2020年04月19日

"オリンピック命" と言わせる日本の落日(続き8)



安心のマスク選びをするために必要なこと 一般社団法人 日本衛生材料工業連合会 全国マスク工業会

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”会員マークの使用目的:会員マークの表示により、工業会の定める「マスクの表示・広告自主基準」ならびに「衛生マスクの安全・衛生自主基準」に遵守し生産された衛生マスクであることの情報を広く社会に提供し、一般消費者が衛生マスクを安心して選択・使用できるために役立てる。”(全国マスク工業会会員マークの運用基準から)

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公表すべきことも敢えてしない不作為=安倍、のマスク。問い合わせは〈布マスクの全戸配布に関する電話相談窓口(厚労省)〉とされ、責任の所在は「役所のたらい回し」とご丁寧にオチまで付いている。

つまり、配ったのは上述のような衛生用品としてのマスクではない。「自粛」への国民総和の徴としての「口に巻く布と紐」。ゆえに衛生用品として求められる規格要件を満たす必要は一切ない。

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「自粛=自分から進んで、行いや態度を改めて、つつしむこと」とは、政治・行政が責任を負わず、国民・市民の行動を「自らの意思=志願」と読み替えるための詭弁。その結果責任は国民が負うものであり、国家は何の責任も負わない、ということになる。先の戦争は国民が勝手にやったこと、と同じ、コロナ自粛は「国民が勝手にやったこと」と、政治が責任に頬被りを決め込む、その徴こそ件の「口に巻く布と紐」であろう。

「自粛」と「忖度」は同義。責任をもっぱら国民に押し付け(赤木俊夫氏の自死)、それらの空気を作る者はチノパン姿で犬と戯れ国民の自死に何の責任も感じない。

ゆえに「口に巻く布と紐」たるアベノマスクは、先の戦争での「志願」の鉢巻とその意味は何の変わりもない。国民命ではない、オリンピック命・経済命に血道をあげる。ゆえに命に関わる感染症対策の責任者を経済再生担当大臣が務めている。そんな国は少なくとも先進諸国中、日本だけ。


(東京大空襲・戦災資料センター館長から引退する作家の早乙女勝元氏。戦時中に配られた「神風」のはちまきを今も持っている=山本和生撮影:朝日新聞 2019年5月12日記事中写真引用)

「お前たちは誰より可愛い。だから一番可愛いお前たちを日本の歴史に其の名を載せて、悠久の神として祭ってやりたいのだ。この気持ちをわかって欲しい。ただし、これは命令ではない。あくまでもお前たちの志願である」(神立尚紀、大島隆之『零戦 搭乗員たちが見つめた太平洋戦争』講談社)

"アベノマスク、不要なら寄付を 路上生活者や介護支援の団体"

モノとしての選択肢として有り得る(否定するものではない)。しかし、モノとしての要不要に思考を狭めてはならない。

(おわり)



posted by ihagee at 07:29| 日記