「私に反対の声を求めても、私は何も変えることができません。(池江璃花子氏)」
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”「自分に都合の悪い質問を受けたりすると、不快感をむき出しにして、顔にも足にも表現した・・・この人は、自分以外の何千万人にもかかわる責任ですら、ある日ぽいと捨て去るのではないか、と不安になったんです」と言う。”(むのたけじ氏著『戦争絶滅へ、人間復活へ』岩波新書、p.21)
反対の声を選手個人に代わって聞くべき者がIOCファミリー(IOC, JOC, 大会組織委員会, 東京都,スポンサー企業)に一人もいない、それどころか反対の声を聞くや彼らは不快感をむき出しにする。何千万人にもかかわる責任ですら、ある日ぽいと捨て去るのではないか、不安でしかない。
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” 太平洋戦争のベルは、肉体をもたない煙のような「上司」もしくはその「会議」というものが押したのである。そのベルが押されたために幾百万の日本人が死んだか、しかしそれを押した実質的責任者はどこにもいない。東条英機という当時の首相は、単に「上司」というきわめて抽象的な存在にすぎないのである。”(司馬遼太郎氏著『世に棲む日々<三>』より引用)
ベルを押すことによって少なからぬ犠牲が想定されているのに、それを押した実質的責任者はどこにもいない。
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" 英文学者の中野好夫は、特攻を命令した長官が、若いパイロットたちに与えた訓辞を引用して、一九五二年にこう述べている。
「日本はまさに危機である。しかもこの危機を救い得るものは、大臣でも大将でも軍令部総長でもない。勿論自分のような長官でもない。それは諸子の如き純真にして気力に満ちた若い人々のみである。(下略)」
この一節、大臣、大将、軍令部総長等々は、首相、外相、政党総裁、代議士、指導者−その他なんと置き換えてもよいであろう。問題は、あの太平洋戦争へと導いた日本の運命の過程において、これら「若い人々」は、なんの発言も許されなかった。軍部、政治家、指導者たちの声は一せいに、「君らはまだ思想未熟、万事は俺たちにまかせておけ」として、その便々たる腹をたたいたものであった。しかもその彼等が導いた祖国の危機に際しては、驚くべきことに、みずからその完全な無力さを告白しているのだ。扇動の欺瞞でなければ、おそるべき無責任である。"(小熊英二氏著『<民主>と<愛国>』新曜社、pp.61-62)
”<軽蔑する人たちは>(吉本隆明)
ぼくの軽蔑する人たちは戦争がこやうと平和がこやうといつも無傷なのだ。”(小熊英二氏著『<民主>と<愛国>』新曜社、p.618からの孫引き)
池江璃花子氏をはじめとする大会競技参加予定の「純真にして気力に満ちた若い人々」「なんの発言も許されなかった」。その上にいつも無傷な人たちがいる。軽蔑すべきはそういう人たちだ。
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”「一億総懺悔」:東久邇稔彦(首相)のフザけた戦争責任論(鳥越私見)
・・・一般国民の戦争責任については、敗戦直後の首相だった東久邇稔彦が、 「一億総懺悔」を訴えた経緯があった。・・・一九四五年八月二八日の記者会見で、東久適は敗戦の原因の一つとして、闇経済に代表される「国民道義の低下」を挙げ、「一億総懺悔をすることがわが国再建の第一歩」だと唱えた。しかしこの「一億総懺悔」論は、人びとの反発を買った。たとえば、『毎日新聞』への一九四五年九月八日の投書は、こう述べている。「一人残らず反省」とか、「一人残らず懺悔」とか、一体それは国民の誰に向かっていったのか。……終戦の聖断が下るまで自分は頑張り通して来た。配給上の不公正や各種事業にたいする急・不急の誤認、あらゆる窓口の不明朗など、戦力低下に拍車をかけたのはみな官吏ではないか。貴官達はどの口で、誰に向って「反省しろ」だの「懺悔しろ」だのといえるのか。自分は涙をもって問う。特攻隊その他戦死者の遺族、工場戦死者の遺族も、罪深き官吏と一緒に懺悔するのか。反省するのか。”(小熊英二氏著『<民主>と<愛国>』新曜社、p.105)
” ※現代日本人の無責任性、無倫理性の根源(?)
おおくの国民の血を流してこの敗戦である。天皇は自決するにちがいない。そうしたら、私はどうしよう。私は生きてはいられないと思った。私はこれをふかく心にひめて、これからはじっと天皇を見守ってくらすことになった。しかし、地方巡幸があっただけで、戦犯の処刑がすんでもなにごともおこらぬ。こうして翌年4月10日には、天皇を処刑しろというT君と私はなぐりあいのけんかをした。だが、5月3日の新憲法施行にも、なにごともおこらなかった。これまで待った私は、はじめて長夜の眠りからさめたように、天皇の無倫理性をはっきりと見た。もはや民族の良心はそこにはない。 (・・・)河合さんはこう云うんですよ。天皇はおいたわしい。軍に牛耳られている。杉山〔陸軍参謀総長〕とか東条〔首相〕にだまされているのだ。私(河合)が一番心配なのは今度の戦争に負けたら天皇は必ず自殺される。それは見ていられないというわけです。それに僕は感化されたな。ほんとにおいたわしいと思っていたなあ。ところが敗戦後見ていたが一向自殺も何もされない。それからですよ、批判的になったのは。天皇は日本国民の無責任の象徴ですね。”(小熊英二氏著『<民主>と<愛国>』新曜社、pp.118-119)
そうやって「無責任のシステム」はその支配形態(三権分立のバランスでは保ち得ないこの国の特殊なあり方)共々、象徴天皇として温存されたが、その象徴を少なくとも鏡と見立て我々一人一人が自身の姿を映し見て責任とは何かを自問すべきだろう。「長夜の眠りからさめ」抽象的な象徴が国民にとって不要となる(天皇も一国民となる)日には「戦争がこやうと平和がこやうといつも無傷」でいられる無責任な人々も居なくなり、戦争は無論のこと「平和の祭典」たるオリンピックとても無責任によってスルスルと導かれることはない。(拙稿:水戸黄門って先の中納言と先の副将軍とどっちなんですか?)
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以上、黄字部は筆者。
引用箇所出典:【日本という怪しいシステムに関する一見解】(初稿1999.10.29 / 井原医師会HPより。注:井原医師会会員の総意ではない)
オリンピックの合わせ鏡は歴史に存在する。「無責任なシステム」とその支配形態は過去から現在に到るまで何一つ変わっていないことを、戦争ならぬコロナ禍がまさに鏡となって映し出している。
関連記事:政治家の責任放棄=私権制限論(緊急事態条項)
(おわり)
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