2018年06月21日

一対一対応 vs. 藪の中



「物事を処理するにあたっては、丼勘定で捉えるのではなく、一つ一つ明確に対応させて処理することが大切です。たとえば、伝票なしで現金やものを動かしたり、現金やものの動きを確認せずに伝票のみで処理したりするようなことがあってはなりません。売掛金の入金チェックにしても、どの売り上げ分をどの入金分で受け取ったのかを個々に対応させながら一対一で消し込むことが必要です。また、生産活動や営業活動においても、[総生産]や[総収益]といった、いわゆる収益とそれを生み出すために要した経費を正確に対応させ、厳密な採算を行うことが必要です。」

京セラの経営理念ではこのように述べられている。稲盛氏の経営理念の底に「一対一対応」がある。それができない相手とは取引しないという。信用関係が築けないからだ。

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「一対一対応」から安倍政権の諸政策・国会での受け答え・国民への説明などを見てみると良い。
一つとして「一対一対応」をしていない。それどころか、対応させることすら不可能にしようと、物事を粉飾・虚飾・改竄し、嘘に嘘を重ねて相手を煙に巻く。今治の腹心の友も全く同じだと昨日の会見?で判った。

全く信用が置けない。それどころか、信用なるものを鼻で笑っている。

安倍政権および与党は本来国民から不信任をつきつけられるべき存在であり、私の周辺でも批判・非難の声の方が多い。しかし、さっぱり民意が反映される気配がない。官公庁の公文書を改竄してもそれは改竄ではない、とするが如く監督責任の一つも負わない政権、歴史を修正改竄したり憲法を恣意的に解釈したりと、思いのままである。

選挙制度という民主主義の根幹までは侵されていないと信じたい。しかし、ここまでめちゃくちゃをしても開き直り存在し続ける政権の姿を見続けていると、次第に疑問が湧いてくるのも仕方あるまい。この根幹を改竄されたらもうこの国は終いであるが、その点検はできない仕組みとなっているようだ。ブラックボックス化・神聖不可侵ということらしい。(拙稿「<蟻の一穴・アキレスの踵> 選挙の公正」)

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(一対一対応=投じた一票が正しく民意として反映されているか、点検すべきことである)

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「一対一対応」の一つ見ることができないこの国の今の有様(特に政治)は「藪の中」なのかもしれない(拙稿『「藪の中」考』)。神道政治連盟神道政治連盟国会議員懇談会(「神道の精神を以て、日本国国政の基礎を確立せんことを期す」と謳い、自民党を中心に国会議員283名が参加し、その一人が安倍晋三氏である)およびそれを裏で支える日本会議は、明確な論理や科学的に考察可能な思想体系を一切持たない宗教的な呪術・祭祀を元にする精神主義集団でもある。「藪の中」の住人であることも段々世の中に知れてきた。住んでいる世界が我々と異なる。「一対一対応」など全く必要としない彼らなりの原始的な神の国に住んでいるのだろう。この原始的「神国」説が今も政治教義として息づいていることは「日本の国、まさに天皇を中心としている神の国であるぞということを国民の皆さんにしっかりと承知して戴く」<森喜朗元首相の神の国発言>からも明らかである。

「『日本を取り戻す』ことは『大麻を取り戻す』こと」=「大麻=神宮大麻」=「神国」即ち、国家至上主義を理想と言って憚らない安倍昭恵夫人、この夫妻と取り巻きによる国家の私物化だろう(拙稿『「自由に反する恥ずべき考え方」=「美しい国(安倍首相)」』。

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「立憲主義を否定する国家観を持つ人が多い。戦争に負けた時に、間違った考え方を清算せず、害虫駆除しなかった。日本会議や青年会議所が害虫が増殖する巣になっている。「日本会議をゴキブリ扱い」と産経新聞に言われそうですが、構いませんよ私は。」(前川喜平氏)

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安倍政権の唯一の功績は、我々国民に「藪の中」を垣間見せてくれたことだろう。これが「美しい国」の実相であると。日陰者だったゴキブリが「藪の中」からごそごそと明るみに出ててきた。我々国民はその「藪の中」とゴキブリの姿を一匹づつ見ることができるようになった。安倍政権に感謝する。あとは、どうまるごと退治するかである。

(おわり)

posted by ihagee at 04:04| 政治

2018年06月16日

人の命の重さは、拉致被害者だけが重いのか?(続き)



人の命の重さは、拉致被害者だけが重いのか?と前回長々と綴った。

拉致問題一点から日朝交渉をすべきではないと。それは拉致問題以外のイシューの重要性とのバランスが取れなくなるからだ。安倍総理は拉致問題が「何よりもわれわれにとって大事な」と言う前は、日本に飛来するミサイルが最大の脅威・国難だと言っていた。いや、それ以前は、ホルムズ海峡の機雷だとか、リーマンショック級の経済危機のおそれだとか、が脅威・国難だと言っていた。安倍総理自身がその時々でバランスを失っている。それは安倍という政治家(および安倍政権)の立場がその時々で保てるか否かで、逆に物事の順番をつけていると考えた方が良いかもしれない。今は、それが拉致問題ということなのだろう。だから一貫していない。自己都合が透けてみえる。それを彼は「われわれ」と必ず言い換え、あたかも主語は「国民」であるとする。しかし、私も含め多くの国民は、軍事的脅威を取り除く外交こそ(話し合いを基調とする)喫緊に追求すべき外交であり、もたらされる和平こそ国益だと思っている。拉致問題とはその枝葉で解決されるべきことだ。

実は、トランプ大統領は米朝首脳会談の前後で北朝鮮による日本人拉致問題について、明確にこう言っていた。
安倍総理にとって個人的(personal)に重要な事柄
安倍総理が「われわれ=国民にとって重要」と幾ら国内で言い張っても、米国も北朝鮮もそれは「安倍総理にとって個人的(personal)に重要な事柄」だと見透かし見解を共有している。

然るに、安倍総理も官邸もマスコミも、この「安倍総理にとって個人的(personal)に重要な事柄」なる発言に注視してこなかった(いや、こう言われてはまずい!とわかって無視してきたのだろう)。安倍総理がもし「われわれ=国民にとって重要な事柄」と本当に思うのであれば、トランプ大統領にその発言を改めさせなければならない。日本国として最大且つ喫緊に解決すべき課題と国民が皆認識しているというなら。ところが、安倍総理はトランプ大統領の発言を百パーセント支持すると言った。つまり、安倍総理をして国際社会に「安倍総理にとって個人的(personal)に重要な事柄」以上の事柄ではないと認めさせたことになる。米朝首脳同士でこの見解を共有したということが、「拉致問題について提起した」という内実であったのではないか?

トランプ大統領は普段は粗暴な発言が多いが、反面、慎重に言葉を選ぶ場合がある。「安倍総理にとって個人的(personal)に重要な事柄」はそうなのだろう。余計なリップサービスはしない。トランプ大統領を言動を観察すると、「具体的な行動につながらないものは無意味」とするプラグマティズムを強く感じる。それが無意味なうちは「何を実行していくのか注目される」とコメントするに留めることが政治的胆力だが、その通り、「様子を見てみよう」という態度や発言をこれまでもし続けてきた。直情径行のように見えて、胆力がある。また、発言は一見粗暴だが、「具体的な行動」につながるとはっきり認識できない事柄は突き放す。その突き放しぶりが「安倍総理にとって個人的(personal)に重要な事柄」に現れていると私には思える。

プラグマティズムが嫌うのはエモーショナル(情緒ばかり)の政治である。安倍総理はエモーショナルにトランプ大統領と接してきた。ゴルフを介した親友関係の友情はあたかも外交に利するという感覚である。これはプーチン大統領にも行った。ところがこの二人はプラグマティズムに徹している。だから、彼らは友情と外交を全く別に扱っている。内政では存分に威力を発揮する安倍友政治(ともだち関係で国政を動かす・人治主義)は外交では全く通用しない。それが安倍総理は全くわかっていない。習近平も金正恩も冷徹なプラグマティズムを心に持っている。お涙頂戴の三益愛子ばりの母もの映画は、彼らは見ない。少なくとも外交の場では。

プライベートな懸案と言われて、そこを突破口に日朝首脳会談を行おうとする姿は、自己都合・自己保身にしか見えない。やはり、一旦拉致問題は脇に置いて、米朝首脳が国家間で懸案としている非核化・経済支援について日本がどのように関わるのか、米朝それぞれと真剣に話し合う必要がある。話し合いをしない・最大限の圧力は米朝首脳会談で退けられ、話し合いを基軸とする和平路線で進む上では、もはや日本政府だけが立ち止まっているわけにはいかない。立ち止まり、話し合いにも消極的になっているうちに、請求書だけ突きつけられる事態になる。拉致問題に固執するいうことはその事態に陥る可能性となる。大局で物事を捉え、その中で拉致問題について北朝鮮と話し合う(余地があるのなら)が、まともな外交の進め方だ。

そして、米朝首脳会談では北朝鮮が短中距離ミサイルを捨てる話などしていない。本来はこのことがわが国にとって脅威であり国難である筈だ。原発を五十数基抱えるわが国にミサイルが飛来・落下すれば、核爆弾が落とされると同じだけの脅威となる。

北朝鮮はあくまでも米国との関係で長距離ミサイルと核兵器を捨てると言っているに過ぎない。わが国にとっての脅威は日朝間で交渉し取り除くしかないのである。

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安倍総理は核兵器・ミサイル・拉致問題を並べて言いながら、拉致問題が「何より大切」とその一点から他のイシューも追って日朝間で話すつもりらしい。これまでは、完全不可逆な非核が確認されない限り、一切話し合いなどしないと言っていた。だから、いつの間にか前言を撤回し、随分とハードルを下げたことになる。

そして昨日、北朝鮮は「拉致問題は解決済み」と従来の主張を繰り返した。つまり相手はハードルを上げたまま、この一点で日朝交渉は北朝鮮が優位な立場である。それでもなお日本政府が拉致問題一点で日朝交渉を行うのであれば、他のイシューについても北朝鮮が優位に立つ可能性が高い。

非核化・経済支援は米朝間で合意し、米国と百パーセント共にあるとする日本も追随する。つまり規定路線であり、拉致問題でハードルを下げた日本政府はこれらの支援でも言われるがままに協力をしなければならなくなる。その主たる協力はカネであろう。

自主・主体的に外交交渉してこそ独立した国家であり、米朝の言いなりになってはならないと考えれば、河野洋平氏が日朝国交正常化という大所高所から交渉を始めるべきだと主張するのは、当然の理である。その交渉の過程で拉致問題を議論の爼上にあげるのが正道である。そこが大手門だとすれば、拉致問題は搦め手である(拙稿「<搦め手>好きの安倍首相」)。横綱が猫騙しで勝とうするのと同じ。搦め手は独裁政治の常套でもあるが、安倍総理はプーチンやエルドアンや金正恩のようなその道を極めた独裁者でもない(独裁者はお断りだが)。中途半端に独裁者でありながら、そうでないと繕って、搦め手を使うからヒッチャカメッチャカになる。搦め手を使わず、正面から政治を行うべきだ(外交も内政も)。

大所高所での交渉の開始を米朝が示した。ならば、日本政府はその高みで北朝鮮と外交交渉を続ける必要がある(正面から交渉)。拉致問題が解決するか否かは、その高みの交渉での日本政府の外交手腕でしかない。圧力は行使できても話し合いはできない(その能力がない)から、話し合い路線にいきなりハンドルを切られ最も戸惑っているのは日本政府かもしれない。話し合い基調の外交(本来の外交)で手腕を問われることは避けたい。非力であると国際社会にその「外交の安倍」の看板までも見下されれば政権の存立に関わるからだ。拉致問題一点になるのはある意味、「逃げ」でもある。失敗してもそれは北朝鮮の頑なな態度だと言えば済むし、努力している態度だけでも評価され、そして一つでも結果が出ればそれは「外交の安倍」を飾ることになる。

これは、北方領土問題絡みの日露交渉にも言える。ロシアは日本に高みの交渉を要求しているが(日米安全保障条約の見直し等)、そんなことは到底交渉できない日本政府は、旧島民のビザなし墓参やらイチゴ栽培やら、ここでも「逃げ」に走っている。プーチン大統領は日本側の意気地のなさを見抜き、北方領土のロシアの主権を確たるものとするミサイル配備やらインフラ整備を活発化させている。

「逃げ」が失点にならず得点になるのはあくまでも国内向けの安倍政権の顔であり、そうマスコミが繕うからだろう。しかし、海外ではそれは「外交の安倍」がいかに看板倒れかを示している。

日本の外交交渉の真価が問われている。真価が問われる厳しい時代に突入した。旧態依然と前世紀の感覚のままの安倍政権(副総理は古い時代の政治家の典型とまで海外で酷評されている)では、到底太刀打ちできないのではないだろうか?外に出て、マリオに化けたりゴルフに興じたり犬の贈呈に出かけたりアンチョコを棒読みして演説したり金袋を背負って漫遊したり、G7の首脳でそのようなパフォーマンスが国際政治に必要だと思う人は安倍総理以いない。

(おわり)

タグ:拉致問題
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2018年06月14日

人の命の重さは、拉致被害者だけが重いのか?



「人の命の重さは、拉致被害者だけが重いのか?」

こんなタイトルを掲げると、拉致被害者が可哀そうではないか、と云われかねないが、あえて掲げる。

「一人一人の命の重さは同じ」だと、信じたい。だから、拉致被害者の命がとりわけ重いわけではない、と思う。しかし、政治が絡むと、その重さは変ってくるようである。

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北朝鮮による日本人拉致問題で、拉致被害者(生存する未帰還者)の帰還が「われわれの最も大切な」問題と安倍総理大臣は言う。

「われわれの最も大切な」の「われわれ」とは一体誰なのだろう?私にとっても拉致被害者の人権は大切だと思う。しかし、だからと云って、それが「最も」大切だとは思わない。また拉致被害者の人権が「われわれ」=日本国民が誰しも「もっとも大切」なことだとも思えない。なぜなら、そのほかの人権も「われわれ」は大切だと思うからだ。たとえば、ジャーナリストの安田純平氏はシリアの武装勢力に拘束されたまま、日本政府は救出の何の手立てもしていない。彼の場合、拉致被害者と本来同じ重さの命でありながら、安倍政権に批判的言動があったとして、政治的にその重さを軽んじられている。たとえ、自己責任で危険地に入ったとしても、拉致・拘束された被害者であることには変わりない。

いや、そんな例を出さずとも、非正規雇用の貧困に喘ぎ明日も知れぬ生活を送る若年貧困層の命の重さとは一体何なのだろうか?結果、自殺という自ら命を軽んじるように追い込むのは社会であり政治である。最近の例では、公文書改竄で自責に苛まれ自殺した近畿財務局のノンキャリア職員の命の重さは、改竄を指示したとされる者(佐川理財局長・当時)よりも軽いと云わんばかりの、麻生財務相の発言等々、政治的に軽重が扱われている感が強い。

政治的に利用価値があれば重くなり(不起訴となった佐川氏)、なければ軽くなるでは(自殺した職員)、合点がいかない。このように、拉致問題自体が、安倍自民総裁の都合(今秋の自民党総裁選挙)に有利に働くイシューだからこそ、「最も大切な」問題としてこのごろ安倍総理が取り組みだした魂胆が透けてみえる。つまり、政治家の都合でこの問題が優先的に扱われる。

随分と旧聞となるが、ダッカ日航機ハイジャック事件(1977年)で、日本政府は交渉や武力での解決が難しいと諦め、10月1日に時の福田赳夫総理大臣が、身代金の支払いおよび日本赤軍収監メンバーなどの引き渡しを「超法規的措置」として行った。この時、「一人の生命は地球より重い」と福田総理は述べたが、万民の為の法律を人質の数よりも逆に軽いと扱ったことにもなる。法を蔑ろにしてその上に立つ人権を取った方が手っ取り早いと考えるのも極めて政治的思考である。犯人と粘り強く交渉するか、武力で鎮圧するか、高度で難しい解決を敢えて避け、原則を曲げて、結果を求めれば、矛盾だけが残る。爾来、いかなるシチュエーションであっても「超法規的措置」は採るべきでないということが国際政治の常識となっている。

拉致被害者があと何人生存しているのか判らないが、もし何人か生きていて、今後、拉致問題の日朝間の外交交渉で、それらの人々を帰還させるために、日本政府が直接間接的に北朝鮮に支払う費用は一体幾らになるのだろうか(億単位と言われている)?拉致問題という点でハードルを下げれば自動的に非核化のための費用まで降ってくる。その費用は十年間で220兆円と見積もられている(後述)。それら費用を前述の貧困問題に充填したら、数百・数千人の命が救われる。これをいうと、次元やシチュエーションが異なる問題を混ぜこぜにするな、と怒られそうだが、係る人権(命の重さ)はそれらの如何に拘わらず同じ筈だ。

米国同時多発テロ事件で亡くなった米国市民と、中東の紛争地で米軍の誤爆で亡くなった市民の命が同じ重さに扱われないのも、政治が絡むからだ。絡んで利益がある側の人権は重く扱われ、そうでない側の人権は虫けらのように扱われる。

だから、北朝鮮にとっても、日本の植民地となっていた当時の虫けら同然に扱われた人権問題を取り上げる権利がある。政治的にそれを取り上げるだけの国際的地位に漸く立つことができたからである(米朝首脳会談の結果)。人権が抑圧された側として当然、その歴史的清算を日本政府に求めてくるだろう(その賠償額は3兆円を下らないとされている)。

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非核化の費用(220兆円と見積もられている)の請求書の送付先を米朝が決めたのが先の米朝首脳会談の結果である。「米国と百パーセント共にある」と言う日本は、トランプ大統領が決めれば従うとの政治的に弱い立場に陥り、日朝首脳会談前の日米会談でこの費用負担の話を突きつけられたのかもしれない。その見返りは安倍政権を今後もバックアップするということだったら、とんでもないバーター取引である。国家としての自主性すら損なわれる事態だ。逆に何もそんな話を事前に聞いていないとなれば、それはそれで、日本政府は交渉する必要もなく結果に従えということで、植民地的扱いである。

非核を誓うなら核武装した当人が本来その費用を負担すべきことであろう。その費用がないというのなら、周辺諸国は貸付けるべきことだ。経済協力は借款の返済の目的も込めて行う、ということでなければいけない。この辺りの話し合いに日韓政府が入らず(裏で交渉したのかもしれないが)、米朝間で勝手に決めてしまった感がある。核兵器の片付けを行うべき核実験場や核施設をダイナマイトで勝手に破壊させたことも、片付けを困難にするだろう。放射能でいたるところ汚染されてしまったからだ。国際機関の査察も不可能なほど、めちゃくちゃにして、片付けは費用も人も技術も「よろしく」と北朝鮮は日韓に投げている。冷静に考えれば、こんなめちゃくちゃな話もない。しかし、和平路線を続けるなら米朝関係は後退させるわけにもいかない。北朝鮮(裏には中国)はある意味無手勝流・濡れ手に粟な、巧妙な戦術で米国と交渉し結果を得たことになる。

日本政府がここまでも袖にされたのも、拉致問題に固執し過ぎたからだ。「提起する」ことのみ日本政府の要望を受け入れ、その代わり他の問題には日本政府は交渉に関与させないとすれば、やはり拉致問題を米朝会談にねじ込むことは得策ではなかった。安倍政権は完全に足許を見られ掬われてしまっている。

米朝首脳会談で和平の方向性が示されたことは良いとしても、その費用を日韓が全て負担するという、責任の丸投げがその実であれば、日韓はただの財布扱いにされただけである。トランプとキムという政治家同士ならこんな荒っぽい交渉ができるのだろう。この辺りは、再交渉を行う必要があると日本政府は強硬に米朝両国に迫らなけれならない。非核の当事国(米朝)がその責任の一部をしっかり負うことを約束させる為にも。

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大所高所から話をすれば、本来、拉致問題とは最も小さな問題なのに、日本政府は解決への期待値を膨らませるだけ膨らましてきた。となれば、その問題解決のバーターとして、従軍慰安婦や強制労働など日本側が加害し傷つけられた人権の数は拉致被害者の数とは比較にならない程多い日朝間の問題の解決を北朝鮮が持ち出すのは目に見えている。大所高所で臨むべき問題に、拉致問題でハードルを下げて入ることは、ボタンを掛け違う可能性がある。

このボタンの掛け違いは、朴前政権との間での従軍慰安婦問題解決の為の日韓合意とも重なって見える。朴前政権が思い切りハードルを下げたために、ボタンを掛け違え、世論の合意を得られず、現政権は大所高所での日本との交渉をやり直そうとしているのがそれである。日本政府も拉致問題でハードルを下げ、結果(何らかの解決を見た結果)、北朝鮮から法外な請求書を突きつけられ、世論の合意が得られず、再交渉を図ることまで覚悟しているのだろうか?従軍慰安婦問題で日本が再交渉を撥ねつけるのであれば、北朝鮮が拉致問題で再交渉を撥ねつけたとしても、文句は言えない。

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拉致問題がその他の人権よりも優先的に解決しなければならないと考えるのは、極めて政治的な動機に基づく。その動機を持たない人権はその影で軽んじられる。安倍政権が拉致問題を声高に「何よりも大切な」と言い出したのは米朝首脳会談の兆しが見え始めてからであって、それまでは政治的に利用できないと思ってか、軽んじてきた(過去五年何の進展もない)。だから、なおさら、政治的動機でしかこの政権は人権問題を見ていないと判る。詩織さんの人権を蹂躙した強姦事件すら、その加害者が安倍総理に極めて近いという関係から問題無しと片付けたりと、権利の本来のあり方が政治で捻じ曲げられてきた。

拉致被害者家族の中でも、他の人権との比較衡量の観点も必要という声もあるようだ。即ち、解決の落としどころを決め(何を以て解決と認めるのか)、この問題で拉致被害者の人権だけが政治的に最優先・最大化されることを避けようとするものである(蓮池透さん)。政治イシューとなればなるほど、特恵される人権という世間の冷たい目が向けられる。政治家が少しでも距離を置くと拉致問題が世間の関心から薄れるのも、裏返せば、政治イシュー化して、我々の思う人権とは別の人権があるから関係ないのだと見放されているのかもしれない。あまりに政治と距離を詰め過ぎたのである。是枝監督がカンヌ受賞作品から政治的影響を遠ざけようとすると同じで、国策があってはならないのは、表現の自由も人権も同じ。そういう一歩引いたスタンスを拉致被害者家族の中で持つことは或る意味大事なことだ。

人権をかつて訴えていたミャンマーのアウン=サン=スーチーも、権力側に付きその人権に政治が絡むと、今度は人権を抑圧・蹂躙する側に回る。人間の基本的権利(命の重さ)は政治とは本来無関係に存立する。しかし、その距離を縮めれば、途端に政治によって軽重が判断される。拉致問題被害者家族を責めるつもりは毛頭ないが、彼らが政治と距離を詰めれば、政治が彼らを利用し人権を利用し政策に転換する。拉致被害者の人権こそ「最も大切」であると、他の人権に目を向けさせない(あるは抑圧する)偏った人権擁護に政治が走る。だからこそ、拉致被害者家族には視野を広げて、周りのこととも比較衡量してもらいたい。解決すれば他のことはどうでも良いわけではない。そんな全権委任を安倍政権に行ってはダメだからである。

日朝関係を正しく修復するには、河野洋平氏が説くように、大局的見地から臨むべきである。その中で拉致問題が一つの枝葉の議題として扱われるのが正しい。即ち、日朝国交正常化を幹に据えて、あるべき両国の姿を政治的に詰めていくことが大事で、政治的成果を急ぐあまり、ボタンを掛け違ってはならない。

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残念なことに、安倍政権はその政権の延命の為であれば、ハードルを下げてまでも対朝交渉で目先の得点をしたいらしい。ハードルを下げる日本政府はトランプ大統領からもキム委員長からも丸見えで、安倍総理は金蔓にしか見えないだろう。安倍総理なら、いくらでもカネを出すと彼らがその足許を見ている可能性がある。

ハードルを上げ、高度な外交交渉を積み重ねるだけの胆力も能力もないと、両首脳から日本政府はみくびられているようだ。

拉致問題にばかり終始していて本当に大丈夫なのだろうか?

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繰返すが、拉致被害者の人権がどうでも良いなどと云うつもりは毛頭ないが、この問題から日本政府が対朝交渉を始めることは、大局的見地に立つことができないことを懸念しているのである。その見地ではすでに非核化のため費用負担は日韓が主に行うと米朝首脳は決めているようだが(そんな約束を我々国民はした覚えはない)、それも拉致問題に拘るばかりに日本政府が同じ見地に立つことができないと見下されている証でもある。トランプ大統領が決めたことは日本政府が決めたと同じと扱われても安倍総理は文句一つ言わない。

非核化にかかる費用は10年間で220兆円に上ると試算する向きもあり、その額が幾らになろうと(青天井になる可能性もある)北朝鮮に対して日韓で払うことだけはトランプ大統領がキム委員長に約束しているようだ。拉致問題解決に日本政府が急ぐとなれば、当然、足許をみられ、カネの話ばかりになるだろう。この額を一年に均せば、消費増税分はすっ飛ぶ額でもある。財政健全化という近い将来への大課題を抱えているのに、なぜ、米朝間の非核化問題がそれより優先するのか、日本政府は米国・北朝鮮と真剣に交渉しなければならない。その際に、拉致問題を言質に取られてはならないのである(拉致問題は解決を約束したから、口を挟むなという立場に日本政府が追い込まれつつある)。

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拉致問題は悲しいが一旦棚上げにし、日朝国交正常化を見据えて、足許をみられない高度な外交交渉を日本政府に期待したいが、安倍政権では無理である。とにかく、藁にもすがる思いで、拉致問題で得点し秋の総裁選を乗り切り政権を維持することだけで頭がいっぱいなのだろう。

米朝関係を後退させないことこそ、和平への道であれば、応分の負担を日本が行うのは当然であるが、当然とするには日本政府が積極的に米国と北朝鮮それぞれを相手に真剣に交渉に取り組まなければならない。他人の褌で相撲をとったり、ゴルフ外交などしていては、もうダメなのである。もっと高度且つ戦術的な交渉を行うに安倍政権は非力過ぎる。そういう時代に突入したと我々国民も考え、国益に適う外交手腕を発揮できる政権を求めるべきだ。時代の変わり目も知らぬ、非力な安倍政権には明日にもその座を下りて貰わなければならない。

(おわり)

追記:
人権に関しては北朝鮮国内に重大な人権問題が存在することを忘れてはならない。抑圧蹂躙している側の最高指導者はいうまでもなくキム委員長である。
日本人拉致という人権問題をキム委員長との間で「解決」することは、北朝鮮国内で虐げられている多数の人々の命と取引することでもある。返してもらえるのならその犯罪に目をつぶろうと言うのであれば、そういうことだ。
このように北朝鮮の人権問題に触れずに拉致という人権問題だけ解決するということは、日本人の命は重いが朝鮮の人々の命は軽いということを、日本政府が是認することになる。自国民に非情なキム委員長はそれで構わないかもしれないが、人権意識の高い先進国の同意は得られまい。
人の命の重さは同じであれば、人権問題は等しく解決されなければならない、現実はなかなかそうならなくとも、政治はその理念を自ら蔑ろにしてはならない筈である。

ところが、等しく解決される必要などない、と理念などどうでも良いと言わんばかりのトランプ大統領に、国際的に非難の声が上がっている。金銭的な利益さえ得られれば、犠牲となる命があってもそれは仕方のないことだ、とはビジネスで割り切れることも(武器商人のように)、政治の常識ではない。拉致問題ばかり優先する日本政府にいずれ非難の矛先が向かう可能性は十分にある。拉致問題からあの国と交渉することは私は反対だ。



タグ:拉致問題
posted by ihagee at 17:52| 政治