2021年04月22日

「科学の樹」のないこの国の暗愚・続き6



今から37年前、ベルリン(当時、西ドイツ)のアパートに住む叔母を訪ねに行ったときのこと。その子供の土産にと可愛らしい熊のぬいぐるみを日本から持参した。

「日本のぬいぐるみの方がほっとするわ」と叔母。ドイツでは幼児まではデフォルメした玩具を与えても、就学年齢になったらそれなりに動物として見えるぬいぐるみを与えるらしい(それ以前にU-Bahnですぐの動物園=Berlin Zoologischer Gartenに連れていくだろう)。

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ぬいぐるみに限らず、マスコット・キャラクターに関して「ゆるさ」で競わせれば世界で日本はトップかもしれない。「未就学児童のように頭が大きめで寸胴、もしくはお腹がぽこんと出て、手足は比較的短く小さい体型」(「幼児体型」pixiv辞典から引用)は、大人までもホッコリさせる所謂「ゆるキャラ」である。

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「ゆるキャラ」の提唱者であるみうらじゅんは、あるキャラクターが「ゆるキャラ」として認められるための条件として、以下の三条件を挙げている。

郷土愛に満ち溢れた強いメッセージ性があること。
立ち居振る舞いが不安定かつユニークであること。
愛すべき、ゆるさ、を持ち合わせていること。
(wikipediaより)



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その「愛すべき、ゆるさ」は幼児体型に共通項がある。あたかも幼児に接するかの心の和みが「愛すべき」要素だから、「ゆるキャラ」は総じて幼児体型になる。

その共通項がない「ゆるくないキャラ」もあるにはあるがこれは戦隊モノの「怪人」の部類となる。私などは「ゆるキャラ」よりも「怪人」系に惹かれるが。


(米子のネギマン)


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怪人は時として真顔で難しい話もする。が、思い返せばこれも子供相手の番組だった。



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" 東京電力福島第1原発事故に伴う放射性物質トリチウムを含む処理水の海洋放出決定に合わせ、復興庁がウェブサイトで公開したチラシと動画が波紋を広げている。トリチウムを「ゆるキャラ」のようにデザインし、批判が殺到。復興庁は14日、チラシと動画の公開を休止すると発表した。トリチウムをキャラクター化した狙いを、復興庁の担当者は「多くの人に関心を持ってもらえるよう表現した」と説明。風評被害を払拭するための取り組みだったという。" (2021年4月15日付河北新報社記事引用)

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子供ばかりか大人相手にも、真顔の怪人よりも「ゆるキャラ」の方が関心を持ってもらえる世の中になったようだ。幼児向けのキャラとしてデザインされたわけではない。大人も含めてキャラを国際原子力事象評価尺度でLevel 7の原子力事故の放射性廃棄物に当て心理的に受容させるこの国は異常ではないか?狂っているとしか言いようがない。

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あたかも幼児に接するかの心の和みには難しい話など不要だから、真面目に話せば難しい話になるトリチウムをすんなり受け入れ親しみ易くするには「ゆるキャラ」のようにデザインすることが必要だったのだろう。しかし、物理ではビジュアルにするにも以下のようにしかならない。「風評被害の払拭」などそもそも物理の領域ではない。我々の体の中で作用するのはビジュアルにすらできない物理的挙動であり、トリチウムの元素変換によるDNA損傷という危険を伴っている(「トリチウムの人体影響」「市民のためのがん治療の会」顧問 西尾正道氏)。「愛すべき、ゆるさ」とかホッコリとかは、この性状をミスリードすることにしかならない。嘘で誤魔化せない・笑うに笑えない程の過酷な現実しか、原子力発電所の事故は示していない。それが「核=原子力」の正体である。




トリチウムとは放射性物質でしかないのだが、ゆるキャラに仕立て擬人化し「愛すべき、ゆるさ」など感情やら主観を入れた瞬間、それは科学の領域で扱う対象ではなくなる。バラエティかエンタの領域の話題に代わり、カンニング竹山のようなお笑い芸人たちがさも物知り顔でメディアに登場しトリチウムについて蘊蓄を並べる。

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「原発は世界中にあって、原発を動かすとトリチウム水というのは出る仕組みになっている。韓国も今も出している」などと解説。「科学的なことがちゃんと分かればいいんだけど、なぜこんなことになっているかが分からない」と疑問視(カンニング竹山)。(2021年4月21日付デイリー記事引用)

「現実を言うと、全世界の原発はこのトリチウムが入った液体を海に垂れ流しているんです。 日本だけじゃなく、世界各地で。それが原発の仕組み。福島第一原発から海に流したところで、基本的には問題は無いんです。 」(カンニング竹山)

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「日本だけじゃない」と言いながら「科学的なこと」は分からない程度の「疑問視」でも、「韓国」に脊髄反射する薄弱な人々は「だったら何も問題ない」と思い込むのである。カンニング竹山のようなお先棒は「(トリチウムの海洋放出は)緩慢な殺人行為(西尾正道氏)」を幇助していることになる。

「事故由来」の汚染水を「正常運転」の処理水と同じ、Level 7の事故原発(原子力緊急事態宣言下)を「(正常運転の)全世界の原発」と同じ、メルトスルーしデブリとなってその行方すら不明の核燃料を核燃料プールに厳重に保管されている核燃料と同じ、と認識する時点で科学ではない。前提が違うのだから比較はできない。

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つまり「(正常運転の)全世界の原発」と比較すること自体が論外で、国際原子力事象評価尺度でLevel 6 および 7の原子力事故として比較するしかない。1986年のチェルノブイリ原子力発電所事故やマヤーク核技術施設で発生した原子力事故(キシュテム事故)が比較対象である。しかも、福島第一原発事故については、原子力緊急事態宣言は未だ解除されていない。コロナ禍以前にわが国は「原子力緊急事態宣言」下にあることを忘れてはならない。それだけでも、本来ならばオリンピック開催不能要件である。

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チェルノブイリ原子力発電所事故は事故発生当初の決死の作業で石棺化し事故当時原子炉の中にあった燃料のおよそ95パーセントがいまだ石棺の中に留まっている(事故は1基のみ)。1基乃至3基がメルトスルーしデブリとなってその行方すら不明の福島第一原発とはこの点で大きく相違する。

キシュテム事故はその液体廃棄物(廃液)が付近のテチャ川(オビ川支流)や湖に放流されたことから、水を介して環境を汚染した結果、チェルノブイリ原発事故の20倍(放射能総量は3700万テラベクレル以上)となり被曝者は約45万人に上ったとされている。希釈したり河川に流したりしたとしても放射能総量は変わらない。投棄場所が川や湖から、海洋となっても同じことである。福島第一原発の「処理水」ならぬ「汚染水」海洋投棄はこの点と相似する。

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カンニング竹山のようなお先棒担ぎは、原子力緊急事態宣言下であることも放念し、ALPSを以っても除去できない12の核種については完全に無視し、安全安心とハーフトゥルーズの世界をつくりあげる。半分の事実(全世界の原発はこのトリチウムが入った液体を海に垂れ流している)を以って、残りの不都合な事実をスポイルするのである。科学の因果関係を証明するのが商売ではない芸人だから、科学の土俵で学者と論じ合うことなどない。

「あらかじめ決めていた結論に一部分の事実をはめ込み、逆にその結論と矛盾する事実はすべて無視し」「小さな誤認や食い違いを、歴史をひっくり返す大発見とはやし」「当時は不可能だった対応がなかったのはそれがなかった証拠とし」「相手には厳密な証明を求めるのに、自分の意見には因果関係を証明せず、ハーフトゥルーズの世界をつくりあげる」(滝川義人氏指摘)

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" 私はいつからかこの「アンダーコントロール」という言葉こそが今の福島を苦しめ続けている元凶ではないか ー もっと踏み込んで言えば、今の福島の現状は「アンダーコントロール」という言葉によってコントロールされているのではないか ー と考えるようになった。" (「白い土地」集英社/三浦英之氏著から)

「アンダーコントロール」という言葉によってコントロールされているのは福島ばかりではない。この国全体が「アンダーコントロール」なる無思考・無責任に支配(コントロール)されているのである。

「科学の樹」のないこの国の暗愚は「アンダーコントロール」という言葉によって深化し、遂に放射性物質たるトリチウムまでも「ゆるキャラ」に仕立てた。トリチウムを「ゆるキャラ」のようにデザインした復興庁は、東日本大震災からの復興を心理を以って図っている。人心を科学から遠ざけその心を支配することはマインドコントロールであるが、「笑っていれば取り憑かない」「安心だから安全」と、無思考・無批判を広め話をすり替えるのに、芸人と「ゆるキャラ」はその操作者にとって必須要件となっている。その役目を授かった芸人がメディアに今どれだけ溢れかえっているか分かるだろう。

コロナウイルス対策に失敗し、それでもオリンピック開催に遮二無二(思考停止)なるも、「科学の樹」のないこの国の暗愚の当然の結果である。

(おわり)


posted by ihagee at 10:40| 政治