2022年07月22日
三本和彦氏に思うこと
三本和彦氏が亡くなられた(7月16日)。徳大寺有恒氏(故人)と共に少なからぬ影響力を昭和世代の自動車好きに齎したモータージャーナリストである。
走る・止まる・曲がる、という車の基本機能に三本氏は拘り、コストや見てくれにそれら機能が犠牲になろうものなら、メーカの設計・開発者に直接歯に衣着せぬ物言い(所謂「三本節」)をするなど消費者目線での論評は夙に話題を呼んだ。特に、1977年(昭和52年)7月6日から2005年(平成17年)4月3日まで約28年間放送されていたテレビ神奈川(tvk)『新車情報』は、対米自動車輸出に於いて米自動車産業を脅かす程(「ジャパン・バッシング」)の我が国の自動車産業の興隆と時期を同じくし、今、YouTubeの公式チャンネルであらためて観て、あの当時の社会の勢いまで感じ取れる。
『新車情報』は「金は出すが番組内容に口出ししない」スポンサーに恵まれた。スポンサーやメーカに気兼ねせず、主義主張が明確なコンテンツが生まれることは、同時期の産業映画でも言えることである(「縁(えにし)の糸」)。
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さて、YouTubeで数十万単位のサブスクライバーを獲得するプロ・モータージャーナリストたちが発信する動画をどれでも良いから一つ観てほしい。『新車情報』の「三本調」と比べて、そのあまりに総花的且つ趣味性に傾斜した内容に気付くだろう。彼ら・彼女らは多分にメーカの意向(=都合)を気にし、また現実の消費者とは必ずしもイコールではないサブスクライバー(=趣味人)の視線を気にし、ゆえに実用性に欠けるばかりか走る・止まる・曲がる、という車の基本機能に劣る車までも褒め上げる。極端な加速性能を誇る車はサーキット場以外の公道ではむしろ危険極まりない欠陥商品(走る凶器)であるのに、それも個性かに趣味性で語ることはやはりおかしい。世界一の高齢化社会を迎えつつあるわが国で、ドライバーも年々高齢化が進むわけだからロケットやミサイルと蔑称されるような、みかけの斬新さに阿るあまり視認性や操作性を軽視した車(例:プリウス)はあってはならない。
「カーブを1秒速く曲がるよりも、5分早く家を出なさい(三本氏)」は移動手段=道具(車)を目的化することへの警句であるが、道具には道具なりの見方がある。それは単なる趣味性ではなかろう。
「もろもろの道具は、絶対に枝葉末節ではない。それは民族の心をのぞきこむ窓である。」(佐貫亦男著:「ドイツ道具の旅』(光人社 1987年)・拙稿:「佐貫亦男氏『発想のモザイク』から」)
佐貫氏がカメラという道具を通じてのぞきこんだと同様、三本氏は車という道具を通してその作り手の心(民族性)を丹念にのぞきこんでいたのかもしれない。そこまで洞察して語るが真のモータージャーナリストだろう。
心をのぞきこむこととは、ときとして我々日本人とは異なる発想パターンの回路を探し理解することでもある。ところが、どうだろうか?今様モータージャーナリスト(特にYouTubeで動画を配信しているモータージャーナリスト)はその車の作り手が韓国や中国となるや、途端にサブスクライバー(日本人)の視線を気にし出す。その言葉にイクスキュース(前置き)が付いてまわるのである。
また、そのレビュー対象はメーカ主催のプレミア試乗会の新車ばかりで、消費者にとって何より重要な耐用性に係る時間(数年)や距離(数万キロ)といったスパンでは何一つ論評していない。新車のラインナップとトレンドをカタログ的になぞっているだけだ。
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EV(電気自動車)分野での韓国や中国自動車勢は今や世界を席巻しつつある。かつて内燃式エンジンであったような欧米日の技術の真似事などではなく、全てゼロから設計開発し急速充電スタンドまでもメーカが主導して費用投下し拡充するといった発想パターンの回路は、何事にも箸の上げ下げまでお上に指図されることを期待するような親方日の丸思考とは全く異なるものだ。
水素燃料電池車(FCV)のプロジェクトを打ち上げても、そのインフラ環境整備(例えば水素ステーション)は全てお上に丸投げで採算性ばかりか将来性まで全く見通せないトヨタの事例がその親方日の丸思考を如実に表している(FCVはEV, PHVともども、その導入促進事業に多額の税金が投入されている)。国産メーカで最もEV開発販売に注力している日産ですら急速充電スタンドの拡充を図ることはしていない。急速充電方式でありながら最大90kWまでの直流(DC)しか許容しない我が国標準規格のCHAdeMO(チャデモ)は、交流と直流を1つにまとめた最大350kWの「CCS(Combined Charging System:コンボ方式)」の超急速充電規格の前にあっては陳腐化は避けられず、そのCHAdeMO(チャデモ)の充電ステーションすら国内で7,700箇所のままでは、普通充電前提の街乗りでしか実質運用できないEVは海外EV市場とは隔絶された孤立した環境(日本市場)でのジャラバゴスの進化系にある。
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外部(外国)の製品との互換性を失い孤立して取り残されるだけでなく、適応性(汎用性)と生存能力(低価格)の高い製品や技術が外部から導入されると、最終的に淘汰される危険に陥るが「ジャラパゴス」の意味だが、それがわが国の基幹産業たる自動車産業に重なりつつある。
EV先進諸国の最新動向は、EVネイティブチャネル動画に詳しい。
(EVネイティブチャネルより)
わが国のジャラパゴスぶり(#EVガラパゴス)はついにその基幹産業にまで及んだ。最終的に国際社会から経済的に淘汰されるのはわが国自身であることについて、危機的意識を我々はもたなくてはならない。
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日が明るいうちに亡くなられた三本氏はある意味幸せだったのかもしれない。
(おわり)
posted by ihagee at 07:17| 日記