「新型コロナウィルスは恐ろしいほどに差別をしない。差別をするのは人間だ。」(ハーバー・ビジネス・オンライン 2020年4月13日付記事から引用)
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「自粛」という言葉。新型コロナウィルス対策として政府が要請する全国規模の外出自粛の脈絡で使われている(「緊急事態宣言」の対象となっている7都府県)。
具体的には “接客伴う飲食店利用自粛” と飲食店など特定の事業を対象とし、その利用を自粛せよという。
「自粛」、「自分から進んで、行いや態度を改めて、つつしむこと。」
「自粛自戒」も同義。つまり、その言葉を国家が国民に投げるということは、行いや態度を改めるか否かは国民次第であって、その結果責任は国民が負うものであり、国家は何の責任も負わない、ということになる。
「(感染拡大の抑制に失敗した場合)これは私が責任を取れば済むことではない(安倍首相)」との発言の通り「自己責任」。そんなことをサラッと言う者など、この国のリーダーの資格はない。
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ウィルス感染禍に安倍政権は結果責任を負うつもりはない。ひたすら「自粛」を要請し、休業せざるを得ない状態になっても補償を行うつもりさえない。世界がそうなのに、その世界すら見ることをしない。
西村大臣「休業補償している国は世界に見当たらない」と補償を拒否。
— 志位和夫 (@shiikazuo) April 12, 2020
フランスでは「一時帰休」の労働者に給与を84%補償。
ドイツは小規模事業所に3カ月で最大180万円を給付。
イギリスは業種を問わず、勤務先の休業などで休業状態の労働者に月給の8割補償。
世界のどこを見ているのでしょう。
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国民の命を守ることが政治の最大使命でありながら、安倍政権にとって守るべきは自己保身と一部既得権者のための経済であって("オリンピック命" に代表される)、国民の命ではない。その国民の命すら「自粛」を以って選別する。リモートオフィスができる者とできない者。蓄えがあり引き籠れる者とそうでない者。あれこれ選別しておきながらその休業に補償をしない。つまり、棄民ありき。ウィルス以前に生活が苦しくなって路頭に迷おうが、首をくくろうが仕方ないという棄民。他の国ならとっくに暴動やクーデターが起きている。
しかし、日本人はおとなしい。「知らしむべからず、由らしむべし」が染み付いている。お上の言うことに楯突いちゃいけない、国家が危難の時にその足を引っ張るような反論や批判をしてはならない、一致団結すべし、・・と言論の自由を自ら投げてしまう気性がある。つまり思考停止。すべきと判っていても、あえて積極的な行為をしないことが良いとされ(不作為)、無責任が大手を振って跋扈する。
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"緊急事態宣言では、国民の私権を制限できないから「自粛」しかない"、とウィルス検査を渋り補償を行わない「言い訳」にしている。”我が国は、新型コロナウィルスを封じ込めることができるか?我が国の憲法には緊急事態条項がなく、戒厳に近いこと(非常事態宣言)はできない。” などと私権制限があればウィルスを封じ込められるかに、悪いのは国でも安倍政権でもなく「私権」を守る憲法であり、そんな悪い憲法はウィルス禍下では場合によっては無効にしなければならないと、憲法泥棒をそそのかす(拙稿「新型コロナウィルスに乗じる厚顔」)。
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「自粛」で生存権を脅かされる事業者、従業員とその家族。生きるに必要なカネすら渡さず、自粛しなければ社会的制裁を受けるような空気を作る。国民相互に不和をもたらし、何の科学的理由もなく官邸主導で全国の小中高校の一斉休校を要請し教育を等しく受ける権利を剥奪する。
「差別をするのは人間だ」。差別を促す者が消えればウィルスも消える。それを新型コロナウィルスは教えているのかもしれない。
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「今度のこと(ペストの流行)は、ヒロイズムなどという問題じゃないんです。これは誠実さの問題なんです。こんな考え方はあるいは笑われるかもしれませんが、しかしペストと戦う唯一の方法は、誠実さということです。一般にはどういうことか知りませんがね。しかし、僕の場合には、つまり自分の職務を果たすことだと心得ています」(アルベール・カミュの小説『ペスト』の主人公のリウー医師の言葉)
誠実さからは人間同士の差別は生まれない。誠実に向かい合えばウィルスは退散する。その誠実を阻むは人間である。不誠実な者をこの国のリーダーに置いたことがこの国の最大不幸となりつつある。

(勝手に同じフレームに収まる・インスタグラム政治)

(何の生活の補償も受けられない蟻は命を危険に曝しても働かざるを得ない・肉食のキリギリスは蟻すら食べて生き延びる・童話と異なる展開)
(おわり)
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