2021年04月13日

放射能の拡散防⽌は⽇本社会の地球に対する責任



東京電力福島第1原発の汚染処理水を、放射性物質の濃度を国の放出基準より下げて海に流すとの日本政府の13日の決定は、原発事故責任の放棄でしかない。

たとえ希釈しようと海に放出される放射性物質の総量は変わらない。放射性物質ゆえに分解されることなく生態系での食物連鎖を経て逆に濃縮される。その連鎖の最上位がわれわれ人間だから子々孫々永劫に海洋放出の報いを受けることになる。

経産省としては、トリチウム=処理水の前提で、濃度を薄めて海洋に放出すれば安全との説明に終始する筈だったが、多核種除去装置(ALPS)処理水の中に告示濃度を超えるヨウ素129、ストロンチウム90、ルテニウム106が残存していたことを隠し、公聴会の資料では基準を超えていないデータが用いられていることが判り、そもそもの前提が崩れ去った。それにも関わらず海洋放出を決定することは暴挙以外の何ものでもない。

一旦海洋に放出してしまえばもはやコントロールのしようもない。ばら撒いた後の挙動については「知り得ません」は管理と言えるのだろうか?ただ単に「管理し切れないのでばら撒きます」と同じことなのではないのか?タンクから海洋にばら撒かれれば、東電・国の得意の「無主物だから関係ない」なる方便が利く。責任も大海に流せばなくなるということだ。

メルトアウトした核燃料に直接触れた高放射能汚染水は地下水系を通じて環境に日々放出されているのだから(凍土遮水壁は無意味)、タンクに保管している汚染処理水を垂れ流したところで大差ないと開き直っているのだろう。直ちに影響がないだろうし、あとはどうなろうと知ったことではないと「今さえ良ければ」を決めこんでいる。「アンダーコントロール」と国際社会に壮語しておきながら、所詮アンコントロールだから管理など馬鹿馬鹿しいから海に放出してしまえとは、言行不一致。そんな舌先三寸の国は国際社会で信頼される筈はない。近い将来、重い咎めを我々は国際社会のみならず生活環境に於いても受けることになる。

(おわり)

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トリチウム水と政府は呼ぶけど実際には他の放射性物質が1年で65回も基準超過(木野龍逸氏)
そもそも、「トリチウム水」なのか?
そもそも、「トリチウム水」なのか?(続き)
安全神話を鵜呑みせず、自分で考えることの重要性

追記:
「アンダーコントロール(安倍元首相)」と矛盾しない処置だとする菅首相のステートメントが、海外メディアを通じて国際社会に発信されたが「嘘つき」との声!




ゴミ屋敷にはゴミが投げ込まれるのが世の常。杜撰に捨てようものなら杜撰に世界中から投げ込まれることになる。「食べて応援」とか「痛みを分かつ」とか「笑っていれば放射能は取り憑かない」とか政府や御用学者達が言えば、核のゴミに寛容な国民性であるかのごとく国際社会にも発信していることになる。(拙稿:『「リニア中央新幹線」が「オンカロ」になる日』)

posted by ihagee at 18:00| 原発