安倍晋三元首相が殺害された。
起きるべくして起きた「現象」である。
「私がそう思えば法」と法を常日頃蔑ろにし憲法すら「みっともない」と悪様に言い放つ「絶対者」は歴史上の数々の「絶対者」がそうであったように、我が身の無法ぶりが最後は自身に降りかかるのである。
すなわち、安倍氏は無法者によって私刑を科されたのである。そんな私刑の現前=アナーキズムの発現は裏返せば、この国の「法の下での正義」の崩壊を意味している。
安倍氏の政治家としての功績をマスコミはこぞって大書してやまない。しかし、この国の法の下での正義を徹底的に貶めたその罪過こそが当人の命を奪ったと私は考える。罪を犯しながら地位と権力を嵩に懸けて法の縄に打たれない者は、非道を以て処せられるその有様でしかない。
ゆえに、この殺害は単なる「事件」ではない。「現象」(「二・二六事件」等)の始まりとして捉えるべきと考える。その現象の先に戦争があった歴史を今一度思い返し(「私たちはどこまで階段を登っていますか?」)、安倍政権爾来、法や民主主義の上で罪過を重ね続けたこの国の自公(および補完勢力)・官僚政治を根本から選挙を通じて問い直すべきと考える。
(おわり)
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