2017年06月26日

乾板写真の美(続き)



ロール・フィルム写真以前の乾板の時代、1900年頃のオリジナルのネガ(感光乳剤をガラスに塗ったドライ・プレート)を米国から入手し、スキャンした記事の続き。

白黒写真しかなかった時代のあるべき色を人工知能(AI)が見つけ出すという仕組みがある。ウエブ上で実際に自動色付けを試すことができる(ディープネットワークを用いた白黒写真の自動色付け)。<ディープネットワークを用いた大域特徴と局所特徴の学習による白黒写真の自動色付け>なる学術研究の成果であるそうだ。

拙稿『「AI本格稼動社会」への大いなる懸念』では、AIが社会経済といった人間が生きていく為の日々の糧を得る場に活用される場合の大いなる懸念を綴ってみた。しかし、学術文化の面で活用されるのであれば歓迎すべきことなのかもしれない。

以下、自動色付けの結果をオリジナルの写真と比較してみたい(乾板写真はセピアカラーだったが、一旦モノクロームに変換後に着色される)。

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乾板写真ではないが、昭和30年代の古写真でトライ。女性の肩に付いているものが砂粒であることまで判って着色されている。手に持っているスイカのパンチボールについては学習値がないようだ。

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(昭和36年・道頓堀)

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1933年製の前期型Voigtländer Superbで撮影した写真(Kodak Tri-X 400)を意地悪にも試す。ほぼ正確。

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Voigtländer Superb 顛末記 - その11

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ベルリンの壁を西ベルリン側から撮ったカラー写真(1984年筆者撮影):

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白黒に変換した後、自動着色を試み元の写真(上)と比較:

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ガブリエル・レイ(Gabrielle Ray)- その1(ポストカードの女性)

お試しあれ。

(おわり)

posted by ihagee at 18:20| 古写真

2017年06月04日

フジフォト Fuji PHOTO(その1)



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ヤフーのオークションで昨日、Fuji PHOTOなる小冊子を10点ほど手に入れることができた(第11〜19号と43号)。

富士写真フィルム株式会社がスポンサーの当時最大の写真団体<フジフォトフレンドサークル>が40万人近くの会員対象に昭和20年代から30年代に亘って発行した機関紙がこの<Fuji PHOTO・フジフォト>のようだ。第43号を以って休刊となった。手元にあるその第43号に休刊の理由はこう記されている。

「かえりみますと過去8年間、フジフォトフレンドサークルも、フジフォト誌の配布、撮影会の開催、写真教室、例会における作品の審査等、着々とその活動を続けてまいりましたが、この間、時代の趨勢にともない、写真ご愛好家のご要望も本会設立当初と非常に異なるものとなってまいりました。この期に際し、新時代のみなさまがた写真ご愛好家にマッチした新しい企図のもとにいろいろな角度から新しい活動を展開する要ありと考え、いちおう本誌は本号(43号)をもちまして休刊とさせていただきたいと存じます。」

第11号(昭和28年11月)ではマミヤシックスやアイレスフレックスといった中判カメラによる写真が掲載されているが、第43号(昭和34年12月)では電気露出計付1/1000秒シャッターのフジカ35SEの広告が新時代の到来を予告している。「初心者でも最初の一枚から適正露光で美しい写真が撮影できます。」と謳っているように、写真愛好家の裾野が初心者にまで広がりつつある時代だったようだ。

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写真というものが撮影一つ学ぶことから始まり、愛好家はお互いに集って情報を交換し作例を批評し合った時代の熱気がこれらの冊子から伝わってくる。

私が入手した冊子の一部には「岡谷市中央通り三丁目 坂西カメラ店」とスタンプが捺してある。ネットで同店を検索すると2005年に店舗(住所は岡谷市本町4丁目)二階のフリースペースで天体写真展を同店協賛で開催された旨の記事があった。その際の店舗の写真も掲載されているが、グーグルマップでは現在同じ場所は外観はそのままでクリーニング店になっていた。使い捨てカメラや小型軽量のコンパクトカメラ、そしてデジタルカメラと写真が消費される媒体となる経過のどこかで廃業されたのかもしれない。この辺りは、拙稿「新宿・カメラ成光堂」にも書いた。

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これら10冊に掲載された写真のいくつかを記事の寸評とともに本ブログでも継続的に取り上げてみたい。

今回は第11号(昭和28年11月1日発行):

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”アサヒグラフに掲載された「温室村」という風景がある。この写真は1年前に私の頭の中に浮かんだイメージと、まったく同じ風景を写真で創りあげることができたことでも愉快であった。各処で見受けられる白い温室のフレームをどのようにしたら写真で表現出来るだろうかということを考えてから、結局フレームの内部から光線を当てることが硝子張りの温室を1番美しく写せることに気がつき、農林省で温室の数が或る程度密集している場所を調べてもらい、いよいよ全国で1番数の多い静岡県磐田郡豊浜村の現地を視察したのは今年の2月であった・・。”(吉岡専造氏)

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同氏が撮影に用いたスピードグラフィック(通称「スピグラ」) エクタ125mmは米国グラフレックス社製造の4x5を中心にした大型カメラ。吉岡氏は朝日新聞社の写真記者ゆえに、仕事道具は使い慣れたスピグラということなのだろう。吉田茂のポートレートを数々撮ったことでも知られる。「写真嫌い」の異名を持っていた吉田から「辛抱づよくチャンスを狙ってよい写真を撮る吉岡君の人柄に魅せられ」たと語らせたという話もあるが、この温室の写真も一週間現地で粘るものの月出の関係で撮影は断念帰京したが、その一週間に各温室を一つづつ廻って歩くに要する時間や温室内の閃光電球の数や光線の角度などを調べ上げ、一月後の満月の夜にようやく撮影を果たしたというから、その辛抱強い人柄はこの一枚の背景からも窺い知れる。

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ところで、写真を撮影した豊浜村はその後の市町村合併で現在は福田町(ふくでちょう)となっている。撮影当時、日本随一の温室密集地と農林省が吉岡氏に紹介したとある。

同地の伊藤孝作という人が半農半漁のこの村に温室での温床栽培を大正6年に始めて、路地栽培では冬期になると品薄で値段が高騰するキュウリを栽培し東京に出荷することで村の経済を潤したようだ。当初は油障子によるフレームで温室を作っていたが、硝子張りの温室に切り替え次第に温室経営者が増えて数年後には豊浜はキュウリの村と称されるまでになったそうだ。この辺りの話は『発見!いわた 「磐田の著名人」伊藤孝作』に詳しい。

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2枚目の写真は月例批評で1等として取り上げられたもの。題名の「名餉の頃」の「餉」は「げ」と読む。意味は干飯(炊いたご飯を乾燥させたもの)から転じて家族揃って食事をすること。永谷園の味噌汁の「あさげ・ゆうげ」もここから由来している。寸評には「夕食のおかずを買って帰る母子」とあるから、題名の「名餉」は誤植で正しくは「夕餉(ゆうげ)」なのかもしれない。

右手奥に「産婦人科 吉良醫院」と看板がある。その昔、通りの四角の病院の立て看板はどこもこんな感じだったのを思い出した。

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最後はアサヒグラフの表紙写真を数多く撮ったことで知られる狩野優氏の一枚。裸婦や屋外人物撮影のポーズと構図について著作もある写真家のようだ。背景はぼんやりとしているが都心だろうか。やがて、東京オリンピックに向けて槌音が響き渡ることになる(拙稿『「五輪」という破壊』)。

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冊子と関係ないが、時代を語る写真を一枚:

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(昭和34年頃。父撮影 / 遠望に建設中の新橋第一ホテルが見える。父はその建築設計に携わった。)

(つづく)


posted by ihagee at 13:08| 古写真

2016年11月25日

東京ゼロメートル(昭和34年)


「オリンピック東京に来る(サンデー毎日・昭和34年6月7日増大号)」

「200億円への挑戦・第18回オリンピック東京開催決定とともに動きだしたものは本来の競技をどうするかということより何より、そのことだった。・・・東京は、ひどい言葉をつかえば、江戸300年の残がいが、いまだに基本となっているだけに道路の整備は大変な仕事になる。」

そのオリンピックに向けた槌音が始まる前の「江戸300年の残がい」が至るところに残る東京の原風景。運河と6,000余の橋が水の都を形作っていた頃。江戸川・葛飾・江東・墨田・足立・荒川の六区は海抜ゼロメートル以下で庶民は水辺すれすれに住んでいた。気取りがなくて、親身で・・・というのが、この一帯の人たちであった。泥まみれのアヒルが一緒にいて湿地帯特有の風物をつくっていた。

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(おわり)
posted by ihagee at 20:55| 古写真