2019年10月15日

台風19号(続き2)







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”(・・・)再利用されないという点で論点のすり替えがある。その主語は人間と決めてかかっている。しかし、先年の東日本豪雨での大洪水、そして今も続く熊本・大分を中心とする地殻変動・地震などを主語にすれば、日常生活を営む場所に焼却・埋め立てした処理廃棄物が流出・移動することぐらい想定の内である。ガラスで固化するなどもせずに灰にして埋めたモノなど簡単に土や水に混ざって環境に<再利用>される。想定できることも敢えて想定しないという前提で誤りはないとする官僚の無謬性である。”(国家ぐるみの壮大な「粉飾決算」

フレコンバックの山はそこにある。その山を映さない。だから彼らにとっては「無いも同然=風評」なのだろう。”(東京五輪までの虚飾

”「痛みを分かつ」は心情的に国民に膾炙され易いが、こと原発事故に限れば「痛んだ所に抑え込む」しかないのである。つまり<防曝>のスタンスに立って年間被ばく線量が5ミリシーベルト以上の地域は人間の生活圏から遠ざけ(=人間がその地域から立ち退き)、その意味で棄地となった土地を国が収用管理することしかない。具体的には事故原発を中心として福島県太平洋側沿岸地域をその土地とし放射性廃棄物の集中管理処分場にする政治的決意が求められる。原発由来の核のゴミを全土に分散管理し続けるのは現実的に不可能な上、自然災害などで予測不能に漏洩すればそれこそ日本中が副次的な放射能汚染の脅威に晒されることになる。特に地下水脈が至るところに走る日本では、どんなに深く埋めても廃棄物が水に触れて放射性物質が環境に漏洩する可能性が高い。地下水脈が汚染されれば人間の生活圏は根こそぎ奪われることになる。”(原発事故がもたらす過酷な時代を生きるには

”放射性廃棄物を地上処理しようとしたり、笑っていたら取り憑かれない・近寄りなさい・仲良く共存しなさいと、国民に「アンダーコントロール」の旗を振らせ、「この国は神の国であるぞ(日本会議)」と精神主義で打ち勝ちなさいと宣う我が国の政府。”(100,000年後の安全

”東京電力福島第一原子力発電所の未曾有の産業事故に由来する放射線公害は収束の目処一つなく今も間断なく続いている。「アンダーコントロール(安倍総理)」どころか、8000 ベクレル/kg以下の放射能汚染土壌を農地などに利用する・680基の放射能タンク汚染水を海に放出する、といった計画を国は着々と進めようとする。どこが「アンダーコントロール」なのだろうか?生活環境にばら撒いてしまった後はコントロールのしようもない。つまり、ばら撒いた後の挙動については「知り得ません」は管理と言えるのだろうか?ただ単に「管理し切れないのでばら撒きます」と同じことなのではないのか?”(安全神話を鵜呑みせず、自分で考えることの重要性

翻って、安倍首相の「アンダーコントロール」の一言は内外に向けたあからさまな印象操作だった。つまり、わが国の事故はチェルノブイリのそれとは全く違うと政治的に嘘をつき装うことにあった。「実害」を前提とする<防曝>のスタンスは取らず、「除染」「帰還」でわが国民は汚染に立ち向かえると国際社会に宣言した。「今この瞬間にも福島の青空の下、子どもたちはサッカーボールを蹴りながら、復興と未来を見つめている(安倍首相)」と「青空」ありき、子どもたちに<防曝>の選択肢すら与えない言葉はあまりに酷過ぎる。

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原発事故がもたらす過酷な時代を生きるには

”原発行政を絡めて話すことが不謹慎となるなら、「人間の尊厳保持」が人ではなく国に資することを意味している。桜田氏の発言となんら変わらない思考をしていることになる。国家の威信の前に、一人のガン患者ばかりでなく、数万人単位の人々への嘘がその先数千人単位の被曝による死をそうと悟られずに黙認されていく。西尾氏のように正直にモノを言う人々が嘘をつき続ける人々によって「風評被害を広めた・不謹慎である」と叩き壊される。”(いつまでも「うそつきロボット」で良いのだろうか?

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台風19号にあえて原発行政を絡めて話す。

「アンダーコントロール」=想定できることも敢えて想定しない

水害のみならず。

(おわり)





posted by ihagee at 03:43| 日記

2019年10月13日

台風19号(続き)



台風19号が去った。河川氾濫・土砂崩れなどかつてない水害を関東から東北各県にもたらした。刻々明らかになるその甚大さはこの国の地政学的課題がいかに治水にあるかあらためて思い知らされた。それは河川管理もさることながら、国土面積の約3分の2を占める森林土壌の保水力=涵養機能(緑のダム)の課題である。

木材生産目的の為の人工林(育成林)は森林の41%を占める。人工林(育成林)は常に人の手を入れなければ樹木の更新がなされない。住宅や家具などの資材を供給する産業化された森林ゆえに下層植生(地表の多様な植生)がなく、その産業上の需要がなくなり人の手が入らなくなれば、雨滴による土壌侵食を受けやすく、森林土壌の保水力=涵養機能は著しく損なわれる(緑の砂漠)。

国土保全の観点から、森林は第一義に社会資本であり、経済原理に徒らに委ねてはならない。それは保水力=涵養機能(緑のダム)を果たす田畑も同じである。

都心は幸いにも深刻な氾濫に見舞われることがなかった。それはダムや水門など高度な水防=河川管理のおかげであると思いがちである。他方、甲信越・東北各県で水害が多発した。それらの地域の緑のダムが緑の砂漠となってはいないかなどと、経済原理の恩恵に浴する都会人は思いを致すことはないだろう。

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台風19号一過、自宅から車で30分程度、荒川域の難波田(埼玉・富士見市)に向かった。以下はSigma DP2Sで撮影。

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のどかな荒川河川域の田園風景は一変。湖面と化していた。

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埼玉県営秋ヶ瀬公園は見る影もなく水没(秋ヶ瀬橋から撮影)。荒川第一調節池としての本来の役目を果たしたとは言え、あまりの変容に目を疑った。近くのさくら草公園、彩湖公園も水没。緑豊かな公園として人々が再び憩う日はいつになるのだろうか?


(音声無し・Muson MC2 Pro1(JP-MC2-MU)で撮影)

(おわり)

posted by ihagee at 20:29| 日記

2019年10月08日

台風19号



「運命でかたづける国民性」と先にブログで述べた。

自然災害の範疇であれば、社会的に許容せざるを得ないリスクというものも存在するだろう。火山・地震・活断層・台風など。しかしそれらを「運命」とあっさりと住民に諦めさせるならそもそも政治も行政も要らない。運・不運でかたづけるなら神仏の世界である。

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台風19号が日本列島に迫りつつある。大型且つ非常に強い勢力のまま伊勢湾以東のどこかに上陸する可能性が高くなった。小学生の時分、名古屋に住んでいたが伊勢湾台風(1959年9月26日)の記憶が生々しく残っていた頃ゆえに、その恐ろしさを担任の教諭から何度も聞かされた覚えがある。

その伊勢湾台風を超える甚大な被害を台風19号が日本列島にもたらす可能性がある。そうわかっていながら、台風が近付くより前にリスクを最小化するための減災=避難を予め呼びかける様子はない。それらを呼びかけるのは大抵、直前か只中ということになっている。それでは外に出ることも避難も儘ならないが、さりとてまだ台風が遠方にある時点で予め市民を避難させるには都市(東京の場合)が巨大過ぎる。一極集中の都市構造が自然災害に人為の要素を加えてしまう。

米国ではハリケーン用避難経路を準備し直近の安全な都市まで避難させている。人為の要素に対策を施すのが政治であり行政なのだろう。翻って我が国では、大掛かりな台風用避難経路を準備することもなく、「家回りを点検して」と呼びかけ災害発生拠点内に「避難所」を設置・誘導する程度で、政治・行政が未必の故意を決め込み国民の生命財産を「運・不運」に預けているのではないか?


(年々熾烈化する台風にこれで済むのだろうか?)


救援(人命)と復旧(インフラなど)を被災地で同時に行うことがいかに困難かは先の台風15号での千葉県下の状況からも判ることだ。減災=避難(一時疎開)は結果として被災地の復旧を早めることにもなる。ふるさと納税はこういう場合を想定したものであっても良いと思う。名産品をもらうよりもいざという時に屋根を借りる・屋根を借すという意味である。検討の余地はないのだろうか?


(2017年、カテゴリー5のハリケーン・イルマでは、65万人のフロリダ市民に避難勧告が出され、直近の安全な都市まで避難した)

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吉事・凶事を改元の理由にしていた時代があった。元号を時代を区切る単位と見なし、改元は新たな時代の創造などとさらりと理解する国民性には、何事もお上(他者)に預けたり、運・不運(神仏)で片付けてしまう気質が隠されている。

"麻生太郎・財務相(発言録)
政権の安定があったからこそ、これまでの経済成長がずっと継続性を持たせられたのは間違いない事実であって、5年前より今の方が悪いという人は、よほど運がなかったか、経営能力に難があるか、なにかですよ。ほとんどの(経済統計の)数字は上がってますから。(吉田博美参院幹事長のパーティーのあいさつで)"

こんな事を政治に言わせて、その口曲がりに政権の安定・経済成長・経済統計の「うそぶき」を許す国民性でもある。自らに主体的な判断軸を持たなければ、自然災害のみならず物事全て「運がなかった」と済まされてしまう。「うそぶき」を許す国民性ゆえに、原発事故(人為の要素)を未だ国民が主体的に考察・総括していない。それどころか実害さえ風評被害と言い換え思考自体を停止する。

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その台風が近付く中、「日本の国、まさに天皇を中心としている神の国であるぞということを国民の皆さんにしっかりと承知して戴く」と言った森喜朗元首相肝煎りのラグビーワールドカップに連日テレビでは沸き立っている。

台風一過の後、いかなる状況になっても即位の大典は行われるのであろうか?それが象徴天皇のあり方なら、その元号に表されるは神の国の時代になるのかもしれない。新元号に法を縛り神を騙って支配しようとする者たちの願いが込められていないかと懸念する。その神に天皇を担いだあの時代である。運命とばかりに翻弄され塗炭の苦しみに喘いだ過去を忘れてはいまいか?

(おわり)


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(迫る台風19号、ベランダにトンボ。しばらくして居なくなった。水いろめがねでまた青い空を見ることができるだろうか?)

追記:
台風被害がいかなる規模になるか現時点で判らないが最大限の備えと身の安全を計られたい。今はそのことだけである。

おそらく過去に例をみない甚大な爪痕を首都圏に残すと思われる。その大きさに我々は震撼することになるかもしれない。不安な国民感情に乗って、安倍政権のことゆえ「災害対策を目的に緊急事態条項を憲法に盛り込む必要がある」と改憲論議を加速し、おそらく大多数の国民は「災害対策であれば」と納得するだろう。自民党憲法改正草案の「緊急事態条項」は、戦前の緊急勅令の主体者(命令する者)を天皇から内閣総理大臣に置き換えるだけでなく、その戦前の緊急勅令よりも格段に権限を主体者に集中させる内容となっている。「その他の法律で定める緊急事態」とすることで、自然災害以外の事態にまで「緊急性」の範囲を広げられるなど、実質、政府に対して広範な権限を付与する全権委任(授権)法的性質を帯びているのが、この自民党憲法改正草案の「緊急事態条項」であると言える。自然災害以外の事態こそ、戦前の緊急勅令の目的であったことを忘れてはなるまい。法による統治を停止し全権を為政者に委任することが想定するのは戦争である。緊急事態条項の命令の「令」を以て「和衷協同」すべしを元号とその時代の意味にしてはならない
(拙稿 「れいわ・澪和」と書く

posted by ihagee at 03:33| 日記