2021年02月28日

お子様ランチはお好き?



お子様ランチ、というものについて子どもの頃食べた記憶があまりない。あれが食べたい・これが欲しいと子どもが好き勝手に親にせがんでせしめる今とは違って親に絶対的な決定権があった時代だったから、きっとお子様ランチは私の父母の眼鏡には適っていなかったのだろう。他方、祖父祖母が歓心を買おうとこの決定権を孫に委ねるのは今も昔も同じなので、食べたとしてもそういう場面だったのかもしれない。



(お子様ランチの原型 / wikipediaより)


「1930年12月1日に、東京府東京市日本橋にあった三越の食堂部主任であった安藤太郎が数種類の人気メニューを揃えた子供用定食を考案し発売した」(wikipediaより)とあるから、お子様ランチの歴史は古い。

お子様ランチ、の必須アイテムは今も昔も旗であり、その旗は日の丸でなければきまりが悪い。旗日のあの晴れ晴れとした目出度さやウキウキとした気分を小さくともその旗が演出している。子どもが嫌がったり食べるに面倒がる食材は使わず、基本的に甘く食べやすく調理されているから皿に盛られるランチそのものは今も昔もさほど変わっていない。

「子供連れの家族を狙った客寄せの意味が大きく、多種類の料理を盛り付ける手間が掛かり、多くの場合採算割れする」(wikipedia)から、お子様ランチは「お子様」と呼んでいながら、それを提供する側からすれば子どもを顧客にする目的はない。

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さて、お子様ランチは英語で表現すると "Kid's Meal"又は"Kid's Menu"(キッズセット)となる。その意味する食べ物は上述の「お子様ランチ」とは別の系に属する。すなわち、ハンバーガー、チキンナゲットと付け合わせに、ソフトドリンクとカラフルな玩具をつけてバーガーシェフ(Burger Chef)が1973年に発売した子ども向けセットがその言葉の起源ということらしい。マクドナルドのハッピーセットはその系にある。

ファスト(fast)フードはその由来、つまり多民族国家であるアメリカで民族や宗教間の食文化の枠を超えて受け入れ可能な共通項を安価で手間がかからず・短時間(fast)で調理し提供するファストフード企業が子どもを重要な顧客に据えて開発した商品である点で「お子様ランチ」とは目的を異にする。

「人間は12歳までに食べてきたものを一生食べ続ける」(日本マクドナルドの創業者、藤田田氏)

そもそも採算性を期待しない「お子様ランチ」にはこのような目的は課せられていない。

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「一生食べ続ける」と潜在意識から支配するファストフード産業は、ゆえにグローバリズムの見境のない覇権主義に例えられる。これは、「夢と魔法の王国」、「ミッキーと会える場所」といったディズニー商法をアメリカの文化帝国主義の覇権に例えることと同じだろう。ミッキーはアメリカの正義・希望・理想のアイコンであるから、2023年に満了すると言われているミッキーマウスの著作権はアメリカにとっては国家的危難に他ならず、ミッキーの為なら法律まで変えるかの著作権延長法(ソニー・ボノ著作権延長法)は「ミッキーマウス延命法」と揶揄されている。

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ハンバーガーを人間の味覚に刷り込むことで一生涯顧客になるに違いない、というサブリミナルな思想は「お子様ランチ」にはない。「お子様ランチ」に設けられている年齢制限(概ね12才まで)はむしろ子どもの味覚から「卒業」させることを意味している。

子どもにとって味覚や食感は発達段階の感覚器官の働きの一つだから、食する物質に応じての認識は甘いとか辛いとか柔らかいとか硬いといった単純さばかりだが、成長につれてより複雑な知覚心理的な認識に置き換わる。好物を腹いっぱい食べたいという満腹感(食欲)よりも、どう食に向き合うのかといった生き方にも関わるマインド(意識)が芽生え、高次に発展すれば食に対する文化的価値観にもなる。山葵のツンとする辛味は味蕾ではなく脳が喜びと理解するそうだから高次な発展がなければただの痛感でしかないだろう。

その発展段階での主体は個人の能動的な意識であり、ハンバーガーを一生食べ続けるといった他者から刷り込まれた意識ではない。

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お子様ランチはその年齢制限から、他者から味覚を刷り込まれる意識になる前に無事「卒業」となるが、日本の社会全体を見回すとそうとは言えない場合の方が多い。

物心ついた頃からスマートフォンを四六時中撫で回して選択に勤しみ、ピクトグラムにばかり反応し他者の意見に耳を傾けることもなく、複雑なことも二元論的に単純化して白黒とポチッと選択するデジタル社会は年齢制限なきお子様ランチだろう。己の意識をあまり必要としない社会生活(拙稿:<意識なきシステム>で「世界一」となる国)がデジタル社会の背景にさらにある。

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子ども時分の単なる満腹感(食欲)から成長するにつれ食に対する文化的価値観に発展する経緯は、子どもが字を覚えそれがやがて綴り方になる経緯と似ている。

文字を<綴るという行為>は書写・書道として後天的に学ぶ。単に文字の書き順を学び覚えるだけでなく、紙の上での文字の配置・収まりを考えなくてはならない。筆にあって書き損じは一から書き直すことになるのでそれらを先に考えてから筆を紙に置かなければならない。

子どもが字を覚えそれがやがて綴り方になるのも、文字というピクトグラムから「卒業」して筆順における連続的な軌跡から思考や論理を学ぶことでもある(<綴るという行為>)。

綴るという行為自体はペンと紙から、キーボードとディスプレイになっても保たれてきた。私もそういうつもりでブログに自分なりの思考を綴っているが、この<さくらのブログ>のプロバイダーである<さくらインターネット>から2021年3月2日を以ってブログの新規アカウントの作成受付を終了する旨の通知があった。

SNSやインスタグラムのような検索行動主体(情報を手繰る)がメディアの主流となって、ブログなるデジタル時代の<綴る>手段が終わりを迎えているのだろうか?

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新聞・通信社が配信するニュースのほか、映像、雑誌や個人の書き手が執筆する記事など多種多様なニュースを掲載していると言うYahooニュースは、誰も毎日確認していることだろう。

しかし、特に国内ニュースの括りを同じYahooニュースの海外ニュースの括りと比較すると、その国内ニュースはなんともザワザワとしている

そのザワザワさは何だろうか?電車の中吊り広告にあるような週刊誌の煽情的な見出しの羅列と覗き見趣味が合わさったような落ち着きのなさと言ったら良いのか、<綴るという行為>を見出すことができない程、論理の一貫した連続性がその記事からわざと読み取れないような怪文書が集まっているように感じられてならない。

素性や出所がわからないよう活字の切り貼りで世間を騒がせては喜ぶような怪文書は昔は誘拐犯や過激派の独壇場であったが、今は芸能人や識者と呼ばれる人たちの独壇場となって、浅い思考で複雑なこともサラッと皮膚感覚で済ませるような記事がYahooニュース(特に国内ニュース)を占めている。記事の選択と括り方にYahoo側の作為が働いていることは間違いないが(特に酷いのは "乗りものならぬ「乗りものニュース」")、SNSに毛が生えた程度の個人の意見記事をさも公論かに時事に混ぜることはやめてもらいたい。さらに記事毎のコメント欄も不要である。コメント欄は尚のこと怪文書の餌やり場になっている。そういうことこそ行いたければ個人のブログで行うべきことである。

海外(国際)ニュースの括りではさすがに活字の切り貼りも苦労するのか怪文書は少なくザワザワさがない。Googleニュース(日本版)にも多少ザワザワさはあるがYahooニュース程ではなく、ましてや言語・地域を海外に設定して Google Newsを見れば違いは一目瞭然である。

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SNSやインスタグラムといったメディア、それらに毛が生えた程度の芸能人や識者と呼ばれる人たちの怪文書的記事は子どもの歓心を呼ぶような旗や玩具で飾り立てられたお子様ランチやハッピーセットに見える。そのお子様ランチやハッピーセットに大人たちが集まる景色がYahooニュース(特に国内ニュース)にある。共感同調は元より炎上してもお子様たる読者から歓心を最大に得たことになるからステージでうるさ方を向こうに芸を披露するよりも芸能人にはこれ程までに容易いことはないだろう。

もし、意見をぶつけ合いたいのなら旗の大きさや玩具の派手さで競うのでははく、大人らしくディベート(debate)を行うべきで、<綴るという行為>はそういう場にこそ要求される大人の嗜みであろう。

(おわり)

追記:
テレビ・ラジオの報道番組での面白づく本位のバラエティ化が活字メディアにも及んでいるということ。
新聞記事では、政治、経済、社会、文化など各分野の問題を筆者の思想、感情からとらえて論評する記事は「コラム(囲み記事)」として「時事報道」や「時事問題に関する論説」と分ける(新聞業界)。
新聞記事の体裁に馴れた目でYahooニュース(特に国内ニュース)を眺めてザワザワとした感に捉われるのはこの仕分けがない為だろう。軽口程度の「コラム」を囲みなく時事報道に混ぜ込むことで一定のバイアスをかける手法はテレビ・ラジオのバラエティ化した報道番組(例:田崎史郎氏)での常套で、新聞判型の一つであるタブロイドの虚実織り交ぜた扇情的な報道スタイルはまさにそうだが、これがYahooニュース(特に国内ニュース)でのニュースの括り方ともなっている。
posted by ihagee at 13:12| エッセイ

2020年01月13日

和文タイプと特許技術翻訳



”当時、私の職場では、和文タイプに従事する者(全員女性)はその高度な専門技能を以て他から一目も二目も置かれていた。大きなタイプライターの筐体のアームを上下左右に動かしてはガッチャンガッチャンと活字を拾う作業の手早さに程々感心したものである。少なくとも職場内では代替不能な業務ゆえに絶対的な立場にいた。

職場に日本語ワープロが導入されるようになり、浄書がタイプからプリントに置き換わるにつれて和文タイプ業務は従事する人とともに職場から消えていった。”


和文タイプライター wikipediaより引用)

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以上、拙稿「AI本格稼動社会」への大いなる懸念(続き)から引用。

和文タイプ業務がタイプ代(印書代)など営利をもたらす事業であった時代は、ワープロ・パソコンの普及に伴い終わった。そして、AI(人工知能)の時代。その特殊且つ人の能力に依存する業務ゆえ無くならないとされてきた特許技術翻訳(特許業界に於ける営利事業)がAI翻訳に代替されつつある(未だ超えられない "壁" がAI翻訳にはあるがいずれ克服されるだろう)。

技術資料の翻訳が営利事業(=売り物)でなく内部コストでしかない製薬メーカーなどは、内部コスト圧縮の目的に適うとしてAI翻訳の導入に積極的だと聞く(「グラクソ・スミスクライン社と製薬業向けAI翻訳の共同開発を開始」)。特許業界にとってクライアントとなる製薬メーカーが技術翻訳をそう見ているということは、当然メーカーはそのコスト意識を特許業界に問うことになる。それは、かつてのタイプ代(印書代)と同様、費用請求に値しない業務という見方である。

また、我々が普段それとなく用いているグーグル翻訳(AIを中心とする)は、従来、商品として市場価値を有していた多言語間の翻訳(技術翻訳も包括する)サービス供給基盤を翻訳業者から奪い、翻訳のコモディティ化(ジェネリック化)を促進させている。こうなると翻訳業者・翻訳者間の差別化は価格競争一方となる。実質0円のグーグル翻訳にマニュアル(人間)翻訳としての差別化は品質(訳精度)に係るが、その品質と市場価格が比例していることが前提のAIを想定していない昨日のビジネスモデルの「安かろう悪かろう」的常識が、AI前提の社会では「安かろう良かろう」と非比例になりつつある。

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一般社団法人日本翻訳連盟のHP で技術翻訳の標準単価が公開されているが、マニュアル(人間)翻訳での市場価格は機械翻訳・AI翻訳の台頭によって単価は低廉の一途を辿り、フリーランサー間の競争単価は英和・和英共に10円/wd前後と、もはや翻訳業務だけでは生活できないレベルになっているとも聞く。それでも、がむしゃらに営業し訳語数で稼ぐしかないが、そうなると品質を維持し納期を守ることが難しくなる。だからと言ってAI翻訳を下訳として活用すれば、そのAIにその人なりの学習値を吸い取られることにもなる(職能すらAIに渡すことになる)。AI翻訳によって新たに雇用が創出されると期待されていたポストエディット業務などは、人が直した箇所の数に10円以下の単価の掛け算となるゆえ、訳語数以下(ページ辺り数カ所分)の収入しかエディターにもたらさず、果たして業務として成立するのかさえも疑問視されている。アダプテーションもポストエディットも上述の製薬会社では自社内で行っているゆえ(内部コスト扱い)、AI翻訳に関連するそれら業務の需要は喚起されず、市場も雇用も生まれないだろう。

このような環境にあって、AIを想定していない昨日のビジネスモデルの上に胡座をかいていた特許業界、特に特許事務所に於いて、特許技術翻訳は間接業務(直接的に会社に対して利益を生み出さない業務。特許事務所で言えば、事務管理部門の業務)の範疇に内部コストとして押し込むしかなくなるだろう。和文タイプ・英文タイプに続き、技術翻訳はそれ自体は利益を生み出さないAIに代替可能な業務になっていく。特許技術翻訳業務を収益(=売り物)の柱としてきた特許事務所にとって、そうならないAI本格稼働社会を見越して既存の収益体制の抜本的な見直しが求められることになるに違いない。そしてその流れはいずれ特許明細書を作成する弁理士にも及ぶだろう。国家資格に守られてきた士業ですら、AIを想定していない昨日のビジネスモデルの上にいつまでも胡座をかいていられない。厳しい時代になりそうだ。

便利だと「OK Google」とか「教えてGoogle」などと、AI(人工知能)を無意識に使うことは、他者の知能を借り他律に従うことになる。そもそも発想の原点が他者にあって自己にない日本の社会。そこにAI(人工知能)が適用されればどういうことになるか(拙稿 <意識なきシステム>で「世界一」となる国)?

発想の原点を自己に求めることは無論、AI(人工知能)を使わせる側(AIを制御する側)に回る位の意識の転換が我々一人一人に求められている。それが「私が私である」アイデンティティ identity(すなわち、「個人 an individual」)を失わないことでもある(identity as an individual)。

「我思う、故に我在り」(Je pense, donc je suis)。

(おわり)

posted by ihagee at 10:42| エッセイ

2020年01月04日

日本はもはや後進国であると認める勇気を持とう(加谷珪一氏コラム)



日本はもはや後進国であると認める勇気を持とう」と題する経済コラム(筆者:加谷珪一氏)が昨年ニューズウィーク日本版(電子版)に掲載され大きな反響を呼んでいるようだ。

”「日本はAI後進国」「衰退産業にしがみついている」「戦略は先輩が作ったものの焼き直しばかり」。ソフトバンクグループの孫正義社長による手厳しい発言が話題となっている。多くの人が薄々、感じている内容ではあるが、公の場では慎重に言葉を選んできた孫氏の性格を考えると、一連の発言は異例であり、事態が深刻であることをうかがわせる。”(同上コラムから引用)

「日本社会が急速に貧しくなっている」という自覚を孫正義氏がこれらの強い口調で我々に促している。バブル経済手前、高度経済成長の残照があった1980年代に社会人となった私の認識とも一致する。通勤スーツという社会人たるお約束を着込み革靴に鞄の集団からすれば、やれたジーンズにリュック姿は日雇い労働者か失職者にしか見えなかったあの時代と比べ、服飾一つとっても、社会人と一目で判る身なりはなくなった。まして、それが正規か非正規かは問わず雇用とみなす社会になって、スーツは何の約束ももたらすことはない。

自らビジョンを描くことをしなくなった世代(描くことが難しくなった世代)。後先を考えることすらできず今の一瞬を生きるに精一杯の彼ら・彼女らの、刹那的な気分は、あの時代にはなかったと思う。刹那が一瞬の意味ならその反語は永劫。一億総中流時代、高くも安くもない給料を貰って年功序列・終身雇用で55才定年、残りの人生はそこそこ年金で暮らす、その生涯設計を当然のようにあの当時の若者は抱いていた。私もその一人だった。

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貧富の格差が拡大する社会にあって、富者は更なる自由を求め、貧者は平等を叫ぶ。その特恵的自由度は権力者との距離に相応するのだろう。桜を見る会の烏合の衆に見るように。

特恵であるということ、すなわち、日本人の発想原点が相手の内にあり、相手の初動に振りまわされて自己の持ち味を発揮できないことが多いという結果になる。振りまわされているということすら「忖度」していればわからなくなる。自己の持ち味など却ってない方が良いのかもしれない。

突発入力に対しては一瞬だけ衝撃的に反応を示すけれども、あとはしゅんと静まりかえって忘れ去る。(拙稿 佐貫亦男氏『発想のモザイク』から)。これは明治から現在に至るまで一切変わっていない。

事実、「日本社会が急速に貧しくなっている」という自覚までも、今さら相手(孫氏)から求められるようでは(そんな当たり前のことすらニュースになるようでは)、「だから?仕方ないんじゃないの・・・豊かだった時代なんてどのみち知らないし」「俺にどうしろって?世の中が悪いんさ・・・まぁどうにかなるさ」とスルスルと現状肯定・思考停止・判断留保になるのオチである(拙稿 <意識なきシステム>で「世界一」となる国)。ここが、発想の原点が常に自分(自己)にあるドイツ人・アメリカ人との決定的違いである。相手の挙動をある時間だけ観察積算してデータを得ようとする努力(ドイツ人)、遅れのほとんどない比例回路的発想(アメリカ人)は、決して現状肯定・思考停止・判断留保には終わらない。

”発想の原点が自己にないこと、時定数が小さいことは、ゲインの増幅の程度を国民一人一人が認識・判断できず、他者(為政者・集団意識・他国)にその度合いを渡してしまうことになる。まさに長いものに巻かれる・付和雷同である。・・・「大股で踏み出すと顛倒する」ことをその積分回路的発想から学ぶドイツは、もはや「大股で踏み出す」ことはしないであろう。大当たりがないが、食いはぐれもない道を今後も着実に歩み続けるだろう。そして「過去における誤差」を10年越しで蓄積して用いても、欧州第一の経済大国なのである。”(拙稿 佐貫亦男氏『発想のモザイク』から

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「大当たり」を狙おうと、ゲインを(出力にかける増幅度)を大きくすることによる不安定性を意図しているかのような、オリンピック・万博・IR(カジノ)といった突発入力に傾斜した場当たり・思いつき・鉄火場的経済政策は、大当たりがないが、食いはぐれもない道を今後も着実に歩み続けるドイツとは正反対である。

「日本社会が急速に貧しくなっている」のではなく、発想の原点が自己にないがゆえ、日本社会全体の本来の身の丈は、先進国と比較して明治以来ずっと「貧しい」レベルにあるという自覚が必要なのだろう。オリンピック・万博・IR(カジノ)など外連味たっぷりの「おもてなし」がなければ、どうにもならない(それらすら一時的)社会とは、裏返せば何事も「もてなす」相手の顔色ばかりを伺って発想の原点を自己に持ち合わせない国民性を表している。

相手の顔色をなくすことこそ、発想の原点が自己にあることなどと、対韓国意識を以って思い違いをしてはならない。それは日本人の異質ゆえの特異性(私心をなくし公に一身をささげて仕える「滅私」=発想の原点が自己にないこと)への自己賞賛の裏返しに過ぎないからだ。「日本人って凄い」「日本国って素晴らしい」と「わたし(個人)」が決して主語とならない呪文を無定見に叫ぶことでもある。そこで「君は?」と問われると答えることができない、「なにごとのおはしますかは知らねども(西行法師)」なる空気感的な有り難さへの「タダ乗り」は単なる集団的劣化である。

”日本が韓国に反感をもつようになったのは、日本人が劣化したという証拠だ・・・本屋で“日本が最高”という本を見かける度に、いつも気分が悪くなる”(柳井正ファーストリテイリング会長)

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唯一、日本人が発想の原点を自己に置き、大いに経済が隆興したのが満州国であったように思える。満州育ちに概ね共通する気質「疾風に勁草を知る・独立不羈・泰然自若」は発想の原点を自己に置かざるを得なかった広大な大陸の風土を反映している。しかし、発想の原点を自己に置く満州国人(特に大陸に骨を埋める覚悟で渡満した民間人)たる国民性は敗戦と共に徒花に終わった。内地に戻るや「満州育ちは・・・」と大いに煙たがられたことを父は書き遺している。「個性を尊重し人をして人格の完成に力めしめる」イートン校的原点は、父のような満州育ちに所謂「リベラル」が多い所以で、口ばかりで行動や責任を伴わないと今ではやたらと非難される「リベラル」な思想信条は、満洲国では寧ろそうでなかった。内地では決して許されない個人主義も言行一致とそれなりに達成することができたのかもしれない。

”中学に入学しますと、組の一割が中国や韓国の人たちでした。日本人の中学に入ってくる人たちですから、勉強も良くでき、級長を務めた者もいました。卒業で組毎に謝恩会を開いた時、将来の抱負を一人一人話したのですが、その時、韓国のK君が立ち上がって「僕は将来、朝鮮独立のため戦う」と話しましたが、我々はこのことを少しもおかしな発言とは思わず、全員が期せずして拍手をしたのを覚えています。多分内地では考えられないことだったと思います。”(父の日記から)

韓国併合によって大韓帝国が消滅すると、日本国(当時:大日本帝国)は韓国の地名を朝鮮とした。朝鮮に本籍地を有する日本臣民となった者は「朝鮮人」と称され、その臣民たる朝鮮人(韓国)のK君が朝鮮独立のため(君主国=日本国、君主=天皇・皇族と)戦うと発言したことになる。満洲国であっても日本国ではない、満洲国人であっても日本臣民ではないかの独立不覊の精神が当時の満洲国人(特に満州育ちの青少年)にはあったのだろう。父も記しているが、朝鮮および内地では絶対に有り得ないことだ。

”支那の商人は信用を重んじます。一般的に支那の商人は約束したことは決して違えないのです。例えば、私が何か売るその金はいつ何日払うと約束すると、それは必ず実行するのです。この点では日本人は売買しても金の取引にはよく面倒が起るが、それは何とかかんとか理屈をつけてかれこれ云うことがあるが、支那人に限ってそれは全然無く、決めた通りにするので私は支那人と取引して損なことに一度もあったことがない。どんなことでも約束は固く守るのです。さすが大国人であり、孔子様の教えの行き届いていることを私は知ったのです。私は五・六才の頃、父から教えられた大学のことを思い出しましたのです。四書曰く、大学は孔子の遺書にして、諸学徳に入るの門なりと教えられてその根本的な精神が伝統されているからと思うのです。それは確かなものです。”(曽祖父の日記より)

民間人同士であればその相手が支那の商人であろうと、仁を互いに重んじ約束を違えなかったのも、発想の原点が自己(仁の核心)にあったからと思う。政治家や軍人ばかりがこの仁を軽んじ、中国人を人間ではなく、犬や猫に見ていたことは父の日記からも判る。

”最も民族差別をしたのは日本から来た軍人でした。私が中学の低学年であった時、目の前で馬車に乗ってきた将校が、料金を払わずに馬車から下りました。中国人である車夫は馬車から遠ざかる将校の肩に手を掛けて、料金を払えと迫りました。件の将校は振り向くと「貴様は帝国軍人を侮辱する気か」といきなり日本刀を引き抜いて、袈裟がけに車夫に斬りつけました。車夫の頚動脈からは血が吹き出て、そのまま倒れました。将校は悠然と倒れている車夫の着物で刀を拭き、何事も無かったように立ち去りました。私は悔しさと、恥ずかしい気持ちで、体が震え、涙を止めることが出来ませんでした。これは平時、首都である新京の町の真ん中で起こったことです。勿論このことは新聞の何処にも出ませんでした。その将校が、車夫には家に妻や子供がいることなど、想像すら出来なかったのでしょう。彼には中国人が人間ではなく、犬や猫に見えていたに違いありません。このような事を考えても、残留孤児を大事に育てた中国人に感謝しなければなりません。”(父の日記より)

”「お客さんおカネ!おカネ!」満人の馬車夫が叫んでいた。その先にはカーキー色の外套に身を包んだ軍人。車代を踏み倒され唯々とする満人の様子はもう珍しくない。しかしこの時は違った。車夫はなおも、「おカネ!」と言いながら駆け寄って軍服の袖をつっと引いた。「帝国軍人に手をかけたな。無礼者!」振り向きざま白刃が閃くと同時に鮮血が飛沫となって肩口から吹き出しどうと車夫は地面に仰向けに倒れた。虚空を掴んだまま尚もわなわなと峙つ腕を払いのけ裾を掴み血に塗れた軍刀を拭うと軍人はその場を悠然と去った。大路の衢には多くの人々が居たがその刹那足を止めただけで通り過ぎていく。「いけません。どうか堪えてください」背後から英一の目蓋をしっかりと手で覆ってチェンが囁く。英一だけが声を上げ人目も憚る事なく涙をボロボロと落としていた。”(小説「おしばな」(第124回文學界新人賞応募作)より)

その満洲国がロスト・ワールドとなって、口ばかりで行動や責任を伴わないといったイメージが「リベラル」に付いてまわるようになったのだろう。

”満州育ちと聞くや、万事大様でダメだな、とすかさず青票を投げ込むたがる世間の風に、もはや身じろぐ必要もあるまいと英一は思う。イートンの精神こそ世道を先取りするのさ、と。”
(小説「おしばな」(第124回文學界新人賞応募作)より)

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”日本は後進国に転落したという事実を謙虚に受け止め、これを逆手に取って、もっと狡猾に立ち回る企業が増えてくれば、袋小路に入った日本経済にも光明が差してくるのではないだろうか。”(加谷珪一氏)

「逆手」「狡猾に立ち回る」「企業」、そんな行動様式や主体で光明など決して差しては来ない。安倍政権に代表されるような「搦め手」「ハメ手」「外連」といった「らしからぬこと」を模索するのではなく、天下の御政道は大手(「らしく」)であるべきで、その大手門に王手をかけるのも一人一人の国民であって企業や国家ではない筈だ(拙稿 <搦め手>好きの安倍首相)。

”スマートフォンを四六時中撫で回して<選択>に勤しむことで、人間はどんどん頭脳を使わなくなる。ピクトグラムにばかり反応するデジタル時代の文盲が増え、他者の意見に耳を傾けることもなく、複雑なことも二元論的に単純化して白黒と<選択>する社会から、法秩序の連続性すら簡単に断ち切る首相が生まれるのである。斟酌論考の軌跡のない出所不明の怪文書的政治に「この道しかない」と彼は言うが、<綴るという行為>を示さずにその先に道を見る事も究めることもできないのである。”(拙稿 <綴るという行為>

佐貫亦男氏が分析するような、技術革新の途方もない「長い道」を乗り切るための「正道」を「民族の心(国民性)」に問い直すこと、すなわち、発想の在り処にみる「国民性」の脆弱さ(=本当の意味での貧しさ)を、他の先進諸国と比較して緻密に分析し、発想の原点を改めない限り(改めれば「忖度」など途端に死語になる)、袋小路に入った日本経済に二度と光明は差さないだろう。

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"一度だまされたら、二度とだまされまいとする真剣な自己反省と努力がなければ人間が進歩するわけはない。・・・ まず国民全体がだまされたということの意味を本当に理解し、だまされるような脆弱な自分というものを解剖し、分析し、徹底的に自己を改造する努力を始めることである。(伊丹万作「戦争責任者の問題」)"(拙稿 <家族主義の美風と大政翼賛>(自民党憲法改正草案第24条第1項)

(おわり)

posted by ihagee at 13:45| エッセイ