不一致(全ての寺に三重の塔があるわけではない)などよりも、卍(ハーケンクロイツとは逆でも)が観念する内容(独裁政権・人種差別主義・ホロコースト)にあると思うのだが。地図上の表記に限ったことで、寺院の宗教活動上の卍表記を規制するものでは一切ない。ゆえに「国民の十分な理解が得ら(れない)」ことはない。

卍を寺院を表す記号として地図に残すとしても、むしろ体系が異なるのだから、上述の旭日旗「の意匠」と同様の説明が国際社会に対してできそうなものを。卍を記号論上の体系(ハーケンクロイツとの体系上の違い)の話に一旦上げてしまうと、日本に併合され、同じ記号論上の体系に組み入れられていた隣国(韓国)に対して、同じ体系下の旭日旗については説明ができなくなると思ったのかもしれない。ゆえに、旭日旗そのものではなく、日本固有伝来の旭日模様を以て体系をずらして説明を行ったのである

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卍は日本固有の文化であって、たとえそれがハーケンクロイツ旗と似ているとしても、日本人にとっては公有状態(パブリックドメイン)にあり他国にとやかく言われるべき筋合いではない(地図表記上)、と主張するつもりならそれでも良い。記号論上の体系が異なるから相手が納得するだけの合理的な説明も可能だろう。ところが、地図上の記号としての機能性に問題の結論を求め茶を濁したままにしている。

片や、日本固有の文化であり、オリンピックを観念するとしても我々にとって長らく公有状態に置かれてきた文字「五輪」については、IOCに日本国特許庁は商標登録を許した。即ち、「五輪」なる日本語文字について何ら我々と同じ記号論上の体系を有しないIOCに権利(商標権)を添えて体系を渡したことになる。「1.日本文化としての旭日旗」と旭日旗を後生大事としておきながら、同じ日本文化である「五輪」なる文字はその文化ごとIOCに差し出すということである。(拙稿『商標「五輪」はIOCのもの?(思考停止した特許庁)』)

我々が普段使いもしない旭日旗について隣国(韓国)相手に血道を上げ、パブリックドメインとなって慣れ親しんだ「五輪」は熨斗を付けてIOCに献上するということ。そのIOCの言うがままに開催都市たる東京は従っている。

類似した状況にも拘わらず、相手との力関係に応じて二重規範を多用する日本政府(つまり安倍政権)の在り方が問われている。

(おわり)

追記:
<相手との力関係に応じて二重規範を多用する日本政府(つまり安倍政権)の在り方>

我々が普段使いもしない旭日旗について隣国(韓国)相手に血道を上げ、かたや日米貿易協定(FTA)で食の安全保障をあっさりと放棄し「(米国に)食を握られることは国民の命を握られ、国の独立を失う」ことを良しとする。FTA協定が今国会で承認されれば、グリホサートまみれの食物やら遺伝子組み換え食物を日本人は世界で一番食べることになる。「安ければ良い」ということでは済まない結果が我が身に及ぶことになる。欧州人や米国民すら怖くて口にしない工学食物をせっせと摂り込むのは「日本人とメキシコ人と家畜」だけとなる。(参照:「食の安全保障を放棄する日米FTA 東京大学教授・鈴木宣弘」2019年10月15日付長周新聞記事より)

旭日旗など「美風なるもの」「自由競争、機会均等の美名」の陰で、「今さえ、カネさえ、自分さえ」と国民の命や国家の主権をせっせと米国に売り渡すお友達の丸抱えが安倍政権ゆえ米国が庇護するのは当然。真実を知ろうとする国民の耳目を「アンダーコントロール」と塞ぎ、ゆえに憲政史上最長の政権となった。美風・美名の下、国民の思考を停止させ、沖縄を犠牲にし原爆を落とされるまで戦争を止められなかったあの時代を繰り返そうとしている。第二のそして最後の敗戦は近いのだろう。



posted by ihagee at 18:08| 政治