国際オリンピック委員会(IOC)を相手取ってその登録商標『五輪』の無効を求めた知財高裁訴訟(令和4年(行ケ)第10065号)は原告敗訴となった。
さらに原告側は最高裁に上告受理申立を行ったものの、民訴法第318条1項により受理すべきものとは認められない旨の最高裁の決定(門前払い)で、知財高裁判決が確定した。
この経緯については原告の一人である柴大介弁理士の「特許の無名塾:五輪知財を考える」ブログ記事を参照されたい。
----
さて知財高裁訴訟で原告の申し立てた取消事由1について、私なりに法理の欠陥を指摘したい。
取消事由1と知財高裁の判示は以下の通りである(同上ブログの「IOC登録商標『五輪』上告受理申立:取消事由1に対する判決の論理破綻」記事から抜粋引用)。
〔原告の主張〕
原告らは、
➀被告(IOC)は、外国会社ではなく、法律又は条約の規定により認許されていないから、我国において認許された外国法人(民法35条1項)とはいえない。
➁パリ条約2条は、同盟国に属する外国法人がパリ条約の他の同盟国で認許されることを定めたものではなく、パリ条約には、他にこれを定めた規定は存在せず、パリ条約の規定を根拠として、被告が、「条約の規定により認許された外国法人」(民法35条1項ただし書)に該当するということもできないとして、
➂被告は、日本国において、商標権者となるための権利能力を有しないから、本件審判における被請求人適格を有さず、本件審判手続きには、この点を看過したまま審理を行った、重大な手続違背がある旨を主張する。
〔判示〕
そこで検討するに、民法3条2項は、「外国人は、法令又は条約の規定により禁止される場合を除き、私権を享有する。」と規定し、同項の「法令の規定により禁止される場合」として、
特許法25条は、「日本国内に住所又は居所(法人にあっては、営業所)を有しない外国人は、次の各号の一に該当する場合を除き、特許権その他特許に関する権利を享有することができない」と、同条3号は「条約に別段の定があるとき」と規定し、商標法77条3項は、特許法25条を準用している。
そして、特許法25条柱書きの「外国人」には、外国法人が含まれ、また、同条には、外国法人について民法35条の認許された外国法人に限定する文言はないから、認許されていない外国法人も、特許法25条柱書きの「外国人」に該当するものと解される。
しかるところ、パリ条約2条1項は、「各同盟国の国民は、工業所有権の保護に関し,この条約で特に定める権利を害されることなく、他のすべての同盟国において、当該他の同盟国の法令が内国民に対し現在与えており又は将来与えることがある利益を享受する。すなわち、同盟国の国民は,内国民に課される条件及び手続に従う限り、内国民と同一の保護を受け、かつ、自己の権利の侵害に対し内国民と同一の法律上の救済を与えられる。」と規定しており、・・・特許法25条3号の「条約に格段の定があるとき」に該当するものと解される。
そして、被告は、スイスの法律に従って組織されて存続する法人であり、日本国およびスイスは、いずれもパリ条約に加盟しており、「同盟国の国民」であること(乙4)からすると、被告については、上記「条約に別段の定があるとき」該当し、同条による権利の享有の禁止は適用されないと解すべきである。
以上によれば、被告は、商標権その他商標に関する権利を享有するものと認められるから、原告らの上記主張は、その前提において採用することができない。
知財高裁は、原告の上記主張に対して、民法3条2項を前提に、特許法25条を持ち出し、そこにパリ条約2条(内国民待遇原則)を適用して、IOCは商標権を享有できるとの結論を導き、原告の主張は前提において採用できない、という、前代未聞のアクロバティックな論理展開を繰り広げたのでした。(「IOC登録商標『五輪』審決取消訴訟:判決(審決維持)右矢印1 舞台は最高裁へ」から)
----
以下は私見である。
民法3条2項「外国人は、法令又は条約の規定により禁止される場合を除き、私権を享有する。」
特許法25条「日本国内に住所又は居所(法人にあつては、営業所)を有しない外国人は、次の各号の一に該当する場合を除き、特許権その他特許に関する権利を享有することができない。
三 条約に別段の定があるとき。」
(商標法77条3項が準用)
民法上、権利主体となり得る「人」には自然人と法人が含まれるが、民法3条は「私権の享有は、出生に始まる」自然人であり、同条2項は私権=私法上の権利が誰でも生まれた時点から持っている内国自然人と同様の自然人である外国人の権利能力の範囲について定めた規定である(一般権利能力者としての自然人)。但し、法令または条約の規定によってはその私権の享有が禁止される場合がある。
一般権利能力とは、人が私法上の権利・義務の主体となりうるための法律上の資格を指す。人は生まれながらにして、このような権利能力を有することを民法第3条は定める。どの国の法律による場合であれ、生命のある人間には一般権利能力が与えられるべきであるため、その有無について準拠法を選択する必要はない(但し、始期や終期については準拠法に従う場合がある)。
民法3条2項に拠れば、外国人の私権の享有の有無については準拠法を選択する必要はない。「(但し)法令又は条約の規定により禁止される場合を除き」はあくまでも一般権利能力に係る個別的権利能力の制限であるから、準拠法の決定が重要になる場面とは自然人についての個別的権利能力の制限の場面である。
例:胎児の父親が交通事故で死亡した場合、胎児にも相続権や損害賠償請求権が与えられるかどうかという問題(権利能力の始期)
他方、権利享有主体間の区分上では個別的権利能力の表題の下に外国人・法人が含まれる。
個別的権利の帰属が否定されたり制限される例外的事例を権利享有主体の側から表現するための言辞が「特別権利能力」の概念であるが、「特別権利能力」の主体には自然人のみならず法人も含まれる(特許法25条)。しかし民法3条2項がその前提にあるということは、一般権利能力者 (内国自然人)の概念である民法3条2項「外国人」に「外国法人」が含まれることになる。特許法のうちの権利法の部分は民法の特別法とし、一般法(民法3条)に対して特別法(特許法25条)が優先する「特別法は一般法を破る」法諺に従ってこのように適用関係が決定されたと理解されるが、係る適用関係では一般権利能力と特別権利能力とを等置しており、その妥当性を容易に説明することが疑わしい状況が生じると考えられる。その状況とはまさしく原告が取消事由1で述べた「被告(IOC)は、外国会社ではなく、法律又は条約の規定により認許されていないから、我国において認許された外国法人(民法35条1項)とはいえない。」ということである。
登録商標「五輪」は特許庁が「五輪」異議申立事件で自ら明らかにした通り、商標法4条1項6号に基づく公益著名商標であり、であればその商標を有するIOCは外国の公益法人である筈だから、外国の公益法人は認許することは日本の公益に反するおそれがあるという理由から承認なくしては認許されない(cf. 外国会社は特別の承認なくして認許される)。外国法人を認許することは、新たに権利能力を与えるのでなく、外国法人として権利主体であることを承認することであり、その認許は民法35条(外国法人)の規定に拠る。認許なき外国法人はわが国の法律では権利主体となり得ない。不認許法人の活動は権利能力なき社団・財団の名において活動することになり、その法人の名で行った契約に基づく権利義務はその社団・法人の代表者の名において行使され履行されるという規律を受ける。商標法で言えば、権利能力なき社団は権利・義務の主体にはならないためそもそも商標権者にはなれない(IOCは商標権者となり得ない)。つまり、権利主体として承認されていないIOCのわが国での活動はこのような規律を受けることになるところ、知財高裁はそうではないとまで結果として判示したことになる。百歩譲って知財高裁の論理を認めたとしても、工業所有権の保護を目的とするパリ条約上の内国民待遇の原則をもとにIOCの権利能力を認める限り、それは商標法の法益に限定された権利能力でしかない。つまり、商標法上のみIOCに権利能力を認めたことになる。登録商標「五輪」の無効を原告は求めたのであるから、知財高裁は商標法の法益にのみIOCに権利能力を認める論理に徹すれば良いわけである。
ところが、この論理の前提は民法3条2項「外国人は、法令又は条約の規定により禁止される場合を除き、私権を享有する。」であり、同項の「法令の規定により禁止される場合」として、商標法77条3項が準用する特許法25条3号を持ち出している。これは一般法である民法3条をその権利法の部分において特許法25条で破ったことになるわけだから、民法上の権利能力まで認定する判示でもある。
斯様に外国法人の認許(承認)は民法(一般法)に拠るところを、特別法(特許法25条)が優先する法理の妥当性を取消事由1に即して知財高裁は詳にせず、アクロバティックな「論点先取(証明すべき命題が暗黙または明示的に前提の1つとして使われるという誤謬の一種)」を行ない、パリ条約2条1項の内国民待遇の原則を適用し特許法25条3号の「条約に格段の定があるとき」との論理は、結果として「法律又は条約の規定により認許された外国法人は、この限りでない。(民法35条1項)」が特別権利能力の権利享有主体に専ら係る特許法25条3号の「条約に別段の定があるとき」と等置することになりその法理の妥当性も知財高裁は詳にしていない。
妥当であるどころか、商標法の法益上の権利能力の認定を超えて民法上の権利能力まで認定する判示となった。これは明らかに法律解釈の違反であり最高裁で争われるべき場合に該当する。
「特別権利能力」の表題の下に外国法人を取り扱うことは、一般権利能力者 (内国自然人)・特別権利能力者 (外国人・法人)を区分するに等しいものであり、民法における「人」の把握としては適切でないからである。
「特別権利能力が権利能力として考えられるのは個別的権利能力の問題としてである。自然人の権利能力を一般的に剥奪しない近代法においても、個々の権利は剥奪される。特別能力が外国人の権利享有問題として問題となるのはこの意味においてであり、それは個別的権利能力の問題」(西賢「国際私法における能力」神戸法学雑誌七卷四号 (一九五八年)七一六頁=同・国際私法の基礎 (晃洋書房 一九八三年)四八頁)との指摘が明言するように、およそいっさいの自然人に権利能力が承認される構成のもとにあって、個別具体的な権利の帰属が否定されたり制限される例外的事例を権利享有主体の側から表現するための言辞が「特別権利能力」概念なのであった。ここでは、一般・個別の関係があるのみである。もともと、一般権利能力と特別権利能力とを等置するのは権利享有主体間の区分そのものと誤解させかねないのであるが、四宮・前掲書のように「特別権利能力」の表題の下に外国人 (そして法人)を取り扱うにいたっては、一般権利能力者 (内国自然人)・特別権利能力者 (外国人・法人)を区分するに等しいものであり、民法における「人」の把握としては適切ではないだろう。(立命館法学 一九九七年三号(二五三号)四七四頁(二六頁))
----
原告は被告(IOC)の権利能力の認定に手続違背があったとして争ったが、そのような審理不尽ではなく、法律解釈の違反があったと争うべきであったのかもしれない。いずれにせよ最高裁は上告申立を不受理としたわけであるから、手続違背については判決が確定し一事不再理の原則が働くが、法律解釈の違反については尚、上告理由となり得る。
追記:内容一部改訂(2024/1/13)
(おわり)