2018年04月14日

0414国会前大行動・第一部参加


2015年8月30日に行われた安保法案反対の「総がかり国会議事堂前抗議デモ」以来、3年ぶりに「0414国会前大行動」に足を運んでみた。



曇天であったが幸い雨には降られず、有楽町線永田町駅に着いたのは午後1時だったが、今日はすんなり国会議事堂前まで出ることができた。3年前の「総がかり国会議事堂前抗議デモ」の時は、構内から警察の規制が厳しく、日比谷公園まで埋め尽くすほどのあまりの大群衆に何度も迂回した挙句、議事堂を遠くに見る位置までにしかアクセスできなかったことを思うと、今日は少し拍子抜けする程、参加者も規制も少なかったと思う。


(2015年8月30日・「総がかり国会議事堂前抗議デモ」での大群衆)


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以下は「0414国会前大行動」でのスナップ(筆者撮影・Casio Exilim EX-ZR10でのデジタル写真)。

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天気予報が安倍政権に忖度したのか「嵐になります」と予報したことも影響したかもしれない。実際は、多少風はあったが、まずまずの抗議日和だったわけだ。

それにしても、中高年以上の老人ばかりで、若者の参加が少ないのは一体どうしたことだろうか?安倍政治の結果(ほとんどが負の遺産)が将来に及ぶ世代なのに、今無関心を決め込んでどうするつもりなのだろうか?非正規雇用で将来設計が立たない若者は生まれた時からそれが普通だから比較軸を持たない、したがって、その不安定でも日々生きていけるならと現状肯定しか望まないともされる。今のままで良い・変化など望まないという内向きな意識が支配する若者層が安倍政権支持のコアを成しているとされる。そして安倍政権も民主党政権がいかに経済が悪かったかと"嘘" を彼らに刷り込んで、彼らに政治変革を望ませない意識を醸成してきた。ここら辺は、プーチン政権が盤石の国民からの支持を得ているのと同じだ。プーチン政権の諸悪を知りながらも、今日のパンが大事だとその政権を推す民意と大差はないのかもしれない。

私も含めて中高年世代や70歳台の老人世代では(戦後の成長期世代)、明確な比較軸がある。政治や行政がそれなりに知性と節度を持っていた時代や、働き手に安定した生活と将来設計(いわゆる終身雇用)を経済人が社会使命として考えていた時代である。私の父の世代(戦争世代)にはもっと明確な比較軸があった。それは時代性が培った嗅覚とも言える危惧感であった(拙稿「私たちはどこまで階段を登っていますか?」)。その戦争世代が社会の中心を構成していた時代であれば、安倍晋三なる政治家は決して政権は担えなかっただろう。その世代が消えて、残された比較軸は私を含む成長期世代であるが、若い世代からすればおそらく「良い思いしただけの世代」の扱いだろう。戦争世代のように「(戦争への道への)階段」を実体験として伝えることもできない。戦争世代がいなくなるのを見計らって現れた安倍晋三なる政治家の悪運の強さである。

新自由主義なる節度も使命も二の次三の次の経済功利第一・過労死・死ぬまで働けと、政財界が恥ずかしげもなく口にするようになったのは、小泉政権から始まりこの15〜6年の間の基軸であって、その間に生まれた今の若者世代は、「恥ずかしげもない」と我々成長期世代であれば思うことすら、知らないのだろう。

私の世代なら「社長になる」とか「家庭を持ち、一国一城の主になる」などと、子供の頃は大人を真似て大口を叩いたものだ。それもまんざら夢に終わらない時代があった。自分に夢を課し実現しようとした。社会も「◯◯君。君に期待するぞ」と大いに個人を叱咤し鼓舞してくれた。ところが、今の若者世代は自分を語らない。一人称ではなく「日本国」「日本人」なる全体のイメージで凄いだの、素晴らしいとの、妄想している。メディアを総動員して「君たちは凄いんだ・素晴らしいんだ」と夜郎自大・自我自尊の意識ばかりを増幅し錯覚させる。「◯◯君。君に期待するぞ」などと言う人もいない。なぜなら、彼らは使い捨てだからだ。そうして使い捨てられるのに、意識ばかりは、日本人や日本国で美しく括られてうっとりする。だから、一人称に戻ると途端に自信をなくす。まるで麻薬だ。安倍政権は若者たちにこの手の麻薬を処方しているのだろう。

嫌韓反中意識もその漠たる美しいイメージ(それが安倍首相の唱える「うつくしい国」なのだろう)の相対で作り上げている。そのように国民の意識を一人称にしたがらないのも安倍政権である。「(絶対的存在たる)個人」を認めず、「(国家と相対してしか存在しない)人」に憲法を変えてしまおうとするのも、若者に自分を語らせない、主権意識をもたせないとする、安倍政権の民主主義破壊でもある。

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しかし、たとえ比較軸がなくとも、論理的に考えれば、安倍政権の支離滅裂・デタラメさなどすぐにわかりそうなものだ。しかし、悲しいかな、それがわからない人々が3割の支持となって安倍政権の存続を望んでいる。

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等々と、大いに不甲斐なさを感じたが、主催者のシュプレヒコールは若者が率先し、集会の拠点では若者の姿も多く見受けられたのは、きちんと理解する若者は少数でもその声は強く逞しいということだ。もっと期待して良いのかもしれない。

私自身は、第一部(午後2時から3時半)のみの参加で、主催者発表参加人員は約3万人。上空を警察やら報道のヘリが飛び回ったが、この人数ではテレビで報道されないだろう。ヤフーのニュースでも扱いが小さく少ない。お隣の国では百万人規模の(民主化)デモが繰り広げられているというのに・・。

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"(国民は)もっと大きな声で怒りや疑念を訴えるべきなのに、デモに集まるのはせいぜい数千人規模でしかない。これがお隣の韓国なら、全国で百万人近い国民が怒りの声を上げてもおかしくないと思います。これほど酷い問題が起きても、日本人には権力に対して自ら異を唱え、それを目に見える行動で示すことを「良しとしない」雰囲気があるように感じます。

民主主義の基本はひとりひとりの国民が「主権者」としての自覚を持ち、自分たちの声を政治に反映させることに他なりません。ところが、日本は政治に無関心な人が多いし、関心があっても自分の意見を積極的に発信しようとしない人が多い。若い人たちに「民主主義の危機だ」と言っても「よくわからない」と答える人が多いし、高齢化で日本社会全体が保守的になっているようにも感じます。

政府も官僚も国会も司法もメディアも国民も、日本の民主主義を構成するすべての人たちが表面上はそれぞれの役割を果たしているように見えて、実際には「民主主義というお芝居」を演じているだけなのではないか?という皮肉すら言いたくなってきます。"

(仏紙「ル・モンド」東京特派員、フィリップ・メスメール氏)

お隣の国は大統領が次々とお縄になってなんてみっともない・・などと、言うのは大間違い。お縄にできる司法と民衆の政治意識があり、デモを繰り返しながら民衆が「主権者」である自覚を深めている。メスメール氏が我が国に指摘するような「民主主義というお芝居」からお隣の国は卒業しようと喘いでいるのだ。

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当ブログの趣旨として「0414国会前大行動」もフィルム撮影を試みた。
Zeiss Ikon (VEB) Tenax 1にIlford XR2 Super 400(24枚撮モノクローム)を、富士フィルムの連写カルディア ビュ〜ン16にKodak T-Max 400(36枚撮モノクローム)を詰め撮影した。

前者はましかく写真、後者は9mmフィルムムービーとして後日、ブログで掲載したい。

(おわり)

追記:
「0414国会前大行動」はその後参加者が増え、警察も規制線にびっしりと車両や人員を配置し例のごとく過剰警備となったようだ。鉄柵の檻にデモを閉じ込めようにも群衆の怒りの前に倒れた。当たり前のこと。しかし、テレビでは相変わらず、安倍首相は国民に納得のいく説明をすべきだ、などと性善説に立って「嘘をつく」者に語らせようとしている。なぜダイレクトに「もう嘘つきの説明は要らない。辞めてもらおう」と言わないのだろうか?「0414国会前大行動」に集まった人々の一人として「納得のいく説明」など求めない。嘘にこれ以上付き合うつもりはない、「ヤメろ」と声をあげているのである。安倍政権云々ではなく、この国が壊れかかっていることに怒っている。そうしてしまった我々主権者の不甲斐なさにも自ら鞭を打ちながら「ヤメろ」と声をあげていると私の目には映った。

posted by ihagee at 20:01| 政治

2018年04月11日

偶像(idols)はいらない




「私は神仏を信じません。」という人は多い。では何も信じないのか?というとそうではない。
「おカネってありがたいね〜」とか「科学は万能だ」とか「○○さんは僕のアイドルだ」とか、言う。
カネも科学も人も、どれもが相対的なもの(高いか低いか)で、一つとして絶対的なものはない。

二つ並ぶ・割り切れる=「偶」から、こういうものをありがたく敬うことを「偶像(idols)」崇拝という。

カネを愛する人はその顔はカネの顔になる。カネ顔は他のカネ顔としか付き合わない。アイドルも同じで、ファンも追っかけも同じ者が集まり、話し方も考え方も同じになる。

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政治家も無論、偶像(idols)主義者だが、偶像(idols)主義が昂じると、それは独裁(authorian)や英雄(heroism)主義に傾く。

賛美者や利害者とだけ付き合い、割り切れない者・割り切らない者には「こんな人たち」と指を立てる。

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人間社会、偶像(idols)を持たない者はいないだろう。しかし、大自然に触れ合ったり、聖堂で頭を垂れたりする時は、何か絶対的なものの前に立たされている気がする。

「大聖堂の中に入ると、自分は何も悪いことをしていないのに、なぜかごめんなさいと頭を垂れ懺悔したくなる気持ちは不思議なものだ」と作曲家の故 芥川也寸志さんが生前テレビで語っていたのを思い出した。

偶像(idols)は見つけやすい、そして、頭を垂れたり、垂れさせることに使うのに好都合であるが、それに人々が慣れてしまうと、全体が偶像(idols)化する。

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八百万の神(やおよろず)とは山の神様、田んぼの神様、などと何か絶対的(らしき)ものに対して畏怖し畏敬する日本人の古くからの心情だ。しかし、その畏怖畏敬も裏返せば木こりやお百姓の暮らし(利益)のためであって、至極ご都合主義的なもので、これも「偶像(idols)」崇拝にしか思えない。神主が地鎮祭をするのも、その土地を神に捧げるためではなく、その土地で人間が無事利益を受けられることを願うためのもので、原発にすら神棚を作ることになる。極めて手前勝手でいい加減な神らしきものへの信仰である。

欧州人のように絶対的な神への信仰のない、我が国は、ご都合主義的な八百万の神(やおよろず)がいつしか神道となり神社となり、軍人を神と崇める靖国となった。八百万の神(やおよろず)が英語では Shintoと紹介される所以である。

安倍晋三首相の座右の銘「至誠」は彼の尊敬する吉田松陰譲りであるとともに、「敬神崇祖の至誠」が国民性の本源とみなすその精神主義は日本主義(大日本主義)である。

キリスト教の神とその言葉である聖書が思想体系を成しているのに、日本主義(大日本主義)は全くそうではない。科学的に考察する対象にもない。『二十世紀の日本主義の内容は依然として、原始的「神国」説の文字通りの伝承である』、「千年来発展のない、すなわち歴史を持たない思想は、これを思想と呼ぶべきものでは」ないと長谷川如是閑は喝破している。思想と呼ぶべきものでない、呪術や占術である。人間が神に対してみずからの祈願する祝詞は神に「宣り聞かせる」ことで、思想のかけらもない。

したがって、Shintoとその派生である日本主義は国際社会ではカルトで括られる。



呪術や占術がカリスマ的支配と支配者を生む。
カリスマ的支配とは『「特定の人物の非日常的な能力に対する信仰」によって成立している支配で、その正当性は、カリスマ的な人物の「呪術力に対する信仰、あるいは啓示力や英雄性に対する崇拝」に基づく』ため、『善悪という価値判断からは自由な(「価値自由(Wertfreiheit)」な)概念』(マックス・ヴェーバー)とされている。

安倍晋三という政治家は悉く、『善悪という価値判断からは自由な(「価値自由(Wertfreiheit)」な)概念』の持ち主である。自分が言えば全て真実と嘘を口にする。その先祖が陰陽師・安倍晴明であるとされるのも然りだ。現実社会で我々が非日常と考えてきたことも、この人の下では全く日常化する。異次元と呼ばれる金融・経済政策もレベル7の原発事故をアンダーコントールと片付けるのも、友人に便宜を計るのも、・・枚挙に遑がない。

カリスマ的支配ゆえに、それが当たり前に我々も心が麻痺していく。森友・加計問題もカリスマ的支配の下では「真相は藪の中」で良いらしい(拙稿『「藪の中」考』)。

思想と呼ぶこともできない原始的「神国」説(日本主義)の上に、安倍政権は立ち、安倍首相をアイドルとして「日本国って素晴らしい・日本人って凄い」と唱和するのも、その偶像(idols)主義、特に、カリスマ的支配の発露だ。その思想と呼ぶこともできない原始的「神国」説(日本主義)にあってこの国を愛することとは、無思想・無教養・反知性を育むことにしかならない。それは偽の愛国だ。

その通りの国になった。

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ドイツ国が脱原発に踵を返したのは、社会倫理に照らしたからだと言われる。キリスト教の絶対的な存在の前に、原子力発電なる偶像(idols)主義を捨てたのだろう。嘘を職業とする政治家すら、聖書の上に手を置いて「嘘」を付くことはできない(恐ろしいと感じる)。宣誓証言とは絶対的な存在に対するものであって、我が国のように司法との相対的な関係で言い逃れる(「捜査に影響」とか言って)ことはできない。そういった存在を持つドイツの国民性は幸せである。

カネや科学技術や日本主義の亡者たちがうようよとする我が国は偶像(idols)主義に染まってしまった。私たちの心の欲求がそういった偶像(idols)を生み出している。ご都合主義的な八百万の神と過去の歴史においてまともな思想も哲学も確立できなかった国民性に根ざしている。

安倍政権なる偶像(idols)も、我々の心の欲求が生み出した怪物だろう。安倍政権は愚かな偶像(idols)であり安倍晋三なる人はその木偶である。が、それらを生み出した我々の心も同じく厳しく問われなければならない。

偶像(idols)主義と我々一人一人がどう距離を置くべきか、今問われている。

「まず国民全体がだまされたということの意味を本当に理解し、だまされるような脆弱な自分というものを解剖し、分析し、徹底的に自己を改造する努力を始めることである。(伊丹万作「戦争責任者の問題」)」

徹底的に解剖し改造すべきは、脆弱な自分であることを、我々国民は一人一人自覚しなくてはならない。意志薄弱であってはならないのである。騙されるのも国民なら騙すのも国民。騙す騙されるという偶像(idols)主義から決別すべきだ。

(おわり)

タグ:偶像 idols
posted by ihagee at 04:04| 政治

2018年04月09日

PMメモ=首相の指示=忖度ではなく教唆





森友学園問題は、役人の「忖度」などではなく官邸・安倍首相からの「教唆」を疑うべきと、私は先のブログ記事で述べた(『「忖度」ではなく「教唆」』)。

唆したことこそ安倍首相にとって突かれては困ること。行為を唆す「教唆」こそ、野党は安倍首相に疑うべきだ。

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学校法人「森友学園」への国有地売却を巡り、財務省の佐川宣寿理財局長(当時)は野党の質問攻めになった国会質疑、安倍首相の秘書官がPMメモなる指示を佐川氏に手渡していたと文藝春秋が報じるようだ(文藝春秋・2018年5月号・4月10日発売・10ページにわたって掲載される)。

「もっと強気で行け。PMより」

その結果は佐川氏の虚偽答弁だった。

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「PM」は「プライムミニスター(首相)」である。PMメモの存在は以前から取り沙汰されていた。官僚に政策ではなく、政局絡みで指示を与える。委員会室で野党の目も憚らずPMメモを渡しているということは、日常的にPMメモを官僚に渡してはPMの指示に従うように強要していたということだ。

森友学園問題は政策ではなく、利権の絡んだ政官疑惑であり安倍首相・与党にとっては政局に他ならない。官僚を政局から遠ざけることが、行政府の長たる安倍首相の立場であるのに、その政局に都合する発言を指示していたとなれば、これは強要・教唆である。

政策では協力しても、政局に協力してはならないと政治と官僚の距離が「吏道」。「吏道」に背き官吏としての良心に苛まれて自死した役人もいれば、「吏道」に背き政治との距離を密にした佐川氏は「官吏の鏡」と安倍首相に讃えられた。いずれにせよ、森友学園問題で表沙汰となった財務省の公文書改竄は吏道に反した政局協力である

つまり、吏道に反する政局協力を、安倍首相は官吏に唆していた・強要していたと、疑うのは当然である。この場合の受益=政局であり、受益者は政権である。第一義の受益者でもない官僚が勝手に安倍首相の立場を忖度することなどないだろう。PMメモは上からの指示であり、そのメモの発信者は受益者たるPMであり、その益となるように振る舞えと官僚に命じることがそのメモの内容である。

「吏道」に背かせれば、当然、行政組織はガタガタになる。厚労省・文科省・国交省・防衛省などで明らかになった行政文書の管理杜撰・捏造・改竄は全て、元を辿れば、吏道に反した政局協力を求める安倍首相・官邸の指示・圧力があるからに他ならない。

安倍政権以前の過去の自民党政権・民主党政権でここまで、行政の不信頼が増大したことはない。安倍首相が行政府の長となってからの話であることに、特異点がある。それは、政策(国民の受益)ではなく政権(首相の受益)のために官僚・行政を操縦していた安倍首相の存在であろう。官僚・行政が(信用)失墜するのも、その不徳な操縦者に大元がある。

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野党も国民も「官僚が勝手に忖度」などということで納得してはならない。「忖度」で落とし所を見つけて胸を撫で下ろしているのは他ならない安倍首相その人だからだ。つまり、「指示」こそ彼にとって突かれては困ること。直接指示せずとも、行為を唆す「教唆」こそ、野党は安倍首相に疑うべきだ。

(おわり)

posted by ihagee at 19:48| 政治