当事者同士の責任のなすり合いが結果として開催するしかない、という方向に進んでいる(拙稿:責任のなすり合いが結果として「開催するしかない」)、そのオリンピックのメーンスタジアムたる新国立競技場の周辺に足を運ぶ。
前日の荒天とうってかわって雲ひとつない晴天(風は強かった)の撮影日和。Sigma DP2Sで撮影(撮影日:2021年3月14日)。RAWデータ処理ソフト(SIGMA Photo Pro 6.5.2)で「RAW現像」を行った。
副都心線「北参道」駅で降り千駄ヶ谷小学校を左手に外苑に向かって歩いてほどなく国立競技場が視界に入る。保安上の都合なのかぐるりと高いフェンスで囲まれて間近に接することはできない。隈研吾氏のモチーフである木材が多用された外観をフェンス越しに観察した。
杉材の軒庇が放射線状に並びぐるりと植栽が取り巻く。47都道府県から調達した木材を日本列島の全方位に向けて配置した「杜のスタジアム」。しかし、その「杜」の土台工事ではマレーシアとインドネシア産の木材を使った合板がコンクリート型枠用として12万枚以上使用されているという。
生育に適したリサイクルマテリアル(セラミックス)を使用しているそうだがなぜか所々茶色く枯死した植物は、庇の下で剥き出しとなった鉄筋や配管共々、自然との共生が演出に過ぎないことを教えてくれる。
最大3462億とデザイン案の試算段階で高額ぶりが批判され白紙撤回された故ザハ・ハディド案に代わる隈案であるが、最終的にかかった工事費は1529億円(年間維持費は24億円)。本体工事価格で言えば、国内の主要なスタジアムばかりか、過去のオリンピック大会の為に建設された海外のスタジアムと比較して突出して高い。減価償却を最初から考えていなかったに違いない。オリンピック開催後の使い道は改めて考えるようだ。建設することが目的となって何に使うのかは後回しは箱物の典型である。税金を使うと大抵こういうことになる。
1964年東京オリンピックの体操競技に使われた東京体育館(槇文彦氏設計)。代々木体育館(丹下健三氏設計)同様、機能が外観まで一体となって構成し、後付けの飾りを必要としない質実さ・逞しさはスポーツ施設に相応しい。
1964年東京オリンピック大会のレガシーこそ(旧)国立競技場に他ならなかった。その先代の名跡を継ぐかに新国立競技場の足元に過去の証文が刻まれている。
度々メディアに登場するオリンピックシンボル(日本オリンピックミュージアム前)はそれが設置されている広場共々意外にちっぽけに感じられた。それでも壮大なオリンピック・ムーブメントを体験する場所らしい。
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オリンピックシンボルを背にスマホで撮影する人がちらほら居る程度で、立ち寄る人も少なくミュージアムもショップも閑散。当事者同士責任のなすり合いを日々見せつけられれば我々が白けきるのも然もありなん。数ヶ月後に開催するとは到底思えない程の熱量の低さにふてくされたかにクーベルタンが突っ立っていた。
(おわり)
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