2019年12月05日

アマンとマハトマ(平和と偉大な魂)/ 続き




ペシャワール会中村哲医師の訃報。

「アマン(平和)」を希求し実践し、戦争に戦うがゆえの最期だった(拙稿「アマンとマハトマ(平和と偉大な魂)」)。

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”これはもう、一つの戦いでありましょう。皆を突き動かしているのは「平和な生活」です。”

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“日本政府が経済進出をもくろんで、数千億円だったかの資金をつぎ込み、しかも憲法に違反する自衛隊まで派遣して、やっている現地開拓事業は一向に効果をあげえず、逆に中村さんたちがカンパを元手に細々とやっているボランティア活動での水路開拓(周囲には日本の伝統にならって、柳の木を植えているとか)はすごい成果をあげているということ。このアフガニスタン内部の紛争の原因は、国内に蔓延する貧困にあるという考えからこういう活動をやっているということ、それ故、タリバンだろうと政府軍兵士だろうと、誰でも負傷者は受け入れて治療しているし、そのままそこにいついて共同で働くことも承認しているとのこと、等々。こういう報告をスライドで映写しながら淡々と報告されていた。ささやかだが、当日の参加費、カンパなどは全て中村さん経由でペシャワール会に差し上げた。確か、50万円は超えていたように記憶している。その後、生方先生から中村さんが大変喜んでいたという報告を受けた。中村さんは、アフガニスタンでこういうこと(ご自分が死傷する)が起きうるということを最初から覚悟しておられたようだった。たとえ、自分が襲われても、決してこちらから反撃はしないと言われていたようだ。”(「中村哲(ペシャワール会)医師の訃報に接して」ちきゅう座会員合澤清氏記事から引用)

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敵味方を峻別し、武器を以て「殺す」こと(先制攻撃も含め)が前提の覇権主義に日本政府は憲法を勝手に解釈し、数千億の資金をつぎ込み傾斜する。「蹶然起て」と敵愾心を煽り、独立解放の美辞美名の下、軍事・経済派遣を進めた嘗ての「アジア幻想」の再現ともなり兼ねない。

片や、市民からの幾ばくかの浄財に心から感謝し、敵味方なく傷ついた者を助け、たとえ「自分が襲われても、決してこちらから反撃はしない」と、命を賭して「アマン(平和)」を希求し実践した中村医師。頭の中だけの美学ではない「実践」はそうそう誰にもできることではない。「決してこちらから反撃はしない」は、即ち、一方的に死を覚悟しなければならないからだ。それも平和の為に。

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“「この戦争は間違っているとうすうすながら分かっていたにもかかわらず、沈黙して特攻隊員にまでなった。死ぬ覚悟をしてるのに、なぜ死ぬ覚悟でこの戦争に反対しなかったのか。時代に迎合してしまった。私のまねをしちゃいけないよ、と今の若い人に伝えたい」”(「元特攻90代兄弟の証言」)

死ぬ覚悟で戦争で戦う(武力主義)のではなく、死ぬ覚悟で戦争に戦うことを(平和主義)、この兄弟は伝えようとしている。憲法に謳う平和主義とはそういうことである。

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「その仕事は偉大な人のものとなることであると信じています。(映画「アマン」でのバートランド・ラッセル卿)」

死ぬ覚悟で戦争に戦うかに、平和な生活を求めて紛争の元となる貧困を解消すべく、中村医師は水路開拓事業を率先実践した。

中村医師は「人たる」仕事を為した。これは、日本人としてではない、アジア人としてでもない、「人として」偉大なのである。

今の若い人には、「人として」偉大な人、そういう人を志して欲しい

(おわり)


posted by ihagee at 17:57| 日記

2019年11月11日

芸術の秋



陰暦の10月の別の呼び名が初冬だが、現実の暦の上では11月の上旬からを言うようだ。しかし体感は11月になってもまだ秋の内である。空を真っ赤に焼く夕景は到底冬のものではない。

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(自宅ベランダから富士山を望む・Sigma DP2Sで撮影)

暦の上では初冬といえども、秋の風に吹かれて上野の山に出かけた(11月2日)。

東京都美術館で開催中の「コートールド美術館展 魅惑の印象派 Masterpieces of Impressionism: The Courtauld Collection」が目当てである。同期開催の上野の森美術館「ゴッホ展」に向かう長蛇の列に都美術館も並ばされるのかと思ったが、こちらはすんなり入館できた。

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モネ・マネ・セザンヌ・ピサロ・シスレー等々、フランス印象派巨匠の名画が並ぶ。個人的にはシャイム・スーティン(Chaïm Soutine)の女性像が良かった。周りと調和せず一つだけ強烈に臭っていたからだ。



英国ロンドンのウェストミンスター地区にあるコートールド・ギャラリー (Courtauld Gallery) では常設の絵画も日本にくれば特別展となる。絵を学ぶために原画を前にデッサン(鉛筆)や撮影(ノーフラッシュ)をすることは向こうでは認められていても日本ではただひたすら鑑賞のみでそれらは厳禁。プラド美術館、アルテピナコテーク(ミュンヘン)、ウィーン美術史美術館等々、私用社用含めて渡航した先々で訪ねた美術館ではどこも当たり前のことが日本では当たり前にならない。そしていつものことながら私語さえ憚れれる雰囲気に息が詰まりそうになった(参照:「Courtauld Gallery コートールド美術館」。

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(都美術館前のオブジェ)


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(上野こども遊園地跡「花やしきのBeeタワーと上野こども遊園地」)

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(園児のカルガモの列)


(おわり)


posted by ihagee at 03:44| 日記

2019年10月15日

台風19号(続き2)







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”(・・・)再利用されないという点で論点のすり替えがある。その主語は人間と決めてかかっている。しかし、先年の東日本豪雨での大洪水、そして今も続く熊本・大分を中心とする地殻変動・地震などを主語にすれば、日常生活を営む場所に焼却・埋め立てした処理廃棄物が流出・移動することぐらい想定の内である。ガラスで固化するなどもせずに灰にして埋めたモノなど簡単に土や水に混ざって環境に<再利用>される。想定できることも敢えて想定しないという前提で誤りはないとする官僚の無謬性である。”(国家ぐるみの壮大な「粉飾決算」

フレコンバックの山はそこにある。その山を映さない。だから彼らにとっては「無いも同然=風評」なのだろう。”(東京五輪までの虚飾

”「痛みを分かつ」は心情的に国民に膾炙され易いが、こと原発事故に限れば「痛んだ所に抑え込む」しかないのである。つまり<防曝>のスタンスに立って年間被ばく線量が5ミリシーベルト以上の地域は人間の生活圏から遠ざけ(=人間がその地域から立ち退き)、その意味で棄地となった土地を国が収用管理することしかない。具体的には事故原発を中心として福島県太平洋側沿岸地域をその土地とし放射性廃棄物の集中管理処分場にする政治的決意が求められる。原発由来の核のゴミを全土に分散管理し続けるのは現実的に不可能な上、自然災害などで予測不能に漏洩すればそれこそ日本中が副次的な放射能汚染の脅威に晒されることになる。特に地下水脈が至るところに走る日本では、どんなに深く埋めても廃棄物が水に触れて放射性物質が環境に漏洩する可能性が高い。地下水脈が汚染されれば人間の生活圏は根こそぎ奪われることになる。”(原発事故がもたらす過酷な時代を生きるには

”放射性廃棄物を地上処理しようとしたり、笑っていたら取り憑かれない・近寄りなさい・仲良く共存しなさいと、国民に「アンダーコントロール」の旗を振らせ、「この国は神の国であるぞ(日本会議)」と精神主義で打ち勝ちなさいと宣う我が国の政府。”(100,000年後の安全

”東京電力福島第一原子力発電所の未曾有の産業事故に由来する放射線公害は収束の目処一つなく今も間断なく続いている。「アンダーコントロール(安倍総理)」どころか、8000 ベクレル/kg以下の放射能汚染土壌を農地などに利用する・680基の放射能タンク汚染水を海に放出する、といった計画を国は着々と進めようとする。どこが「アンダーコントロール」なのだろうか?生活環境にばら撒いてしまった後はコントロールのしようもない。つまり、ばら撒いた後の挙動については「知り得ません」は管理と言えるのだろうか?ただ単に「管理し切れないのでばら撒きます」と同じことなのではないのか?”(安全神話を鵜呑みせず、自分で考えることの重要性

翻って、安倍首相の「アンダーコントロール」の一言は内外に向けたあからさまな印象操作だった。つまり、わが国の事故はチェルノブイリのそれとは全く違うと政治的に嘘をつき装うことにあった。「実害」を前提とする<防曝>のスタンスは取らず、「除染」「帰還」でわが国民は汚染に立ち向かえると国際社会に宣言した。「今この瞬間にも福島の青空の下、子どもたちはサッカーボールを蹴りながら、復興と未来を見つめている(安倍首相)」と「青空」ありき、子どもたちに<防曝>の選択肢すら与えない言葉はあまりに酷過ぎる。

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原発事故がもたらす過酷な時代を生きるには

”原発行政を絡めて話すことが不謹慎となるなら、「人間の尊厳保持」が人ではなく国に資することを意味している。桜田氏の発言となんら変わらない思考をしていることになる。国家の威信の前に、一人のガン患者ばかりでなく、数万人単位の人々への嘘がその先数千人単位の被曝による死をそうと悟られずに黙認されていく。西尾氏のように正直にモノを言う人々が嘘をつき続ける人々によって「風評被害を広めた・不謹慎である」と叩き壊される。”(いつまでも「うそつきロボット」で良いのだろうか?

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台風19号にあえて原発行政を絡めて話す。

「アンダーコントロール」=想定できることも敢えて想定しない

水害のみならず。

(おわり)





posted by ihagee at 03:43| 日記