2021年04月23日

すべての型(従来型・変異株)で空気感染する



" そのうえハリス副大統領が話し始めて3分少々が過ぎたところで、ホワイトハウスの室内の会話が聞こえなくなるほどの轟音が響きわたった。ジェット機が頭上を低空飛行したのだ。ホワイトハウス側はなぜか窓を全開にしており、敢えてこの出迎えにミソをつけようとしていたのではないかと思われるほどであった。緊急にどうしても飛行機を飛ばさざるをえない事態が発生したとしても、少なくとも菅総理を出迎える時間には飛ばさないとか、航路を1キロずらすくらいの配慮はできただろう。このジェット機の飛行が意図的になされたと見られても仕方ない。日本側が強く求めた夕食会は結局開かれず、菅総理とバイデン大統領が同席したランチもハンバーガー1個だけという簡素なものであった。しかもランチの間もN95マスクの着用を求められた。" (現代ビジネス 2021年4月21日付記事から引用)

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「ホワイトハウス側は窓を全開にしており・ランチの間もN95マスクの着用を求められた」は現下のコロナウイルスに対するバイデン政権の基本的認識だろう。その認識が著しく欠如している日本政府・菅首相、そしてこの記事の筆者(メディア)が、それらは「この出迎えにミソをつけようとしていた」と明後日の方を向いて嘆いているに過ぎない。

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" 新型コロナウィルスは「すべての型(従来型・変異株)で空気感染する」。「パンデミックになる」と世界に先駆けて警告していた感染症専門家のエリック・フェイグルディン博士が、きょう22日の野党合同ヒアリングで、こう証言した。博士は米国科学者連盟シニア・フェローだ。飛沫感染だけではなかったのである。ガラパゴス日本の常識が覆されたことになる。飲食店のアクリル板は気慰みにもならない、ということだ。エリック博士から証言を引き出した亀井亜紀子議員(立憲)は「驚いてめまいがした」と感想を明かした。" (BLOGOS 2021年4月22日付記事から引用)

すべての型(従来型・変異株)で空気感染する」なる前提(または危機管理上の最悪要件認識)だからこそ、欧米では人流を丸ごと止めるためにロックダウン(都市封鎖)せざるを得なかった。疫学的検査を徹底し武漢を中心に諸都市でロックダウン(都市封鎖)を行った中国が今ではある意味「コロナに打ち勝った」のも、その前提の正しさを示していたことになる。

それらの事例を知れば、飲食店や居酒屋のアクリル板でそもそも済む話ではないのに、問題の本質に正対せず、国民の意識やマナーの問題にすり替え、ロックダウンなる重い政治責任から逃げ回って却って方向を見失った日本側の有様が浮かび上がっている。

空気感染する可能性については、上掲の野党合同ヒアリングで「驚いてめまいがした」ような初めての指摘ではなく、すでに昨年7月に欧米の科学者らが世界保健機関(WHO)や各国保健当局に対し、公開書簡で明らかにしていた。

" 欧米の科学者らが6日、世界保健機関(WHO)や各国保健当局に対し、公開書簡を出した。新型コロナウイルスは2mをはるかに超える距離で浮遊し、空気感染する可能性があると指摘。WHOに感染防止策を見直すよう求めたのだ。WHOも精査に動くという。・・・APF時事などによると、直径5-10μm以上の飛沫は1-2mで地面に落ちるが、それより小さな飛沫は霧状の微粒子となり、はるかに長い間空気中を浮遊し、遠くまで移動するという。対策として屋内では換気を良くし、建物内や公共交通機関での混雑を避けることを提唱している。WHOはこれまで特殊な環境を除いて空気感染の恐れはなく、1mの距離を取るよう呼び掛けていた。"
(日刊ゲンダイDigital2020年7月8日付記事より)

WHOは未だに「空気感染」を認めていないが、WHOの見解を待たずして欧米諸国では危機管理上、「空気感染」を最悪要件と認識しその前提で対策を打っていることは上述の通り。空気感染源捕集を目的とするN95マスク着用をバイデンのみならず去年来日したバッハも行っていたが、それが国際社会全般の認識である。

普通のマスク(飛沫感染防止用)越しでも煙草が臭う距離(1-2mどころではなく、10m程度)であればコロナウイルスも吸い込む可能性があるということだ(拙稿「けむの一片」)。

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「空気感染」前提を今更「そうでした」と明かせば、「飛沫感染」前提で感染の主要因と見なされ、アクリル板などで必死に対策を打ってきた飲食店などは、政府の「やってる振り」に付き合わされたばかりか、その責任までおっ被され体(てい)のいいスケープゴートにされたことになる(飲食店もその辺りを薄々感じているのではないか?)。

科学的知見に背を向け、感染責任を国民や事業者に一方的に押し付け、政治責任からひたすら逃げ回って「やってる振り」ばかりをしていたから、蔓延防止策だろうが緊急事態宣言だろうが、何を打ち上げても実効性があがらない。ロジスティックス(河野ワクチン担当相)以前にストラテジー(strategy)が欠如し、ただ「やってる振り」をしているような国に優先的にワクチンが配給される筈もない。オリンピック開催の大義「コロナに打ち勝った証」がいつの間にか「オリンピック開催は緊急事態宣言と関係ない(菅首相)」と変えるに至っては、もはやバンザイ突撃ではないか。Banzai attackと英語辞書にも掲載される「犠牲を考えずに行う軍隊の集団襲撃」はそれを命じる者の無責任共々、荒唐無稽な精神主義である。

「間違っていた」と認識を改めることを頑なに拒み「間違っていない」と誰も責任を負わない(無謬性)が、聖火リレーを続けさせオリンピック開催に固執する。その結果、どれだけの犠牲を払うことになるのか。日本社会全体に蔓延る無謬性、その空気になんの違和感も感じない我々国民に最後は降りかかってくるのである。未だにB案(オリンピック中止)がない(考えようとしない)ことはその証左であろう。

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過ちては則ち改むるに憚ること勿れ」:

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(「私の間違いだ。責任は全て私にある。市民の許しを請いたい(独メルケル首相)」)

" 【ベルリン=近藤晶】ドイツのメルケル首相は24日、新型コロナウイルス対策で4月上旬のイースター(復活祭)休暇中に実施する制限強化策を撤回すると発表した。各方面から反発が相次いだため、わずか1日で方針転換を余儀なくされた。メルケル氏は「私の間違いだ。国民の許しを請う」と謝罪した。(東京新聞2021年3月25日 付記事引用)

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無謬性なる我々の特異な基礎疾患を、新型コロナウイルスは他国との比較によって奇しくも炙り出している。治すべきはこの基礎疾患ではなかろうか?

無謬:あやまりがないこと。間違っていないこと。失敗したときのことを考えたり議論したりしてはいけないこと。想定し得ることも敢えて想定しないこと。=誰も責任を負わないこと。失敗は単に運が悪かった(なかった)と思うこと。

官僚主義は世界のどの国でも「無謬性」を孕んでいる。官僚主義の属性だが(効率的に業務を行う為に無謬に依存している)、だからこそ、その官僚の上に立つ政治(政権与党)は自らの責任を明らかにし(進退を賭けて政治責任を取る)、間違いを認め・正し・決断をしなければならない。しかし、我が国ではその政治までも安倍政権から官僚と同じく無謬を決め込んでいる。

「必要だから安全(に決まっている)」と目的に逆立ちした安全論はオリンピックのみならず原発にも当てはまりその逆立ちぶりは「アンダーコントロール(安倍元首相)」に集約されている。しかし、実際に危機に見舞われたとき、これほど脆弱無責任な安全論はなく、「想定外だった」「運が悪い(なかった)」と繰り言をするばかりなら無政府状態に等しい。そんな国にしておいて良いのだろうか?何一つ科学的根拠も伴わない「アンダーコントロール」なるお題目の上にオリンピック開催招致に諸手を挙げて賛成した我々国民の側にも問題がある。

原発事故の時と同様に、オリンピックを開催し感染が深刻化しても「想定外だった」と開催責任を政府・東京都は認めないだろう。何度犠牲を重ねても一向に治らない無謬なる基礎疾患の恐ろしさである。

関連記事:「神のみぞ知る(西村康稔・経済再生相)
”「神のみぞ知る」などと早々に政治的に予防線を張って今から責任逃れに終始する。神を持ち出し感染も「運命」と諦めさせる”

(おわり)


posted by ihagee at 06:31| 日記