2022年09月19日

抗議する権利



それは金曜日、チャールズ3世がエリザベス2世女王に敬意を表するために来た一般の人々に挨拶していたときに起こった。群衆の中の一人の男が「私たちは家を暖めるのに苦労している一方で、あなたのパレードにもお金を払わなければなりません。納税者はあなたに 1 億ポンドを支払っていますが、何のために支払っているのですか?」と目の前の国王に言った。


(Sky News)


国王は一瞬彼を見ただけだった。

国王のウェールズ訪問に先立ち、ウェールズのマーク・ドレイクフォード首相は、反君主主義者には抗議する権利があると述べ、君主制に反対する声を上げている人々に対処する警察に「人々が持っている権利を認識する」よう求めた。

それ以前、 「彼は私の王ではない」と書かれたプラカードを持った別の抗議者が、警察によってウェストミンスター宮殿から連れ去られた。その時は、国王がウェストミンスター ホールで国会議員に演説するために到着する予定であった。また、月曜日の午後、アンドリュー王子をブーイングした後、22 歳の男がスコットランドで逮捕された。表現の自由を訴える組織は警察の行動に懸念を表明した。

この冬、英国の家庭のほぼ 3 分の 1 が貧困ラインで生活することになり、1 月には光熱費が再び上昇することが予想されている。平均的な家計費は今年すでに 54% 上昇しており、多くの英国人が「暖房と食料」のどちらかを選択することを余儀なくされている。経済学者によると、平均請​​求額は年間 5,000 ドルに達し、これは約 4,200 ポンドに相当すると CNN は書いている。

英国のインフレ率は 7 月に 10.1% に達し、40 年ぶりの高水準となった。エネルギー価格の上昇により、英国人は厳しい冬に備えなければならない。

喪に服する期間、店舗やレストランは閉鎖され、9 月の英国のGDP は0.2% 低下すると見込まれている。

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2015 年の Amazon Prime ドキュメンタリー「Serving the Royals: Inside the Firm」で、エリザベス女王とダイアナ妃の執事だったポール・バレルは、チャールズ皇太子(当時)のスタッフは彼の世話をするために与えられた指示に従い「彼のためにすべてをやった」と語った。チャールズはクラレンス・ハウスのスタッフから「甘やかされた王子」というあだ名をつけられていた。

毎朝、歯磨き粉を歯ブラシに 1 インチ絞ること、パジャマは毎朝プレスし、靴ひもはアイロンで平らにし、バスタブの水温はちょうどぬるま湯でなければならないこと、手作りのパン、新鮮なフルーツとジュースを用意すること、世界のどこへ行っても、6種類のハチミツ、いくつかの特別なミューズリー、ドライフルーツの入った朝食ボックスを携行すること、食事の最後にチーズとビスケットを特定の温度に温め、旅行するときは彼専用の便座を携行し、クリネックス ベルベットのトイレ紙を用意するようことなど「すべて」を、スタッフに命じていた。

そのクラレンス・ハウスの私設秘書、財務、通信、家事などに従事する100 人余りのスタッフの大半は、チャールズ 3 世の国王の即位に伴い、間もなく解雇されるとサー・クライブ・オルダートン主席秘書官から通知されている。クラレンス・ハウスのスタッフは、エリザベス 2 世女王の埋葬のためにすべてが順調に進むように 24 時間体制で働いていた最中の通知である。

ロンドン中心部のセント・ジェームズ宮殿の隣にあるクラレンス・ハウスは、ウェールズ王子とコーンウォール公爵夫人のロンドンの公邸で、2003 年から最近王位に就くまでチャールズ皇太子とカミラ夫人がオフィスを兼ねて居住していた。オフィスは女王の死後、バッキンガム宮殿に移転する予定で、スタッフも異動する予定であった。

公共商業サービス組合(PCS)は、クライブ・オルダートン主席秘書官に書簡を送り、計画を中止し将来の協議に先立って組合と会うよう求めた。

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ロンドン警視庁のスチュアート・カンディ副長官は火曜日、警察官と抗議者の間の事件の後、英国人は君主制に対して「抗議する権利を持っている」と表明した。

英国にはヘイト・スピーチ規制法がある。人種・宗教差別を元に秩序紊乱を導く行為を規制するもので、表現の自由の保護の観点から規制の対象を特に悪質なものに限定しているものの、表現の自由との調整についてなお議論が存在し続けている。

(おわり)

posted by ihagee at 07:30| 日記

2022年09月12日

エリザベスの犬・プーチンの犬


エリザベス女王はその一生で約30匹の犬を育てた。ウィンザー城ではコーギーが14世代にかけて飼育され訓練されたが、女王自身、コーギーの繁殖プログラムを数十年にわたって監督した。女王が去ったあと、王宮にはウェルシーコーギー2匹、ダックスフントとコーギーの混血犬種であるドルギ1匹、コッカースパニエル1匹など4匹が残り、王家の人々がその世話を引き継ぐことになるだろう。

女王が育てたコーギーたちは2012年ロンドンオリンピック開幕式のフィルム映像で 、映画「007シリーズ」の主演俳優ダニエル・クレイグがバッキンガム宮殿で女王をエスコートする場面にも登場し人気を集め、2020年に英王室の物語で人気を集めたネットフリックスドラマ「The Crown」にも登場した。




エリザベス女王の演説顧問だったモンティ・ロバーツは、米国芸能メディア・ベニティフェアとのインタビューで、女王は2012年ロンドンオリンピック開幕式の映像に登場したコーギーの死を大きく悲しみ、「子犬を置いて去りたくない」と繁殖をあきらめたという話を明かしている。

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「それは2003年の謁見の場でした。大統領閣下は14分遅れて現れ、その時、私の盲導犬がとても大きな声で吠えたのです。その場は女王様がホストでしたから "陛下、犬の吠えをお赦しください" と謝りました。女王様は "犬には面白い本能がありますよね" と仰られたのです。」(全盲の内務大臣・デイヴィッド・ブランケットの回想)。



遅れてきたのは、公式訪英中のウラジーミル・プーチン・ロシア大統領だった。エリザベス女王は余程不快だったのだろう。政治問題において中立であるという王室の議定書に逆らうかに、無礼に対して皮肉で答えたのだった。

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2007 年、ソチにあるプーチン大統領の夏の邸宅でアンゲラ・メルケル独首相とエネルギー貿易問題について話し合っていたとき、プーチンは彼の黒い愛犬を部屋に引き入れた。コンニいう名のそのラブラドール犬がメルケルに近づき不機嫌そうに匂いを嗅ぐや、メルケルは椅子の下に足を入れ怯える表情を見せた。メルケルは気を落ち着けるかにロシア語で「それでもジャーナリストは食べやしないわ」とプーチンに返した。.


(ドミトリー・アスタホフ/AFP/Getty)

彼女は以前二度犬に噛まれたことがある。犬に対する彼女の恐怖をプーチンは知っていたとされる。2006年、首相となって初めてメルケルがモスクワを訪問した際に、小さな白黒のぬいぐるみの犬をプーチンはメルケルにプレゼントしていた。それがいかなるメッセージかをメルケルはその時、知ることになったのである。

「彼がなぜこれをしなければならないのか、彼が男であることを証明するために、それは彼は自分の弱さを恐れているからです。ロシアには何もありません。政治も経済も成功していません。彼らが持っているのはこれだけです。」と、メルケルは後にこう述べている。

そのラブラドール犬のコンニは2014 年に死んだ。2010年にブルガリアの首相から与えられたバフィーと呼ばれる雄のブルガリアン・シェパードと、2012年に日本から贈られたユメと呼ばれるメスの秋田犬をプーチンは飼っていた。2011 年の東日本大震災後、ロシアの支援に対する感謝のしるしとして、2012 年に安倍首相からプーチン大統領に贈られた犬である。

2014年にプーチンをソチの夏の邸宅に訪ねた安倍晋三首相はユメと再会した。ゲストに顔を背け不機嫌そうなユメを撫でながら安倍首相はロシア語で「いい犬だ」と言った。「はい、でも彼女は時々噛むことができます」とプーチンが答えたと、ロシアのニュースサービスRia Novostiが報じている。


(画像出典:Dailymail online)

そのユメの相方として安倍晋三首相は2016年の訪日に合わせて、オスの秋田犬をプーチンに贈呈しようとしたが、プーチンに断られている。互いに愛犬家だからと、犬で外交が叶うと踏んだ安倍首相をプーチンは鼻で笑ったのかもしれない(噛まれたいのか?)。ちなみに、ドナルド・トランプ大統領は歴代大統領と異なり犬が好きではなく、ホワイトハウスに犬の居場所はなかった。犬がダメならゴルフで、ということになったわけである。

犬の所作はその飼い主を現す。君主なり政治家なりの身振りをするのである。同時にその飼い主は犬を介しても、時に権謀術数に長けていなくてはならない。単なる愛犬家では務まらないということだ。

関連記事:「チュッチェフとカポネ

(おわり)
posted by ihagee at 04:45| 日記

2022年09月11日

カエルへのキスを求めた女王



1972 年、ヨシップ・ブロズ・チトーは、ベオグラード訪問中のエリザベス 2 世女王が夜静かに眠れるよう、宿泊場所(ホワイトコート)周辺のすべてのカエルを捕まえるよう兵士たちに命じた。

「ここはとてもいいのですが、ここにカエルがいないことに驚いています。私はカエルの聖歌隊を聴いて育ちました。その歌声は私をとてもリラックスさせてくれます。」と女王は翌朝チトーに言った。チトーは兵士たちに命じて捕獲したカエルを全て元に戻した。(Miodrag Todorović回想録)



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チトーが率いる反ファシストのパルチザンが、イギリスの首相ウィンストン・チャーチルを含む同盟国の助けを借りて1945年に国を解放した後、新しい共産主義政府は王室が権力の座に戻ることを禁止した。

1945年7月17日、ロンドンのブルック通りにあるクラリッジス・ホテル212号室のスイート・ルームで、亡命中のユーゴスラビア王ペータル2世とその妃のギリシャ王女アレクサンドラとの間に一人息子アレクサンダル2世カラジョルジェヴィチが生まれた。ユーゴスラビア王位継承者は同国内で誕生していることが王位継承の条件であったため、イギリス政府はこのスイート・ルームに対する主権を一時的に放棄し、ユーゴスラビアに割譲したとの話が知られている。アレクサンダルの洗礼の代父母を務めたのはイギリス王ジョージ6世とその長女エリザベス王女(後のエリザベス2世)であった。1947年には、チトーによってユーゴスラビアの市民権を剥奪され、王室の財産は没収され、アレクサンダルはイギリスの国民としてイギリス陸軍将校となり、後にアメリカに渡りシカゴの保険会社 Marsh and McClennanで働き、イギリスに戻って友人の石油と海運会社関係の仕事をした(存命中)。

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グリム童話に、お姫様が壁に投げつけたカエルに謝ってやさしく布団をかけると、金色の光がひらめいてカエルが王子に戻る話がある。




カエルなりの正当性(王位継承権)も、政治的変化によって薄れやがて消滅していく。

「私は普通の子供として育った。カエルにキスをして王子になったわけではない。米国では、私はただのアレクサンダー・カラジョルジェヴィチで、住宅ローンを抱え、電気代とは何か、子供の教育費とは何かを知っていた。」

ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の解体が始まった1989年、アレクサンダルは10 月に初めてユーゴスラビアを訪れた。この短い旅行で、分断された国の将来に自分を必要とする多くの人々がいることを彼は知り、立憲君主制による民主主義の達成を望むようになった。「(チトー時代の)権威主義体制から民主主義体制への円滑な移行を提供できる(アレクサンダル)」

アレクサンダルは現セルビアにおける立憲君主制の復活を提案しており、もし王政復古が現実となれば自分が合法的な王として即位するつもりである旨、表明している。セルビアの放送局B92の記事によると、『SAS Intelligence agency』という団体が同国で行った世論調査で、39.7%が「議会制君主主義」に賛成、32.2%が(強く)反対、27.4%がどちらでもない、と回答したとのことである(wikipedia「アレクサンダル2世カラジョルジェヴィチ」より)

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1972 年の女王の東欧共産主義国(ユーゴスラビア社会主義連邦共和国)への訪問は西側メディアでは批判の対象となった。今はカエルとなってしまった東ヨーロッパの王族たちに、共産主義の牙城から女王は立憲君主制での王政復古を呼びかけていたのかもしれない。女王の強かさを伺い知ることができる「カエル」の逸話である。

(おわり)

余談:そのチトーの祖国解放戦争に抵抗するクロアチア独立国軍(親独・親ナチ主義者)に加わり捕らえられ、投獄され死刑を宣告されるものの、その死刑当日に収容所所長にピアノを弾くことを命令され、それを聴いた所長が「芸術家を死刑にするのは忍びない」と処刑だけは免れたのが、N響に何度も客演し名演奏をもたらしたロヴロ・フォン・マタチッチ(Lovro von Matačić)である。この大カエルにキスをして救ったのは、収容所所長の愛娘だったのかもしれない(後のマタチッチ夫人)。壁に一度は叩きつけられた大カエルならぬ貴族(フォン "von")が大指揮者になったというお話。ちなみに、マタチッチ夫人は他に3人いたと言われている。同様にフォンを名乗っていたカラヤン(Herbert von Karajan)に対して「おれは本当の貴族だからね」とマタチッチは言ったとか言わなかったとか。

(wikipediaより)

posted by ihagee at 08:15| 日記