北朝鮮による拉致被害者家族連絡会前会長の横田滋氏が亡くなった。
「そして私たち横田家のそばに長い間いた安倍総理には、本当に無念だとおっしゃっていただいています。私たちはこれからも安倍総理とともに解決を図っていきたいと思っています。国会においては、与党・野党の壁無く、もっと時間を割いて、具体的かつ迅速に解決のために行動して欲しいと思います。マスコミの皆さまにおかれましても、イデオロギーに関係なく、この問題を我が事として取り上げてほしいと思います。自分の子どもならどうしなければいけないか、ということを問い続けてほしいと思っています」(横田拓也氏)
「一番悪いのは北朝鮮ですが、問題が解決しないことに対して、ジャーナリストやメディアの方の中には、安倍総理は何をやっているんだ、というようなことをおっしゃる方もおられます。ここ2、3日目、北朝鮮問題は一丁目一番地だというのに、何も動いていないじゃないか、というような発言をメディアで目にしましたが、安倍総理、安倍政権が問題なのではなく、40年以上何もしてこなかった政治家や、北朝鮮が拉致なんてするはずないでしょと言ってきたメディアがあったから、安倍総理、安倍政権がここまで苦しんでいるんです。安倍総理、安倍政権は動いてくださっています。やっていない方が政権批判をするのは卑怯です。拉致問題に協力して、様々な覚悟で動いてきた方がおっしゃるならまだわかるが、ちょっと的を射ていない発言をするのはやめてほしいと思います。うちの母も、有本のお父さんも、飯塚代表もかなりのお年で健康も芳しくありません。これ以上同じことが起こらぬうちに、政権におかれては具体的な成果を出して欲しい。国内には敵も味方もありません。日本対北朝鮮、加害者対被害者の構図しかありません。これからも協力をお願いしたいと思います」(横田哲也氏)
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愛しい我が子を突然奪われた親の悲しみは如何許りか、その身になった者でなければ判らない。その人としての気持ちを遇らうつもりは毛頭ない。まだ生きているかもしれないと思えば、その探索に被害者家族が懸命となるは当然である。
ゆえに拉致被害者家族は拉致された家族の救出を政治権力に委ね、安倍政権は拉致問題解決を「北朝鮮問題の一丁目一番地」としてきた。
憲法の下、人権に軽重はないが「一丁目一番地」と政治的に拉致被害者の人権は他よりも重いとされてきた(拙稿「人の命の重さは、拉致被害者だけが重いのか?」)。しかしその被害者家族が解決を委ねた安倍政権に人権意識は希薄である。拉致問題は人権問題としてよりも北朝鮮問題(軍事・外交問題)全般と等値化され、政治イシュー化したからだ。次第に拉致問題が政治色を強めてきたのも、イシュー化する政治的価値(国内向け)が安倍政権にあるからとも言える。反面、戦前、日本の統治下にあった朝鮮から第二国民とは雖も多くの朝鮮人を拉致・徴用し、炭鉱等で重労働を課し少なからぬ者を死に追いやったことなどは、安倍政権にとって人権問題でも政治イシューでもない、カネ目である。カネで解決した(戦後補償した)から終わったとする(南朝鮮=現韓国)。
人権問題は本質的に終わりはないとするがゆえに、ドイツでは過去の時代の人権問題(人種差別)はその後の歴史認識(加害者としての原罪)と共にその問題の本質を理解する努力を現在そして未来に繋げようとしているが、安倍政権はそうではない。歴史を修正し人権問題そのものをカネ目で一切合切解決済みとする。カネ目ゆえに本質において加害者・被害者の間で理解が深まらない。
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「自分の子どもならどうしなければいけないか」と人権問題として意識を共有することを拉致被害者家族は我々に求めるが、「どうしなければいけないか」の結果、政治イシュー化を許したのは他ならぬ拉致被害者家族連絡会ではないか?政治家が少しでも距離を置くと拉致問題が世間の関心から薄れるのも、裏返せば、政治イシュー化し過ぎて、我々の思う市井の人権とは別の特恵される人権があるから関係ないのだと見放されているのかもしれない。
あまりに政治と距離を詰め過ぎたのである。ゆえに「やっていない方が政権批判をするのは卑怯です。(横田哲也氏)」という発言になる。
我々は拉致問題解決がならないから政権批判をしているのではない。拉致問題なる「一丁目一番地」を以って、ほかの物事を絡めて何かと内政の都合(=政権への求心力)に安倍政権が転換してきたこと(卑怯を言うのならこちらであろう)に対して批判しているのである。拉致問題が翻って、安倍政権の存在理由となり、脱法行為を含め何をやっても許されると内政の都合に体良く利用されていることに拉致被害者家族連絡会は気づかないのであろうか?
「外交は内政の延長」の反対の「内政は外交の延長」なる安倍政権なりの方程式はひたすら外交の成果を内政で強調することにある。その得意と自賛する外交はやってる感ばかりでさして実をもたらしていない。ゆえにこの方程式では相手から所詮内政の都合であろうと足元を見透かさればかりで、事実、拉致問題ばかりでなく、北方領土問題でも解決の端緒どころか交渉は膠着し前進どころか後退している。(拙稿「内政は外交の延長なのか?」)。
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”拉致問題一点から日朝交渉をすべきではないと。それは拉致問題以外のイシューの重要性とのバランスが取れなくなるからだ。安倍総理は拉致問題が「何よりもわれわれにとって大事な」と言う前は、日本に飛来するミサイルが最大の脅威・国難だと言っていた。いや、それ以前は、ホルムズ海峡の機雷だとか、リーマンショック級の経済危機のおそれだとか、が脅威・国難だと言っていた。安倍総理自身がその時々でバランスを失っている。それは安倍という政治家(および安倍政権)の立場がその時々で保てるか否かで、逆に物事の順番をつけていると考えた方が良いかもしれない。今は、それが拉致問題ということなのだろう。だから一貫していない。自己都合が透けてみえる。それを彼は「われわれ」と必ず言い換え、あたかも主語は「国民」であるとする。しかし、私も含め多くの国民は、軍事的脅威を取り除く外交こそ(話し合いを基調とする)喫緊に追求すべき外交であり、もたらされる和平こそ国益だと思っている。拉致問題とはその枝葉で解決されるべきことだ。”(拙稿「人の命の重さは、拉致被害者だけが重いのか?(続き)」)
その「一丁目一番地」が安倍政権の自己都合・自己保身と見透かされているから、その都合を共有しないトランプ米大統領からは「(拉致問題はシンゾーにとっての)プライベートな懸案」と突き放される。
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”私の義理の兄は東北帝大を卒業すると、満州国の官吏を養成する大同学院を卒業して、官吏になりました。幾つかの部署を経て、協和会の仕事をするようになりました。協和会は五族協和を実践すること、中国人の衛生思想の普及、学校教育、義務教育の充実と、当時、中国人の間で常習することの多かった阿片吸引の風習を、撲滅することが大きな仕事でした。そのため、中国系、韓国系の人たちの不満を聞くため、よく家内の実家である私の家に、これらの人たちを連れてきて、殆ど毎夜、酒を飲みながら相談にのっておりました。多分、外では話のし難いことがあったのでしょう。終戦の前に協和会の奉天支部長を勤めておりましたので、ソ連が侵攻してくると、早速逮捕され政治犯としてシベリアに八年も抑留されました。彼は帰国後、大阪で司法書士の事務所を開き、相談にきた在日韓国人や部落の人たちからは、一銭も金を取らなかったため、それが評判になり、姉の教師としての収入で、かろうじて生活するような有り様でした。岸信介が、熱河省で大量に阿片を栽培させて中国に売り、それを政治資金に使っていたことを知ったら、さぞ悔しがったことでしょう。”(父の手記から)
阿片撲滅を五族協和の「一丁目一番地」と信じ奉職する者を横目に、阿片を栽培させそれを自己の政治資金とし、A級戦犯被疑もなぜか不起訴無罪放免となって何事もなかったかのように戦後総理大臣になった男を尊敬するその孫の「一丁目一番地」に同じ自己都合・保身の政治的動機を疑わざるを得ない。
国際社会の市民の力・ネットワークよりも、我々の誰かを卑怯呼ばわりしてまで、政治権力そして安倍晋三なる人物を信じ、今尚、その権力・その者に依存する発言を続ける拉致被害者家族連絡会に違和感を覚える。「一丁目一番地」を以って、内政の都合(=政権への求心力)に転換することに与することがあってはならない。
その身勝手極まりない都合に「ここまで苦しんでいるんです」は我々国民である。
(おわり)
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