2017年12月02日

朝から晩まで・独り相撲




明治の昔、浅草の奥山、両国の広小路、上野の山下など人出の盛り場の地面に円く縄を置いて土俵にして、芸人がたった一人で投げ銭目当てに行った大道芸から「独り相撲」という言葉が生まれたようだ。

二人の力士、呼び出し、行司もみな一人で勤め、「常陸」対「梅」の大取り組みとなると見物客も取り囲んで、「常陸」だ「梅」だとバーチャルな力士の背中に投げ銭をして乗り気になったらしい。芸人はなかなか勝負を付かせないのが奥の手でできるだけ見物客の耳目を引っ張り投げ銭を多く得ようとする。が、次第に銭の入りが悪くなると時分を計って結局一厘でも投げ銭の多い方へ軍配を上げたそうだ。八百長も八百長、滑稽の限りだったそうだ。
(出典:森銑三著「明治東京逸聞史」)

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朝から晩まで延々と大道芸の「独り相撲」を垂れ流すテレビ・新聞。これが目下、世の中の最大の関心事だとサクラの見物客に言わせている。元総務事務次官で放送局の許認可に関わったサクラのパパが電通に回って、これから官邸と息の合ったいろんな「独り相撲」をみなさまに電波に乗せてお見せするそうだ。次は芸能人のスキャンダル?またまた北のロケットマンか?

よほど国会質疑での本場所・本取り組みは見せたくないらしい。国民は佐川山や、昭恵海、加計川の登場を待ってるのにね。誰と取り組ませるかって?それは同じ友達部屋の角番横綱・大忖度。横綱のくせに猫騙しばかりで小兵・姑息と何かと評判が悪いね。観客に指を突き立てて悪態ついたり、裏では行司の団扇まで握っていると噂されているし。

元関脇で拘置所の中から相撲解説をしている籠の池さん、一言お願いします。
「八百長は許さな〜い・大忖度はやめろ〜」。

(おわり)

タグ:独り相撲
posted by ihagee at 08:17| 政治

2017年11月28日

従軍慰安婦なる事実




カンポス.jpg

(「恥を知れ Shame on you!」)


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「天皇陛下の軍隊・皇軍であるからには、誓って一般の婦女子を軍が組織的に連行し慰安婦とした事実はない。韓国が主張する従軍慰安婦問題など根も葉もない虚実である。」

「何人かはそのような不幸な従軍慰安婦はいたかもしれないが、韓国政府や民間研究団体が言うような数ではないから謝罪するほどのことではない。どの国でもあることだ。」

「朝鮮は日本の支配下にあり、朝鮮人は第二国民であり、その国民の一部が軍に協力したのであって連行と呼ばない。慰安婦に相当する人がいたとすればそれは自発的に志願した者かあるいはカネ儲けに体を売った者だけである。」

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こういうふざけたことを言う人が多い。「恥を知れ」と言いたい。被害者が生きている限り謝罪を続けなければならない。ドイツでのナチスによるユダヤ人迫害はドイツ民族が地球上にあり続ける限り「永遠に」将来世代まで罪を負うこととされている。これに異を唱える政治家がいれば直ちに政界から追放されるだけの決然としたテーゼなのである。だから、我が国のように戦争犯罪について周辺国との間で感情的なわだかまりがくすぶり続けることはない。(拙稿『安倍総理大臣、真珠湾慰霊へ 真の「和解」はその先にある』)

しかるに、安倍首相は「将来の世代が、謝罪を続けねばならないような状況を作ってはなりません」と言って憚らない。原爆投下について米国議会が同じ宣言をしたら我々はどう感じるだろうか?「謝る必要はありません」、はそう言われた側の立場になって考えてみればいかに無慈悲な言葉であるかわかるだろう。

私の祖母は満人の婦女子が従軍慰安婦として関東軍に連行される場面を目撃している。首都新京の郊外の駅でのことだが、当たり前の光景だったそうだ。その話を私は祖母の生前に何度も聞かされた。そして、復員した兵隊たちが何一つ悪びれずに自慢げに軍の慰安所の様子を語っていた時代もあった。そういう武勇伝風の回想記はいまでも古本屋にいけば手にすることができる。軍が経営する慰安所の話を面白おかしく描いた娯楽映画が連作されている「兵隊やくざシリーズ(勝新太郎主演)」。慰安所の前に列をなすは皇軍の兵隊である。商売女だけでは足らなくなって、一般の婦女子を連行し慰安婦にしたことなど彼らは知っていたし、ある時代までは公然たる事実として誰もが認めていた。

それが安倍政権になってから「知らない・嘘だ」という歴史修正に走っている。

歴史修正主義者は安倍晋三氏だけかと思っていたら、あっと言う間にその修正主義に与する人たちが現れた。そして、遂に、サンフランシスコ市議会で慰安婦像設置に関する公聴会にまで押し寄せて、元慰安婦の女性を名指して「従軍慰安婦は全て捏造だ。あの売春婦は嘘つきだ」と叫んだ。カンポス市議は「恥を知れ Shame on you!」と四度繰り返した。「自分たちが過去の事実を否定していることに。ここにおられるリーおばさんに個人攻撃を行ったことに。日本政府が事実否定に加担していれば、二重の悪意であり、加害した上に侮辱しているのですから。」



(この動画にみるような海外から見たこの国の立ち位置を国内メディアは一切報道しない。)

「恥を知れ、二重の悪意、加害した上に侮辱」という言葉は最大限の批難である。性犯罪被害者に対する「嘘つき」呼ばわりは人権に対する最大限の冒涜として米国人は蔑むことである。それなのに、大阪市長はサンフランシスコ市と姉妹都市の関係を絶とうとしている。なんたることか!カンポス市議は事実を否定しに来たのは数名の聴衆であって、その背後に日本国がないことを信頼したいと言う。しかしもしそうでなければに「二重の悪意、加害した上に侮辱」であると糾弾している。日本国を代表して大阪市長はその背後になろうとするのか?一自治体の首長に過ぎない者のとんでもない自意識過剰であろう。国外では従軍慰安婦問題を過小化または否定しようとする背後に明らかに安倍政権があるという論調になっている。われわれもその括りに入れられてしまって「日本国が・日本国民が過去の事実を否定にかかっている」と見なされている。少なくとも私は否定しない。事実は変えられない。われわれ自身に問うべき恥を知っているからだ。ところが、大阪市長の軽率極まりない態度は「日本国が・日本国民が過去の事実を否定にかかっている」を「そうです」と言うに等しい。

つまり、大阪市長は「従軍慰安婦は全て捏造だ。あの売春婦は嘘つきだ」と叫んだに等しい意味を発信して愛国者を気取って悦に入っている。恥を知るべきことだということが、全くわかっていない。

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「従軍慰安婦は全て捏造だ。あの売春婦は嘘つきだ」と言う愚か者の思考パターンはこうだ。

「あらかじめ決めていた結論に一部分の事実をはめ込み、逆にその結論と矛盾する事実はすべて無視し」「小さな誤認や食い違いを、歴史をひっくり返す大発見とはやし」「当時は不可能だった対応がなかったのはそれがなかった証拠とし」「相手には厳密な証明を求めるのに、自分の意見には因果関係を証明せず、ハーフトゥルーズの世界をつくりあげる」(滝川義人氏指摘)

「従軍慰安婦は全て捏造だ。あの売春婦は嘘つきだ」の一つとしてこの愚か者たちは因果関係を証明せず、ひたすら人格攻撃に走る。その被害者が議会で証言をしている事実まで虚実と言えば、これは国際感覚から著しく逸脱するばかりか悪意のある妄言でしかない。「恥を知れ」と一蹴されて然るべきなのである。その恥の元凶を作ったのは「レイプ」したわれわれ日本人であったことを忘れてはならない。「恥を知るべき」は先ずはわれわれでなければならない。兵隊として出かけた先で「レイプ」をしていたということは恥以外の何ものでもない筈だ。その恥を悔いることもなく、むしろ、恥辱を受けた者に対してさらに言葉で恥辱を与えることは恥を知らないにも程がある。

一人だろうが百人だろうが人権である。数が少ないからと軽んじられるべき問題ではない。人数が正確でないから否定する、という考え方は国際感覚から著しく乖離している。東京都の小池百合子知事が、都立横網町公園(墨田区)で9月1日に営まれる関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式への追悼文送付を断ったのも、石碑に彫られた六千余名という朝鮮人犠牲者数(日本人に虐殺された人数)を「根拠が希薄」だからと否定したのも、全くおかしい。

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詩織さんのレイプ事件についても同じことが言えるだろう。詩織さんに対して言葉によるセカンドレイプを陰湿に続ける元TBSワシントン支局長の山口敬之氏に国際世論が「恥を知れ」と言う前に我々が「恥を知れ」と言わなければおかしい。それを庇い続ける公権力に対しても。山口氏が行ったことは「レイプ」である。どんなに山口氏が脚色しようと「レイプ」なのである。山口氏の出自であるTBSを含めたマスコミはなぜこの事件に沈黙するのか。

日本という国は、内側から見る場合と外側から見られる場合で立ち位置が大きく異なる。われわれは立ち位置を知らなければならない。性犯罪についての国際世論は厳しい。(拙稿「立ち位置を知ること」)


(おわり)

posted by ihagee at 19:45| 政治

2017年11月26日

「行政文書管理の在り方」なる奇問



和田垣健三という法学者がいた。



明治19年(1886)帝国大学法科大学教授となった人物だが、大学での試験にはいつも設問の終わりに余興の問いが付いていたという。これが学生にも学者仲間にも好評だったらしい。

「鳥が卵を生むか、卵が鳥を生むか」
「君の眼に映じた彗星の長さは幾ばくか」といった具合である。
(出典:森銑三著「明治東京逸聞史」)

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森友・加計学園問題の争点を、与党や希望・維新といった与党補完勢力は「行政文書管理の在り方」にしようと画策しているようだ。

要するに、法的に適切だと事後確認検証できるような文書を役人が適切に保管せず破棄したから、会計検査院は十分に検証のしようがなく、従って、問題視される結果となったと、与党や希望・維新といった与党補完勢力はいわんばかりである。しかし、森友・加計学園以外の学校の許認可に関して認可に関わる書類が総じて適切に保管されず破棄されたという事例を我々は知らない。つまり、安倍首相やその夫人が関わればこそ、そのような「例外」(麻生副総理の言)が発生したのであって、森友・加計学園問題の個別・例外・奇異さが何に由来しているか問わず、「文書管理の在り方」などという一般論・枝葉末節な論点にすり替えようとするものであり、問題の本質を曖昧にして良い話ではない。立憲民主党・共産党の国会での主張は「文書を捨てた」ことよりも役人が捨てた「動機」を問うものであり、役人にそのような行動を取らせた暗黙の力の淵源を厳しく問うものであって当然である。

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「文書を捨てた」こと自体は国家公務員法での背任行為であり法律上罰せられるべきことであり、佐川なる国税庁長官に瑕疵を問わないばかりか、国会で事実確認を拒み続けたその人物の「勲功」を認め官邸が財務省理財局長からその地位に栄転させたこと自体も全く不可解の限りである。また、そこまで「行政文書管理の在り方」を与党は明瞭化したいというのであれば、藪の中化・ノリ弁化のためにしかならないような特定秘密保護法を直ちに撤廃すべきである。特定秘密保護法の対象を拡大適用するのも行政機関の長であれば、官邸は「行政文書管理の在り方」を見直すと言いながらもその大元となる特定秘密保護法は微動だにしないというならば詭弁にしかならない。

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無謬性こそ役人の役人たる絶対的要件であれば、最後は「これこれの書類がありますからね〜」と自らに利する論理(霞ヶ関文学)と組み合わせて相手(国民)をやり込める為にも役人は言質をしっかり取り文書にして残す本能がある。隠しはすれど捨てはしない。今回はその本能さえ曲げて保管規定を破ってまでも重要な文書を彼らが破棄していることが判っている(あるいはどこかに隠しているのかもしれない)。

「行政文書管理の在り方」以前に、その管理を蔑ろにさせるしかないような何らかの力が働いた。と我々は事の背景や時間的経緯から確信しているのである。籠池氏が「神風(が吹いた)」という「神風」は一体どこから吹いたのか?その風上に安倍首相および夫人がいて、彼らが明らかにその風を送っていたことが問題の本質であって、その本質を「行政文書管理の在り方」などという総論・藪の中論にすり替えてはならない(拙稿『「藪の中」考』)。アカラサマとも言えるほどの接点を安倍首相や夫人は籠池氏や加計氏と持っており、その事自体は否定できない。つまり、不正への導出可能な線形的な論理しか存在しない。

卵か鶏か、目先か否か、という非線形的・導出不能な余興的設問と答えに終始し、安倍首相および夫人に高枕をさせてはならない。和田垣教授も採点は余興の問いへの導出不能な答えにではなく、本文の設問の答えに行ったであろう。すなわち、「安倍晋三首相および首相夫人たる安倍昭恵氏」の関与である。誰の目にも明らかな導出可能な線形的な論理しか森友・加計学園問題には存在しない。

目くらましに目をくらまされないようにしたいものだ。相撲界の内輪揉めなる余興を連日報道し、国会から国民の目を遠ざけようとするマスコミの目くらましにも。

(おわり)

posted by ihagee at 20:03| 政治