ピョートル・イリイチ・チャイコフスキーは生涯6つの交響曲を作曲した。第4番から第6番(悲愴)までがよく知られているが、ウクライナの民謡を散りばめた初期の第2番もその美しい旋律で大変魅力があり捨て難い。それでもなぜか知られていないし、演奏の頻度は格段に低い。実は、この第2番、作曲者自身が付けたわけではないが「小ロシア」という標題が付けられている。
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13世紀半ば、ウクライナ付近にあったキエフ大公国(ルーシ)で農業を営んでいたロシア人たちはモンゴル帝国の侵略に合いモンゴルに同化したり北に逃げたりした。北に逃げたロシア人が後にロシア帝国を築くことになる。したがって、ロシア人にとってウクライナの地はロシアのルーツということになる。
「小ロシア」は教区を区別するための教会用語から発し、ウクライナ・コサックの国家の住民は「小ロシア人」、彼らの言語は「小ロシア語」と呼ばれ、17世紀以降のロシア帝国の政治概念では「小ロシア」はウクライナの蔑称となった(wikipedia「小ロシア」参照)。
その「小ロシア人」、つまりウクライナ人の民謡をモチーフにしたのだから第2番は「小ロシア」とロシア人は名付けた。他意はないにせよ蔑称であることには他ならず、現在は標題無しまたは「第2番(ウクライナ)」と呼ばれている。
「第2番」は朝比奈隆が指揮した大フィルのCD(ポニーキャニオン)が手元にあるが、滅多に聴かない。聴くとなればどうしても以下となる。
血は争えないと言うが、ウクライナ人であろうとロシア人であろうと、こと歌について語り口(唇)は同じになる。ビブラートを効かせた憂いのあるホルンの響きがそうだと私は感じている。朝比奈、そしてたとえカラヤンであろうとこの血筋にない。
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しかし、今般のロシアのウクライナへの軍事侵攻は、血は争えないはずの兄弟(カインとアベル)なのに、カインがアベルを殺すが如く、血で血を争う様相を帯びている。たとえ、ロシア人にとってのルーツがそこにあろうと、ウクライナという小国への覇権のためにロシアという超大国が命運を賭けるのか?と、そもそもの疑問が私にはある。
ウクライナとの間にいかなる歴史的理由があるにせよ、国連憲章のルールを無視し現状変更のためにウクライナに軍事侵攻したロシアは決して許されるものではない。厳しく糾弾されるべきであり、その通りの状況となっている。
国際社会が一致して非難し対露経済制裁を最大化することを予想もせずに軍事侵攻を始めたとしたらプーチンはまさしく狂人である。ウクライナの軍事施設のみ標的にしているといくらロシアが言おうと、戦地では一般市民も巻き添えになるのは当然であり、すでに国際世論(および情報戦略)に於いてロシアは大敗北を喫している。
(注:ゼレンスキー政権の「盾」作戦は、このような事態を招くために集合住宅の中や屋上に兵器を置き、民間人に迷彩服を着せAK-47を持たせ、武装した人間を見たら撃つように訓練されているロシア軍に銃口を向けさせ、結果、罪のない市民をロシア軍が殺害したと主張するかもしれない。YouTubeで具体的に「盾」作戦の実在を証言する現地アメリカ人もいる。たとえ、この市民を非道にも「盾」に使うデコイ(欺瞞)行為があるとしてもロシアの侵略あっての話であり、偽旗作戦も同様である。ロシアは自らの侵略行為を棚に上げてそれらを卑怯な行為とは到底言えず、人道回廊で「盾」の数が減ることを期待するしかない。)
ロシア帝国の地図を取り戻そうと領土的野望でウクライナに軍事侵攻したとすれば、あまりに前時代的な世界観だ。それが戦争の本体であるなら、ロシアは国際的信用をはじめとして失うものが多すぎる。それがプーチンおよびその政権の個人的気質(狂人)に拠っており、ロシアの国益を損なうものなら、ロシア人自身が政権を変える必要があろう。
「ロシアがいないのに、なぜ世界が必要なのか?(“Why do we need a world if Russia is not in it?”)」ようなことをプーチンは語っている(The Moscow Times 2022年2月28日付記事)。それがどのような文脈での発言なのか定かでない。しかし、もし地図の上で語っているとすれば、ロシアを含め勝者が一人もいない全面核戦争を示唆するまさに狂人の言い草である。
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ロシアの外交内政に詳しい元外務省主任分析官・作家の佐藤優氏は、「プーチンは狂人でもナショナリストでもない(週刊新潮 2022年3月10日号記事)」とプーチンの中にある独自の価値(善悪)基準に行動原理があると指摘している。
世の中の基準に従えば、今般のウクライナへの軍事侵攻は明確な悪であり、佐藤氏が言うようなウクライナへの覇権・ドンスク(ドネツク・ルガンスク)のロシア人保護・ウクライナでの傀儡政権樹立だけが軍事侵攻を以て行う目的であり、国際社会でロシアが失う信用の大きさを推してみれば、それすら顧みず「善」と言うプーチンはやはり「狂人」となる。
「24時間、国のために働くことができる国益主義者であり、典型的なケース・オフィサー(工作担当者)」と佐藤氏が評するプーチンが、小国ウクライナのために国益をかなぐり捨てるような「狂人」と呼ばれることをするのだろうか?
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国連安保理でのロシア軍の即時撤退を求める決議の採決では、15カ国中、11カ国が賛成し、反対したのはロシア1国、中国、アラブ首長国連邦(UAE)、そしてインドの3カ国が棄権した。
棄権した国々はいずれも資源大国であり、中国とインドは巨大な経済市場を擁する。ロシアの思惑が旧ソ連邦時代の「社会主義共同体」から社会主義を外した経済共同体にあるのなら、ウクライナへの軍事侵攻への対露経済制裁はプーチンにとって最初から折り込み、むしろそれを奇貨として、ロシア由来の資源を一斉に引き上げることで、それらに頼らざるを得ない資源を持たざる国の利害を以って米欧の一枚岩を揺さぶり、基軸通貨ドルの信用を失墜させ、経済のブロック化を促し、中国、インドとの経済共同体・経済および軍事安全保障体制を構築することこそがロシアにとっての国益であるという見方もある。事実、対露経済制裁では、ドイツはエネルギー分野での対露制裁(パイプライン「ノルドストリーム1」よる天然ガス供給)には同調しないなど米欧間で足並みが乱れつつある。ウクライナ侵攻という軍事的緊張が長く続くほど揺さぶられるのはロシアではなく、米国の覇権、NATOの存在意義ということになる。キエフ攻略などせずともロシアの大隊が包囲し続けるだけで良い。
ロシアのウクライナ軍事侵攻にのみ耳目を奪われ、それが戦争の本体であるとわれわれは思っていて良いのだろうか?プーチンの「針路を決めるための海図(佐藤優氏)」にあるのは地図上のウクライナなどではなく、中国、インドを含む経済安全保障上の資源を持てる国々の枠組みであるとすれば、すでにその海図上の見えない戦争に日本も巻き込まれているということになる。
「狂人」なのか「天才」なのか、その戦果をもって歴史家ならば記述することだろう。
(おわり)
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