2020年06月10日

安倍総理、安倍政権がここまで苦しんでいるんです



北朝鮮による拉致被害者家族連絡会前会長の横田滋氏が亡くなった。

「そして私たち横田家のそばに長い間いた安倍総理には、本当に無念だとおっしゃっていただいています。私たちはこれからも安倍総理とともに解決を図っていきたいと思っています。国会においては、与党・野党の壁無く、もっと時間を割いて、具体的かつ迅速に解決のために行動して欲しいと思います。マスコミの皆さまにおかれましても、イデオロギーに関係なく、この問題を我が事として取り上げてほしいと思います。自分の子どもならどうしなければいけないか、ということを問い続けてほしいと思っています」(横田拓也氏)

「一番悪いのは北朝鮮ですが、問題が解決しないことに対して、ジャーナリストやメディアの方の中には、安倍総理は何をやっているんだ、というようなことをおっしゃる方もおられます。ここ2、3日目、北朝鮮問題は一丁目一番地だというのに、何も動いていないじゃないか、というような発言をメディアで目にしましたが、安倍総理、安倍政権が問題なのではなく、40年以上何もしてこなかった政治家や、北朝鮮が拉致なんてするはずないでしょと言ってきたメディアがあったから、安倍総理、安倍政権がここまで苦しんでいるんです。安倍総理、安倍政権は動いてくださっています。やっていない方が政権批判をするのは卑怯です。拉致問題に協力して、様々な覚悟で動いてきた方がおっしゃるならまだわかるが、ちょっと的を射ていない発言をするのはやめてほしいと思います。うちの母も、有本のお父さんも、飯塚代表もかなりのお年で健康も芳しくありません。これ以上同じことが起こらぬうちに、政権におかれては具体的な成果を出して欲しい。国内には敵も味方もありません。日本対北朝鮮、加害者対被害者の構図しかありません。これからも協力をお願いしたいと思います」(横田哲也氏)

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愛しい我が子を突然奪われた親の悲しみは如何許りか、その身になった者でなければ判らない。その人としての気持ちを遇らうつもりは毛頭ない。まだ生きているかもしれないと思えば、その探索に被害者家族が懸命となるは当然である。

ゆえに拉致被害者家族は拉致された家族の救出を政治権力に委ね、安倍政権は拉致問題解決を「北朝鮮問題の一丁目一番地」としてきた。

憲法の下、人権に軽重はないが「一丁目一番地」と政治的に拉致被害者の人権は他よりも重いとされてきた(拙稿「人の命の重さは、拉致被害者だけが重いのか?」)。しかしその被害者家族が解決を委ねた安倍政権に人権意識は希薄である。拉致問題は人権問題としてよりも北朝鮮問題(軍事・外交問題)全般と等値化され、政治イシュー化したからだ。次第に拉致問題が政治色を強めてきたのも、イシュー化する政治的価値(国内向け)が安倍政権にあるからとも言える。反面、戦前、日本の統治下にあった朝鮮から第二国民とは雖も多くの朝鮮人を拉致・徴用し、炭鉱等で重労働を課し少なからぬ者を死に追いやったことなどは、安倍政権にとって人権問題でも政治イシューでもない、カネ目である。カネで解決した(戦後補償した)から終わったとする(南朝鮮=現韓国)。

人権問題は本質的に終わりはないとするがゆえに、ドイツでは過去の時代の人権問題(人種差別)はその後の歴史認識(加害者としての原罪)と共にその問題の本質を理解する努力を現在そして未来に繋げようとしているが、安倍政権はそうではない。歴史を修正し人権問題そのものをカネ目で一切合切解決済みとする。カネ目ゆえに本質において加害者・被害者の間で理解が深まらない。

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「自分の子どもならどうしなければいけないか」と人権問題として意識を共有することを拉致被害者家族は我々に求めるが、「どうしなければいけないか」の結果、政治イシュー化を許したのは他ならぬ拉致被害者家族連絡会ではないか?政治家が少しでも距離を置くと拉致問題が世間の関心から薄れるのも、裏返せば、政治イシュー化し過ぎて、我々の思う市井の人権とは別の特恵される人権があるから関係ないのだと見放されているのかもしれない。

あまりに政治と距離を詰め過ぎたのである。ゆえに「やっていない方が政権批判をするのは卑怯です。(横田哲也氏)」という発言になる。

我々は拉致問題解決がならないから政権批判をしているのではない。拉致問題なる「一丁目一番地」を以って、ほかの物事を絡めて何かと内政の都合(=政権への求心力)に安倍政権が転換してきたこと(卑怯を言うのならこちらであろう)に対して批判しているのである。拉致問題が翻って、安倍政権の存在理由となり、脱法行為を含め何をやっても許されると内政の都合に体良く利用されていることに拉致被害者家族連絡会は気づかないのであろうか?

「外交は内政の延長」の反対の「内政は外交の延長」なる安倍政権なりの方程式はひたすら外交の成果を内政で強調することにある。その得意と自賛する外交はやってる感ばかりでさして実をもたらしていない。ゆえにこの方程式では相手から所詮内政の都合であろうと足元を見透かさればかりで、事実、拉致問題ばかりでなく、北方領土問題でも解決の端緒どころか交渉は膠着し前進どころか後退している。(拙稿「内政は外交の延長なのか?」)。

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”拉致問題一点から日朝交渉をすべきではないと。それは拉致問題以外のイシューの重要性とのバランスが取れなくなるからだ。安倍総理は拉致問題が「何よりもわれわれにとって大事な」と言う前は、日本に飛来するミサイルが最大の脅威・国難だと言っていた。いや、それ以前は、ホルムズ海峡の機雷だとか、リーマンショック級の経済危機のおそれだとか、が脅威・国難だと言っていた。安倍総理自身がその時々でバランスを失っている。それは安倍という政治家(および安倍政権)の立場がその時々で保てるか否かで、逆に物事の順番をつけていると考えた方が良いかもしれない。今は、それが拉致問題ということなのだろう。だから一貫していない。自己都合が透けてみえる。それを彼は「われわれ」と必ず言い換え、あたかも主語は「国民」であるとする。しかし、私も含め多くの国民は、軍事的脅威を取り除く外交こそ(話し合いを基調とする)喫緊に追求すべき外交であり、もたらされる和平こそ国益だと思っている。拉致問題とはその枝葉で解決されるべきことだ。”(拙稿「人の命の重さは、拉致被害者だけが重いのか?(続き)」)

その「一丁目一番地」が安倍政権の自己都合・自己保身と見透かされているから、その都合を共有しないトランプ米大統領からは「(拉致問題はシンゾーにとっての)プライベートな懸案」と突き放される。

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”私の義理の兄は東北帝大を卒業すると、満州国の官吏を養成する大同学院を卒業して、官吏になりました。幾つかの部署を経て、協和会の仕事をするようになりました。協和会は五族協和を実践すること、中国人の衛生思想の普及、学校教育、義務教育の充実と、当時、中国人の間で常習することの多かった阿片吸引の風習を、撲滅することが大きな仕事でした。そのため、中国系、韓国系の人たちの不満を聞くため、よく家内の実家である私の家に、これらの人たちを連れてきて、殆ど毎夜、酒を飲みながら相談にのっておりました。多分、外では話のし難いことがあったのでしょう。終戦の前に協和会の奉天支部長を勤めておりましたので、ソ連が侵攻してくると、早速逮捕され政治犯としてシベリアに八年も抑留されました。彼は帰国後、大阪で司法書士の事務所を開き、相談にきた在日韓国人や部落の人たちからは、一銭も金を取らなかったため、それが評判になり、姉の教師としての収入で、かろうじて生活するような有り様でした。岸信介が、熱河省で大量に阿片を栽培させて中国に売り、それを政治資金に使っていたことを知ったら、さぞ悔しがったことでしょう。”(父の手記から)

阿片撲滅を五族協和の「一丁目一番地」と信じ奉職する者を横目に、阿片を栽培させそれを自己の政治資金とし、A級戦犯被疑もなぜか不起訴無罪放免となって何事もなかったかのように戦後総理大臣になった男を尊敬するその孫の「一丁目一番地」に同じ自己都合・保身の政治的動機を疑わざるを得ない。

国際社会の市民の力・ネットワークよりも、我々の誰かを卑怯呼ばわりしてまで、政治権力そして安倍晋三なる人物を信じ、今尚、その権力・その者に依存する発言を続ける拉致被害者家族連絡会に違和感を覚える。「一丁目一番地」を以って、内政の都合(=政権への求心力)に転換することに与することがあってはならない。

その身勝手極まりない都合に「ここまで苦しんでいるんです」は我々国民である。


(おわり)




posted by ihagee at 19:00| 政治

2020年06月01日

「閣議決定」「解釈変更」を正当化する方向へのミスリードとなる



”「公務の運営への著しい支障」による勤務延長の必要性について、当初の判断は誤っていなかった・・黒川検事長については、「退職により公務の運営に著しい支障が生ずる」として閣議決定によって「勤務延長」を行ったことによって、その検事長職が根拠づけられているのであって・・”
(黒川検事長辞職なら「定年後勤務延長」閣議決定は取消しか / 郷原信郎弁護士2020年5月21日付記事

記事内容に目を通しておや?と思った。

「退職により公務の運営に著しい支障が生ずる」理由の在処と賭博行為との整合性が閣議決定取消の要点であると同記事では論じるが、その論旨では国家公務員法第81条の2第1項が検察庁法第22条を超えて適用することがすでに前提となっている(その適用自体が違法ではないのか?)。

その上で、国家公務員法第81条の3「前条第1項の規定により退職すべきこととなる場合において」に続く役職定年の例外と定年延長("定年後延長勤務"・後述)、すなわち「その職員の職務の特殊性又はその職員の職務の遂行上の特別の事情からみてその退職により公務の運営に著しい支障が生ずると認められる十分な理由があるとき」を論じると、解釈変更と閣議決定を正当化する方向へのミスリードとなるおそれがある

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「退職により公務の運営に著しい支障が生ずる」が、国家公務員法第81条の3の「勤務延長制度(当該職員を定年退職日以降も当該日に従事している当該職務に従事させるため引き続いて勤務させる制度)の要件となっており、同法の検察庁法への適用に当たってその要件を満たす事情なり理由について、森法相は国会で明確な答弁ができなかった(郷原弁護士の記事にもある通り)。

この定年後の勤務延長を「定年後勤務延長」と呼ぶ。

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しかし、一般職の国家公務員の定年退職について定める国家公務員法第81条の2第1項は、「法律に別段の定めのある場合を除き」と規定している。検察官も一般職の国家公務員ではあるが、その定年については検察庁法第22条が定めている。従って、検察官の場合、検察庁法第22条が国家公務員法第81条の2第1項の「別段の定め」にあたるので、同法81条の2第1項ではなく、検察庁法第22条が適用される。そして、国家公務員の定年延長(定年後勤務延長)を認める国家公務員法第81条の3は「前条第1項の規定により退職すべきこととなる場合において」との限定を付している。つまり、同条によって認められる定年後勤務延長は、「国家公務員法第81条の2第1項規定により退職すべきこととなる場合」に限定されているから、同条項によることなく検察庁法第22条によって定年退官する検察官については、国家公務員法第81条の3の適用による定年後勤務延長はないと解釈すべきことになる。(福岡県弁護士会・「検察官の定年後に勤務を延長する旨の閣議決定の撤回を求める会長声明」より要点を抜粋引用)

上述の法理に従えば(特に国家公務員法第81条の2第1項が検察庁法第22条を超えて適用されることはない点)、検察官の定年後勤務延長は不可能であると解釈すべきで、よって、黒川氏の定年後勤務延長に法的根拠はない。すなわち、黒川氏は63歳になった本年2月7日を以って定年退官したことになる。黒川氏の勤務延長を決めたという1月31日の閣議決定は違法無効であり、黒川氏に交付された「8月7日まで勤務延長する」という2月7日付けの内閣辞令書も同じく違法無効となり、黒川氏の今月1、13日頃に行ったとする賭け麻雀は退官後の行為であって、賭博容疑で刑事告発の対象にこそなれ、人事院の定める公務員の倫理規定の対象でも、法務省内規処分(「訓告」など)や国家公務員法による処分(「懲戒」など)の対象でもない。

与党は、検察庁法を国家公務員法と抱き合わせて改正を行って、かかる不安定な地位を後付けで合法化しようとしたが(閣議決定の違法性は法令不遡及の原則によって後から合法化できない・先の拙稿に記載の通り)、その改正法案が今国会で廃案となって、尚更黒川氏の定年後勤務延長の法的地位は不安定な状態のまま、本人は「辞職」した。

国家公務員法第81条の3の適用による定年後勤務延長はない。ゆえに定年後勤務延長を前提とした(閣議決定を合法または脱法と前提とした)、「退職により公務の運営に著しい支障が生ずる」要件の有無や内閣は懲戒処分をすべきなど、その前提でそれらを論じることは肯綮ではない

解釈変更・閣議決定の違法性(違憲性)が肯綮だからこそ、安倍内閣は法務省の内規処分(訓告)に留め、懲戒権者として然るべく処分(懲戒処分など)を検討したか否か言を左右にして確答を避けている

閣議決定の違法性が要点であり、その違法性を認め、先の閣議決定を安倍内閣は素直に取り消すことこそ、法秩序の回復であろう(違法な閣議決定の非を認め、以って法秩序を乱した責を負って安倍内閣は総辞職すべきである)。それを行わず、閣議決定に「何ら問題ない」と強弁することはさらなる法秩序の壊乱であり、賭け麻雀に関して信頼回復の施策を議論する「法務・検察行政刷新会議(仮称)」の設置などは、閣議決定の違法性から論点をはぐらかすことに他ならない。

「閣議決定」「解釈変更」を正当化する方向へミスリードしてはならない。

(おわり)


posted by ihagee at 01:43| 政治

2020年05月31日

乗りものならぬ「乗りものニュース」



Yahoo! JAPAN ニュースで近頃目にすることが多くなった乗りもの関係の記事。

株式会社メディア・ヴァーグ が配信する「乗りものニュース」記事もその一つだ。

日常的に触れている『乗りもの』に関するニュースを、わかりやすくお届けします。”

”電車や航空機、バス、船、ミリタリー、道路…。多くの人が日常的に触れている乗りもの。私たちが運営しているのは、そんな普段使っている「乗りもの」がもっと便利で楽しくなるサイト『乗りものニュース』。交通インフラを利用する数多くのユーザーへ向けて、ニュースなどを配信しているサイトです。 ジャンルも幅広く、月間のPV数は3000万以上におよびます。”(株式会社メディア・ヴァーグ )


(同社記事中写真引用)

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”乗り物(のりもの、英: vehicle)とは、人を乗せて移動するもの。馬車、籠、汽車、電車、自動車、船、飛行機、人力車 等々の総称。語としては「乗り物」で交通機関を指すことも。” (wikipedia)

日常的に触れている” は言うまでもなく、日常の移動手段たる「乗り物」でありそのための運輸・通信施設である「交通機関」のことである。

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”「鉄道」「航空」「ミリタリー」「道路」「バス」など乗りもの全般に関わります。「戦車や航空機が好き」という方や、「鉄道が好きで、旅行時の列車移動が楽しみ」という方はぜひご応募ください!” (株式会社メディア・ヴァーグの転職・求人情報

その「乗りものニュース」には ”ミリタリー”のジャンルで多くの記事が掲載されている。


(同社記事中写真引用)

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ミリタリー”は言うまでもなく日常の移動手段たる「乗り物」や、そのための運輸・通信施設である「交通機関」ではない。

”戦争において使用する全ての車両、航空機、船舶、設備などの事を指し、敵となった目標を殺傷、破壊するためや、敵の攻撃から防御するための機械装置である”(wikipedia)であるところの「兵器」だ。

「兵器」と日常の移動手段たる「乗り物」は全く異なるカテゴリーであるばかりか、日常生活空間とは異にする複数の集団の間で物理的暴力行使をする空間に於いての "車両、航空機、船舶、設備" である。

日常的に触れている” か否かは、"物理的暴力行使をする空間" が日常化しているか否かに係っている。

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乗りものならぬ「兵器」を、サラッと「乗りものニュース」で”日常的に触れている『乗りもの』に包括しさらに「戦車や・・好き」と好奇心だけで読者(特に若者)を呼び込む。

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”「ある軍事評論家は言った。米軍はテロリストがいる場所だけをピンポイントで爆撃し、『人道的な戦い方だ』と。そう考えるなら、爆撃の下に立ってみなさい、と言いたい。爆撃で死んだのは女性や子ども、お年寄りといった罪のない人ばかりだ」・・・「大きな曲がり角。戦争を身をもって知らない世代ばかり。私もアフガンを通して戦争のなんたるかを知った。安倍さんの描く戦争の状態は現実離れしたゲームのようにしか見えない」” (「現実離れした戦争」中村哲氏)

戦車や・・好き」などと大人が好奇心しかなければ、ピンポイント爆撃だから『人道的な戦い方だ』などとゲーム感覚で納得肯定し、罪のない人々が現実には殺されていようがそれを知ることもなく、「戦車や・・好き」とその子供たちにまで言わしめる。

「戦争のなんたるか」を一つとして知らしめない単なる「面白ずく」の記事が「乗りものニュース」では ”ミリタリー”のジャンルで掲載されている。

ただ「面白ければ良い」が昨今流行りのメディアのあり方なのだろうか?

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”群馬県の伊香保おもちゃと人形自動車博物館(吉岡町上野田、横田正弘館長)は、実物大の戦車などの軍事品の模型を展示する「ミリタリーゾーン」を開設した。・・横田館長は「『実物大戦車の模型を置いてほしい』というファンの期待に応えた」と新ゾーン開設の狙いを説明。戦車の走行用ベルトなど細部にまでこだわったといい、「幼少期に戦闘機や戦車といったプラモデルを作った男性ら幅広い世代に楽しんでもらいたい」と話した。”(上毛新聞記事 [2019/12/07]引用)

伊香保おもちゃと人形自動車博物館は何度か訪れた場所である。

”幼少期に戦闘機や戦車といったプラモデルを作った” 、は私も同じ。しかし、中学生になって「やめた」。戦中世代の父の話を聞いて「戦争のなんたるか」を少しは考えるようになったからかもしれない。そのような考えのきっかけとするならともかく、「幅広い世代に楽しんでもらいたい」とはどういうことだろうか?

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米国スミソニアン航空宇宙博物館の関連施設には、広島に原爆を投下した米軍のB29爆撃機「エノラ・ゲイ」がピカピカに磨き上げれて飾られている。20万人の命を奪った兵器である。同様に長崎に原爆を投下したB29「ボックスカー」は中西部オハイオ州の博物館に展示されているそうだ。展示されている「エノラ・ゲイ」に、原爆被害や歴史的背景は一切説明されていない。

それら兵器を、我々は嬉々として観に行くだろうか?

原爆投下に使用された兵器には「戦争の何たるか」をわれわれは重ね見るが、


(長崎原爆後の写真「焼き場に立つ少年」・朝日新聞DIGITAL [2018/01/02]記事中写真引用)

「ミリタリー」記事や、模型であろうと実寸大の戦車には「戦争の何たるか」を全く覚えず、”日常的に触れている『乗りもの』に繰り込んでしまう我々。旭日旗に「戦争の何たるか」を全く覚えないことと同じ(拙稿「旭日旗考」)。軍事戦勝旗を歴史上一義として意味する旭日旗を「人間の尊厳を保つことに重きを置く平和な社会の確立を奨励する(オリンピック憲章)」ことを目的とするオリンピックの競技施設に持ち込むことも是とする空気がこの国を支配しつつある。

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”「えっ、兵器がずらり」―。自衛隊の戦車や戦闘機などの写真を掲載した幼児向け知育図鑑『はじめてのはたらくくるま 英語つき』について、大手出版社・講談社の子会社「講談社ビーシー」は2日までに「適切な表現や情報ではない箇所があった」として今後増刷しないとしました。



この本をめぐっては、児童文学関係者や新日本婦人の会などが同社に懸念を伝えていました。・・・こうした内容に、日本子どもの本研究会や親子読書地域文庫全国連絡会、日本児童文学者協会が、幼児向けの本であることを念頭に「戦争に使う乗り物を普通の車と同列にとらえられることに大きな不安」などと意見を表明していました。」”
(「幼児向け図鑑「はたらくくるま」しんぶん赤旗電子版記事 [2019/08/03]引用)

街で見かける「働く車たち」の括りであるところなどは、「乗りものニュース」の ”日常的に触れている『乗りもの』にミリタリーを括ることと同じ。

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乗りものならぬ「乗りものニュース」やプラモデルの延長でしか軍事品をみない、そして「戦争のなんたるか」を一つとして知らしめない単なる「面白ずく」の内に「爆撃で死んだのは女性や子ども、お年寄りといった罪のない人」に心を至らせることもできず「ゲームのようにしか見えない(中村哲氏)」「幅広い世代」。

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間違っていないか?とその「幅広い世代」に問いたい。

「大事なのは、人間の犠牲を減らすための外交努力です。自分が殺されるのは嫌いだから、相手も殺さない。これが普通の感覚じゃないですか。」(中村哲氏)

その努力を自ら実践し将来世代に託すべきがわれわれ大人の役目である。中村哲氏が示したように。それが憲法にある平和主義の実践である(平和主義を題目のように唱えるだけではなく行動=水路建設(中村哲氏)、を以って実践すること)。戦争で戦うが普通の国の武力主義なら、戦争に命がけで戦うが日本国に課せられた平和主義の実践である。後者がいかに大変なことか、しかし人としていかに偉大なことかは中村哲氏が教えてくれる。

ところが、その平和主義と真逆の「積極的平和主義」なる造語で隠した武力主義に日本は傾斜している。紛争地での自衛隊の民事支援をマスコミは大書報道するが、軍事を有利に進めるための作戦の一つでしかなく(民事作戦)所詮武力主義の言い訳と軍需産業輸出の目隠しに他ならない。井戸掘り一つ、自衛隊と中村哲氏ではその目指すものが異なる。

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「いかにしたらこの世から戦争をなくすことができるか?」とは正反対の方向に進んではいまいか?


(【昭和10年から15年頃の「子供の科学」】夢の図書館から画像引用:「昭和6年の満州事変から昭和12年の日中戦争開戦へと戦争への道を突き進んだ日本の姿があります。」)

その先は戦争への道。大人たちの無責任無思考な「面白ずく」は安倍政権の「積極的平和主義」の背中を押し、子供たちにその道を展く。

(おわり)

PS. コロナウイルス禍の最前線で活動する医療従事者を励まそうとブルーインパルスが都内上空を曲技飛行した(2020年5月29日)。安倍首相、その医療従事者をはじめ、多くの都民が空に手を振った。ブルーインパルスは戦闘機ではない。だからと言って赤十字の飛行機でも民間機でもない。憲法を政治解釈し地球の裏側まで武装した自衛隊を派遣可能にした者と一緒にその「非日常」に無邪気に手を振ることができない。空ではなく目の前の医療従事者に感謝を示したい。それがウイルス禍の只中にあっても日常心を失わないことであろう。


posted by ihagee at 19:00| 政治