2021年05月23日

コロナではない、開催を我々国民が中止とすべき理由



開催を中止(反対)とする私なりの理由は、カネでもコロナでもないことを最初に断っておく

カネは払えば済むこと、コロナは抑えれば済むこと、そんなことでは済まないことがある。開催を以って「済まないこと」が是とされる、だから開催に反対する(以下詳述)。

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これまでに費やしてきた時間やお金(埋没費用=サンクコスト)がもったいないからとか、違約金が開催都市側に課せられるとか、損害賠償請求を起こされるとか、ゆえに無観客であってもとにかく開催しなくてはならないとの論がある。

サンクコストについては、開催しようとしまいと「すでに費やして戻ってこないカネ」ゆえに開催是非の判断要件とはなり得ない。また、違約金とか損害賠償請求については可能性の範囲であり且つその額は今判るものではない。したがって、これらも開催是非の判断要件とはなり得ない。

カネの問題で唯一、開催是非の判断要件となり得ることは、開催中止となれば確実にIOCへの払い戻しが必要となる「IOCから大会組織委員会への前払金その他の拠出金」であろう。IOCは大会組織委員会に850億円の拠出金を支払ったとされる。その拠出金の原資は放映権料である(資料)。

IOC自身は米国内での放映権について、米NBCと巨額な放映権契約を結んでおり、開催前の時点ですでに契約料をIOCは得てアスリート育成や世界各国の五輪委員会や競技団体への分配に使っている。その一部が大会組織委員会に支払った前払金その他の拠出金となっているわけだ。

ゆえに、万一開催中止となればIOCは放映権料を米NBCに払い戻さなくてはならない。IOCから上述のように世界各国の五輪委員会や競技団体(東京大会のJOC, 大会組織委員会, 競技団体を含む)に分配したカネについても分配先から払い戻されなければならない。

IOCが大会組織委員会に支払った前払金その他の拠出金については、開催中止の場合、大会組織委員会はIOCに払い戻す旨の財政保証書を提出している(資料「6.1 財政保証)。大会組織委員会にその資力がなければ東京都が補填(最終的には国が補填)となるが原資は我々の税金。

払い戻しによって競技団体によっては資金難に陥ることになり、オリンピック憲章根本原則にあるオリンピズムの目的「あらゆる場でスポーツを人間の調和のとれた発育に役立てることにある。」に大きな支障が生じる。

だから今さら開催中止はあり得ない、がIOCの表向きの立場なのだろう。その「役立てる」べきカネの原資を経済市場に求めておきながら(放映権ビジネス)、契約不履行時には払い戻しの原資を(結果として)開催都市に求めるほど都合の良い話はない(IOCがビジネスのリスクを負って自ら身銭を切ることはない)。商業主義に傾斜し放映権ビジネスで巨額の収入を得ながら、公益目的事業と謳って開催都市・国家から税金を掠め取る。高尚なオリンピズムを振りかざして「緊急事態宣言」があろうとなかろうと開催の意義や正当性をIOCはあれこれ主張するが、カネの流れを見ればオリンピズムなどではなくビジネスでモノを言っているに過ぎないことが判る。

民間の保険に加入しているからだけではなく、いざとなれば開催都市・国家の財布があるからこそ、IOCはコロナ禍であろうと自身は「安心」でいられる。手持ち金がなくともドサ回り興行を続けられるビジネスモデル=錬金術(科学?)とオリンピズムの目的「あらゆる場でスポーツを人間の調和のとれた発育に役立てることにある。」なる錦の御旗(開催の正当性=公益性)が、IOCにとっての「安全」ということ。

「我々は日本と一緒に手を携えて、安全安心の形で大会を開催していく(バッハIOC会長)」

彼らの「安全安心」は我々の望む「安全安心」と甚だしく乖離している(拙稿:安全は科学・安心は補償)。コロナ禍はこの乖離を見事に炙り出した。

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もし大会が開催された場合、開催の結果「剰余金」が生じればIOCにその20%が分配されることが開催都市契約(44.剰余金の分配)に明記されている。競技会場を貸し出しコロナ禍で運営リスクを最大に負っている開催都市たる東京都には分配はない。

大会延期やコロナ対策として拠出した税金(東京都が1200億円、国が710億円)も、大会組織委員会が公益法人としてその事業・財産管理に義務を払わなければ、色目のないカネとしてその一部が「剰余金」に紛れてIOCの懐に入ることも想定されなくはない。

IOCへの20%配分は非課税とされる。しかし、IOCはわが国の税法上そもそも「外国公益法人」として認許されているのか?その前提での非課税扱いでもある。

さらに、開催都市契約「50.税金」では、東京都および/または大会組織委員会はIOCが納めるべき税金相当額を負担することになっている(IOCがわが国の税法上「外国公益法人」として認許されているのなら、この契約項目は一体どう理解すべきなのか?)。

オリンピック関連商標に係るロイヤリティ収益(IOCが開催都市から徴収する7.5%のロイヤリティ:商標使用料)に対して発生する税金はIOCではなく東京都および/または大会組織委員会が負担している。1年延期決定後のロイヤリティについてはIOCが徴収しないことを決定したのでその相当分の収益については東京都および/または大会組織委員会に税負担はないようだが、決定以前のロイヤリティについては東京都および/または大会組織委員会に税負担はあったいうことになる。

一般社会の契約で、契約当事者の一方が他方が負うべき税金まで負担するような内容はあり得ず、いくら契約の自由(任意規定)とは言っても、その額(商業主義の根幹を為す商標使用料と、かかる税額)は小さくなく、社会慣行・契約秩序(公の秩序)に照らせばそのような片務契約(法律行為)は無効とも指摘できよう(強行規定の観点)。その契約に基づく事業に東京都、国が出資(税金)しているのだから、公序良俗に反する契約内容はその有効性が問われる。

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「五輪開催へ強引に突き進む理由は三つ。カネ、カネ、そしてカネだ(米パシフィック大教授ジュールズ・ボイコフ氏)」

前払金/拠出金・剰余金・税負担・・・万事、カネカネカネ。

感染症のブレブレの行動理論(緊急事態宣言)と異なり、カネに基づく行動理論は冷徹までに明瞭簡潔(「イエス」(コーツIOC副委員長))なのも、感染を学習するのか(我々)、カネのまわりを学習するのか(IOC/菅政権)の違いに基づく。それは永遠に折合うことのない神学論争に近い。

この折り合いそうにない論争もカネで決着するか(中止)、コロナを制圧すれば「済むこと」。たとえ開催しても開催がコロナ感染拡大の契機にならなければ、結果オーライ=開催よかったね(「済むこと」)になる。

そんな「済む」ような事象的理由ではなく、開催を以って結果的に是とされる「済まないこと」が翻って私にとっての開催中止(反対)の理由となっている。

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<本題:>

高まる中止論については、開催を推進する立場と否定的な立場で「物の見方が全く逆だ」との見方を示し「同じ言葉で説明しても伝わらないのだと認識している」(丸川五輪相)

「五輪の夢を実現するために誰もがいくらかの犠牲を払わないといけない・緊急事態宣言は五輪とは関係ない(バッハIOC会長)」

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「物の見方が全く逆」は、憲法にすら縛られることがないかの国家権力の暴走した「物の見方」であり、安倍から菅政権に引き継がれた、国民(主権者)へのあからさまな挑戦であるこの暴走・挑戦の一点だけでそれを是とする開催を我々国民は中止とすべきである(開催がコロナ感染拡大の要因となるといった事象的理由ではない)。開催を以って、国民主権を逆立ちにした「物の見方」を是としてはならないからだ。

大半が開催に反対する民意と国の政治を最終的に決める国民の主権が、民意を一顧だにしない菅政権および公衆衛生という内政にまで干渉し「緊急事態宣言など関係ない」、「犠牲」もやむなしと、わが国の憲法の保障する「(国民の)生存権」にまで口出しをするIOC(換言すれば、「(国民の)生存権」を憲法ではなく他律に委ねる菅政権)を前に問われている。

開催してもコロナが感染拡大しなければ結果オーライなどと表面的な事象では到底なく、国民主権が奈落の淵に立たされ、その底に憲法の効力を停止させる緊急事態条項(憲法改正)="地獄の一丁目" が待ち受けていると認識すべきである。

(おわり)

追記:
「アンダーコントロール(安倍前首相)」で始まったオリンピック。その開催を以って総仕上げとなる「完全に制御される」対象は、放射能やコロナなどではなく国民(主権者)であり、その開催を以って拡大するのはコロナなどではなく、憲法にすら縛られない国家権力であったなどと(緊急事態条項)、後々悔やむことにならないようにしたい。オリンピック開催がそのステップであったと後で知っても遅い。ベルリンオリンピック(1936年)がそうであったように、また北京オリンピック(2022年)がそうなるであろうように(前者はその後の歴史が示す通り。後者に対する開催反対の国際世論は「コロナ」理由ではなく開催によって是とされかねない少数民族に対する北京政府の「人権侵害」が主たる理由となっている)。

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posted by ihagee at 13:12| 東京オリンピック