2020年10月18日

伊豆の踊り子・川端康成





(RQ-705で再録)


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(・・・)あくる朝の九時過ぎに、もう男が私の宿に訪ねて来た。起きたばかりの私は彼を誘って湯に行った。美しく晴れ渡った南伊豆の小春日和で、水かさの増した小川が湯殿の下に暖く日を受けていた。自分にも昨夜の悩ましさが夢のように感じられるのだったが、私は男に言ってみた。

「昨夜はだいぶ遅くまでにぎやかでしたね。」
「なあに。ー聞こえましたか。」
「聞こえましたとも。」
「この土地の人なんですよ。土地の人はばか騒ぎをするばかりで、どうもおもしろくありません。」

彼が余りに何げないふうなので、私は黙ってしまった。

「向こうのお湯にあいつらが来ています。ーほれ、こちらを見つけたと見えて笑っていやがる。」

彼に指ざされて、私は川向こうの共同湯のほうを見た。湯気の中に七八人の裸體がぽんやり浮かんでいた。

ほの暗い湯殿の奥から、突然裸の女が走り出して来たかと思うと、脱衣場のとっぱなに川岸へ飛びおりそうな格好で立ち、両手を一ぱいに伸ばして何か叫んでいる。手拭もない真裸だ。それが踊子だった。若桐のように足のよく伸びた白い裸身を眺めて、私は心に清水を感じ、ほうっと深い息を吐いてから、ことこと笑った。子供なんだ。私たちを見つけ喜びで真裸のまま日の光の中に飛び出し、爪先きで背いっぱいに伸び上がるほどに子供なんだ。私は朗らかな喜びでことこと笑い続けた。頭がぬぐわれたように澄んで来た。微笑がいつまでもとまらなかった。

踊子の髪が豊か過ぎるので、十七八に見えていたのだ。その上娘盛りのように装わせてあるので、私はとんでもない思い違いをしていたのだ。(・・・)

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伊豆の踊り子川端康成
解説者:立教大学教授 長野嘗一
朗読:谷沢裕之 他(劇団三十人会)
音源:NHK録音教材 国語研究(対象者:高校生)1964年

(おわり)


posted by ihagee at 00:00| 国語研究