2021年03月06日

コロナそして春の嵐



クルーズ船ダイヤモンド・プリンセス(DP)号の乗客の罹患に始まり、新型コロナウイルスは季節を一巡し春になった。

この間、武漢肺炎、チャイナウイルスなどと呼んでいたエンデミック(地域流行)の段階からCOVID-19と国際正式名称を得て瞬く間にパンデミック(世界的大流行)となったのは周知の通り。現時点で1918年から1920年に流行した通称「スペインかぜ」(H1N1型インフルエンザウイルス)の感染者数には未だ及んでいないものの、死亡者数に於いて最多の米国では過去の大戦(一次・二次・ベトナム戦争)の米国人犠牲者の合計を上回る累計50万人超となり人類史上最悪クラスのパンデミックの様相を呈しその終わりは未だ見えない。

昨年後半から世界各地で変異株が次々と出現し、その幾つかは他の株よりも感染性が高くその変異如何ではワクチンの有効性にも何らかの影響を与えることが懸念されている。

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経済活動はもとより社会生活や日常のマナーまで、COVID-19を境にしてすっかり変わってしまった。或る年代史の始まり(エポック)としてゆくゆくは後世の歴史家によって評価されるに違いないが「あの時以来、マスクが顔の一部となった」などと中世さながら暗黒史の一章とならないことを願うばかりである。

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この混乱のドサクサに乗じてミャンマーでは軍事クーデターが発生した。国際社会が一致団結しづらい状況はそのクーデターに利するかに見えたが、ミャンマーの若者たち(民主化勢力)を中心に抗議活動が続き、国軍による血の粛清で多くの死傷者が出ていると連日報じられている。

他方、我が国ではその民主主義を根底から破壊する行為が市民の中から行われた(愛知県知事リコール不正投票事件)。

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“「昭和天皇の写真をバーナーで焼き、その灰を足で踏みつけるような映像作品が公開されて大問題に。実行委員会トップだった大村知事のリコールを求め、『愛知100万人リコールの会』が立ち上がったのです」(中略)大量の署名偽造は、民主主義を根底から覆し、それこそ焼いて踏みつける行為に等しい。“黒幕”が炙り出されるのはそう遠い日のことではあるまい。”「週刊新潮」2021年3月4日号 掲載記事から引用

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「主権の存する日本国民の総意に基く」象徴は我々国民自身の姿を映す鏡、つまり、象徴天皇の「象徴」は国民の一人一人の有り体を映す鏡ゆえ「民主主義を根底から覆し、それこそ焼いて踏みつける」者たちもその鏡は曇りなく映す。そういう展開になっている。

「昭和天皇の写真をバーナーで焼き、その灰を足で踏みつけるような映像作品(「あいちトリエンナーレ2019「表現の不自由展」)」は、憲法の理念に沿えば、たとえ天皇といえども法の下では国民が受ける保護と同等だからこそ、憲法の理念とも民主主義とも相容れない「それ以上の保護」に当たる「やんごとなき身分」に対する「不敬」なるものをその作品で作者は敢えて表現したと私は理解している。

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” 憲法の成立に伴う刑法改正に際して、不敬罪、大逆罪の廃止をめぐる、日本政府とGHQの一連のやりとりを示した資料である。

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1946(昭和21)年12月20日、ホイットニー民政局長は、木村篤太郎司法大臣に対し、不敬罪、大逆罪に関する規定を定めた刑法第73条から第76条までの条項を削除するよう指示を与えた。これを受けて、吉田茂首相は、12月27日付けのマッカーサー宛書簡で、1)天皇の身体への暴力は国家に対する破壊行為であること、2)皇位継承に関わる皇族も同様に考えられること、3)英国のような君主制の国においても同様の特別規定があること、を理由に大逆罪の存置を訴えた。しかし民政局法務課長のアルフレッド・オプラーは、吉田の書簡の内容について調査を行い、アメリカ大統領及びイギリス国王には日本の大逆罪に該当するような特別規定は存在しない、と結論づけた。

この調査結果を踏まえ、翌年2月25日、マッカーサーは吉田宛書簡で、吉田のあげた存置理由について一つ一つ反論し、天皇や皇族への法的保護は、国民が受ける保護と同等であり、それ以上の保護を与えることは新憲法の理念に反する、と吉田の訴えを拒絶した。”
(国立国会図書館・「5-13 大逆罪・不敬罪の廃止」から)

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「昭和天皇の写真をバーナーで焼き、その灰を足で踏みつけるような映像作品」はその作品の意図する通り、「やんごとなき身分への不敬」を許したとして愛知県知事へのリコール運動が展開され、その運動そのものが民主主義を「焼いて踏みつける」ような今回のリコール不正投票になった。

不敬というものがあるとすれば、それは民主主義を「焼いて踏みつける」ような今回のリコール不正投票に他ならない。天皇への不敬をけしからんと声高に叫ぶ者が実は民主主義と相容れない「不敬」なるカビの生えた概念を振りかざし、結果として民主主義への最大の不敬を働いていたということになる。作品によって民主主義の破壊者が奇しくも炙り出されたわけである。

ミャンマーの民主化運動に照らして、未だ天皇なる鏡を必要とするこの国の民主主義の稚さ・脆さは恥ずべきことかもしれない。

(おわり)


posted by ihagee at 05:20| 日記