2020年09月21日
世界の観光スポット・1970年代
古映像の続き(Kodachrome Super 8フィルム / 撮影者氏名不明のオーファンワーク)。200 ftのフィルム数本をWolverine MovieMaker Proとliquivid Video Improveでデジタル化した(それら機材とソフトについては本ブログ「8mmフィルム」カテゴリーに記載)。
「訪日外国人が撮影した」「撮影者はファイザー社と何らか関係のある人物かもしれない。単なる観光ではなく商用(商業撮影)も兼ねて訪日したとも推測される。」とこれまでの記事で述べた。
その同一人物の撮影した日本以外の国々の観光スポットの8mmフィルム(200ft 数本)に時折日本人らしき女性が写っていることに気づいた。フィルムが収まっていたキャニスターに貼付の英文から撮影者は外国人には違いないが(撮影地の表記が微妙に間違っている等)、もしかするとその伴侶はこの女性で日本(名古屋)で生活していたのかもしれない。「名古屋まつり・1966年」も「熱田神宮/名古屋城・1966年」も路上の景色を鳥瞰したシーンがある。季節を跨いで同じビルから撮影されていることから、そこがこの撮影者の職場とも思われる。白髪の老婦人も所々写っているが、その人こそ「訪日外国人」で撮影者の母親に当たるのではないかと想像も働く。いずれにせよ、撮影者が不明のオーファンワークであることに変わりはない。
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ドイツ、スイス、フランス、イタリア、ペルー?、ロサンジェルス、ハワイなどの観光名所が記録されている。Kodachromeおよび純正現像であることを示すリーダーを含めデジタル化した。1970年代と思われる名所のいくつかは私も1990〜2014年の間に出張・観光目的で訪ねたことがある。後年の印象を重ねることができるのも(ロサンジェルスを除いて)街並みに大きな変化がないためで我が国では到底ありえない(京都でさえ例外でない)。
観光は英語で "sightseeing" であるが、"sight"には「観測」、つまり、定点の成り行き(過去から現在への継続性)を眺める意味もある。「古きを温ねて新しきを知る」ではないが振り返ることがいつでも可能な定点を街並みが残し、その定点を訪ねることがその意味での「観光」となる。
他方、我が国では統合型リゾート(IR)で代表されるカジノ・ホテル、オリンピックや万博などイベントを「観光」の呼び水としている。しかし、現下のコロナウイルス禍ではそれらは逃げ水(蜃気楼)となった。 "水モノ" "キワモノ" たる正体をウイルスが奇しくも暴き出した。
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”「コロナの時代の新たな日常を取り戻すスタート(安倍首相)」と言いながら、コロナ以前のサービス業を主体とする「GOTO事業」を打ち上げ、2021年に開催延期されたオリンピックもその中心に据えているようだ。それらサービス業主体の経済施策がウイルス禍にあっていかに脆弱(水モノ)であるか思い知った筈なのに、それしか思いつかない・それしか残っていなかったのが、ウイルスが照らすアベノミクスの総括なのだろう。”
("オリンピック命" と言わせる日本の落日(続き10)から)
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過去から連綿と続く法秩序の継続性を政治解釈で断ち切るなど、ご都合主義的「未来志向」と何事もカネ目の政治・経済は、温ねるに値した(旧)国立競技場、原宿駅(旧駅舎)すらあっさりとスクラップにした。「江戸」は無論、「明治・大正」はおろか「昭和」すら今の東京に温ねる場所は失われつつある。
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"戦争で破壊された真珠のピースが一つづつそれら破壊される前の映像記録を参考に復元されている。写真を失われた過去の思い出とせずに再び写真を元に復元するという社会資本へのドイツ人の執念"
(「写真家・ヴァルター・ハーン(Walter Hahn)とドレスデン」から)
「定点」を失ってなるものかという執念がドレスデンの聖母教会を復元させた。ドレスデンを爆撃した英国ばかりか、「過去に目を閉ざさない」象徴としてナチスの侵略を受けた国々からも多くの支援が寄せられている。
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「観光」は「国の光=国の威光を観る」(中国『易経』)に言葉の由来があるそうだ。
過去(不都合な事実)に目を閉ざし、"オリンピック命" と言わせ、水モノ以外に将来を託す威光がなく「それしか思いつかない・それしか残っていなかった」ような寒々しさはこの国の落日ぶりを表している。
(おわり)
posted by ihagee at 22:10| 古写真・映像