2020年11月20日

神のみぞ知る(西村康稔・経済再生相)



経済成長感じない人は「よほど運がない」。

"麻生太郎・財務相(発言録)政権の安定があったからこそ、これまでの経済成長がずっと継続性を持たせられたのは間違いない事実であって、5年前より今の方が悪いという人は、よほど運がなかったか、経営能力に難があるか、なにかですよ。ほとんどの(経済統計の)数字は上がってますから。(吉田博美参院幹事長のパーティーのあいさつで)"

以上、朝日新聞デジタル 2018年4月17日報 引用

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「感染がどうなるかっていうのは、本当に神のみぞ知る……」。政府で新型コロナウイルス対策を担う西村康稔・経済再生相は19日夜の記者会見で、今後の感染者数の動向をめぐり、こう語った。「これはいつも、(政府の分科会会長の)尾身(茂)先生も言われています」と付け加えながら。

以上、朝日新聞デジタル 2020年11月19日報 引用

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”自然災害の範疇であれば、社会的に許容せざるを得ないリスクというものも存在するだろう。火山・地震・活断層・台風など。しかしそれら(原発事故)を「運命」とあっさりと住民に諦めさせるならそもそも政治も行政も要らない。運・不運でかたづけるなら神仏の世界である。”

拙稿:運・不運でかたづけるなら神仏の世界

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感染極大期に関わらず火に油を注ぐかのGoToキャンペーン。そのキャンペーンの当事者(菅政権・与党)は感染拡大のトリガー(きっかけ)を敢えて想像しないかに、コロナウイルスに感染する人は「よほど運がない」かに「神のみぞ知る」などとサラリと言ってのける(「尾身(茂)先生も言われています」などと、分科会の文脈を政治の方便に利用する)。

異次元金融緩和による粉飾経済(アベノミクス)は我々国民を鉄火場に連れ込み遊び人の「ツキ」に喩えるかに「運がない人もいる」と言い、そしてGoToキャンペーンも同様に国民を弄ぶ。「政治は結果」と責任を取るべきを、神を持ち出して「運」とか言い出すようではもはや政治ではない。

GoToキャンペーンで救済に躍起の飲食・観光業だけがこの国の経済ではない。特定の業界に特定の国民しか恩恵を受けられない特恵を与えるために莫大な税金を使うことは税使途の公平性に著しく欠ける。なぜ国民一律に現金給付を行わないのか?せめて寒空の下、住む場所を失わないで済む「公助」を国民に等しく欧米並みに講じるべきであろう。それを自助・自己責任と突き放し、片やGoToに拘ることは何かしら別の思惑や利害が菅政権・与党にあるとしか思えない。

感染極大にもかかわらず、火に油となるようなことを菅政権はやっていながらその結果責任はことごとく個人に押し付け(「静かに食事」など個々人の行動様式に問題を帰する)、挙句に「神のみぞ知る」などと早々に政治的に予防線を張って今から責任逃れに終始する。神を持ち出し感染も「運命」と諦めさせるその油を注ぐ所業も天災同様の神の仕業なのか?いつから政権は神に成り代わったのか?

「感染のきっかけに違いない」と日本医師会も含め国民の大多数が反対するGoToキャンペーンを敢えて強行する菅政権の姿勢に、確信犯的に感染を広めようとしている、又は、何か別の意図があるのかと疑いたくなる。自国民に対するジェノサイド、高齢世代の合法的な姥捨なのだと言う識者もいる。その通り、高齢層の感染死亡者が増大しつつある。

そして来年は東京オリンピックで「ラッパが高らかに鳴る」(安倍晋三氏)だそうだ。科学を捨て神仏の世界に生きるしかないこの国の成れの果ては「日本の国、まさに天皇を中心としている神の国であるぞということを国民の皆さんにしっかりと承知して戴く」<森喜朗元首相の神の国発言>。

過去の時代のグロテスクな精神主義が政治権力に三度化体し国民に歴史の轍を踏ませる。先人が失敗したことと同じ失敗をまた繰り返すのである。歴史に学ばずそんなことをやすやす許す我々国民に「国民、クオリティー高い」(麻生太郎・財務相)はけだし至言かもしれぬ。なにせ "世界に冠たる"(Deutschland über alles)「ドイツ国民はヒトラーを選んだんですよ」(同氏)ゆえ不幸なりに辻褄は合っている。

(おわり)


posted by ihagee at 04:05| 日記