2020年01月13日

和文タイプと特許技術翻訳



”当時、私の職場では、和文タイプに従事する者(全員女性)はその高度な専門技能を以て他から一目も二目も置かれていた。大きなタイプライターの筐体のアームを上下左右に動かしてはガッチャンガッチャンと活字を拾う作業の手早さに程々感心したものである。少なくとも職場内では代替不能な業務ゆえに絶対的な立場にいた。

職場に日本語ワープロが導入されるようになり、浄書がタイプからプリントに置き換わるにつれて和文タイプ業務は従事する人とともに職場から消えていった。”


和文タイプライター wikipediaより引用)

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以上、拙稿「AI本格稼動社会」への大いなる懸念(続き)から引用。

和文タイプ業務がタイプ代(印書代)など営利をもたらす事業であった時代は、ワープロ・パソコンの普及に伴い終わった。そして、AI(人工知能)の時代。その特殊且つ人の能力に依存する業務ゆえ無くならないとされてきた特許技術翻訳(特許業界に於ける営利事業)がAI翻訳に代替されつつある(未だ超えられない "壁" がAI翻訳にはあるがいずれ克服されるだろう)。

技術資料の翻訳が営利事業(=売り物)でなく内部コストでしかない製薬メーカーなどは、内部コスト圧縮の目的に適うとしてAI翻訳の導入に積極的だと聞く(「グラクソ・スミスクライン社と製薬業向けAI翻訳の共同開発を開始」)。特許業界にとってクライアントとなる製薬メーカーが技術翻訳をそう見ているということは、当然メーカーはそのコスト意識を特許業界に問うことになる。それは、かつてのタイプ代(印書代)と同様、費用請求に値しない業務という見方である。

また、我々が普段それとなく用いているグーグル翻訳(AIを中心とする)は、従来、商品として市場価値を有していた多言語間の翻訳(技術翻訳も包括する)サービス供給基盤を翻訳業者から奪い、翻訳のコモディティ化(ジェネリック化)を促進させている。こうなると翻訳業者・翻訳者間の差別化は価格競争一方となる。実質0円のグーグル翻訳にマニュアル(人間)翻訳としての差別化は品質(訳精度)に係るが、その品質と市場価格が比例していることが前提のAIを想定していない昨日のビジネスモデルの「安かろう悪かろう」的常識が、AI前提の社会では「安かろう良かろう」と非比例になりつつある。

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一般社団法人日本翻訳連盟のHP で技術翻訳の標準単価が公開されているが、マニュアル(人間)翻訳での市場価格は機械翻訳・AI翻訳の台頭によって単価は低廉の一途を辿り、フリーランサー間の競争単価は英和・和英共に10円/wd前後と、もはや翻訳業務だけでは生活できないレベルになっているとも聞く。それでも、がむしゃらに営業し訳語数で稼ぐしかないが、そうなると品質を維持し納期を守ることが難しくなる。だからと言ってAI翻訳を下訳として活用すれば、そのAIにその人なりの学習値を吸い取られることにもなる(職能すらAIに渡すことになる)。AI翻訳によって新たに雇用が創出されると期待されていたポストエディット業務などは、人が直した箇所の数に10円以下の単価の掛け算となるゆえ、訳語数以下(ページ辺り数カ所分)の収入しかエディターにもたらさず、果たして業務として成立するのかさえも疑問視されている。アダプテーションもポストエディットも上述の製薬会社では自社内で行っているゆえ(内部コスト扱い)、AI翻訳に関連するそれら業務の需要は喚起されず、市場も雇用も生まれないだろう。

このような環境にあって、AIを想定していない昨日のビジネスモデルの上に胡座をかいていた特許業界、特に特許事務所に於いて、特許技術翻訳は間接業務(直接的に会社に対して利益を生み出さない業務。特許事務所で言えば、事務管理部門の業務)の範疇に内部コストとして押し込むしかなくなるだろう。和文タイプ・英文タイプに続き、技術翻訳はそれ自体は利益を生み出さないAIに代替可能な業務になっていく。特許技術翻訳業務を収益(=売り物)の柱としてきた特許事務所にとって、そうならないAI本格稼働社会を見越して既存の収益体制の抜本的な見直しが求められることになるに違いない。そしてその流れはいずれ特許明細書を作成する弁理士にも及ぶだろう。国家資格に守られてきた士業ですら、AIを想定していない昨日のビジネスモデルの上にいつまでも胡座をかいていられない。厳しい時代になりそうだ。

便利だと「OK Google」とか「教えてGoogle」などと、AI(人工知能)を無意識に使うことは、他者の知能を借り他律に従うことになる。そもそも発想の原点が他者にあって自己にない日本の社会。そこにAI(人工知能)が適用されればどういうことになるか(拙稿 <意識なきシステム>で「世界一」となる国)?

発想の原点を自己に求めることは無論、AI(人工知能)を使わせる側(AIを制御する側)に回る位の意識の転換が我々一人一人に求められている。それが「私が私である」アイデンティティ identity(すなわち、「個人 an individual」)を失わないことでもある(identity as an individual)。

「我思う、故に我在り」(Je pense, donc je suis)。

(おわり)

posted by ihagee at 10:42| エッセイ

2020年01月04日

日本はもはや後進国であると認める勇気を持とう(加谷珪一氏コラム)



日本はもはや後進国であると認める勇気を持とう」と題する経済コラム(筆者:加谷珪一氏)が昨年ニューズウィーク日本版(電子版)に掲載され大きな反響を呼んでいるようだ。

”「日本はAI後進国」「衰退産業にしがみついている」「戦略は先輩が作ったものの焼き直しばかり」。ソフトバンクグループの孫正義社長による手厳しい発言が話題となっている。多くの人が薄々、感じている内容ではあるが、公の場では慎重に言葉を選んできた孫氏の性格を考えると、一連の発言は異例であり、事態が深刻であることをうかがわせる。”(同上コラムから引用)

「日本社会が急速に貧しくなっている」という自覚を孫正義氏がこれらの強い口調で我々に促している。バブル経済手前、高度経済成長の残照があった1980年代に社会人となった私の認識とも一致する。通勤スーツという社会人たるお約束を着込み革靴に鞄の集団からすれば、やれたジーンズにリュック姿は日雇い労働者か失職者にしか見えなかったあの時代と比べ、服飾一つとっても、社会人と一目で判る身なりはなくなった。まして、それが正規か非正規かは問わず雇用とみなす社会になって、スーツは何の約束ももたらすことはない。

自らビジョンを描くことをしなくなった世代(描くことが難しくなった世代)。後先を考えることすらできず今の一瞬を生きるに精一杯の彼ら・彼女らの、刹那的な気分は、あの時代にはなかったと思う。刹那が一瞬の意味ならその反語は永劫。一億総中流時代、高くも安くもない給料を貰って年功序列・終身雇用で55才定年、残りの人生はそこそこ年金で暮らす、その生涯設計を当然のようにあの当時の若者は抱いていた。私もその一人だった。

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貧富の格差が拡大する社会にあって、富者は更なる自由を求め、貧者は平等を叫ぶ。その特恵的自由度は権力者との距離に相応するのだろう。桜を見る会の烏合の衆に見るように。

特恵であるということ、すなわち、日本人の発想原点が相手の内にあり、相手の初動に振りまわされて自己の持ち味を発揮できないことが多いという結果になる。振りまわされているということすら「忖度」していればわからなくなる。自己の持ち味など却ってない方が良いのかもしれない。

突発入力に対しては一瞬だけ衝撃的に反応を示すけれども、あとはしゅんと静まりかえって忘れ去る。(拙稿 佐貫亦男氏『発想のモザイク』から)。これは明治から現在に至るまで一切変わっていない。

事実、「日本社会が急速に貧しくなっている」という自覚までも、今さら相手(孫氏)から求められるようでは(そんな当たり前のことすらニュースになるようでは)、「だから?仕方ないんじゃないの・・・豊かだった時代なんてどのみち知らないし」「俺にどうしろって?世の中が悪いんさ・・・まぁどうにかなるさ」とスルスルと現状肯定・思考停止・判断留保になるのオチである(拙稿 <意識なきシステム>で「世界一」となる国)。ここが、発想の原点が常に自分(自己)にあるドイツ人・アメリカ人との決定的違いである。相手の挙動をある時間だけ観察積算してデータを得ようとする努力(ドイツ人)、遅れのほとんどない比例回路的発想(アメリカ人)は、決して現状肯定・思考停止・判断留保には終わらない。

”発想の原点が自己にないこと、時定数が小さいことは、ゲインの増幅の程度を国民一人一人が認識・判断できず、他者(為政者・集団意識・他国)にその度合いを渡してしまうことになる。まさに長いものに巻かれる・付和雷同である。・・・「大股で踏み出すと顛倒する」ことをその積分回路的発想から学ぶドイツは、もはや「大股で踏み出す」ことはしないであろう。大当たりがないが、食いはぐれもない道を今後も着実に歩み続けるだろう。そして「過去における誤差」を10年越しで蓄積して用いても、欧州第一の経済大国なのである。”(拙稿 佐貫亦男氏『発想のモザイク』から

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「大当たり」を狙おうと、ゲインを(出力にかける増幅度)を大きくすることによる不安定性を意図しているかのような、オリンピック・万博・IR(カジノ)といった突発入力に傾斜した場当たり・思いつき・鉄火場的経済政策は、大当たりがないが、食いはぐれもない道を今後も着実に歩み続けるドイツとは正反対である。

「日本社会が急速に貧しくなっている」のではなく、発想の原点が自己にないがゆえ、日本社会全体の本来の身の丈は、先進国と比較して明治以来ずっと「貧しい」レベルにあるという自覚が必要なのだろう。オリンピック・万博・IR(カジノ)など外連味たっぷりの「おもてなし」がなければ、どうにもならない(それらすら一時的)社会とは、裏返せば何事も「もてなす」相手の顔色ばかりを伺って発想の原点を自己に持ち合わせない国民性を表している。

相手の顔色をなくすことこそ、発想の原点が自己にあることなどと、対韓国意識を以って思い違いをしてはならない。それは日本人の異質ゆえの特異性(私心をなくし公に一身をささげて仕える「滅私」=発想の原点が自己にないこと)への自己賞賛の裏返しに過ぎないからだ。「日本人って凄い」「日本国って素晴らしい」と「わたし(個人)」が決して主語とならない呪文を無定見に叫ぶことでもある。そこで「君は?」と問われると答えることができない、「なにごとのおはしますかは知らねども(西行法師)」なる空気感的な有り難さへの「タダ乗り」は単なる集団的劣化である。

”日本が韓国に反感をもつようになったのは、日本人が劣化したという証拠だ・・・本屋で“日本が最高”という本を見かける度に、いつも気分が悪くなる”(柳井正ファーストリテイリング会長)

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唯一、日本人が発想の原点を自己に置き、大いに経済が隆興したのが満州国であったように思える。満州育ちに概ね共通する気質「疾風に勁草を知る・独立不羈・泰然自若」は発想の原点を自己に置かざるを得なかった広大な大陸の風土を反映している。しかし、発想の原点を自己に置く満州国人(特に大陸に骨を埋める覚悟で渡満した民間人)たる国民性は敗戦と共に徒花に終わった。内地に戻るや「満州育ちは・・・」と大いに煙たがられたことを父は書き遺している。「個性を尊重し人をして人格の完成に力めしめる」イートン校的原点は、父のような満州育ちに所謂「リベラル」が多い所以で、口ばかりで行動や責任を伴わないと今ではやたらと非難される「リベラル」な思想信条は、満洲国では寧ろそうでなかった。内地では決して許されない個人主義も言行一致とそれなりに達成することができたのかもしれない。

”中学に入学しますと、組の一割が中国や韓国の人たちでした。日本人の中学に入ってくる人たちですから、勉強も良くでき、級長を務めた者もいました。卒業で組毎に謝恩会を開いた時、将来の抱負を一人一人話したのですが、その時、韓国のK君が立ち上がって「僕は将来、朝鮮独立のため戦う」と話しましたが、我々はこのことを少しもおかしな発言とは思わず、全員が期せずして拍手をしたのを覚えています。多分内地では考えられないことだったと思います。”(父の日記から)

韓国併合によって大韓帝国が消滅すると、日本国(当時:大日本帝国)は韓国の地名を朝鮮とした。朝鮮に本籍地を有する日本臣民となった者は「朝鮮人」と称され、その臣民たる朝鮮人(韓国)のK君が朝鮮独立のため(君主国=日本国、君主=天皇・皇族と)戦うと発言したことになる。満洲国であっても日本国ではない、満洲国人であっても日本臣民ではないかの独立不覊の精神が当時の満洲国人(特に満州育ちの青少年)にはあったのだろう。父も記しているが、朝鮮および内地では絶対に有り得ないことだ。

”支那の商人は信用を重んじます。一般的に支那の商人は約束したことは決して違えないのです。例えば、私が何か売るその金はいつ何日払うと約束すると、それは必ず実行するのです。この点では日本人は売買しても金の取引にはよく面倒が起るが、それは何とかかんとか理屈をつけてかれこれ云うことがあるが、支那人に限ってそれは全然無く、決めた通りにするので私は支那人と取引して損なことに一度もあったことがない。どんなことでも約束は固く守るのです。さすが大国人であり、孔子様の教えの行き届いていることを私は知ったのです。私は五・六才の頃、父から教えられた大学のことを思い出しましたのです。四書曰く、大学は孔子の遺書にして、諸学徳に入るの門なりと教えられてその根本的な精神が伝統されているからと思うのです。それは確かなものです。”(曽祖父の日記より)

民間人同士であればその相手が支那の商人であろうと、仁を互いに重んじ約束を違えなかったのも、発想の原点が自己(仁の核心)にあったからと思う。政治家や軍人ばかりがこの仁を軽んじ、中国人を人間ではなく、犬や猫に見ていたことは父の日記からも判る。

”最も民族差別をしたのは日本から来た軍人でした。私が中学の低学年であった時、目の前で馬車に乗ってきた将校が、料金を払わずに馬車から下りました。中国人である車夫は馬車から遠ざかる将校の肩に手を掛けて、料金を払えと迫りました。件の将校は振り向くと「貴様は帝国軍人を侮辱する気か」といきなり日本刀を引き抜いて、袈裟がけに車夫に斬りつけました。車夫の頚動脈からは血が吹き出て、そのまま倒れました。将校は悠然と倒れている車夫の着物で刀を拭き、何事も無かったように立ち去りました。私は悔しさと、恥ずかしい気持ちで、体が震え、涙を止めることが出来ませんでした。これは平時、首都である新京の町の真ん中で起こったことです。勿論このことは新聞の何処にも出ませんでした。その将校が、車夫には家に妻や子供がいることなど、想像すら出来なかったのでしょう。彼には中国人が人間ではなく、犬や猫に見えていたに違いありません。このような事を考えても、残留孤児を大事に育てた中国人に感謝しなければなりません。”(父の日記より)

”「お客さんおカネ!おカネ!」満人の馬車夫が叫んでいた。その先にはカーキー色の外套に身を包んだ軍人。車代を踏み倒され唯々とする満人の様子はもう珍しくない。しかしこの時は違った。車夫はなおも、「おカネ!」と言いながら駆け寄って軍服の袖をつっと引いた。「帝国軍人に手をかけたな。無礼者!」振り向きざま白刃が閃くと同時に鮮血が飛沫となって肩口から吹き出しどうと車夫は地面に仰向けに倒れた。虚空を掴んだまま尚もわなわなと峙つ腕を払いのけ裾を掴み血に塗れた軍刀を拭うと軍人はその場を悠然と去った。大路の衢には多くの人々が居たがその刹那足を止めただけで通り過ぎていく。「いけません。どうか堪えてください」背後から英一の目蓋をしっかりと手で覆ってチェンが囁く。英一だけが声を上げ人目も憚る事なく涙をボロボロと落としていた。”(小説「おしばな」(第124回文學界新人賞応募作)より)

その満洲国がロスト・ワールドとなって、口ばかりで行動や責任を伴わないといったイメージが「リベラル」に付いてまわるようになったのだろう。

”満州育ちと聞くや、万事大様でダメだな、とすかさず青票を投げ込むたがる世間の風に、もはや身じろぐ必要もあるまいと英一は思う。イートンの精神こそ世道を先取りするのさ、と。”
(小説「おしばな」(第124回文學界新人賞応募作)より)

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”日本は後進国に転落したという事実を謙虚に受け止め、これを逆手に取って、もっと狡猾に立ち回る企業が増えてくれば、袋小路に入った日本経済にも光明が差してくるのではないだろうか。”(加谷珪一氏)

「逆手」「狡猾に立ち回る」「企業」、そんな行動様式や主体で光明など決して差しては来ない。安倍政権に代表されるような「搦め手」「ハメ手」「外連」といった「らしからぬこと」を模索するのではなく、天下の御政道は大手(「らしく」)であるべきで、その大手門に王手をかけるのも一人一人の国民であって企業や国家ではない筈だ(拙稿 <搦め手>好きの安倍首相)。

”スマートフォンを四六時中撫で回して<選択>に勤しむことで、人間はどんどん頭脳を使わなくなる。ピクトグラムにばかり反応するデジタル時代の文盲が増え、他者の意見に耳を傾けることもなく、複雑なことも二元論的に単純化して白黒と<選択>する社会から、法秩序の連続性すら簡単に断ち切る首相が生まれるのである。斟酌論考の軌跡のない出所不明の怪文書的政治に「この道しかない」と彼は言うが、<綴るという行為>を示さずにその先に道を見る事も究めることもできないのである。”(拙稿 <綴るという行為>

佐貫亦男氏が分析するような、技術革新の途方もない「長い道」を乗り切るための「正道」を「民族の心(国民性)」に問い直すこと、すなわち、発想の在り処にみる「国民性」の脆弱さ(=本当の意味での貧しさ)を、他の先進諸国と比較して緻密に分析し、発想の原点を改めない限り(改めれば「忖度」など途端に死語になる)、袋小路に入った日本経済に二度と光明は差さないだろう。

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"一度だまされたら、二度とだまされまいとする真剣な自己反省と努力がなければ人間が進歩するわけはない。・・・ まず国民全体がだまされたということの意味を本当に理解し、だまされるような脆弱な自分というものを解剖し、分析し、徹底的に自己を改造する努力を始めることである。(伊丹万作「戦争責任者の問題」)"(拙稿 <家族主義の美風と大政翼賛>(自民党憲法改正草案第24条第1項)

(おわり)

posted by ihagee at 13:45| エッセイ

2019年12月30日

AI自動翻訳 T-4OO・「外部パブリッククラウドサービスの提供する翻訳APIを利⽤」の意味



「精度95%のAI自動翻訳 T-4OO・プロ翻訳者レベルのAI 自動翻訳 - AIによる外国語業務の効率化・働き方改革-」なるキャッチワードでAI自動翻訳サービスを提供する株式会社ロゼッタ(以下「R社」)。マザーズ市場の有望銘柄(6182)としてその事業が脚光を浴びている。

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そのR社が2019年12月13日付で「自動翻訳サービス(T-400)の機密保持体制について」と題する書面をネット上に公開した。

8項目に亘る説明の内、F 外部パブリッククラウドの利用については、以下記載がある。

F 外部パブリッククラウドの利⽤ 
⽇英・英⽇翻訳、⽇中・中⽇翻訳の⼀部
本サービスから、外部パブリッククラウドサービスの利⽤は⾏われません。弊社が調達したハードウェア、ソフトウェア上で動作し、全てのデータは国内で管理されます。多⾔語翻訳(⽇英・英⽇、⽇中・中⽇の⼀部を除く)本サービスから、外部パブリッククラウドサービスの提供する翻訳APIを利⽤します。外部パブリッククラウドサービスでのデータ取り扱いについては、外部パブリッククラウドサービスの プライバシーポリシーに依存しますので、弊社SLA対象外となります。
※⽇中・中⽇翻訳を外部パブリッククラウドサービスを利⽤しない設定にすることもできます。
(下線拙者)

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R社のT-400翻訳エンジンは、同社の説明によると「人工知能とインターネットを融合させるという世界で初めての翻訳ロジックを採用(自社開発)」ということらしい。「インターネットを融合させる」が「外部パブリッククラウドサービスの提供する翻訳APIを利⽤します」ということであれば、英語以外の言語と日本語との間の翻訳で「外部パブリッククラウドサービスの提供する翻訳APIを利⽤します」ということになる。

さて、「外部パブリッククラウドサービスの提供する翻訳APIを利⽤します」については、情報セキュリティの視点(『クラウドサービス提供における情報セキュリティ対策ガイドライン〜利用者との接点と事業者間連携における実務のポイント〜』(総務省)に照らす必要があると考えられる。すなわち「情報の公開・二次利用関連」が情報セキュリティの視点上のポイントとなる。

「パブリッククラウドサービス」とは、「任意の組織で利用可能なクラウドサービスであり、リソースは事業者(クラウドサービス提供者)によって、制御される。・・・特定秘密(特定秘密の保護に関する法律(平成 25 年法律第 108 号)第3 条第 1 項に規定する特定秘密をいう。)及び行政文書の管理に関するガイドライン(内閣総理大臣決定。初版平成 23 年 4 月 1 日。)に掲げる秘密文書中極秘文書に該当する情報をパブリック・クラウド上で扱わないものとする。」(各府省情報化統括責任者(CIO)連絡会議決定

要するに、外部の「パブリッククラウドサービス」を利用するということは、そのサービスを提供する外部の事業者(R社ではない)が、そのサービスから収集した情報をある目的のために使用することを認めることを意味する(データの二次利用)。

「外部パブリッククラウドサービスでのデータ取り扱いについては、外部パブリッククラウドサービスの プライバシーポリシーに依存しますので、弊社SLA対象外となります。(「自動翻訳サービス(T-400)の機密保持体制について」)。

その利用するとしている「外部パブリッククラウドサービスの提供する翻訳API」が所謂「Google翻訳(無償)」なのか、それとも有償のTranslation APIなのか、R社は明らかにしていない。有償のTranslation APIを利用すれば、Google翻訳の機能向上や機械学習の為に送信されたデータ・コンテンツをGoogleは利用しない(二時利用しない)ことになっている(Google「AIと機械学習プロダクト」より)。

もし、日英・英日翻訳以外の言語と日本語との間の翻訳に於いて、「外部パブリッククラウドサービスの提供する翻訳API」が所謂「Google翻訳(無償)」を利用していることを意味するのなら、Googleに「Googleのすべてのサービスが収集した情報を以下の目的に使用します(「Google ポリシーと規約」」を許すことになる。

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”機密情報を含む重要な企業内文書の翻訳に際し、セキュアな環境でお使いいただけるよう、サーバーは全て日本国内に存在し、ISMS認証取得の設備にて外部の不正なアクセスから保護されています。また、データ通信には暗号化システム(SSL)を採用しています。また、セキュリティに厳しい企業・部門からの、セキュリティチェックシートにもご回答させて頂いており、要求仕様を満たし、安心してご利用いただいております”(R社・T-400「セキュアな環境で利用可能」説明文より・下線拙者)

サーバーは全て日本国内に存在し。しかし、外部の「パブリッククラウドサービス」の外部については、データセンターの場所が国内ではなく国外にあることを意味しているのではないか?「外部パブリッククラウドサービスの プライバシーポリシーに依存します」とある通り、情報情報セキュリティの要素である完全性、障害耐性、機密性に照らして、国内に比して国外のデータセンターには不可知なリスクがある。また、プライバシーポリシーの運用に於いてそもそもR社は事業者としてその取り扱いを定める側ではない「=制御できない」リスクがある。

ストレージ用のサーバーが外国にありクラウドコンピューティングサービスに関する場合で且つ「日本から外国に向けての技術提供」に該当すると解釈される場合、経済産業大臣の許可(輸出許可)を受ける必要がある(外為法第25条第1項)。保管することのみを目的としたストレージサービスは役務取引に該当せず、SaaSはインターネットを介してプログラムを利用者が利用可能な状態に置くことを目的とする取引として役務取引に該当すると解釈されているようだ。

「外部パブリッククラウドサービスの提供する翻訳APIを利⽤します」のT-400については、未公開の機密性の高い情報(特許発明の類)について英語以外の言語と日本語との間の翻訳は注意した方が良いかもしれない。その言語間の翻訳にデータの二次利用を許すGoogle翻訳を利用している可能性があるからである。さらに、英語以外の言語と日本語との間の翻訳が間に英語をブリッジさせて翻訳している可能性があれば、それら言語間の翻訳の品質が低い場合も考えられる。

技術情報が出願特許公開と本質的に変わりが無くとも、役務取引である以上、外為法の規制が適用されると考えるべきであるという考えもある(外為法第48条第1項「輸出規制」)。

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安全保障輸出管理において技術の機微度が比較的低い言語データについて「外部パブリッククラウドサービスの提供する翻訳APIを利⽤します」のT-400を使用し外国語業務の効率化を図ることに何の問題はないだろうが、技術の機微度が高いデータに関しては注意すべき点があるということだろう。

(おわり)

posted by ihagee at 10:04| エッセイ