東京電力福島第一原子力発電所の大量の放射性物質の漏洩を伴う原子力事故は国際原子力事象評価尺度でチェルノブイリ事故と同等の最悪のレベル7に位置付けられている。
(3号機の水素爆発・海外では核爆発と専門家は分析している)
----
そのチェルノブイリ事故(1986年)から31年が経過した。事故原発があるベラルーシでの政情不安、ベラルーシに国境を接するウクライナでの紛争など、この事故が直接・間接的に周辺地域の不安定化の地政学的要因になり続けている。ソ連邦の崩壊のトリガーもこの事故であると言われている。原発事故由来の放射性物質が環境の一部に組み込まれ人間を含め生態系全てに将来に亘って影響し続けることも疫学などの学術調査によって明らかにされてきた。
原発そのものについては、事故は幸いにも一基のみであり(4号機)、事故直後の当局の決死の作業(多くの人命が失われた)によって地上地下で外界から遮断(石棺化)し、地下水脈を介しての環境への放射性物質の持続的漏洩は食い止められ、原子炉爆発で当初に飛散した放射性物質(広島原発約20個分相当分)に汚染が留まっている。しかし、石棺という閉じ込めは未来永劫(人類の物差しからみて)続けなくてはならない。
人間の生活圏については、事故から5年後に、ウクライナでは「チェルノブイリ法」を制定し、年間被ばく線量が5ミリシーベルト以上の地域は「強制移住区域」、1〜5ミリシーベルトの地域は「移住選択区域」として住民に移住の権利が与えられた。移住を選んだ住民に対して国は、移住先での雇用と住居を提供、引越し費用や移住によって失う財産の補償も行った。移住しなかった住民にも非汚染食料の配給、無料検診、薬の無料化、一定期間の非汚染地への「保養」などを定めて、住民の健康と生活を守ることに努めている。
人間の生活圏を汚染源から可能な限り遠ざける<防曝>のスタンスは、政情不安となろうと内戦が勃発しようと為政者は変えようとしていないようだ。
----
翻って、安倍首相の「アンダーコントロール」の一言は内外に向けたあからさまな印象操作だった。つまり、わが国の事故はチェルノブイリのそれとは全く違うと政治的に嘘をつき装うことにあった。「実害」を前提とする<防曝>のスタンスは取らず、「除染」「帰還」でわが国民は汚染に立ち向かえると国際社会に宣言した。「今この瞬間にも福島の青空の下、子どもたちはサッカーボールを蹴りながら、復興と未来を見つめている(安倍首相)」と「青空」ありき、子どもたちに<防曝>の選択肢すら与えない言葉はあまりに酷過ぎる。
その通り、日本政府はチェルノブイリ事故から敢えて何も学ぼうとせず、さして何事もなかったかのように平常を保つことに終始している。「実害」は国内向けには禁語にしてその大半は「風評被害(根も葉もない噂)」と言い包める。他方、お友だち作戦で被曝したと主張する米兵には裁判の経緯によっては「実害」を認め巨額な賠償金に応じようとしているのだから(東電が払えなければ国民の税金が充てられるだろう)、安倍首相にとっていざとなって守るべき国民とは自国民のことではない。日米安全保障条約の真に意味するところである。
チェルノブイリ事故から学んで住民の健康と生活を守るようなことでもすればその対策にかかる経費は膨大となる上、「実害」を一つでも認めれば「安全・安心」なる日本のブランドイメージに傷がつき、経済活動の阻害要因としかならないと思っているのだろうか。平常心の天秤に吊るされた錘が2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会なのだろう。
環境に漏洩した放射性物質に政治的思惑を忖度する心などある筈もなく物性に基づく勝手気ままな挙動は一つとして「アンダーコントロール」でなく、ホットスポットやパーティクルになって我々の生活圏に潜在し動き回っている。そればかりか、8000ベクレル/kg以下の汚染土の公共事業への利用や、その焼却処理(フィルターなど何の役にも立たない)、地下とはいえども我々の生活圏下に高濃度放射性廃棄物の地下処分の検討を国が推し進めている。まるで放射性物質にとって手足が伸ばせ居心地の良い生活圏を広げるようなものだ。
(拙稿『
国家ぐるみの壮大な「粉飾決算」』)
政治家も官僚も御用学者も、彼らの生きている間だけ問題が起きなければ後は知ったことではないのだろう。ばら撒いて将来管理できなくなろうと、その頃にはこの世にいないから知ったことではない開き直りとも取れる。
(拙稿『
いつまでも「うそつきロボット」で良いのか(原発事故なる国家の宿痾(治らない病)続き)』)
「痛みを分かつ」は心情的に国民に膾炙され易いが、
こと原発事故に限れば「痛んだ所に抑え込む」しかないのである。つまり<防曝>のスタンスに立って年間被ばく線量が5ミリシーベルト以上の地域は人間の生活圏から遠ざけ(=人間がその地域から立ち退き)、その意味で棄地となった土地を国が収用管理することしかない。具体的には事故原発を中心として福島県太平洋側沿岸地域をその土地とし放射性廃棄物の集中管理処分場にする政治的決意が求められる。
原発由来の核のゴミを全土に分散管理し続けるのは現実的に不可能な上、自然災害などで予測不能に漏洩すればそれこそ日本中が副次的な放射能汚染の脅威に晒されることになる。特に地下水脈が至るところに走る日本では、どんなに深く埋めても廃棄物が水に触れて放射性物質が環境に漏洩する可能性が高い。地下水脈が汚染されれば人間の生活圏は根こそぎ奪われることになる。
----
それでも「痛みを分かつ」ことをこの国は国民に求めるのであれば、誰かが喩えたように「トイレのないマンションに住むようなもの」となる。原発は今後次々と再稼働するだろうが、現状破綻状態の核燃料サイクルが回り出しても、廃炉や事故原発由来の処理しきれない放射性廃棄物は山積みとなって我々の生活圏で計画的に埋められたり燃やされたりすることは間違いない。
そうなれば各人が「痛み」の在処を知って可能な限り回避行動を取るしかないだろう。その手立ての一つは各人が線量計(ドシメータ)を携帯し長時間の積算の被曝量を把握すること(外部被曝)。
自治体がスポット的(点状)に観測するのではなく、各人が行動する範囲で線状且つ経時的に被曝量を把握し(いつ・どこで・どれだけ被曝したか)、次に汚染場所(特にホットスポット)を自主的に回避する行動に繋げることができる。
ただし、線量がμのレベルを超えてmSv/hの場所であれば直ちに退避行動を行う必要があり、その場合はブザーで知らせるなど警報器の役割もなければいけない。通常の線量計はγ線0.01〜9.99μSv/hが計測レンジなので、小数点以上二桁以上の数値が表示される計測器であって欲しい。
ゲルマニウム半導体検出器が原則の食品の放射能検査だが(ベクレルを単位とする内部被曝)、個人レベルで行う場合はその代替評価法として、表面近くの空間線量率を計測することになる。シンチレータでは表面のα線とβ線は計測不可能で、GM管(ガイガーミュラー計数管)でマイカ窓(α線検出)のある計測器が必要。
詳しくは「
放射線測定器の種類と一覧」サイト参照。
国産の計測器で手軽(且つ安価)に入手できるものはシンチレータ。GM管(ガイガーミュラー計数管)であれば、チェルノブイリ事故以来実績のあるウクライナ製が手頃かもしれない。
----
私事だが2011年の原発事故の数日後に都内で金属臭の空気を吸って(吸うというよりも金属を舐めた感じがした)、以前テレビで観た3Mの原発事故のドキュメンタリー番組での同様の証言を思い出しこれは大変だと、直ちにeBayを通じて放射線測定器を購入した。
購入した測定器は旧ソ連製(ウクライナ製)のMASTER 1。開発・製造されたのは1986年というからチェルノブイリ事故の申し子。外見はひどく安っぽく見えるがGM管で一分当たりのγ線を積算して平均値を液晶に示してくれる。早速、地震と液状化で被災した後復旧したばかりの東京ディズニーシーに持ち込んで計測した。ベンチなど測定したが平均して0.35μSv/hの値だった。
その後、同じく旧ソ連製(ウクライナ製)のGM管が二本装備されマイカ窓のある箱型の測定器やら、元は軍事用で民生に転用されたカナダ製の測定器(RD 108DB)を購入したりした。後者はγ線測定器だが単位がr/hなので、針が一つ振れるだけで(1r/h)で10mSv/hに相当し、普通に過ごして1年間に浴びる放射線量を15分足らずで浴びる計算となる。原発事故や核戦争を想定した測定器。針が振り切れるのを見ることになれば死を覚悟しなければならないだろう。
最近の製品としてはSOEKS Ecotester(ウクライナ製)を使っていたが、乾電池の液漏れでプリント基板が溶け使用できなくなった。旧ソ連製はすべて半田付け配線で頑丈だったのに、新しい製品ほど作りがチャチなようだ。
----
ドシメータとしても、警報器としてもまた食品検査としても、それなりに用を果す計測器は高価で個人に手が出る代物ではない。しかし、ロシアのベンチャー企業の製品でこれら要件を概ね満たした比較的安価な測定器が販売されている。
ドシメータとしてはcsv形式でパソコンに時間軸で線量をグラフ化してくれるし、閾値を超えた線量を検出すれば即座にブザーで警報し、鉛の裏蓋を外して食品表面に密着させればα、β線を検出してくれるようだ。両線種の検出に威力を発揮するパンケーキ型GMが内蔵されている。β線も過不足なく検出できるところからもしかしたらGM管も備わっているのかもしれない(追記:GM管は追加されておらずCPUがアルゴリズムで算出しているようだ)。
(使用例・デイスプレイは英語に表示切り替え可能)
(チェルノブイリ事故原発周辺での使用例)
近々購入して使ってみようと思う。
----
放射線測定器など原発事故以前であれば、鉱物コレクターなどニッチな人々の需要しかなかったのに、事故後、急速にコモディティ化し私を含め少なからぬ人々によって日常的に使われるようになった。放射線測定器が日常生活にあること自体が異常なことだが、現実を数値として見、我が身の安全を他人任せにしない意識はかえって育まれたのではないかと思う。信ずるものは救われるとされてきた原発の安全神話が崩壊した今、同じ神話に再び騙されないようにと、放射線測定器は我々の意識を覚醒させる役目も帯びてきたようだ。
(おわり)
posted by ihagee at 18:20|
原発