2020年10月12日

「科学の樹」のないこの国の暗愚・続き4



”オリンピックや国際観光(インバウンド)が我が国の経済政策の主柱だからオリンピック開催中止はあってはならないと主張する者が大半だが、そんな危なっかしい水物に賭けなくてはならないほどこの国の製造業を中心とする産業力は凋落し国民の大半は貧しくなったということでもある。経済構造の根本的な問題や課題に取り組もうとせず、一発勝負・賭け事紛いのオリンピックにこの国の命運を委ねなくてならないその政治経済の貧すれば鈍する無分別ぶりが、"オリンピック命" と言わせるのである。” (拙稿「父さんはどうしてヒトラーに投票したの?」)

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軍事(技術)研究も学問の自由の内。ゆえに軍事(技術)研究は禁じてはならないと、橋下徹氏は言いたいらしい。

日本学術会議は国立アカデミーであり、内閣府の特別の機関の一つ。 「日本学術会議は、わが国の科学者の内外に対する代表機関として、科学の向上発達を図り、行政、産業及び国民生活に科学を反映浸透させることを目的とする。(日本学術会議法第2条)」

スポーツを通じて幸福で豊かな生活を営むことは全ての人々の権利であると同様、科学もその目的達成(幸福追求)の手段であることに異議はない。

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軍事技術は「国家が独立を保ちながら存続するのに必要」であり、国益の概念であると言う人がいる。自衛権はそうかもしれない、しかし、武器輸出は「国家が独立を保ちながら存続するのに必要」なのか?

1967年(佐藤内閣):
武器輸出について、(1)共産圏(2)国連決議で禁止された国(3)国際紛争の当事国や恐れのある国に認めない方針を表明(武器輸出三原則)。
1976年(三木内閣):
これ以外の国へも原則、武器輸出を禁じた。
2011年(野田内閣):
武器輸出三原則を大幅に緩和し、平和・人道目的や、国際共同開発・生産への参加であれば、例外として武器の輸出を認めた。
2014年(安倍内閣):
武器輸出はこれまでの原則禁止から、条件を満たせば認められるようになった。防衛産業の育成が狙いの一つ(防衛装備移転三原則)

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「防衛」とは国家が侵略を受けた際に自衛権を行使し、軍事力などを以ってこれを拒否・抵抗すること。そのための「産業」物品(武器などの防衛装備)が輸出まで許されれば「軍需産業」、つまり軍隊で使われるものを製造したり販売したりする産業、と区別がつかない。憲法第9条の戦争放棄、戦力不保持、交戦権の否認の規定があるから「防衛産業」と言っているに過ぎず、実態は「軍需産業」である。後方支援のための物品に限る、と言ったところで、弾薬(「弾薬」は武器でないとする)提供を含む後方支援もその「後方」が瞬時に「戦闘地域」に変われば、支援のための弾薬はその場で武器となり目の前の相手に対する交戦権行使の道具となる。戦闘地域の後方が常に非戦闘地域なる前提はそもそも存在しない。民間人も巻き込んだ戦闘地域の拡大と交戦状態は現実的想定の範疇である。

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人権と人権との衝突を調整(交渉)を外交の基調としながらも、軍事力を背景としたパワーバランスとなる軍備・武器輸出が重石として必要であり、自衛や冷戦を前提の「防衛産業である」と肯定したとしても、弾薬等武器自体はハリボテではなく殺傷能力がなければならない。さらに軍事覇権主義がなければ、武器輸出は促進されない。日本国の経済成長戦略の観点で、安倍政権は武器輸出原則禁止から、条件を満たせば認める方向に踵を返した。重石としてばかりでなく、殺し合いに最終的に調整を求める戦争にもその武器は使用される。

防衛産業の育成。防衛産業が成長戦略(アベノミクス)の一丁目一番地と安倍政権では位置付け、菅政権にもそのままこの位置付けは継承されている。

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防衛産業が成長戦略(アベノミクス)の一丁目一番地であるなら、軍事(技術)研究も学問の自由の内(橋下徹)などと他の諸学と同等に言うことは正しくない。内閣府の機関たる日本学術会議にあって、軍事(技術)研究を「(自由意志で)するしない」といった「学問の自由」などではなく、「しなければならない」という国民が果たすべき義務となる。憲法第23条(学問の自由)とは別に、憲法第15条1項に専ら拠って日本学術会議の被推薦者の任命拒否を行う権利(義務に対する権利)を声高に言うとは須らくそういう意味がある。

ゆえに任命を拒否するということは、被推薦者が「公務員」として義務を果たさしていない(または果たさないであろう)からに他ならない。その義務が成長戦略たる防衛産業(実質は軍需産業)への貢献である。その妨げになるそれら被推薦者の言論は排除する、が任命拒否となった。任命拒否の正当性を憲法第15条1項で言うことは「学問の自由」云々ではなく、国策に余計な首を突っ込まないような事なかれ主義を「公務員」でもある科学者に強要することである。

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武器を突き詰めれば、人間が自由にできる破壊的力を最大化し人類を恐怖と破壊に追いやってしまう可能性の最たる核兵器となる。あえて極言すれば、核兵器開発に手を貸すことも科学者の良心なのか?日本学術会議は「科学者の良心」を設立の礎にしてきた。

ゆえに軍事研究をする・しないといった「学問の自由」が問われているのではない。「科学者の良心」が問われている。

”特に、人文・社会科学は自然科学や技術が導き出すことのできない価値的な視点を追究し、統合のための鍵を提供する役割を担わなければならない。このような文理統合型の新しい科学の創成によって初めて、人類の存続・発展が可能になり、精神的・物質的に調和のとれた幸福な人間社会を実現することができるであろう。”
(「日本の展望―学術からの提言 2010 (2010年4月5日・日本学術会議)」から引用)

文理統合型の新しい科学の創成は、幸福な人間社会実現のための「精神の健全性」を獲得することに他ならない。

「科学者の良心」は人文・社会科学に特に託されている。今回の任命拒否の対象はその人文・社会科学系学者であることから、「良心」と書かれた踏絵を日本学術会議に踏ませようとしていることは間違いない。

科学者は、科学者として、学問を愛するより以前に、まず人間として、人類を愛さねばならない(坂田昌一・元名古屋大学教授)」(自治体問題研究所記事から引用)。

橋下氏の「学問」観がいかに底の浅いものか。愛するがゆえに敢えてしない学問領域もある(上述の核兵器開発研究ばかりでなく、優生学を準備する目的でのヒトゲノム解析など)。

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「良心」と書かれた踏絵を差し出し、「文理統合(日本学術会議の目指す)」という価値的視点を否定し、その先にいかなる「幸福な人間社会」が実現可能と言うのだろうか?菅首相は明確に答えなければならない。経済価値の実(産業技術)ばかりを追い求め、その基礎となる科学を疎かにしたこの国の政治の貧すれば鈍する無分別ぶりが、幸福な人間社会の精神的・物質的な調和とはかけ離れた「防衛産業が成長戦略(アベノミクス)の一丁目一番地」などと言わしめるのである。

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イノベーションは自由競争と開かれた研究体制にあって進捗する。それが経済合理性とすれば、軍事研究はその真逆でイノベーションを阻害する。なぜなら、軍需産業のニーズは民生と違って限られた需要しかなく秘密主義の閉ざされた研究体制は決して経済社会に貢献するものではない。

他方、国の安全保障上重要な技術開発(軍事上の技術を含む)がなされた場合、それに関わる特許出願の内容を一定期間秘密にしそれら先端技術情報について海外への流失を防止する制度(秘密特許制度)の導入に向けた検討を政府は行っている。国の安全保障上重要な技術に関わる発明であれば、特定秘密保護法をさらに重ねて不開示とすることもできる。関わった科学者(憲法第15条1項の「公務員」たる科学者)の口を墓場まで縛ることもできる。当然、論文などの形式でその学術成果を発表することもできない。

特許制度は、発明をした者に対して、国が特許権という独占権を与えることで発明を保護・奨励し、かつ、出願された発明の技術内容を公開して利用を図ることで、産業の発達に寄与することを目的とする

しかし、秘密特許制度を以って「発明の技術内容を公開して利用を図る」ことができない軍事技術の領域が従来の特許制度の目的を囲い込み始めれば、結果として民生領域の産業の発達を阻害することになる。後々軍事技術が民生転用されれば産業の発達に寄与するなどは過去の時代の話で、日々刻々イノベーションを競い合う今、そのようなあるかないかも知れないような(先端技術であればあるほど特定秘密保護法の観点から「ない」だろう)「お下がり」を悠長に待つ時間の猶予はない。

事実、アメリカでは軍需産業がイノベーションの荷物となり軍事費は猛烈な削減の憂き目にあっている。軍需産業自体が斜陽化しているのに、日本学術会議を脅してまでもその斜陽産業にこの国の命運を賭けざるを得ないほど、この国の科学・産業技術は貧していることに加えて、アメリカの軍事(技術)研究開発を日本が国民の税金を投じて肩代わりさせられ(この意味でも最先端技術ほど民生転用はない・あるとしてもアメリカの都合)、秘密特許制度はその受け皿となり(核兵器を含む軍事技術の日米共同開発にとっては絶好の隠れ蓑になる)、その肩代わり・下請け機関として日本学術会議や国立大学を据えて、技術成果はアメリカの自家薬籠中となるばかり。かたや観光立国など科学も産業技術もさして必要としない政策に邁進すれば「行政、産業及び国民生活」に反映可能な「新しい科学の創成」など望むべくもない。これでは科学の樹は枯れてしまう。

観光立国、原発技術輸出、オリンピック・万博といったイベント頼み経済、カジノなる合法賭博等々、一発勝負・賭け事紛いに、さらに下手をすれば人類を恐怖と破壊に追いやってしまう領域にまで足を突っ込み、沈む日に向かってこの国はあゆみを止めようとしないようだ。

(おわり)


posted by ihagee at 09:40| 政治