2021年05月22日

国家主権の放棄(IOCの言いなり)




国際公衆衛生の主権の一部を、国家に左右されない正当性と政治的バランスを持った超国家的な機関に委託する必要がある。特定個人の影響が出るのを避け、多様な能力を最大限に活用するためには、政府、非政府組織(NGO)、民間セクター、財団、治安機関などを巻き込みつつ共同運営されることが望ましい。権力の乱用を防ぐための監視と抑制力、新技術を活用して公衆を意思決定に関与させるメカニズムを備えたものでなければならないだろう。国際法に則って機能しつつも、国家に対し拘束力を持って決定を執行する権限も与えられるべきだ。」
(世界保健機関(WHO)改革議論・ジル・プムロル医師の見解より)

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公衆衛生政策は私的権利の制限(私権制限)と表裏の関係にある。

憲法上の概念である個人の自由の保障(営業の自由/移動の自由)も公衆衛生政策にあっては、個人の自由の制限(公共の福祉)なる、経済活動の自由 vs. 安全衛生基準の関係にならざるを得ない。ゆえに、その関係性のバランスを保つことこそ政治だが、政治権力(国家権力)は憲法が縛る(国民主権)という大前提がある。

上掲のようなWHO改革議論は世界的な公衆衛生上の安全保障の将来の枠組であって、現状、公衆衛生の主権は国家に帰属することに変わりはない。

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国際オリンピック委員会(IOC)のコーツ副会長が21日、東京五輪・パラリンピックは、東京都に緊急事態宣言が出されている中でも開催すると断言した旨、報道されている。

IOCにとっての営業の自由/移動の自由、アスリートにとっての個人の自由(「アスリートが夢を果たせるように。ほとんどの選手にとって一生に一度しかないチャンス(コーツ副会長)」)をコーツ副会長は言ったに等しい。しかし、上述のように公衆衛生政策は私的権利の制限(私権制限)と表裏の関係にあるのだから、裏返せばIOC以外アスリート以外は私的権利の制限(私権制限)を受けるべきとの、考えを表明したに等しい。

「テレビを見ている分には安心だから。感覚で言うとカプセル風呂の中で五輪がやっていて、国民が外でそれを見ている感覚でいればいい。(テリー伊藤)」

カプセル風呂の中でIOCやアスリートは自由を謳歌する(営業の自由・個人の自由)、その外側の国民は自宅に引きこもる(=私権制限)から安全、は喩えとしてわかりやすい。この関係性も一つの政治だろうが、その政治主体が国ではなく実質IOCであること(IOCの言いなり)に大きな問題がある。

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WHOでもなく、ましてや「国家に左右されない正当性と政治的バランスを持った超国家的な機関」でもない、IOCなる一民間の非政府組織(スイス民法典第60〜79条に基づく)の、公衆衛生政策上の我が国の主権を侵すことになるようなコーツ副会長の発言に対して、日本政府は厳重に抗議すべきだ。我が国の公衆衛生政策である「緊急事態宣言」があろうとも、「我々には営業の自由・個人の自由」があると言う "YES" =「正当性」など当然ながらIOCには全くない。

憲法第25条「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。」

公衆衛生の義務主体は国(日本国)であって、国民の生存権は憲法によって保障される。

抗議をしないということは(抗議をしないどころかIOCに踵を合わせる)、国家主権を自ら放棄すると同じ。国家主権の放棄は植民地主義に甘んじること。国民の生存権を日本国憲法ではなく、他者(IOC)の他律(開催都市契約)や理念(オリンピック憲章)に預けることでもある。その他律や理念は日本国民の生存権を保障するものではないことなど、言うまでもない。

IOCを日本占領下の連合国最高司令官総司令部(GHQ)に喩えることはあながち間違いではあるまい。

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北方領土4島のうち、返還を求める対象を歯舞群島、色丹島の2島に事実上絞る方針に転じた安倍外交は「平和時の外交交渉において国家主権を自ら放棄した歴史上初めての首相(外務次官経験者弁)」になった。

主権なき国家。公衆衛生上の国家主権ですらIOCに侵害されるのを儘にしている首相として菅氏は安倍氏に続いて「国家主権を自ら放棄した歴史上二番目の首相」になる。

領土ばかりか国民の生存権までも他者に委ねてしまう、安倍=菅政権は日本国・日本国民の政権ではないのかもしれない。

(おわり)


posted by ihagee at 07:04| 東京オリンピック