2019年01月14日

常滑・1962年ごろ



古写真の続き(Kodachrome又はAnscochromeのスライド / 撮影者不明のオーファンワーク)。

スライドのマウントに1962年6月とだけ日付があり、当時の日本が鮮明に残っていた。EPSON GT-X980でスキャンした(トリミング以外は無修正)。

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焼き物(窯業)の町、常滑(愛知県)。中でも1924年創立の地元製陶会社「伊奈製陶」は、INAX(現:LIXIL)と大企業となっている。2017年(平成29年)4月18日には、「きっと恋する六古窯 −日本生まれ日本育ちのやきもの産地−」の名称で、日本遺産に常滑焼、常滑の陶器の生産用具・製品、連房式登窯、無形文化財常滑焼の製作技術、やきもの散歩道と文化的景観などが登録された。(wikipediaより)

常滑焼の茶色い甕の糠を手入れする母の姿を思い出した。すぐに酸っぱくしてしまい食卓では不評だったことも。

このスライドの撮影者(外国人)も焼き物に関心があってこの町を訪れたのだろう。その景観はきっと感興を呼んだに違いないと思わせる写真。この写真の3年前の伊勢湾台風で同地も甚大な被害を受けた。運河の石積の堰堤が一部コンクリなのもその後の措置なのかもしれない。

湾口から運河伝い山方橋にかけての景観かと思われる。遠くに窯から立ち上る煙が見える。どの屋根にも高々とテレビアンテナが並ぶが、高度経済成長の只中で都会のみならず地方まで潤っていたことを表している。窯の煙といい、庶民のかまどの煙の上がりに心する政治経済があったのだろう。今、この通り残っていれば中部国際空港(セントレア)からさらに多くの外国人観光客が訪ねたことだろうと思う。<民の竈(かまど)>、<民の炊煙(すいえん)>という言葉。死語になって久しい(拙稿「炭火アイロンに想う」)。

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本町。二村板金と看板がかかる店舗は今もその場所にあった(google mapでの今)。橋の欄干も一部残っている。

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湾口の景色。今は防潮堤で陸側から海を見晴らすことはできないようだ。

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大野町辺りか?しっとりとした風景。たまたま訪れた外国人が撮ってくれた写真で偲ぶしかない。上掲の運河共々センスの良い写真である。窯の煙の匂いまで伝わってくるような空気感はフィルムならではである。

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(おわり)

posted by ihagee at 08:37| 古写真

2019年01月12日

神戸・1964年ごろ



古写真の続き(Kodachrome又はAnscochromeのスライド / 撮影者不明のオーファンワーク)。

スライドのマウントに1964年5月とだけ日付があり、当時の日本が鮮明に残っていた。EPSON GT-X980でスキャンした(トリミング以外は無修正)。

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新京阪鉄道(当時、現:阪急千里線)の天神橋駅(1969年に地下化、現:天神橋六丁目駅)と思われる。京阪グリーンの2000系電車が写っている。モートピアとヘッドプレートがある。これは京阪電車ひらかたパークで1964年に開催された<花のひらかたモートピア>のことらしい。

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(出典:倶楽部2600のブログ)

これは京阪500型電車(1926年製の古豪電車)。急行三条のヘッドマークがある。

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天神橋といえば、昭和45年(1970年) 4月8日、この天神橋六丁目の地下鉄谷町線工事現場でガス爆発事故が発生した(天六ガス爆発事故)。路面に敷き詰められた鉄板が爆風で飛散し多くの通行人が死傷した大惨事だった(死者79名、重軽傷者420名)。この事故報道は今も鮮明に覚えている。というよりも、その大惨事から数ヶ月後、大阪万博見学から名古屋に帰る途中、父の運転する車でこの現場を通り、車の中で「ここが現場だ、鉄板の上は歩くもんじゃないぞ」と諭されたからかもしれない。その時、車(カローラ)のラジオから日吉ミミの<男と女のお話>が流れていたことまで思い出した。「ずいぶんと変な歌い方する人だね」と母が言ってたっけ。その大阪万博のスライドも入手しているので後日紹介したい。

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国鉄(当時)三宮駅前。

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神戸三宮駅(阪急)プラットフォームからの景色と思われる。1995年(平成7年)の阪神・淡路大震災により駅ビルが甚大な被害を受けた。

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これも三宮駅前か?大阪・姫路方面阪神電車のりばとの案内が見える。

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神戸三ノ宮そごう。

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このそごうは、清水建設が設計施工・父が設計にたずさわったが、神戸淡路大震災で倒壊した。

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父撮影(昭和30年代)

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これは神戸か大阪の町の寸景。場所は残念ながら特定できない。サンウェーブ流し台を積載したトラックが写っている。電柱の看板に旅館槙之家?とあるが。

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(おわり)

posted by ihagee at 18:48| 古写真

2019年01月10日

大阪・1962年ごろ



ひょんなことから、Kodachromeのカラースライド(ポジ)を手に入れた(一部はAnscochrome)。撮影者は不明のオーファンワークだが外国人らしい。スライドのマウントに1962年6月とだけ日付があり、当時の日本が鮮明に残っていた。EPSON GT-X980でスキャンした(トリミング以外は無修正)。何回かに分けて紹介したい。おそらく大阪だと思うが間違っていたらご容赦。

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タクシーかハイヤー。白手袋・着帽姿はTVドラマ「泣いてたまるか」でタクシードライバーを演じた渥美清やらアニメ「魔法使いサリー」のよっちゃんのお父さんなんかを思い出した。この頃の車はハンドルの横にニョッキリと巨大なコラムシフトが突き出てタクシーの運ちゃんがガチャガチャとせわしなく動かしていたのも子供心に覚えている。左奥にちらりと見えるはオート三輪。

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酒屋の店先の赤電話。「電話するね」と指先をくるりと回す癖が思わず出る人は真性の昭和人である。

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ポーラー電気冷蔵庫と看板があるが豊和産業株式会社で製造していたらしい。手前の車はトヨタのパブリカ(初代)。1960年代、名古屋で社宅住まいだった頃、お隣さんはパブリカ、父はカローラで、互いに自慢し合っていた。

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淀川の景色。

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ビルの屋上。向かいのビルに電通と広告塔。

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千里ニュータウンだろうか?

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半世紀以上経過したスライドフィルムだがカビや傷もなく鮮明に時代を写しこんでいた。いまどきの電磁媒体のデジタルデータではこうはいかないだろう。今週、Flickrでは無料利用者の掲載写真について過去掲載分から勝手に削除が行われた(1000点を超える分)。Flickrなど仮想空間にアップロードしたデータしかなければ、空間の都合で消されることもある。悲劇である。だからといって、ローカルに保存していても再保存やフォーマット変更を繰り返すとデジタルデータは腐敗し最後は全く読み出せなくなる。拙稿『「大ばくち 身ぐるみ脱いで すってんてん」(<ビット腐敗>問題)』で述べた通り。

現物のアナログフィルム・プリントは捨てない限り、当たり前だが情報は存在し続ける(拙稿「ましかくプリント」)。親が残したフィルムやアルバムならどの家庭でもあるだろう。それらをスキャンしてデジタル化したからと、捨てるようなことはしない方が良い(拙稿「「捨てるに捨てられなくて」!?」)。

(おわり)

posted by ihagee at 18:42| 古写真