2021年02月16日

組織委はIOCのエージェント(続き)



OCOG、つまり、東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会(TOCOG)とは、いかなる組織なのか、開催都市契約原本(英語)に照らしての報道がない。識者と呼ばれる人々までが想像で物事を述べているきらいがある。

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開催都市契約
甲:IOC、
乙: City (=東京都)、NOC(=JOC)

開催都市契約上、OCOGは署名を行った直接の契約当事者ではないところ、「OCOG を本契約に当事者として関与させ、OCOG があたかも本契約の本来の当事者であるかのように OCOG に関わる本契約の条件および条項、ならびに、本契約で定める OCOG のすべての権利、保証、表明、声明、協定、その他のコミットメントおよび義務が、法的に OCOG を拘束するという意味において本契約をOCOG に厳守させ、かつ、その旨を確認する書面を IOC に送付することを約束する。」と、開催都市契約(Host City Contract)の「3. 本契約の当事者となる OCOG 」にある。

此処で「関与」(させ)は契約の英文では"intervene"に該当するが、この用語は裁判における第三者参加(intervention)に由来する。つまり、裁判の当事者でない第三者が、原告又は被告の側に加わることにより当事者となることを意味する。

開催都市契約「3. 本契約の当事者となる OCOG 」の内容をさらに確認すると「OCOG を本契約に当事者として関与させ」は、英文では "The City and the NOC ... undertake to cause the OCOG to intervene as a party"で、「関与」(させ)の主語はCityとNOC。"undertake" は「引き受ける」の意でshouldに置き換え可能。この場合、should=義務はCityとNOCに課されることになる。開催都市契約締結時にOCOGは設立されていないため、"The City and the NOC ... undertake to cause the OCOG to intervene as a party"となるわけで、「OCOG があたかも本契約の本来の当事者であるかのように」と第三者参加(intervention)と見做すくだりになる。実に巧妙だ。

OCOGの設立主体としての義務に基づき、OCOGを契約に関与させるのはCity、NOCだが、interveneの意味でOCOGが加わる側は、権利⇔義務関係からみれば乙:City、NOCにとって契約の相手方、甲:IOCと理解される(もし中立の当事者ならば "as a neutral party"となるが、そうはなっていない)。この部分が、CityとNOCは「OCOG に対して、IOC が要求するすべての文書に署名し、IOC に送付するよう義務付け、またこれを行わせる」との契約内容を重ねて、OCOG=組織委はIOCの実質エージェントと理解する箇所である。

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OCOGが公益財団法人となって、設立主体たるCityとNOCはOCOGの運用の責任を負う(OCOGと共に連帯責任)。ゆえに設立責任上、CityとNOCはOCOGの組織運用(人事)に関与する立場にある(公益財団法人として準拠する国内法、および開催都市契約の範囲)。今般の森氏の舌禍問題とその後の人事についてである。

他方、NOCはIOCから大会の運営等を委任されるが、大会の実際の運営主体はOCOGで、CityとNOCは「OCOG に対して、IOC が要求するすべての文書に署名し、IOC に送付するよう義務付け、またこれを行わせる」ことから、CityとNOCはOCOGと共に義務者であり、この箇所も権利⇔義務関係からみれば当事者の一方、乙=City,NOCが相手方、甲:IOCに対して義務を負う片務的内容となっている。

"intervene"の意味でOCOGの加わる側はIOCでありながら、その運用に於いてはCity、NOCと共に連帯責任を負うということになる。事業に於いてはIOCの側の運営主体でありながら(IOCの実質エージェント)、組織としての運用に於いては設立主体のCity, NOCの側というOCOGの二面性に加えて、OCOGの内部留保(資金)が枯渇した場合、設立主体(City)としての責任ゆえCity(さらに政府)が補填することになるが、それは結果として我々の税金が使われる。しかし、税の受益/負担の観点でみれば契約の相手方=IOCの事業益となる点、IOCの実質エージェントとしてのOCOGはその資金補填如何では利益相反が生じる可能性がある。巷間選択肢とされている「無観客開催(その場合、沿道での競技応援も規制されるだろう)」は納税者にとって(特に都民)尚更に受益なき負担となるゆえに、OCOGの公益財団法人としての「公益性」が問われる。たとえ無観客開催でも巨額の放送権料をIOCは得る。つまり、我々の税金が結果としてIOCの商業主義に益すること。現下の新型コロナウイルス感染下、公益を「(有観客前提の)通常開催」と「(公衆衛生優先の)開催中止」のいずれに重ねるべきか、開催都市たる東京都は納税者たる市民にその意思を確認・又は市民が率先して意思表示をすべきだろう(後述の1976年デンバー大会=開催権返上のように)。

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拙稿「開催権返上と調停」で述べたように、IOCの開催中止決定(その可能性は高い)は開催権剥奪となり、片務的契約関係に照らすと、一方的に開催都市側が債務を負うことになる(喩えれば、「敗戦・無条件降伏」)。ゆえに、調停(勝ち負けを決めるのではなく,話合いによりお互いが合意すること)を目的とする開催権返上を開催都市である東京都(City)はIOCに対して行うべきと考える。開催都市=東京都(小池都知事)の開催権返上を前提として、その後のIOCの調停では開催都市契約で第三者参加(intervention)と見做されるOCOGがまさに「第三者」として紛争当事者間を仲介する役目を果たしても良い。開催権返上となれば北京五輪も間近に控え、IOCとしても早急に落とし所を図らざるを得ないだろう。そのあたりまで見越して、OCOG会長はその調停実務に能力を発揮できる者が当たるべきだろう。

或いは、「アンダーコントロール」などと大嘘の上に開催決定に貢献したあの者を会長にし開催断念の落とし前をつけさせる(責任を取らせる)ことでも良い(元JOC職員・春日良一氏はこの意味であの者が「良い」と言っているのかもしれない)。マリオにまで化けて散々オリンピックを政治利用した者に今まで一度として取ったことのない「責任」の重さを忖度のない世界で知らしめる上でも「再びみなさまにお会いしましょう(マリオ)」の国際公約を守らせても良い。ヨッシー(森喜朗)の後がマリオなら尚更役順に文句はない。
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開催中止の大半の世論(内外)を汲めば、今さら開催に拘り清廉潔白な顔を立てる必要もない。

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1976年デンバー大会は開催権返上事例で、その返上に至る経緯がネットで書面にて公開されている。OCOG(DOC)がその過程でどのような役割を果たしたか記載されているようだ(未だ詳細に中味を見ていないが)。




(おわり)

posted by ihagee at 04:15| 日記