2019年05月24日

ネガフィルムの整理



写真屋のカバーホルダーに入ったままのネガフィルム。

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デジタルスキャンしても捨てないことだ。デジタルデータは突然死するが、物理的に記録されたアナログデータはしぶとく生き残る(『「大ばくち 身ぐるみ脱いで すってんてん」(<ビット腐敗>問題)』)。

私の場合、そもそもデジタルスキャンもしない。ネガフィルムはサイアノタイプ・プリントで使うからである。

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ゆえに、常にカバーホルダーに入ったストリップを宙にかざして選んでは引き伸ばし機にかけていた。パラフィン紙越しにネガを透かして見るのは中々苦労である。湿気で紙と癒着してホルダーから引き出しにくいストリップもある。

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カバーホルダーからフィルム(120フィルム)をバインダーに移すことにした。ストリップのままだと扱いづらいので、フィルムカッターでコマ(単片)に切り分け、百均(ダイソー)で購入したコレクションカード収納用のクリアポケットに元のホルダー単位に単片を収め、バインダー(ファイル)に綴じ込む作業を行なう。撮影日・場所などインデックスは同じくダイソーで売っているCDケースの背ラベルを "こより" にした。

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コレクションカード収納用のクリアポケットは120(6x6)フィルム単片の収納に最適。ただし、ダイソーのこの商品は以前はポケットがシボ加工されていたが、最近の商品ではコストカットの為か加工されていない。シボがあった方がフィルムがポケットに密着しないので少し残念である。ポケットの素材のポリエチレンがフィルム(乳剤面)に影響するかどうかは判らないが、湿気さえ注意すれば大丈夫だろう。結果は大変扱い易くなった。未整理のカバーホルダーはまだ山のようにあるので、ダイソーから用材を買い増さなくてはならないが、百均ゆえに出費も大したことではないのが助かる。

(おわり)

posted by ihagee at 04:19| 古写真

2019年02月03日

名古屋・1962年ごろ



古写真の続き(Kodachrome又はAnscochromeのスライド / 訪日外国人が撮影したと思われるが、撮影者氏名不明のオーファンワーク)。

スライドのマウントに1962年6月と日付があり、当時の日本が鮮明に残っていた。EPSON GT-X980でスキャンした(トリミング以外は無修正)。

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日本石油(日石、現: ENEOS)のガソリンスタンド。給油機は赤かったことを想い出した。自動車の窓拭きや灰皿の掃除を行うフルサービスが当然の時代だった。子供心に鯨の髭だと思っていた日石のマークは「こうもり」をデザインしたものと恥ずかしながら今知った。

” 1888年(明治21年)の創業時、創立記念式典の会場内に一羽の蝙蝠(コウモリ)が舞い込んで来たことから、「コウモリ」をデザインしたマークを商標とし、「蝙蝠印石油」の商品名で製品販売を行っていました(当時、コウモリは「蝠」の字が「福」に通じるため、福を呼ぶ「縁起物」とされていたそうです)。給油所にも「コウモリマーク」が掲げられていました。” (ENEOS 歩みから)

営業車の横腹に日石ゴールドと商品名があるが、それ以前の商品名は「コウモリガソリンP」、現在の日石ダッシュレーサー100となっているそうだ。

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昭和40年代前半まで父の仕事の関係で名古屋で育った。名古屋に限ったことではないが、こんな格好のおばさんたちは当時日常風景だった。

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白山神社。

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同名の神社は日本中に存在している。あじさいの名所として知られる文京区の白山神社には以前、撮影に出向いたこともある(拙稿「Rolleiflex SL66 - 拡大鏡レンズとLomography Redscale XR 50-200(その2)」)。さて、この白山神社についてはスライドにどこの白山神社か手がかりになるような記載はない(外国人が撮影したスライドでは無理からぬ)。ネットの画像検索はこういう場合、役に立つ。丹羽郡大口町にある上小口白山神社らしい。

鳥居の後ろに朽ちかけた木製蕃塀が写っている(蕃塀については「蕃塀マニア」に詳しい)が、その木製蕃塀は昭和55年12月に石造の蕃塀に作り替えられたことまでネットの記事で判った(「木造の蕃塀から石造の蕃塀へ」みちくさ学会記事)。蕃塀マニアにも記載があった(「大口町上小口白山神社の蕃塀」)。


(現在の様子、神社好きのページから)

倒木が写っている。このスライドの3年前の昭和34年の伊勢湾台風の爪痕なのか?ネットの情報では判らなかった。

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社の緑は現在の方が良い。緑化という景観の概念が定着したのは日本が高度経済成長期を終えた頃辺りからだった。私の子供の頃(昭和40年代前半)を想い出しても、当時住んでいた今池界隈はどこも埃っぽく殺風景だった。コンクリの百メートル道路の周囲に街路樹などなかった記憶がある。

(おわり)

posted by ihagee at 08:34| 古写真

2019年01月24日

東京・1962/1967年ごろ



古写真の続き(Kodachrome又はAnscochromeのスライド / 撮影者不明のオーファンワーク)。

スライドのマウントに1962年6月 / 1967年2月と日付があり、当時の日本が鮮明に残っていた。EPSON GT-X980でスキャンした(トリミング以外は無修正)。

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東京タワーからの展望。1967年2月とスライドにある。

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社会人になりたての頃、年末の親睦行事はタワーボールと付属のブフェが恒例だった。マイボールを持ってきた人もいた。

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一見、東京タワーのようにも見えるが、これはラジオ東京テレビ(現:TBS)の電波塔(高さ150m)。

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学生時代(1970年代)、TBSラジオの夜の番組はよく聴いた。ミッドナイトプレスクラブの大人の世界に憧れたものだ。シガーを咥えレッテラブラックのキーを人差し指で交互にパチパチと打つ大人の世界である。この時代のラジオ番組はどれも大人びて格好良い。SONY BCLジョッキーもコスミックで洒落てた。短波ラジオが欲しくてね。切手とベリカードで世界を知ったものだ。ネット社会の今となってまさに隔世の感だが、未知なるものへの興味や憧れはあの時代の方があった。


(ミッドナイトプレスクラブ 1978年3月18日)

そして、エミ子の長いつきあい。ラジオのパーソナリティの声に恋心を抱いたものだ。山野楽器(銀座)を訪れると「なんとなく」思い出す。今聴き返しても、なんて優しい声なんだろう。


(エミ子の長いつきあい 1978年1月12日)

そして、銀座

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ここは昔も今も変わらないが・・(拙稿『「五輪」という破壊(続き3)』)

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新幹線こだまのパーラーカー。1967年2月とスライドにある。

新幹線の匂いというのがあった。油とタバコの混ざり合ったようなえもいわれぬ独特な匂いである。大宮の鉄道博物館に展示されている0系新幹線車両に残り香がある。

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これは都内のどこかの運河らしい。1962年6月とスライドにある。東京オリンピック(1964)で都内の運河はあらかた埋められたり暗渠になった(拙稿「日本橋界隈」)。

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(おわり)


posted by ihagee at 03:35| 古写真