2022年03月19日

二つのウイッシュ・カード




「自由は血でのみ勝つことができます。あなたは私に血を与えます、私はあなたに自由を与えます」

ネタージの言葉を身近な人に送ってください。彼は、イギリスからインドを救うために血を望んでいました。

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マハートマーは、イギリスからインドを救うために一滴の血も望みませんでした。以下のエピソードを身近な人に伝えて下さい。

ガンディーは生涯で一度だけ肉を口にしました。その夜、ガンディーは一晩中お腹の中でヤギが話しているように感じました。それ以来、ガンディーは生涯を通じて肉を口にするばかりか触れることすらなく、非暴力に従うことを決心しました。

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「我々自由インド仮政府並びにその指導下にある全ての者は、米英帝国主義に対し、最後の決戦を開始しようとしており、我々の背後には無敵の強さを持つ日本の力だけでなく、東亜の解放を目指す各国民の総意と決意の自覚の下に、今や我々は不倶載天の仇敵撃滅という目的に向かおうとしています。」(1943年11月5-6日に東京で開催された大東亜会議での自由インド仮政府首班のチャンドラ・ボース演説から)


(演説を行うチャンドラ・ボース)


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" 私たちは彼らを改心させようとしているのです。私たちのものは、英国支配への非暴力の抵抗です。我々の党は、外国の支配者との間に、真剣でありつつ、しかも親しさのある論争を展開しています。しかしながら、この運動に、外国勢力の支援は必要ないのです。(中略)あなた方が「インドから歓迎をもって迎え入れられる」などという悲しい幻想に惑わされ、過ちを犯さないようにお願いしたいのです。”(ガンディー・「すべての日本の人々へ」と題する手紙(1942年))

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ネタージ(チャンドラ・ボース)の「気迫と祖国愛」に衝き動かされた日本は自由インド仮政府の決戦に軍事支援(派兵)を行なった。その当時の日本国・日本人一般が描いていた「大東亜共栄圏」なるアジア主義と軍事派遣主義(アジアの平和を西洋文明の暴力から守るための戦争)という「アジア幻想」である。しかし、その幻想の果てがインパールだった

“英国領インド帝国北東部の都市であるインパール攻略は、作戦に参加した殆どの日本兵が死亡したため(公称7万2,000人)、現在では『史上最悪の作戦』と言われている。・・・インパールでは当時の戦闘を「日本戦争」と呼んでおり、巻き込まれて死亡した住民が237人いる(wikipedia)”

1947年8月15日、ジャワハルラール・ネルー(Jawaharlal Nehru)は英国からのインド独立を宣言した。「あなた方」ではなく、インド人自身の手による運動」で勝ち得た独立である。

偉大な魂「マハートマー(महात्मा)」は「アマン(平和)」を希求し実践する者にだけ与えられる尊称をインド人はガンディーに与えた。インド人にとって今も「偉大な魂」であり続けている。

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書斎の壁に掛けていた二人の偉大な科学者の肖像(アイザック・ニュートンとジェームズ・マクスウェル)を或る日、アルバート・アインシュタインは別の二人の肖像(アルベルト・シュヴァイツァーとマハートマー・ガンディー)に掛け変えた。世界のさまざまな恐ろしい暴力的なできごとを耳にした後のことだった。

アインシュタインは科学の謎を解きながら、宗教、精神性、自然、想像力などの主題について熟考し、科学に乗るエゴイズムという一方的な合理主義が人類全体の危機になると帰結した。その危機を克服したマハートマー・ガンディーに非暴力、謙虚さ、奉仕を見出し、また、西側の人々の中でマハートマーの考えを最も深く理解したシュヴァイツァーにそれらの正しさの完璧な例証を見出したのである。


(Albert Schweitzer: Reverence for Life - Documentary Preview)


「成功の絵を奉仕の絵に置き換える時が来た(アインシュタイン)」

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ウクライナのゼレンスキー大統領が、我が国の国会でビデオ演説を行うようだ。そのウイッシュ・カードはどうやらネタージ(チャンドラ・ボース)の言葉のようである。

ネタージがかつて我々にも血を求めたように、その求めに応じるが如く、「日本・ウクライナ友好推進議員連盟会長」兼「自民党憲法改正推進本部長」森英介氏(元法相)は、緊急事態条項を含む憲法改正議論を加速化させている(「ロシア軍と戦うウクライナ人の気迫と祖国愛」(森英介氏・2022年3月11日付毎日新聞記事

「愛国者は常に祖国のために死ぬことを口にするが、祖国のために殺すことについては決して語らない(バートランド・ラッセル)」

殺す相手は他国民ばかりではない。自国民にも当たり前のように血を求め、血は血をさらに求め合う。その先には必ず戦争がある。

「蹶然起て」と敵愾心を煽り、独立解放の美辞美名の下、軍事・経済派遣を進めた嘗ての「アジア幻想」の再現ともなり兼ねない。ウクライナでの戦争をあたかも奇貨としようとする緊急事態条項、「愛国者」を気取る者たちの「アジア幻想」の再現を以って、一般市民ばかりが死と塗炭の苦しみを味わったあの過去の歴史を繰り返してはならない。

戦争をしない国と、絶えず戦争をする国の価値観が同じはずがない(日本経団連の元専務理事・品川正治氏:故人)」。ゆえに、後者の価値観を今様ボースのゼレンスキーに持ち込ませてはならないのである

関連記事:「アマンとマハトマ(平和と偉大な魂)
アマンとマハトマ(平和と偉大な魂)/ 続き
'ヒト'という'種'の一員として」の戦争放棄(憲法第9条)
憲法は戦死者の遺言(俳優 鈴木瑞穂氏)
私たちはどこまで階段を登っていますか?
戦中派財界人 品川正治氏の苦言(2007年)

(おわり)


posted by ihagee at 09:44| 政治

2022年03月18日

事実を要求すること



感情的な状態にある人々は物事を深く考えようとしなくなる。

「戦争の犠牲者に同情を持たなければ、私たちは人間ではない」は全く正しい。しかし、犠牲者がヨーロッパ人であるという理由で私たちがより同情的になるべきだという考えは間違いであるばかりか、潜在的な人種差別を孕んでいる(「同情の度合いは目の色に応じてはならない」)。

「文明」や「ヨーロッパ人」という言葉を組み合わせることで、「中東の戦争が続いている地域から逃げ出そうとしている難民ではない。北アフリカから逃れようとする人々でもない。隣に住んでいるヨーロッパの家族と同じように見えるのです。(アルジャジーラの英語コメンテーター、ピーター・ドビーの発言)」という(人種)差別バイアスがメディアの報道には潜んでいる。

また、哀れみなどの感情へ直接訴えかけることにより、事の本質から耳目を背け論点を捻じ曲げ、同情によってのみ或る考えに一方的に支持を集めようとするメディア・バイアスでは、恐怖、不安、憎しみ、怨讐を掻き立てるような報道を敢えて行う。感情的な反応を引き起こすような報道にはまるでドラマのような勧善懲悪・正義感が漂っている。

勧善懲悪・正義感は、人間の潜在意識に宿る「社会的比較バイアス Social comparison bias」と深く関係している。これは自分の/ある集団の相対的な優位性を確保しようとする傾向であり、比較する相手に「ざまあみろ」「懲らしめてくれる」と一丸となり一切の交流を断つ「全体主義」でもある。

無性に誰かを咎めたい、それは人間の誰しも程度の差こそあれ本能に宿す欲求だが、平時ならば「村八分」の欲求も、最大化すれば民族同士の果たし合いとなり忽ち戦争になる。その本能の増幅器としてメディアが果たす役割は非常に大きい(社会的比較増幅メディア)。

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「このロシア軍(またはウクライナ軍)の爆撃で死んだ子どもは○○ちゃんという名前で、まだ2歳になったばかりです。」

誰だかわからない人の危機よりも、誰だかわかっている人の危機に対して、より強く感情に反応する傾向をメディアは利用する(身元のわかる(顔のわかる)犠牲者効果 Identifiable victim effect)。イエメンの内乱(「世界最大の人道危機」)で日々死んでいく無数の子供たちに名前はない。

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今あなたが目にし耳にしているメディアの伝えようとしている「事実」は本当に社会全体のためなのか?それとも、誰か/集団を懲らしめたいという欲求を満たすあなた/集団のためなのか?よく考えて欲しい。憎しみや怒りに流されてはいけない。常に自分を抑え、落ち着いて、冷静な質問をすること。

ロシアが嘘をついていることを知っているという理由だけで、アメリカ、NATO諸国およびウクライナ側からの主張をそのまま受け入れるべきではない。また、その逆も。

要するに、感情的な反応を引き起こすことばかり設計された報道に触れた場合、その物語に流されることなく、常に自分を抑え、落ち着いて、信念を差し控え、事実を要求する。それはあなたの心を自由に保つ唯一の方法であることは間違いない。

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戦争報道に於いて、メディアがその報道によって我々の心の自由を束縛したり何かをしきりと要求している場合、それは「集団思考」を誘うプロパガンダ(「特例嘆願」)となっている。「集団思想」では「不死身の幻影」という現象が現れ、 自分の所属している集団が間違える事がないと考える傾向がある(正義は我にあり、ゆえに勝つ)。 「特例嘆願」が組織的に行われて仮説(間違える事がない)に対する検証が社会的に不問とされ=無謬性、 「独断主義」へと陥る危険が有る。

” 日本維新の会の鈴木宗男参院議員は13日、札幌市で講演し、ロシアのウクライナ侵攻に関して力による主権侵害や領土拡張は断じて認められないとした上で、「原因をつくった側にも責任がある」と述べ、ウクライナの対応を批判した。” (2022年3月13日付時事通信記事引用)

「日本には昔から「喧嘩両成敗」という言葉がある。先に手を出した方が悪いが、原因を作った方もそれなりの責任があるという判断であるウクライナ問題は過去の経緯からの出来事であり、歴史の検証が大事でないか。」(2022年3月11日付ムネオ日記記事から引用)

「原因をつくった側にも責任がある」と言う鈴木氏は今や完全に四面楚歌である。仮説を不問とし(無謬)、その仮説に対する反問(ウクライナ問題の過去の経緯・歴史の検証)は不要という空気はすでに「集団思考」を誘うプロパガンダに世の中全体が巻かれていると言える。

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ヒューマン・ライツ・ウォッチは、「ウクライナでは人種差別と外国人排斥が依然として根強い問題である」と報告している。2012年、欧州人種・不寛容対策委員会(ECRI)は「ウクライナでは2000年以降、ユダヤ人、ロシア人、ロマに対する寛容さが著しく低下しているようで、他のグループに対する偏見も日常生活に反映され、商品やサービスの入手に問題が発生している」と報告している。2010年にKuras Institute of Political and Ethnic Studiesが行った世論調査では、約70%のウクライナ人が他民族少数派に対する国の態度を「対立」「緊張」と見積もっていることがわかった。

これは周知の事実であり深刻な問題として国際社会では認識され、wikipediaでも「ウクライナの差別問題」と特別に項を設けて詳述している(Racism in Ukraine)。

「原因を作った方もそれなりの責任があるという判断であるウクライナ問題は過去の経緯からの出来事であり、歴史の検証が大事でないか。」はまさにこの根強い問題への検証であろう。

主流メディアはこの検証を拒否し認識しようともしない。ウクライナ問題は、同国の抱える人種差別(前提)を「ナショナリズム」にすり替え、その問題を糊塗し意図的に論点をすり替えるかにロシアの残虐行為に書き換えているが、他方、その問題を指摘し軍事侵攻(結果)を正当化するロシア(動機に訴える論証 Appeal to motive)共々、その言い分には共に論理的誤謬がある(ウクライナ=前提、ロシア=結果)。

ロシア、ウクライナという戦争当事者同士の言い合いは所詮論理的にどちらも妥当性を欠くことだ。そんな妥当性のない片方(又は双方)の言い分をメディアが飽くこともなく伝えることは不毛であるばかりか誤謬を募らせることに過ぎない。況してや、その片方に国会で言い分を演説させることは「集団思考」を誘うプロパガンダ(「特例嘆願」)を国会=言論の府で行わせることである

” ウクライナのゼレンスキー大統領がドイツの連邦議会で演説を行い、ドイツのロシアとの経済的な結びつきの深さが事態を悪化させたと非難。ヨーロッパに「自由」と「不自由」を隔てる「新たな壁が出来た」と述べました。経済やエネルギーの分野でロシアと深い結びつきを保ったドイツがウクライナを孤立させ、「新たな壁」を作ることに加担したと非難しました。” (2022年3月18日付 excite ニュース記事引用)

ドイツの経済政策にまで非難し干渉する権限などウクライナやゼレンスキー大統領にはない。ドイツには「壁」、アメリカには「9.11、真珠湾攻撃」と相手に応じて「暗黙の関連性 Implicit associations」を感情的な反応共々徒らに引き起こし、武器や軍事的力をひたすら無心する立ち回りはドラマの主役(ヒーロー)になり得ても、各国の言論の府までも「社会的比較増幅メディア」と弄ぶことであり、プーチン大統領は言うに及ばず、このゼレンスキー大統領も国際社会において一国の代表として到底相応しくない(人間の潜在意識を操ることばかりに執心し、言論の理性たる意味を一つとして理解していない)。

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鈴木氏が言うように、ロシアの戦争責任は当然のこととして、命題(なぜ戦争が起きたのか)についてその前提となる事実を丹念に確認し、客観的な証拠を以ってその因果関係を明らかにすることこそ、今や単なるプロパガンダ装置(社会的比較増幅メディア)と堕したマス・メディアに代わって、真のジャーナリストに求められる崇高な使命であると考える。

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参考:認知バイアスマップMindMeister

認知バイアスマップ Cognitive bias map(Re nomor 2022 コピーライトマーク️ ver.1.0):


(Re nomor 2022 コピーライトマーク️)


(おわり)

追記:
本記事からTweetボタンを記事下に設置しました。
Twitterが不適切な内容と判断(言論検閲)とする場合は機能しません。そういう国になったのです。




posted by ihagee at 07:42| 政治

2022年03月17日

戦争に戦うのであって、戦争で戦うのではない



ゼレンスキー・ウクライナ大統領の米議会演説。(ゼレンスキー大統領は16日午前、日本時間の16日午後10時すぎから、アメリカ連邦議会の上下両院の議員を前にオンラインで演説)

ロシア軍機による攻撃から国土を防衛するためウクライナ上空に飛行禁止区域を設定するよう求め、それが難しい場合は、防空システムや戦闘機を供与してほしいと、ゼレンスキーは演説した。

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ウクライナ上空の飛行禁止区域を設定とは、アメリカおよびNATO諸国とロシアとの直接の軍事衝突を意味するし、その代わりが戦闘機とは、ゼレンスキーとして戦う一択に完全に傾斜し切っているということである。バイデン米大統領は、その要請を受けてウクライナへ追加武器供与=対戦車ミサイルなど総額8億ドル供与を決定。まさに火に油を注ぐことである。

英国議会でのビデオ演説では「われわれは決して屈しない。海で、空で、畑や道の上で、どんな犠牲を払っても、われわれの土地を守るために最後まで戦う」とハムレットの一節まで引用して、やはり、戦う一択である。

どんな犠牲を払ってもと言うが、その「犠牲」はすなわち自国民。一億総火の玉・玉砕と叫ぶ為政者の下でもっぱら死んでいくのは一般市民で、そう叫ぶ者は愛国者を気取った偽善者であることは、我々は歴史に学んでいる。

その犠牲もウクライナ国民の総意であれば仕方ないが、数百万の人々がウクライナの国境を超えて避難している現状は、必ずしもゼレンスキーに命を託すウクライナ国民ばかりではないということだ。自衛隊を「わが軍」と言った総理大臣が日本にもいたが、同様に自国民の生殺与奪までわがもの扱いにする辺り、プーチンと同類である。

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このように「目には目を歯には歯を」、要するに「やられたらやり返す」とゼレンスキーは各国議会で復讐を誓っているが、なぜ停戦に向けて「戦争戦う」と言えないのか?誰でも良いから間に入って調停して欲しい、食料や医薬品を提供して欲しい、となぜ言わないのだろうか。

「やられたらやり返す」との軍事的復讐を誓うかの演説は、世界に要らぬ怨讐を撒き散らす唾吐き(ヘイト)だ。事実、唾吐きの文脈に呼応してインスタグラムやFacebookを運営する米メタ社はロシア兵への暴力を呼びかける投稿(ヘイト)を「容認」した(その後、撤回)。

ヘイトを根付かせたり寛容化した国ほど戦争を招くばかりか、戦争を呼びかける。ロシアもウクライナもこの点において互いに血は争えないようだが、その兄弟にして血で血を洗い、さらに兄弟揃って、世界中に汚い唾吐き(ヘイト)や中指立てをしているようにしか見えない。夫婦喧嘩は犬も食わぬとは言うが、この兄弟喧嘩だけは誰かが入って仲裁しなければ、世界大戦に発展する可能性が大きい。間違っても、どちらかに助太刀などしたらダメだ。どっちも化け狐だから取り憑かれることになる(ちなみにアメリカは狐の御大将である)。

ゼレンスキー大統領は、我が国の国会でのビデオ演説を売り込んでいるらしい。パールハーバーに代えてピカドンと脚本を書き換えて、さて、多くの国民がその狐感に冒されては堪らない。丁重にお断りしたら良い。

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「軍備をととのえ、敵なる者と一戦を辞せずの考えに憑かれている国という国がみんな滑稽なのさ。彼らはみんなキツネ憑きなのさ。(坂口安吾「もう軍備なんかいらない」から)」

関連記事:キツネ憑きの話(「戦争に戦う」が「戦争で戦う」になる)

(おわり)

posted by ihagee at 14:07| 政治