再生できない場合、ダウンロードは🎵こちら
(RQ-705で再録)
----
(・・・)間もなく一同の話は著いた当時のそれぞれの困った話に移っていった。
「僕は一度こんな所を見ましたよ。」今まで黙って一言も云わなかった東野は云った。
「それもここのカフェーですがね。丁度、僕は久慈さんの坐っているそこにいたのですよ。他に日本人も三人いましたが、隣のテーブルに、印度支那の安南人が四人ほど塊っていましてね。そこへ、ある外人が三人ほど這入って来て、坐ろうとすると椅子がいっぱいで、どこにも坐れないんです。そうしたところが、その男はボーイに、『ここにいる東洋人を、皆追い出してくれ、その分の金は払う。』と反り返って云うのですよ。僕は腹が立ったが、先ずボーイが何とあしらうかと、それをじっと見ていたら、ボーイがね。」と東野は云ってそのときのボーイがまだいるかと一寸屋内を見廻した。
「今日はあいにくいないけれども、そのボーイが、きっとなると、安南入を指差して、これは東洋人だが、われわれの同胞だ。君ら出て行ってくれッと、その大男に大見得切ったですよ。」
「その男どうしました。」と矢代は乗り出すようにして訊ねた。
「その男は黙って出て行きましたが、しかし、一時は日本人が皆殺気立ちましたね。」
「安南人はどうしました。」とまた矢代は興奮して訊ねた。
「安南人はおとなしく黙っていましたよ。」
一同はしんと静まったまましばらく誰も物を云うものがなかった。
「馬鹿な奴がいると、戦争が起る筈だな。」
矢代はいまいましそうに云った。そして、突然久慈に向って、「君、まだ君は、ヨーロッパ主義か。」
「うむ。」と久慈は重重しく頷いた。矢代は青ざめたままどしんと背を皮につけて静まると涙が両眼からこぼれ落ちた。(・・・)
----
「旅愁」横光利一
解説者:評論家 亀井勝一郎 朗読:加藤道子
音源:NHK録音教材 国語研究(対象者:高校生)1964年
(おわり)
追記:
引用場面の「われわれの同胞だ」の括りに、日本人集団への帰属意識(矢代)又はヨーロッパ主義(久慈)を重ね見るか、或いは誰でもない「人間主義」を見るかでこの小説の解釈(横光が意図しない解釈含む)は大きく異なる。熊本転居日記(普請中)に加藤周一『夕陽妄語』を引用した秀逸な洞察(加藤周一「それでもお前は日本人か」)が掲載されているので一読をお勧めしたい。
他参照:シュテファン・ツヴァイク「昨日の世界」
----
”国民の多数が「それでも日本人か」と言う代りに「それでも人間か」と言い出すであろうときに、はじめて、憲法は活かされ、人権は尊重され、この国は平和と民主主義への確かな道を見出すだろう。(加藤周一)”
【国語研究の最新記事】