2020年05月12日

検察庁法の一部改正に反対する



検察庁法改正法案を含む国家公務員法等の一部を改正する法律案。

”検察庁法改正法案によれば、内閣ないし法務大臣が、第9条第3項ないし第6項、第10条第2項、第22条第2項、第3項、第5項ないし第8項に基づき、裁量で63歳の役職定年の延長、65歳以降の勤務延長を行い、検察官人事に強く介入できることとなる。内閣ないし法務大臣の裁量により役職延長や勤務延長が行われることにより、不偏不党を貫いた職務遂行が求められる検察の独立性が侵害されることを強く危惧する。「準司法官」である検察官の政治的中立性が脅かされれば、憲法の基本原則である三権分立を揺るがすおそれさえあり、到底看過できない。少なくとも当該法案部分は削除されるべきである。”(日本弁護士連合会 2020年5月11日付声明

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検察庁法では、検察官の定年は63歳と定められており、1981年の人事院答弁でも、検察官に国家公務員法の定年制は適用されないという政府見解が示されている。しかも、人事院松尾給与局長は当初、「現在まで特に議論はなく、解釈は引き継いでいる」と答弁、閣内での矛盾が露呈するや、急場しのぎのつじつま合わせが行われた事態(森法相の答弁錯乱含む)は記憶に新しい。本来ならば2月退官だった黒川検事長の定年を1月末の閣議決定で半年間延長した。「検察官に国家公務員法の定年制は適用されない」との政府見解がある限り脱法的適用となるところ、法律(検察官法)の方を合法化すべく変えようとしている。この図式はオリンピック関連商標使用許諾(脱法行為)を合法化すべく商標法を改正した経緯と同じ(拙稿「大問題:スポンサーに対するオリンピック関連商標使用許諾は商標法違反」)。

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検察官に国家公務員法の定年制は適用されないとする過去の政府見解と、かかる見解に「現在まで特に議論はない」とする人事院答弁、不要不急の法改正(検察庁法)との世論にも関わらず、安倍晋三首相は定年延長(国家公務員法)により「知識や経験などを持つ職員を最大限活用し、複雑高度化する行政課題に対応する」と意義を強調し、今国会での法案(検察庁法一部改正)成立が必要だとの考えも示した。

”今国会での法案成立が必要” なる必要至急性(検察庁法一部改正)について安倍首相は何ら説明を行わない。検察庁法と国家公務員法の改正案などを一本化して審議するやり方は「脱法的」であり、検察官の定年延長部分を削除すべきとの野党の要求にも、「(法案の)分離は非常に難しい」と今週内に衆院を通過させる意向を記者団に表明した。(自民党・森山裕国対委員長)

「(法案の)分離は非常に難しい」が何故に難しいのかすら説明を行わない。法案国会提出を閣議決定したからには・・と言うのならば、一度閣議決定した補正予算案を組み替えた(収入が減少した世帯への30万円の給付から方針転換)ことはどうなのか?検察庁法一部改正が民意不在の明後日の方向であることは明白だろう。裏側から手を回し(搦手門)、国民の注意を払わない国家公務員法一部改正と抱き合わせで検察庁法一部改正の裏口入学をさせる(拙稿「<搦め手>好きの安倍首相」)。在宅勤務者が増えて、平日の日中にテレビなど見ない人々も国会審議中継を見るようになった。コロナ禍が奇しくも国会審議での安倍首相の性向たる搦手門での異様さを知る機会ともなった。

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現行法下では脱法行為となることを行うために、法律の方をそれに合わせて変えようとしている。「現在まで特に議論はない」にも拘らず。変える理由は後付けゆえにその必要至急性について与党は具体的に説明ができない。「知識や経験などを持つ職員を最大限活用し、複雑高度化する行政課題に対応する(安倍首相)」なる意義がなぜコロナ禍只中の今であって、それが検察庁なのか?

俺がルールブックだ」の俺なる安倍首相は「法案審議については国会でお決め頂くこと」と木で鼻をくくったような態度。しかし、内閣ないし法務大臣が強く介入可能となる検察官人事の射程が安倍政権に近いとされる検察ナンバー2の黒川弘務・東京高検検事長であるとの疑念は拭えない。河井夫妻の公職選挙法違反に関連し、県議や首長たちに配り回した現金の原資が官房機密費ならば、検察捜査は内閣官房、そして安倍首相に及ぶ。その検察捜査を検察官人事への介入によって抑え込んでいく意図が透けて見える。

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twitter: #検察庁法改正案に抗議します

その通り。検察庁法の一部改正に強く反対する

(おわり)

追記:
本来ならば2月退官だった(現行の検察庁法が定めに拠れば、また、検察官に国家公務員法の定年制は適用されないという政府見解によって)黒川検事長の定年を半年間延長した1月末の閣議決定は改正法を以っても合法化されないのではないか(法令不遡及の原則)?仮に検察庁法が改正され、黒川氏が検事総長になっても内閣が代わって先の閣議決定を取り消してしまえば法的根拠がない身分となる。

この点は、商標法改正を以って、法改正前の違法なライセンス活動が合法化されることはない(「オリンピック関連登録商標のライセンス活動の違法性は、商標法改正では解消しないということになります。」=法令不遡及の原則)となるオリンピック関連商標の違法ライセンス問題と同じである。(詳細は特許の無名塾:五輪知財を考える(弁理士:柴大介)ブログ「オリンピック関連登録商標の異議申立と違法ライセンス疑惑の狭間で(4):商標法改正では違法ライセンス問題は解消しない」中の《改正法の効果は過去に遡及するのか》を参照されたし)。
posted by ihagee at 02:37| 政治

2020年03月18日

民主主義の終焉を世界にアピールする安倍政権



海外メディア・ジャーナリストは、「嘘を本来的につく政治家」のスキャンダルにはさほど関心を寄せない。嘘をつく政治家が「明白になった」と言ったところで何の報道の価値もない。そんな政治家は牢屋に入れるか選挙で落とせばよいからだ。事実、「安倍総理大臣をはじめ、政治家がどう関わっていたか」を焦点に森友問題は海外で報道されていない。

しかし、森友問題を端緒に、日本国とは「嘘を本来的につく官僚・官庁」すなわち「法の支配のない国」であるとの論調は国際社会で日増しに高まっている。海外メディア・ジャーナリストも「日本国=法の支配のない国」には驚きを隠せない。詩織さんの事件が「日本国=人権のない国・差別に満ちた国」と海外で報道されるように、今後、「日本国=法の支配のない国」の観点での海外での報道が増えるだろう。そして海外投資家はたちまち反応した。上掲の記事にあるように、日銀は国民年金を溶かしてまでも株価対策(官製相場)をせざるを得ない程、我が国は投資市場で信用不安に陥りつつある。そんな国家の信用を我々は政治家のように取り替え一夜にして取り戻すことはできない。だからこそ国難となる。

国際政治に於いても、我が国の立場はパッシングされ始めた。森友問題を乗り切る代わりに民主主義の終焉を世界にアピールする安倍政権はもはや三流国の政権以下の扱いなのかもしれない。政権が苦し紛れに責任を官僚・官庁に押し付けて知らぬ顔をして、その結果は国際政治でのプレゼンスの低下となって現れている。

以上、拙稿「公文書が書き換えられてしまう国(日本独自の問題)」より

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「財務相の官僚が勝手に忖度したもので、私は一切関係ない」と安倍首相は言う。欧米ではこの言葉は驚きを以って受け取られている。政治家は嘘をつくが(政治家は嘘をつく職業だ)、官僚が嘘をつけば(官僚は法に従うから嘘をつく筈がない)国家として体を為さないのが欧米の国家観だ。ところが、安倍首相は「日本の官僚は嘘を付く・勝手に判断し法を侵す」と国際社会に喧伝しているのである。日本国の国際的信用を貶めて、どこが「美しい国」なのだろうか?安倍首相が真の愛国者であれば、少なくとも政治家が罪を被ってまでも国家の信用を守るだろう。それが「徳」というものである。息を吐く如く嘘をつく政治家が官僚までもそうだと言い放って良いのだろうか?

以上、「忖度」ではなく「教唆」より

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"なんかあたし怖いと思うんだが、海外の報道と日本の報道違くなってきたんだけど"(室井佑月氏)
表向き帳尻や辻褄が自然に合っていく「アンダーコントロール」の怖さである。

「ぼくの契約相手は国民です」と語っていた真面目な公務員が「手がふるえる 恐い」と自ら命を絶った怖さ。

安倍政権の我慾に発する数知れぬ違法・脱法行為の責任は、官僚・官庁(末端の公務員)に押し付け知らぬ顔をする。その国内向けの知らぬ顔は、日本国とは「嘘を本来的につく官僚・官庁」すなわち「法の支配のない国」であると国際社会に喧伝することでもある。科学データ一つ国際社会に渡すことができない(=粉飾する)と国際社会で疑われる。その結果は国際政治での我が国のプレゼンスの低下となって現れている(unseating)。

#安倍やめるな 頑張ろう日本祝日マーク安倍政権支持旗(祝日・日の丸)、で良いのか?良い筈などない!

(おわり)

posted by ihagee at 03:04| 政治

2020年03月02日

「子どもたち」をお為ごかしに使う



首相「緊急事態宣言実施も」新型コロナ、早期立法を強調(朝日新聞2020年3月2日記事

拙稿「新型コロナウィルスに乗じる厚顔」や「緊急事態宣言(北海道知事)の先」でも触れたが、政府の緊急事態宣言は将来の緊急事態条項(憲法改正)への布石となり得ることゆえ、我々国民はこの立法の趣旨と目的については十分監視をし、改憲の裏口入学を決して許してはならない(「<搦め手>好きの安倍首相」)。

「政府としてはあらゆる可能性を想定し」ておきながら、その「あらゆる想定」は詳らかにせず、公立小中高校などの一斉休校要請を以って「子どもたちへの集団感染という事態は何としても防がなければならない」などとなぜかやたらと唱えるが、肝心の「(学校内での)子供たちへの集団感染」の可能性を専門家は指摘していない。子供たちなど若年層に有意に症状が現れるとの知見もない(無症状病原体保有者はそれと確定されず、結果ウィルスを伝播している点については拙稿「感染の母集団を我々は知らない」参照)。

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専門家が最大懸念する集団感染可能性の一番近いケースである大都市圏の経済活動についてはあまり触れず、一番遠いケースの「子どもたち」を利用し、解決課題のハードルを下げて「やってる感」を創出しているように思えてならない。それどころか、緊急事態条項への布石に子どもたちを利用することまで考えているのではないだろうか?その子どもたちから将来人権を奪うことになる緊急事態条項に繋がるとすればとんでもないお為ごかしである。

この「子どもたち(の為)」なるお為ごかしは、憲法第9条の従来の政府解釈を恣意変更し、集団的自衛権行使の必要を国民に説明した際にもあった。

乳児を抱く母親とそれに寄り添う幼児のイラストを掲げて「子どもたち」をお為ごかしに利用したが、そもそも母子が紛争国から米軍の艦船で日本に向かう事態が集団的自衛権行使を必要とするストーリーなど現実味はない。日本政府から要請されて米軍の艦船が日本の母子を救う義務はない。安保法制懇報告書が想定するケースのなかで、集団的自衛権行使から一番近く現実味のあるケース(海外紛争地での武力介入=殺す・殺される)には触れず、一番遠いケースの「母子」を利用し、課題のハードルを下げてみせた。結果、憲法解釈変更にここでも「子どもたち」をお為ごかしに利用していた。殺す・殺されるという高いハードルをさり気なくクリアする為に、「子どもたち」を使った卑怯である。

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「学童保育に空き教室活用を要請へ 厚労省、感染拡大に伴う休校で(東京新聞 2020年3月2日付記事

では、なぜ休校を要請したのか?

「子どもたち」は緊急事態宣言(ゆくゆくは緊急事態条項)のお為ごかしだったということか。

(おわり)

追記:
所用があって最寄りの百均ショップに出かけた。
平日の日中にも関わらず、案の定、休校措置ですっかり春休み気分の子供達が大勢屯っていた。帰宅するとマンションのロビーでは数人の子供達がフロアに寝そべってゲームをしていたり・・と、教室の管理外に子供達を解き放った結果がこの有様。休校措置は自由気儘に子供達を行動・集団化させるだけのことであって、そもそもの「子どもたちへの集団感染という事態」への休校という措置が、一切管理されない場での集団化に変わったに過ぎない。これでは感染リスクはかえって高まったとも言える。その同じ場に感染弱者たる老人たちもいる。専門家でもない一首相補佐官のその場の思いつきを採用した「やってる感」のみの公立小中高校などの一斉休校要請であったことは、国会の安倍首相の答弁からも明々白々。政権の「やってる感」に子供達を借りたに過ぎない。専門家の知見を得た上、都道府県知事の判断で直ちに学校は授業を再開すべきだろう。確たる理由や根拠もなく教育を受ける機会を政治が奪うだけでも憲法に違反する。

posted by ihagee at 18:04| 政治