安倍元首相の国葬「法的根拠なく国費で開催」専門家が問題視 実施理由「功績」に疑問も(AERA dot. 2022年9月22日付記事)
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記事では、到底看過すべきではない様々な問題点が安倍国葬儀について識者から指摘されている。
その中で、国葬に「賛成」の意見で目立っているとされる安倍氏の国への貢献の代表的なコメントが非常に私には気になった。
「インバウンド政策、大胆な金融緩和で、どん底の日本経済を立て直した」(48歳、投資家・コラムニスト、男性)
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安倍氏の国への貢献は、そのアベノミクスの成果、つまり、アベノミクスの本丸となる「成長戦略」と謳っていた「第3の矢」で語るべきことだ。
「インバウンド政策」は観光需要創出であって「第2の矢」、「大胆な金融緩和」は言うまでもなく「第1の矢」であり、日本経済の立て直しに不可欠な「第3の矢」は結局飛ばなかったのに、「どん底の日本経済を立て直した」と評価し国葬への「賛成」理由としてしまうことへの疑問である。

(首相官邸HPから)
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アベノミクスの本丸となる「成長戦略」と謳う「第3の矢」の成果は以下とされている。

GDP、株価、企業の経常利益等は「第一の矢」の副産物である。また、GDPおよび企業の経常利益は、数値統計化する上で基準や算出方法を恣意的に変更することで創り出された好適な数字である(拙稿:国家ぐるみの壮大な「粉飾決算」(続き))。また、株価も日銀がETF(上場投資信託)を購入し、株価を下支えした官製相場で経済の実態を表すものではない(拙稿:公文書が書き換えられてしまう国(日本独自の問題))。カジノを含む統合型リゾート(英称:Integrated Resort、略称:IR)、いわゆる「IR整備法」が(我が国の)経済成長の柱 / 経済活性化の “起爆剤” (安倍首相=当時)はまさに窮すれば鈍するの典例で、「人の不幸を前提に成り立つカジノ」は健全な国家の経済成長の柱であり得る筈はない(拙稿:犯罪が経済成長の柱)。
企業倒産件数に至っては「廃業」を選択した中小企業の数は全く含まれていない。「痛くない注射針」を製造し町工場の「ものづくり」の力を世界的に知らしめていた岡野工業(後継者が見つからず廃業)はその数に入っていないのである。
外国人訪問客数が躍っているが、”オリンピックや国際観光(インバウンド)が我が国の経済政策の主柱(・・・)、そんな危なっかしい水物に賭けなくてはならないほどこの国の製造業を中心とする産業力は凋落し国民の大半は貧しくなったということでもある。事実、コロナ禍はそれらインバンド需要を直撃した。経済構造の根本的な問題や課題に取り組もうとせず” (拙稿:「科学の樹」のないこの国の暗愚・続き4)のままである。”外的環境の変化の影響を受けやすく中長期的な先の見通しが立ちにくく、収入が不確定な業種”に依存することは到底、「第3の矢」に言う成長戦略ではない。
国内景気の判断を「緩やかに回復している」といった業況・景況判断は、現実はあまりに違うと大多数の国民はあらためて肌身で実感したままである(拙稿:「アンダーコントロール」なる日本国の基礎疾患)。
つまり、この大言壮語する「成果」なるものは、「資本流出規制や金融鎖国をして財政と金融を一体運営し、統制経済下に置く」(浜矩子氏)上で、その時々に望まれる数字を与えるための統計(統計改竄)を並べただけの代物だと言える。「統制経済」と「統計改竄」が表裏となって結局、国家が崩壊したソ連邦の経済体制と相応する点が多い(拙稿:ソ連邦崩壊に学ぶこと・統制経済と統計改竄)。
アベノミクスの経済原理とは「ストック」の反対の「ストックのフロー(流動)」の極大化にあると言われている(岸田政権もこの基調である)。前者をミクロとすれば後者はマクロである。社会資本(農地やコミュニティ)や金融資本(預貯金)の壁を取り払ってため込まずに使い続け、燃やせるものはどんどん燃やして経済活動の糧にしようという考えである。経済の基礎代謝増大=経済活性ということ。本来は虎の子(ストック)の国民年金の原資まで取り崩して「運用」なる官製相場の焚き木にしている(拙稿:立ち位置を知ること)。
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安倍長期政権の失敗(罪科)は、技術のトレンドに於いて発展系にあり且つ経済発展の基礎をなす重要産業を全く生み出さなかったことになる。気付けばそれら重要産業のキープレーヤーは韓国・中国等、周辺諸国となっていた。その意味でアベノミクスの本丸となる「成長戦略=第3の矢」は全く飛ばなかった。
それどころか、その場ばかりの経済的な果実を求めるばかりで、その果実をつける根や幹となる「(基礎)科学」を軽視した安倍長期政権は結局、科学の樹全体を枯らせてしまったのである(拙稿:「科学の樹」のないこの国の暗愚)
「どん底の日本経済を立て直した」どころか「どん底」に向けてしまったのが安倍氏の国への「貢献」である。法律的な問題を除いても、安倍氏の「貢献(功績)」を客観的に評価すれば国葬(儀)に全く値しないことは明白である。
(おわり)
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