2021年05月14日

みんな五輪が嫌いになった



『嘆きに変わった期待と興奮 剥き出しにされた卑しさ』「多くの日本人に根付いていた五輪への特別な思い入れと憧憬を打ち砕き、皆が興奮しアスリートの憧れだった祭典の歴史を徹底的に破壊した2人(バッハIOC会長・菅首相)」「みんな五輪が嫌いになった」(日刊ゲンダイDIGITAL 2021年5月12日付記事から)

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OLYMPIC・オリンピックという外来文字および5つの輪で構成されるオリンピックシンボルを、僅か漢字二文字で当意即妙に表した当て字の傑作が「五輪」である。

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読売新聞の記者が紙面節約の用から1936年に創作した「五輪」なる当て字は爾来80数余年、その間、国際社会に向けて我が国が戦後復興の証を立てた1964年の東京大会を以って愈々国民の間で親しみを持って使われてきた。誰のものでもなく公用され普通名称化し、国民と共に歴史と文化(日本語文化)を涵養してきた=公共的利益、「五輪」なる文字(呼び名)はポジティブなイメージとして国民の大半に膾炙されてきたわけである(公有財産化)

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80数余年の歴史と文化を背負った(日本語文化)たるこの「五輪」なる呼び名が、ある日突然、日本国民のモノ(しかし誰かのモノでもない)ではなくなった。IOC=コミテ アンテルナショナル オリンピック(スイス)が商標登録を以って「五輪」なる文字(呼び名)を自分のモノとして独占的に使用する権利を専有することになったからだ。

登録商標:「五輪」(標準文字)
登録番号:商標登録第6118624号
商標権者:コミテ アンテルナショナル オリンピック(スイス)
登録日 :2019年2月1日
区 分 :第1,3,9,11,12,14,16,18,21,24,25,28,30,32,35,36,38,39,41,42,43,45類
公開された商標公報より引用

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誰のものでもなく公用状態にあった「五輪」が歴史事実

もし「五輪」が当初からIOCの所有する「オリンピック資産」であれば、「五輪」および「五輪」の文字を含む商標についてはIOC, JOC, 大会組織委員会等のオリンピック資産の所有者および管理者は当の昔に出願・登録していなければならない。しかし実際は、80数余年間、商標法下で出願・登録を以っての所有・管理を行わず、また、「五輪」表示について「取引の実情(未登録であっても自己と他人の商品・役務(サービス)とを区別する周知性があるとして)」に鑑み、不正競争防止法の観点からIOCが「他人」の使用について対抗措置を取ることもなく、結果として誰のものでもない(=自他区別できない)公有財産であることを彼らは認めてきたのである。

他人の周知商標と同一・類似の商標(同法4条1項11号)は登録できないが、「五輪」を構成要件とする先登録商標が存在していることは、「五輪」はIOCの周知商標ではなかった(=誰もが使うことができる公用状態であった)ことの証でもある。

登録商標:「梅五輪」(標準文字)
登録番号:商標登録第5832627号
商標権者:株式会社紅梅苑
登録日 :2016年3月12日
区 分 :第1類
公開された商標公報より引用

この商標から想起される観念が、<梅鉢=梅の五つの花びら>よりも<オリンピック>であるとするならば、「五輪」に<オリンピック(商品・サービス)>を表す強い識別性があることになり(普通名称ではない)、そもそも「梅五輪」は登録されなかった筈である。「五輪」がオリンピックを表すとしても、長らく公用状態にあって(=誰のモノでもなく)普通名称化し(IOCのモノであるとする)識別性やIOCにとっての「取引の実情」がないからこそ、「梅五輪」は構成全体をもって不可分一体の造語として(梅+五輪ではなく梅五輪)識別性が認められ登録されたことになる。

常識的に考えて、日本語文化圏にないスイスのIOCが自身、漢字の「五輪」を自己の商業上の取引に使う筈もなく、IOCのウエブサイト上でオリンピック資産として漢字の「五輪」そのものを例示したことはない(@gorinはあるとしても)。取引上IOC自身、過去のいずれの時点でも使用していない「五輪」がなぜ今になってIOCのモノなのか?

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いずれにせよ、商標登録第6118624号(「五輪」)を以って「五輪」なる公有財産は「オリンピック資産」となり、担保されてきた公共的利益(公益)は「IOCの私的利益(私益)」となった。言い換えれば、公共的利益であるべき「五輪」を私的(IOC)に専有させる結果になっている(商標法上の「公序良俗違反」に該当)。明らかに商標法4条1項7号の拒絶理由(公の秩序又は善良の風俗を害するおそれがある商標は登録できない)に該当するにも関わず、登録となっている(しかし登録無効理由が存在する)。

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特許庁が商標登録を以って係る公益を私益に供したことは、「五輪」に係る日本語文化=われわれにとっての公有財産が、その文化圏にないIOCよって私物化されることであるが、これは商標に限ったことではない。

「世論は注意深く見ている。気に掛ける必要性もあるが、それによってIOCが動かされるわけではない(マーク・アダムス広報担当責任者)」

「オリンピズムは肉体と意志と精神のすべての資質を高め、 バランスよく結合させる生き方の哲学である。 オリンピズムはスポーツを文化、 教育と融合させ、 生き方の創造を探求するものである。 その生き方は努力する喜び、 良い模範であることの教育的価値、 社会的な責任、さらに普遍的で根本的な倫理規範の尊重を基盤とする。(オリンピック憲章・オリンピズムの根本原則から)」

そのすべての時代・国・人に共通している「普遍的」なもの(オリンピズム)が、その共通(内外世論)を遮断した時、オリンピズムはその基盤とする普遍性に於いて自家撞着する。「五輪」商標がそうであるように、オリンピズムのIOCによる私物化はもはや公共的利益を図る必要はなく、その通りアマチュアリズムを捨て商業利益を重視すれば、その利益を損なうようなわれわれ国民の民意(世論=開催反対)に動かされる必要は全くない。斯様にオリンピック憲章とは別にIOCなりの行動規範がある。この二重規範が普遍的価値(特に自由、民主主義、基本的人権)を希求する国際社会から反発を招いている。

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「普遍的で根本的な倫理規範の尊重」を基盤とすることを止めたIOC、およびそれに追従するJOC, 大会組織委員会, 東京都の「とにかく開催ありき」は、「コロナに打ち勝った証」とか「絆を深めるきっかけ」とか並べてオリンピックの政治利用を最大化する菅政権共々、「普遍」とは正反対の「特殊・身勝手」極まる姿勢が問われ、ゆえに、喜びなり良い模範として、国民の大半にポジティブなイメージとして定着していたオリンピックおよびその呼び名の「五輪」共々、「みんな五輪が嫌いになった」は至極道理である。

その大元は、われわれにとっての公有財産(日本語文化)を熨斗をつけてIOCに差し出した(「五輪」商標)日本政府の自国文化に対する裏切り的(売国的)行為に発していると私は考える。これは歴史・文化に敬意を払わず(科学さえも政治の僕とし)、寧ろ、先人たちが営々と議論を積み重ねてきた歴史的継続性やその積み重ねの上の秩序をばっさり切り捨てる破壊とも言える手前勝手な修正主義が安倍=菅政権のあらゆる施策の底に看取される(特に、法秩序の継続性を政治的に遮断し、まともな議論もなくいきなり異質の秩序を持ち込む)。国民(野党に代表される)とまともに対話・議論ができない与党政権および官僚の有様は昨今の国会の質疑応答からもはっきり判る。

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他(IOC)に阿るばかりで、自国および自国民に敬意を払うことすらできずして、どうしてオリンピック開催に国民の理解を求めることができようか?

「みんな五輪が嫌いになった」「祭典の歴史を徹底的に破壊した」は、商標「五輪」はIOCのもの?という素直な疑問から始まっていると私は考える。それは商標制度の破壊に象徴され、日本語文化の劣化ばかりかこの国自体を根幹から破壊するのではないかとさえ私は危惧を覚えてならない。その破壊を許したのはとりもなおさず、選挙を以ってあるべき民意を示そうとしない我々国民自身の自堕落(無思考)にある。

商標「五輪」はIOCのもの?(思考停止した特許庁)」:

以下、一読を推奨する。


(イマジン出版)


(全国官報販売協同組合)

(おわり)

posted by ihagee at 07:37| 東京オリンピック