自由民主党「日本国憲法改正草案」の第98条に「緊急事態の宣言」第99条「緊急事態の宣言の効果」と題された条文(案)が存在する。所謂「緊急事態条項」である。その「緊急事態」の定義は「外部からの武力攻撃、内乱等による社会秩序の混乱、地震等による大規模な自然災害その他の法律で定める緊急事態(法律に定めれば無限定))。「桜を見る会」で参加者枠の拡大解釈をもたらした「その他の法律で定める」との文言がここにも含まれており、 "狭義" どころか "無限定"な解釈をもたらす。
”第九章緊急事態(緊急事態の宣言)
第九十八条 内閣総理大臣は、我が国に対する外部からの武力攻撃、内乱等による社会秩序の混乱、地震等による大規模な自然災害その他の法律で定める緊急事態において、特に必要があると認めるときは、法律の定めるところにより、閣議にかけて、緊急事態の宣言を発することができる。”(自由民主党「日本国憲法改正草案」の第98条)
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自民党憲法改正草案の「緊急事態条項」は、戦前の緊急勅令の主体者(命令する者)を天皇から内閣総理大臣に置き換えるだけでなく、その戦前の緊急勅令よりも格段に権限を主体者に集中させる内容となっている。「その他の法律で定める緊急事態」とすることで、自然災害以外の事態にまで「緊急性」の範囲を広げられるなど、実質、政府に対して広範な権限を付与する全権委任(授権)法的性質を帯びているのが、この自民党憲法改正草案の「緊急事態条項」であると言える。自然災害以外の事態こそ、戦前の緊急勅令の目的であったことを忘れてはなるまい。法による統治を停止し全権を為政者に委任することが想定するのは戦争である。

(弁護士・白神優理子氏執筆「憲法シリーズ@ 緊急事態条項でどうなる?」から引用)
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「社会不安、社会危機を解消するため、個人の自由を大きく制限することがあると、国会の場で決定していくことが重要だ(吉村洋文・大阪府知事会見 / 2021年4月23日)」
” 吉村洋文・大阪府知事が新型コロナウイルスの感染拡大を抑制するために「個人の自由を制限する」法整備を求めるのに対し、泉房穂・明石市長は、こうした私権制限論に反対し「政治家の責任放棄だ」と批判しています。「自由か、安全か」の二者択一は古くから論議されてきましたが、新型コロナウイルスが国民に与える恐怖感は、ともすれば「安全」を重視するあまり「過度な自由制限」に傾く危険性をはらんでいます。” (ラジオ関西トピックス 2021年5月3日付記事引用 / 弁護士・藤本尚道氏)
" 「コントロールのない権力が、危機の常態化を理由として、内側から立憲主義をむしばんでいったり、立憲主義的な統制がやぶれていくということを過去の歴史上、繰り返してきた。緊急事態はたしかにあるが、すべての手段を正当化するわけではない。いかにして確実にコントロールできるのかが問題だ」(2016年5月2日付弁護士ドットコムニュース記事から引用 / 石川健治東京大学教授(憲法学))
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「社会不安、社会危機を解消するため」。何を以って社会不安なのか社会危機なのか、それこそ法律に定めれば無限定になるその他の法律で定める緊急事態を含むからこそ、私権制限論から発する緊急事態条項創設(憲法)はその目的(「社会不安、社会危機を解消するため」)と手段が整合せず、その目的に隠された動機があると、我々は用心しなければならない(後述)。
#緊急宣言#緊急事態宣言#緊急事態条項
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「はやく緊急宣言だしてくれ」そう思う皆さん。
〈宣言〉と〈条項〉はまったくの別になります。
たとえ今後政府が、憲法改正案で緊急事態〈条項〉を盛り込みたいと言っても安易に了承しないようお願い申し上げます。 pic.twitter.com/kP971nCuDwすずだっていちこくみん (@GALSHofficial) March 31, 2020
吉村府知事の「個人の自由を大きく制限することがあると、国会の場で決定していくこと」は泉房穂・明石市長の言うように、府知事としての責任を放棄することに他ならない。
緊急事態条項は「立憲的な憲法秩序(人権の保障と権力分立)を一時停止して非常措置をとる権限(白神弁護士)」を内閣総理大臣に集中させ、立憲主義に基づく統制(コントロール)およびその上で問われるべき政治家の責任を一切合切放棄することだからだ。
新型コロナウイルス感染拡大なる危機を常態化させたのは、第一に立憲主義に基づく統制(コントロール)の不全であり、その不全は責任逃れに終始し、積極的なスクリーニング検査や水際対策、ゲノム解析など、防疫上基本として当然すべきことをあれこれ理由をつけてしてこなかった政治の不作為(現行の法律の範囲内ですべき行為を積極的に行わない)に拠っている。
自らの不作為は棚に上げて、敢えて危機を常態化させ、私権が制限されないからこうなったのだ、と言う。「テロの脅威」「核兵器の脅威」などと、"外敵"と脅威を煽るだけ煽り、現行憲法は時代遅れ・邪魔だという空気を作り上げ、民主主義的な手続きを踏まずに集団的自衛権の行使容認に向けた憲法解釈を行い、テロ等組織犯罪準備罪(共謀罪)を成立させた「搦め手・裏口入学的な」安倍政権の手口をそのまま、菅政権・維新の会(吉村府知事)は踏襲しているのであろう。
「コロナの脅威」に対して「立憲的な憲法秩序(人権の保障と権力分立)を一時停止」を釣り合わせようとするが(目的と手段)、その手段=「立憲的な憲法秩序(人権の保障と権力分立)を一時停止」にはコロナ要件以外の目的=その他の法律で定める緊急事態がぶら下がり、ゆえに、目的と手段が釣り合っていない。
「結局、本当の目的ではないからだ。災害対策は必要だが、目的と手段が整合していない。そこには、隠された動機があると考えるべきだ(石川健治東京大学教授)」
コロナ禍が終息しても、「隠された動機」に緊急事態条項は存在し続ける。
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”我が国は、新型コロナウィルスを封じ込めることができるか?我が国の憲法には緊急事態条項がなく、戒厳に近いこと(非常事態宣言)はできない。(中略)※ 誤解される方はいないと思うが、私が述べている戒厳は、「軍が三権を掌握する」という一般的な意味ではありません。自衛隊の指揮下に国家全体が入れという意味ではありません。狭義というか、いわゆる”行政戒厳”に近い。

改憲=緊急事態条項創設、ポチッと「いいね」でシェア?!
(小坪しんやのHP〜行橋市議会議員 引用)
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「行政戒厳」は「行政国家化」、つまり、立法府である議会、司法府である裁判所に対して、行政府が相対的な優越性をもつ国家類型。立法国家、司法国家に対比して用いられる概念、に近い。「行政戒厳」は、権力の分立(三権分立と地方自治の双方で)の乏しさに由来している(「水戸黄門って先の中納言と先の副将軍とどっちなんですか?」。
司法国家であれば問われるべき「政治家の責任放棄」も、極度の行政国家ではもはや問われることはない。緊急事態条項は司法国家から行政国家への、すなわち、「国家」「国家権力」が「個人」の生存する権利を縛るという転回(革命)となる。
「国家が人の人格的生存を侵すのは国家の誤作動。国家が人権に対していくらでも条件をつけることができてしまう。(小林節慶大名誉教授)」
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「わが国の現行憲法は、かつての行政裁判所制度を廃止し、行政訴訟事件も通常の司法裁判所に係属することとしたので、戦後日本は、法律学的意味においては、行政国家から司法国家に転換したといえる。しかし、政治学的意味における行政国家化の現象も顕著である。(三橋良士明氏)」
「極度に中央集権的であり、権力の分立も(三権分立と地方自治の双方で)乏しい。このため行政国家化する傾向が強い(非自由主義的民主主義)」
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今日は憲法記念日。コロナ禍に乗じて「国家が人権に対していくらでも条件をつけることができてしまう」私権制限論(緊急事態条項)が急速に頭をもたげ始めている。「政治家の責任放棄」の裏返しでもある。改憲=緊急事態条項創設、ポチッと「いいね」でシェア?!などしてはダメだ。
憲法すらまともに読んだことがない政治家(安倍前首相・菅首相)、憲法を尊重遵守しようとしない弁護士(吉村府知事)などが、憲法を解釈したり改正したりすることの恐ろしさを我々は認識しなければいけない。そんな政治家を推しそれでも良いとする人たちも同様に無教養の誹りを受けなければならない。
(おわり)
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