2020年03月31日

"オリンピック命" と言わせる日本の落日(続き1)



静岡県周智郡森町にある曹洞宗の寺院「大洞院」のある墓は墓石の周囲が削り取られてボロボロだそうだ。



墓石の欠けらを持ち帰るとギャンブル運が上がると博打好きな人にとっては有名な墓とのこと。神頼みのその神は森の石松。侠客つまりヤクザ。浪曲・講談・映画・ドラマの世界では義理人情に厚いキャラだが実在の人物か史実上は疑わしいとされている。

----

"オリンピック命" と言わせる日本の落日 の続き。

”・・・政治も不要な神仏の世界にいるようである。アベノミクスなどの現政権の経済施策の総括を運・不運で語るのであれば、そもそもその施策自体が博打と同じだと明かしているのだろう。鉄火場の遊び人に国民を喩えて、運がない人もいる、と言うに等しい。その通り、博打的な施策であるから鉄火場の表現になるのだろう。アベノミクスの一体何本放ったか知れない矢も的矢だし、カジノ法案はまさに博打だし、異次元金融緩和は裏世界であって、ことごとくテキ屋の稼業である。ならば麻生大臣の物言いは素直と言えば素直である。日本会議なる異世界の詔に耳目を傾ける政治家が結集した安倍政権であれば、政治も不要なテキ屋か神仏の世界観なのだろう。”(運・不運でかたづけるなら神仏の世界

----

「神頼みみたいなところはあるが、そうした気持ちが必ず通じていくんじゃないかと思って、来年夏の開催へ不退転の決意で臨むしかない」と大会の成功を誓った。(東京オリンピック・パラリンピック競技大会開始日程合意について、組織委の森喜朗会長弁 / 2020年3月30日)

テキ屋か神仏の世界観で国民の命を五輪と天秤にかける。将来世代の懐にまで手を突っ込んでカネの無心をする(延期も含め開催費用の損失分は税金で補填)。1998年冬季オリンピックが開催された長野市は開催のために借り入れた額は利息を含めて約694億円となり、その償還は2018年度までかかった。借金返済に20年を要したことになる。これはオリンピックの様々な利益を享受した世代ではなくその次の世代に負の遺産をツケ送りしたに過ぎない。長野大会とは比較にならない程の巨費を投じた東京大会は延長費用も含め一体いくら将来に亘って東京都(都民)は償還し続けなくてはならないのかその期間も含め何の試算も我々は知らされていない。いずれ日本政府(国民)が損失を補填することになろうが、その額がいくらなのかも知らない。

----

商業主義が萌芽した1984年ロサンジェルス大会(夏季)以降、夏季冬季大会は放映権などコマーシャリズムの権利がついた "旬の" 商品は経済利益をスポンサー企業にもたらすが、その権利商品は「今だけ、カネだけ、自分だけ」の権利ビジネスであって、開催後はもっぱら施設費用など負の遺産が開催都市に残される仕組みになっている。スポーツが持つ価値を商品に抱き合わせ(放映権・グッズなど)売り切って損得勘定をすれば、IOCファミリー、スポンサー企業などにとって得であっても開催都市および市民にとって損益ばかりが残る。世界がウィルス禍となろうと人命よりも開催に決意やら神頼みし、将来世代の懐に手を突っ込んでカネの無心をする姿は人として浅ましい(浅ましさの最たるは、一瞬の灯火の為に100,000年後まで負の遺産を残す原発事業 / 100,000年後の安全)。

----

森の石松の墓石は、一発勝負の願掛け分、だんだん削られ、過去何回か建てかえられているそうだ。削ったところで大抵すってんてんになるは博徒で、胴元が儲かるものと昔から決まっている。

「日本の国、まさに天皇を中心としている神の国であるぞということを国民の皆さんにしっかりと承知して戴く」<森喜朗元首相の神の国発言>。その神の国の御使たる(IOCのエージェントでもある)森大会組織委員長の一発勝負の願掛けならぬ「神頼み」などに承知できるワケがない。その鉄火場に張られるのは我々の命だ。パチンコ店が立ち入り自粛対象とならないのも同じ鉄火場と考えれば腑に落ちる。胴元と繋がる政治家が上がり(=献金)欲しさに自粛させない。たとえウィルスの培養皿になろうと「今だけ、カネだけ、自分だけ」なんだろう。


(安倍:布マスク二枚の「日本の技術力は落ちていない。ワクチンができる。大丈夫」/ 石松の墓のかけらに託す程度の当て推量 / 「科学の樹」のないこの国の暗愚

そんなテキ屋の稼業が「しっかり承知して戴く」神の国なら、神風がそよとも吹かずに敗けたあの日のように日本の落日は近い。しかし、それすら神の国の住人にとっては運・不運で片付け痛くも痒くもないが、片付けられる側は塗炭の苦しみを味わう。そのような歴史の轍を踏んではならない。

(おわり)

追記:
ローマ教皇、疫病終息にゆかりの奇跡の十字架を前に「イタリアと世界に影響を及ぼしている今回のパンデミック(世界的な大流行)の収束」を祈り、「大勢の感染者の癒やしを乞い、多くの死者を追悼した」という(2020年3月15日)。

片や「どうかオリンピック開催が叶いますよう」と、神に願掛けをする我が国。これで開催できなかったら「世界はとんでもないことになっている。人間生活はなくなっているかもしれない。」などと森喜朗大会組織委員会会長は世界・人類までオリンピック開催成否の天秤にかけ挙句に道連にするかの妄言。その不退転の決意を評価する愚妹な連中共々「今だけ、カネだけ、自分だけ」のミーイズムたる "オリンピック命" を国際社会に大発信している。苦しむ隣人へいたわる言葉一つない無神経ぶりに国際社会から非難轟々となるは理の当然。


posted by ihagee at 03:17| 日記