感情的な状態にある人々は物事を深く考えようとしなくなる。
「戦争の犠牲者に同情を持たなければ、私たちは人間ではない」は全く正しい。しかし、犠牲者がヨーロッパ人であるという理由で私たちがより同情的になるべきだという考えは間違いであるばかりか、潜在的な人種差別を孕んでいる(「同情の度合いは目の色に応じてはならない」)。
「文明」や「ヨーロッパ人」という言葉を組み合わせることで、「中東の戦争が続いている地域から逃げ出そうとしている難民ではない。北アフリカから逃れようとする人々でもない。隣に住んでいるヨーロッパの家族と同じように見えるのです。(アルジャジーラの英語コメンテーター、ピーター・ドビーの発言)」という(人種)差別バイアスがメディアの報道には潜んでいる。
また、哀れみなどの感情へ直接訴えかけることにより、事の本質から耳目を背け論点を捻じ曲げ、同情によってのみ或る考えに一方的に支持を集めようとするメディア・バイアスでは、恐怖、不安、憎しみ、怨讐を掻き立てるような報道を敢えて行う。感情的な反応を引き起こすような報道にはまるでドラマのような勧善懲悪・正義感が漂っている。
勧善懲悪・正義感は、人間の潜在意識に宿る「社会的比較バイアス Social comparison bias」と深く関係している。これは自分の/ある集団の相対的な優位性を確保しようとする傾向であり、比較する相手に「ざまあみろ」「懲らしめてくれる」と一丸となり一切の交流を断つ「全体主義」でもある。
無性に誰かを咎めたい、それは人間の誰しも程度の差こそあれ本能に宿す欲求だが、平時ならば「村八分」の欲求も、最大化すれば民族同士の果たし合いとなり忽ち戦争になる。その本能の増幅器としてメディアが果たす役割は非常に大きい(社会的比較増幅メディア)。
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「このロシア軍(またはウクライナ軍)の爆撃で死んだ子どもは○○ちゃんという名前で、まだ2歳になったばかりです。」
誰だかわからない人の危機よりも、誰だかわかっている人の危機に対して、より強く感情に反応する傾向をメディアは利用する(身元のわかる(顔のわかる)犠牲者効果 Identifiable victim effect)。イエメンの内乱(「世界最大の人道危機」)で日々死んでいく無数の子供たちに名前はない。
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今あなたが目にし耳にしているメディアの伝えようとしている「事実」は本当に社会全体のためなのか?それとも、誰か/集団を懲らしめたいという欲求を満たすあなた/集団のためなのか?よく考えて欲しい。憎しみや怒りに流されてはいけない。常に自分を抑え、落ち着いて、冷静な質問をすること。
ロシアが嘘をついていることを知っているという理由だけで、アメリカ、NATO諸国およびウクライナ側からの主張をそのまま受け入れるべきではない。また、その逆も。
要するに、感情的な反応を引き起こすことばかり設計された報道に触れた場合、その物語に流されることなく、常に自分を抑え、落ち着いて、信念を差し控え、事実を要求する。それはあなたの心を自由に保つ唯一の方法であることは間違いない。
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戦争報道に於いて、メディアがその報道によって我々の心の自由を束縛したり何かをしきりと要求している場合、それは「集団思考」を誘うプロパガンダ(「特例嘆願」)となっている。「集団思想」では「不死身の幻影」という現象が現れ、 自分の所属している集団が間違える事がないと考える傾向がある(正義は我にあり、ゆえに勝つ)。 「特例嘆願」が組織的に行われて仮説(間違える事がない)に対する検証が社会的に不問とされ=無謬性、 「独断主義」へと陥る危険が有る。
” 日本維新の会の鈴木宗男参院議員は13日、札幌市で講演し、ロシアのウクライナ侵攻に関して力による主権侵害や領土拡張は断じて認められないとした上で、「原因をつくった側にも責任がある」と述べ、ウクライナの対応を批判した。” (2022年3月13日付時事通信記事引用)
「日本には昔から「喧嘩両成敗」という言葉がある。先に手を出した方が悪いが、原因を作った方もそれなりの責任があるという判断であるウクライナ問題は過去の経緯からの出来事であり、歴史の検証が大事でないか。」(2022年3月11日付ムネオ日記記事から引用)
「原因をつくった側にも責任がある」と言う鈴木氏は今や完全に四面楚歌である。仮説を不問とし(無謬)、その仮説に対する反問(ウクライナ問題の過去の経緯・歴史の検証)は不要という空気はすでに「集団思考」を誘うプロパガンダに世の中全体が巻かれていると言える。
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ヒューマン・ライツ・ウォッチは、「ウクライナでは人種差別と外国人排斥が依然として根強い問題である」と報告している。2012年、欧州人種・不寛容対策委員会(ECRI)は「ウクライナでは2000年以降、ユダヤ人、ロシア人、ロマに対する寛容さが著しく低下しているようで、他のグループに対する偏見も日常生活に反映され、商品やサービスの入手に問題が発生している」と報告している。2010年にKuras Institute of Political and Ethnic Studiesが行った世論調査では、約70%のウクライナ人が他民族少数派に対する国の態度を「対立」「緊張」と見積もっていることがわかった。
これは周知の事実であり深刻な問題として国際社会では認識され、wikipediaでも「ウクライナの差別問題」と特別に項を設けて詳述している(Racism in Ukraine)。
「原因を作った方もそれなりの責任があるという判断であるウクライナ問題は過去の経緯からの出来事であり、歴史の検証が大事でないか。」はまさにこの根強い問題への検証であろう。
主流メディアはこの検証を拒否し認識しようともしない。ウクライナ問題は、同国の抱える人種差別(前提)を「ナショナリズム」にすり替え、その問題を糊塗し意図的に論点をすり替えるかにロシアの残虐行為に書き換えているが、他方、その問題を指摘し軍事侵攻(結果)を正当化するロシア(動機に訴える論証 Appeal to motive)共々、その言い分には共に論理的誤謬がある(ウクライナ=前提、ロシア=結果)。
ロシア、ウクライナという戦争当事者同士の言い合いは所詮論理的にどちらも妥当性を欠くことだ。そんな妥当性のない片方(又は双方)の言い分をメディアが飽くこともなく伝えることは不毛であるばかりか誤謬を募らせることに過ぎない。況してや、その片方に国会で言い分を演説させることは「集団思考」を誘うプロパガンダ(「特例嘆願」)を国会=言論の府で行わせることである。
” ウクライナのゼレンスキー大統領がドイツの連邦議会で演説を行い、ドイツのロシアとの経済的な結びつきの深さが事態を悪化させたと非難。ヨーロッパに「自由」と「不自由」を隔てる「新たな壁が出来た」と述べました。経済やエネルギーの分野でロシアと深い結びつきを保ったドイツがウクライナを孤立させ、「新たな壁」を作ることに加担したと非難しました。” (2022年3月18日付 excite ニュース記事引用)
ドイツの経済政策にまで非難し干渉する権限などウクライナやゼレンスキー大統領にはない。ドイツには「壁」、アメリカには「9.11、真珠湾攻撃」と相手に応じて「暗黙の関連性 Implicit associations」を感情的な反応共々徒らに引き起こし、武器や軍事的力をひたすら無心する立ち回りはドラマの主役(ヒーロー)になり得ても、各国の言論の府までも「社会的比較増幅メディア」と弄ぶことであり、プーチン大統領は言うに及ばず、このゼレンスキー大統領も国際社会において一国の代表として到底相応しくない(人間の潜在意識を操ることばかりに執心し、言論の理性たる意味を一つとして理解していない)。
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鈴木氏が言うように、ロシアの戦争責任は当然のこととして、命題(なぜ戦争が起きたのか)についてその前提となる事実を丹念に確認し、客観的な証拠を以ってその因果関係を明らかにすることこそ、今や単なるプロパガンダ装置(社会的比較増幅メディア)と堕したマス・メディアに代わって、真のジャーナリストに求められる崇高な使命であると考える。
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参考:認知バイアスマップ(MindMeister)
認知バイアスマップ Cognitive bias map(Re nomor 2022

(Re nomor 2022
️)

(おわり)
追記:
本記事からTweetボタンを記事下に設置しました。
Twitterが不適切な内容と判断(言論検閲)とする場合は機能しません。そういう国になったのです。
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