

(「多湖輝人気作10冊セット」から、多湖輝著)
" 23日(1984年4月23日)午後、花見見物でにぎわう大阪の桜の名所、大阪造幣局「桜の通り抜け」近くで、リンゴ路上販売業者が電話をかけに行ったわずかのスキに、約2トン、八十箱のリンゴが通行人に次から次に持ち去られる”事件”があった。「試食していただいても結構です」の看板に、通行人が群集心理にかられ持ち去ったらしいが、青森から来た業者はあまりのモラルの低さにあ然とし、警察に被害届も出さず、しょんぼり引き揚げていった。” (1984年4月24日付河北新報夕刊9面)
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この「リンゴ事件」について「人は大勢の人が同じ行動をしているのを見ると、自分も同じ行動をとりたくなる心理がある」と多湖氏は「同調行動」を指摘している。
「試食していただいても結構です」の看板は明らかに「売り物前提の試食」であるにもかかわらず、みんなが手を伸ばしているから自分もと、業者の居ないスキに通行人が次々とリンゴを持ち去った”事件”であった。自分にとってはその行動が何を意味しているのか批判的思考を巡らせなくてはならないのに、大勢の人が共鳴する有様にその思考が働かなくなるのはこの「リンゴ事件」に限らない。
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オリンピックの聖火リレーは明らかに、大勢の人がオリンピック開催に共鳴することを目的とした政治的メッセージであり、開催機運への国民の雪だるま式取り込み(スノーボーリング)を期待している。
実際、その聖火リレーはその先頭をゆくデコ車共々「自分も同じ行動をとりたくなる心理」を利用し、あたかも感動や気持ちがあればオリンピックは成功裡に開催できるとばかりに国民の「同調行動」を促しているが、国民の多くは「同調行動」に陥っていない。多数の人々にとって良いことかのようにどんなに意義深げに聖火リレーを演出して見せても、コロナ禍にあって「私」にとっては良くないことかもしれないと、個々人が批判的思考を行っているからだ。

(#チームコカコーラ)
時流に乗れ・勝ち馬に乗れ("Jumping on the bandwagon")とばかりに、リレーを先導するデコ車の上でウェイウェイと踊り狂い奇声を上げるものの、そのデコ車(バンドワゴン)の狂騒に国民は乗らず聖火リレーを冷めた目で見ている。
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ウエスト・ロング・ブランチにあるオールド・ファースト・メソジスト教会墓地に「聞いたことのない最も有名な男 the most famous man you've never heard of,」であるダン・ライス(Dan Rice)の謙虚な墓がある。アメリカで最初の道化師だった彼は、当時アメリカ大統領に立候補したザッカリー・テイラー(Zachary Taylor)の選挙活動を手伝いテイラーを12代アメリカ大統領にした。その選挙キャンペーンこそ、時流に乗れ・勝ち馬に乗れ("Jumping on the bandwagon")である。

(Dan Rice)
ライスはかねてから大統領候補のザカリー・テイラーの友人であると主張していたが、彼の道化師としてのパフォーマンスを見たテイラーはダンを選挙運動に誘った。サーカス興行で使っている楽隊車(バンドワゴン)にテイラーを乗せてパレードしたライスが、"jump on the bandwagon "という言葉を生み出したと言われている。テイラーが当選した後、ライスは自分のことを「大統領の宮廷道化師」と呼ぶのが好きだった。
爾来、「時流に乗れ・勝ち馬に乗れ("Jumping on the bandwagon")」と叫びながら、賑々しく大通りを練り歩くことであたかも多数派を装えば「自分も同じ行動をとりたくなる心理」で我も我もと後を付き従い、結果、多数派となる同調行動を意味する言葉となり、また、アメリカの理論経済学者ハーヴェイ・ライベンシュタイン(Harvey Leibenstein)は、多くの人々が信じている、支持している、属している等の理由で、ある命題を真であると論証結論付けることを論理学上の誤謬の一種として「バンドワゴン効果」と呼んだ。
例:「ねえお父さん、スマートフォンを買ってよ、友達はみんな持ってるんだよ。」(みんな持っているから、私も買わなくてはならない)
誤謬:論証の過程に論理的または形式的な明らかな瑕疵があり、その論証が全体として妥当でないこと。つまり、間違っていること。例示でいえば「私も買うべき」との論理はない。
その誤謬を前提とする認知バイアス(自分の思い込みや周囲の環境といった要因により、非合理的な判断をしてしまう心理現象)を惹起する政治手法は、ポピュリズムの政治と親和性が高い。つまり、特徴的なビジュアルや固定観念によってのみ判断する=ヒューリスティック(Heuristic)な「バンドワゴン効果」を群衆に期待する政治手法は、個々人の批判的思考や合理的判断といった長々としたプロセスをショートカットするのに最も効果的ということだ。時流や勝ち馬に立ち向かうことは、せいぜい不利であり、最悪の場合危険である可能性があることを心理的に知らしめることすらできる。
「私がある多数派を確信したとき、彼らはお互いに転がり落ちるようにして、バンドワゴンに乗った。“When I once became sure of one majority they tumbled over each other to get aboard the bandwagon”」(セオドア・ルーズベルト)
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聖火リレーには何故「バンドワゴン効果」が働かなかったのか?
聖火リレーがもし去年の今頃行われていればスノーボーリング効果で開催機運は多少なりとも高まり、結果としてオリンピックは開催されたかもしれない。しかし、開催が一年延期されたことによって、その間に個々人の批判的思考や合理的判断といったプロセスが可能となった。今更、聖火リレーとデコ車(バンドワゴン)を繰り出したところで国民の思考放棄は望めない。社会的シグナル(新型コロナウイルス感染拡大)に気付いてから最終決定(開催可否)までにしばらく時間がかかると、我々も批判的思考が可能になるということ。
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自民、公明両党は5日、憲法改正国民投票の利便性を高める国民投票法改正案について、立憲民主党から提示された修正要求を受け入れる方針を固めた。
国民投票法改正案は、2016年に改正された公職選挙法の内容を、憲法改正の手続きに関する国民投票にも適用するため、「共通投票所」の設置や「洋上投票」を可能にする、投票所に入ることができる子どもの範囲の拡大――等7項目を見直すものだが、国民投票法で定めるテレビCMのあり方に根本的な欠陥がある。すなわち、テレビやネット広告の規制がなく、運動の資金量が国民の投票動向を左右する「バンドワゴン効果」を意図しているからだ。憲法改正に係る国民投票だけに、個々人の批判的思考や合理的判断といったプロセスを「時流に乗れ・勝ち馬に乗れ("Jumping on the bandwagon")」とばかりに囃し立てるテレビCMやネット広告によって、ショートカットしてはならない。
バンドワゴン効果の認知バイアス(自分の思い込みや周囲の環境といった要因により、非合理的な判断をしてしまう心理現象)=誤謬、を国民に期待し、憲法改正を発議する場所(機関)である憲法審査会を動かす「呼び水」にすることなど、本来あってはならないことだ。
CMやネット広告の資金を潤沢に調達できる自民党(政党交付金だけ見ても今年度だけで170億2100万円、加えて背後には政治献金団体の財界と最大の広告会社電通が存在する)にとって、喧々諤々の議論や論理ではなく、特徴的なビジュアルや固定観念に専ら依存する「同調行動」を群衆心理に期待するバンドワゴンはいくらでも繰り出すことができる。
”立憲民主党はCM規制について「施行後3年をめどに法制上の措置を講じる」ことを付則に加えるよう要求している。それで対応が十分に担保されるのか疑問だ。” (信濃毎日新聞社 2021年5月5日付記事引用)
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「リンゴ事件」では、事件の発生から3日後に「大阪の良識を取り戻そう・持ち帰ったリンゴの代金を支払うのも反省の証の一つです」と大阪新聞が紙面でキャンペーンを展開し、持ち去ったことを恥じた者などからいくばくかの金が行商人の元に返ってきた。
「施行後3年をめどに法制上の措置を講じる」が与野党(共産党除く)間の落とし所になりそうだが、3日ならぬ向こう3年の間に我々が批判的思考を巡らせることができなければ(国政選挙による政権交代)、自民党の思惑の通り「同調行動」を群衆心理に期待するバンドワゴンがテレビやネットに繰り出すことになる。
誤謬を国民が後になって気づき自らの不明(無思考)を恥じたところで、一旦改正された憲法は元には戻らない。「立憲的な憲法秩序(人権の保障と権力分立)を一時停止して非常措置をとる権限(白神弁護士)」を内閣総理大臣に集中させ、立憲主義に基づく統制(コントロール)およびその上で問われるべき政治家の責任を一切合切放棄する「緊急事態条項」が憲法に創設されれば、カギのかかった箱の中のカギ(憲法第21条)を我々国民は取り出すことはできなくなる(拙稿「カギのかかった箱の中のカギ(憲法第21条)」)。
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ウェイウェイとがなり立てるデコ車まがいのテレビCMやネット広告が、結果として<立憲主義へのレッドカード><地獄の一丁目>と懸念されている「緊急事態条項」創設へのショートカットとなってはならない。
個々人の批判的思考や合理的判断といったプロセスが長かろうとも、政治はそのプロセスを尊重すべきである。命題に対する真は決して、道化師の発案したバンドワゴンキャンペーンからは導き出されない。
(おわり)