2018年09月02日

そもそも、「トリチウム水」なのか?


今日(2018年9月2日)のサンデーモーニング(TBS)で、コメンテータの涌井雅之氏が「安全」と「安心」の話の流れで、もんじゅ及びもんじゅの廃炉作業は安全でないと発言していた。

高速増殖炉もんじゅの廃炉、福島での原発事故、主観的・心情的な「安心」では決して済まない、科学的「安全」が脅かされている。「笑っていれば安全」「安心なら安全」「(実害よりも)風評被害」に代表される、科学を心情に置き換える論がいかに非科学的粗暴であるか、その点を涌井氏は押さえているのかもしれない。そこまでは良い。
(拙稿『いつまでも「うそつきロボット」で良いのか(原発事故なる国家の宿痾(治らない病))』)
しかし、私は涌井氏が「トリチウム水」と言い出して、おや?と首を傾げた。「トリチウム水」の海洋放出は科学的に安全と思うが・・と言い出したからだ。

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「トリチウム水」「トリチウム汚染水」、涌井氏に限らずマスコミでは多核種除去処理された処理水をそう総称する。

しかし、「トリチウム水」「トリチウム汚染水」それらの「安全」はそもそも比較の範疇。トリチウム自体、他の放射線核種と比較して環境への負荷が低い程度を「安全」と言葉を当てているに過ぎない。われわれの生活環境に照らせばやはり管理すべき「安全でない」物質であることに変わりない。その管理のタガを外し、「安全」と東電、政府、原子力規制委員会が言うのであれば、「トリチウム水」「トリチウム汚染水」をタンカーに満載し先ずは安倍総理のお膝元の山口の海で放出することだ。率先垂範を示すべきは総理と言うのならそうすべきだ。しかし、問題の本質はそこにない。

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問題の本質は処理水と呼ばれるものが「トリチウム以外も含む水」だからだ。

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認定特定非営利活動法人FoE Japan資料

カルシウムと似たような挙動を示し骨の無機質に取り込まれ長く留まる(強い放射線を出し続ける)ストロンチウム90(崩壊しながら別の核種になる)が処理水に含まれている点を看過してはならないだろう。半減期 28.79年と言えどもその影響は大きい(原子力資料情報室資料現代ビジネス・プライム記事)。その半減期ですら、水に浸かり外界と流通する核燃料からストロンチウム90が日々新たにこの先もずっと発生し続けるのであれば、その汚染水に総体として半減期というものはないと考えるべきだろう。

涌井氏は「トリチウム以外も」について何の言及もしなかった。これでは話の前提が間違っていることになる。「トリチウム以外も含む水」については東電も原子力規制委員会もそれが処理水であると認めている。多核種除去設備について東電は、62種類の放射性物質を告示濃度限度以下まで除去でき、残るのはトリチウムだけと説明してきたが、違うということである。

日々発生する汚染水に、多核種除去設備の稼働性・処理量をあげるために東電は設備のフィルタ交換を頻繁に行っていない(酷く汚染されたフィルタの交換も至難だろう)。したがって、フィルタは劣化しトリチウム以外の核種も処理水に告示濃度を超えて含まれていることを、先般東電自身が公表した。トリチウム以外はほぼND(不検出)であることを前提の海洋放出案はそもそもその前提が崩れているということだ。涌井氏はこの点から話を始めるべきだった。

原子力規制委員会の更田豊志委員長も半減期が1570万年のヨウ素129が、排水の基準となる1リットル当たり9ベクレルの告示濃度限度を超えて検出されているなど、処理水は「トリチウム以外」も含むと認めた上で、尚、希釈して放出すれば「安全」と説明している。しかし、水中などにある物質が生態系での食物連鎖を経て、捕食者の体内で次第に濃縮されていく海洋生態系を考えれば、希釈に「安全」を言えるのか甚だ疑問である。捕食者の最上位は人間であるからだ。水蒸気にして大気に放出する案やら地中深くに放出する案、いずれも同じ疑問がある。放出した先の開放系の連鎖する環境では「安全」であるのかどうにも説明がつかないからだ。

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そもそも、「トリチウム水」なのか?「トリチウム水」「トリチウム汚染水」と括るマスコミの印象操作に巻かれてはならない。事実は「トリチウム以外も含む水」である。

そこから議論をしなくては事の本質を見誤る。

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事を前後にして、米動画配信大手「ネットフリックス」が配信している東京電力福島第1原発事故の被災地を取材した番組が波紋を広げている。この番組については私も取り上げた(拙稿「安全神話を鵜呑みせず、自分で考えることの重要性」)。

事の本質の一つを番組は明かしているが、福島県および復興庁は「対応する」と争うつもりらしい。

時事通信社のネット記事は『被災地で「被ばく食材かも」=米動画大手番組−福島県など対応検討』とタイトルを被せている。「被災地で」と始め「無許可で帰還困難区域に侵入」と綴る。被災地の住民の心情を盾にネットフリックスは酷い番組を作ってデマを飛ばしていると、読み手にバイアスを加えてはいまいか?

県や復興庁が真相を質すべきはネットフリックスではない。事の本質は環境に放出された放射性物質であり汚染という実害であろう。繰り返すが、福島での原発事故、主観的・心情的な「安心」では決して済まない、科学的「安全」が脅かされている。科学を心情に置き換える論の延長線で福島県および復興庁は「対応する」のであれば、それこそ事の本質を見誤ることに他ならない。2020東京オリンピック・パラリンピック競技大会は「福島復興」を大義として掲げるが、国際社会はその大義によって脅かされようとしている科学的「安全」に目を向けようとしているのかもしれない。


(おわり)



posted by ihagee at 10:07| 原発

2018年08月22日

棘(ヘイト)を必要としない記者の目



炎暑・猛暑の今夏。首都圏で消費する電力(東京電力管内の電力)は現在のところ原発に依存していない(原発停止中)。しかし、需給関係は逼迫せずむしろ余裕を以ってクリアしている。

太陽光発電が東電管内でも供給力の一割超を占めるようになり、原発ゼロの夏を乗り切る(安定的使用率)に一定の貢献をしていることは間違いない。以下は東京新聞・2018年8月20日朝刊記事。

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”「電力の安定供給には原発が不可欠」とする政府や電力業界の主張はその根拠が薄らいでいる。”
が記事の趣旨。

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”「電力の安定供給には原発が不可欠」とする政府や電力業界の主張” をそのまま代弁するは
産経新聞デジタル・2018年8月17日記事。

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"太陽光発電普及で電力需給バランス不安定に 夕方以降に出力急減、安定供給との両立課題" と日中と比較して電力需要が少ない夕方以降に安定供給の課題があるかに報道。安定的使用率はもっぱら昼間に問われているにも関わらず、「夕方以降」を持ち出すところ、いかにも苦しい論調である。

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産経新聞記事(特に政治絡み)は客観性に欠け、悪意を含む棘のある言い回しや、相手には厳密な証明を求めるのに、自分の意見には因果関係を証明せず、ハーフトゥルーズの世界をつくりあげることが多い。その世界はおおかた政権にコミットしている。

沖縄県内で起きた交通事故(昨年12月9日)をめぐり、産経新聞が「米兵が日本人を救出した」と伝え、米兵の行為を報じなかったとして地元紙の沖縄タイムスと琉球新報を「報道機関を名乗る資格はない」と批判した。そうした「真実」を報じない沖縄タイムスや琉球新報は「日本とその周辺地域の安全と安定のために日夜命がけで任務にあたる米軍への『敬意』を持ち得ないスタンス」が「無慈悲」で、「報道機関を名乗る資格はない。日本人として恥だ」などとも書いた。

先ず、「米兵が日本人を救出した」なる客観的事実が事実確認のない全くの虚報であった。
そして「報道機関を名乗る資格はない」「無慈悲」「日本人として恥だ」は悪意を含む棘(ヘイト)である。

この棘を撒くことが、この新聞社の本意ではないのか?ファクトよりもヘイトに立ち位置があると疑わざるを得ない。ヘイトが目的でファクトを捏造したかの、一種の狂気すら感じる(拙稿「産経新聞の狂気」)。政権・与党議員の近頃の言説と近似するところでもある。

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この手の悪意を含む棘(ヘイト)を必要としない記者の目が東京新聞にはある。読み手の心がささくれることもない。

(おわり)


posted by ihagee at 04:04| 原発

2018年08月21日

安全神話を鵜呑みせず、自分で考えることの重要性



脱被ばく実現ネット(旧ふくしま集団疎開裁判の会)のちらしをもらった。

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「自分の頭で考えて行動することの大切さ(広瀬隆氏)」を改めて自分に言い聞かせた。最初から安全なる神話があって、それを我々はただ盲信すれば良いという構図こそ疑ってかかるべきだろう。

東京電力福島第一原子力発電所の未曾有の産業事故に由来する放射線公害は収束の目処一つなく今も間断なく続いている。「アンダーコントロール(安倍総理)」どころか、8000 ベクレル/kg以下の放射能汚染土壌を農地などに利用する・680基の放射能タンク汚染水を海に放出する、といった計画を国は着々と進めようとする。どこが「アンダーコントロール」なのだろうか?生活環境にばら撒いてしまった後はコントロールのしようもない。つまり、ばら撒いた後の挙動については「知り得ません」は管理と言えるのだろうか?ただ単に「管理し切れないのでばら撒きます」と同じことなのではないのか?

いずれにせよ「自分の頭で考える」ことだ。

我々の生活環境とは完全に隔離された閉鎖系で厳重に管理されるべき放射能汚染廃棄物(閉鎖系の管理基準は厳しい)。今、国が行おうとしていることはそれとは真逆の無管理の拡散かもしれない(基準が有って無いに等しい)、と「自分の頭で考える」ことだ。

トリチウム以外は「浄化処理した」と言われてきた、680基の放射能タンク汚染水だが、トリチウム以外の放射線核種については最初から判っていたことだが「残っていた」。今さら、そっと事実を明かし「何とかなる」と誤魔化すが、このどこが「アンダーコントロール」なのだろうか?いずれは「薄めれば安全(「放射線自体が薄まる」かの表現は正しくない)」と流してしまうかもしれない。

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私も含め日本人はとかく上から降ってくる「○○神話」に弱い。「長きに巻かれろ(目上の者や勢力の強い相手とは争わないで、それに従った方が得策だという意。)」は先祖から受け継いだDNAなのかもしれない。運命とばかりに許容してしまう(拙稿『「運命でかたづける国民性」』)。従わなければ「村八分」という掟である。「村八分」とは今なりに言えば「差別主義」だろう。ゆえに「原発安全神話」を振りまく人々・そこで長きに巻かれる人々は「原発ムラ」となる。

この性向は国際社会では共有されない。これこそ、悲しいかな「日本国・日本人」らしさなのだろう。共有されないからこそ、歴史的に長く鎖国していたのも道理である。ある意味で世界の中でも最も異質で特異な社会を作り上げてきたのかもしれない(ガラパゴスの生き物と同じ)。

「村(ムラ)」社会がそのまま国家観となり、村の住人がそのまま国民となって、差別主義的発言を与党国会議員が口にしようが不問とされる、それどころか差別を訴える者(詩織さん)を社会から排除しようとする「村八分」が法律よりも上位で社会を支配する。法治主義よりも人なりの掟主義がまかり通る。

フェイクサイト(南馬宿村役場)に「村八分にされてしまったら」というまとめがある。この村自体架空なのだが、書かれていることは案外現実社会(村に限らずこの国全般)と照合し得る点が多いのである意味面白い。「NOと答えずYESと答えよ」「行事やイベントには絶対参加すべし」「押し付けられた、引きずり出されたと思うべからず」「他人優先と考えよ」「新しい文化や価値観を持ち込むべからず」

しかし、そのようなDNAなど元から持ち合わせない外国人(欧米人)は、上から降ってくる「○○神話」なぞ最初から疑ってかかる。NETFLIXの「世界の現実旅行」という番組の第二話では神話探訪ツアーは、神話ならぬ現実を知るに及んで中断する事態となった(以下の通り)。

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ツアーを中止し這々の体で逃げ出す外国人たち。しかし、そこに普通に生活している人々が我々である。2020東京オリンピックで安全(アンダーコントロール)の旗を振らされる人々がそこにいる。おそらく、この番組を視聴する外国の人々はそうとしか受け取らないだろう。

(おわり)
posted by ihagee at 03:25| 原発